小夜の中山は旧東海道の掛川宿と金谷宿の中間にある尾根道でした。その尾根から西に下りました。其処は牧が原台地で一面茶畑が広がっています。茶畑の中に静岡空港があります。休憩しようと「お茶の博物館」に寄った処この日(水曜日)は定期休業との事・・・・、菊川町が運営している施設ですから致し方ありません。
牧が原台地に広がる茶畑、手前の緑のお茶はこれから刈り取って一番茶にします。
一番茶を刈り込んだ茶畑、真っ青な緑が枯れ枝に変じて痛々しい感じがします、遠くの山脈の遥か高みに富士山が頭を出している筈です。扇風機のような羽は88夜の頃に突然に襲う霜除け対策です。
お茶の博物館が休館でしたので、私達はカーナビに次の目的地蓬莱橋をセットしました。
蓬莱橋はNHKの朝ドラ「トト姉ちゃん」のオープニングバックに映っていますからご存知の方も多く2011年には大雨で被害を受けたので記憶に生々しいモノがあります。
牧が原台地からも観られますが茶屋は北側の島田市に多いので一度橋を渡って。島田市側から橋を渡る事にしました。
島田市側(大井川の北)に渡る為先ず島田大橋を渡ります。眼と鼻の先に蓬莱橋が見渡せました。南側(菊川町)から見れば蓬莱橋を渡ると島田市でその上に蓬莱山である富士山が遥拝できることになります。
蓬莱橋は大井川にかかる明治時代に懸けられた木造橋で木造では世界最長です。
私達は橋の維持協力費100円を払って橋を渡ってみました。川の中州の上まで行くと、川原に真紅の花が咲いています。まるで紅珊瑚のように鮮やかな色です。
そこで橋の受付に居る島田市職員に花の名を訊いてみました、すると「虫取り撫子」との事です。真紅の小花ですから撫子の名は納得です。でも”虫取り”の名は撫子の優しさとは真逆です、食虫植物かと思って島田市の職員に訊きましたすると職員は口頭で説明した上に川原に下りて一株採取してくれました。お蔭でワイフは二泊三日の旅行中ズット虫取り撫子を管理して、我が家に持ち帰り植木鉢に植える事になりました。
何故”虫取り”なのかと云うと茎の所々にネバネバした粘液が覆っていて、虫が粘液に取られてそれ以上上れないのです。虫とは蟻の事で蟻がアブラムシ(共生関係にある)を運んでこない様に防御するストラップなのです、昔蠅取リボンがありましたが、それを発明した人はこの虫取り撫子を観て思いついたのかもしれません。撫子は綺麗で優しいようで実態は怖ろしい武器を持っているものです何時もおしとやかな女性がイザとなると攻撃的に変身するようなものです。
これが明治2年(1869年)に作られた蓬莱橋です。全長897mは木造橋では世界一 ギネス海舟認定。向かいの牧ノ原台地に幕臣中條(ちゅうじょう)金之助(景昭)と大草多起次郎等茶畑を開墾したのでした。(この件は勝海舟の『海舟座談』に掲載されています)。私達は三々五々橋を渡ってみました。下を見下ろすと中州に紅珊瑚のような花が咲いていました。「訊けば「虫取り撫子」だそうです。
これが虫取り撫子の群落です。中州の虫取り撫子は細いし絶え絶えでしたが岸辺の撫子は見事でした。職員はこの一本を根こそぎ抜いてワイフにプレゼントしてくれました。幕臣らは牧ノ原台地を開墾し、茶を作って蓬莱橋を渡って島田から東京に出荷したのでしょう。蓬莱橋は江戸の方角であり同時に富士山(蓬莱山)に続く橋だったのです。
島田市職員の話では虫取り撫子の種が散って地中に埋もれているのですが2011年の洪水で種が流されてしまって一時はかっての群落は消えてしまったのだそうです。今年は少し快復したので今朝NHKで放映したそうです。その関係で見物人も多かろうと思って今日は「橋守り」のように袂の小屋に常駐しているのだそうです。私はかねての疑問をぶつけてみました。
1、なぜ島田で島田髷が始まったのか?
2、三島の女郎衆は有名だが島田にも遊里が在ったのか?三島より島田の方が遊里の立地は優れていたと思うが?
3、三島には 農兵節があって全国的に有名だが島田には民謡は無いのか?
すると職員さんは立派なパンフレットを取だし島田髷を解説し始めました。島田髷は埴輪にも観られる事島田の遊里で始まった髷で僕らの知っているのは文金高島田(お嫁さんの髷)娘島田(桃割れ)勝山島田は吉原の花魁勝山が結って大流行した遊女の髷であること……。等等、出発時刻に遅れないように失礼しました。
島田髷祭りのパンフレットの表紙。祭りは毎年9月の第3日曜日に実施される島田髷祭りの写真お姐さんの浴衣姿も項もアダなのは島田髷の効果でしょう。
上記パンフレットの祭りの様子。桃割れ島田の娘さんも可愛いです。写真を観るとお姐さんの帯に団扇が挟まっていて島田髷のファッションショーのようです、叔父さんは思わずユダレを垂らしてしまいそうな色気です。下駄に素足も良いもんですね…。そう言えば、鞠子の匠宿でも下駄作りが紹介されていました。
幸いな事に島田には遊里が残っているとのこと、何れかの機会に観に行きたいと思います。
流石に蓬莱山の麓にある街が島田です。自宅に戻って島田の民謡を調べてみるとありましたお座敷にピッタリの文句です。お座敷芸を鑑賞できるサービスが在ると良いのですが・・・・。
『夢に見る・下へ下へと 枯れ木を流す 流す枯れ木に 花が咲く・島田によ 今朝結うた髪は 主とほたえて(京言葉で戯れるの意味)乱れ髪・信州信濃のよ 新蕎麦よりも 私しゃ貴方の 側が良い』
一寸古希の爺さんには刺激が強すぎるようです・・・・が・・・。
次の目的地は塩瀬の吊り橋(日本一の吊り橋)ですが、高所恐怖症の方が居るのでいよいよ今夜の宿川根温泉をカーナビにセットして出発です。今朝京都を発った大先輩から「着いた」携帯電話も鳴りました。途中今夜のコンパのおツマミを探し探し、大井川を遡りました。明日は川根温泉を書きます。
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
応援クリックお願いします。
↓