岩カラミは紫陽花に似た花をつける蔦です。名前の通り大岩に絡んで花を咲かせるのでその名があります。今年も鎌倉の東慶寺に岩カラミを観に行きました。その時の記事は次にアップしました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49326315.html。
これが東慶寺の本堂裏の大岩に咲く岩カラミです。花は白い花弁の鍔紫陽花のようで。緑の葉っぱとのコントラストが爽やかです。
先日書いたように強羅公園は三井財閥の大番頭だった益田鈍翁が強羅公園を開発して自らもその園内にサロンを造営しました。サロンの中核は新タイプの茶室で、田舎家を移築しその大部屋でグループで抹茶を戴くと云ったスタイルでした。利休の茶室は4畳半で主人と客を合計しても精々3人の小部屋でしたが。鈍翁の茶席は
利休以来の芸能から脱し政財界の巨人同士のサロンとなっていたようです。強羅に入ったらまず一風呂浴びて大部屋に三々五々集合します。大部屋では主人の益田鈍翁がコレクションした美術品が置かれています、利休の時代だったら床の間の軸は高僧の書だったり決まっていたものが、鈍翁の茶席には色恋の和歌や絵巻物の断が懸っていたりしました。時代も既に明治でしたから基本的な制約は無く自由がベースであったのでしょう。その茶室を鈍翁は白雲洞と名f付ました。
此処が強羅公園内にある白雲洞茶苑の入り口、此処の入場料は無料です。入ってすぐに待屋があってその奥に温泉に入れる建屋があって、そこで一風呂浴びてからお茶席に集うスタイルになっています。日本橋で鈍翁さんから”君今度の週末箱根に来ないか?”誘われたら登山鉄道を乗り継いで強羅に入り、一風呂浴びてサッパリしてから白雲洞茶席に入ると思いもよらなかった政財界の大物と同席出来たりして感動したものでしょう。鈍翁はそんなビジネスの一期一会の場所として茶席を活用したものと推測します。
お茶室の縁側に出れば外輪山(明神ヶ岳)にかかる白い雲が見渡せたのでしょう鈍翁は白い雲が好きだったのかもの知れません。そして茶室の目の前の大岩に岩カラミ植えたのでしょう。大岩に絡む白い花が峯に懸る白い雲のように思えたのでしょう。思惑は別として白雲洞のシンボルは大きな岩カラミになったのでした。今年は東慶寺の岩カラミも観たし本家本元の鈍翁の岩カラミも観たいと思って足元が不確かな中白雲洞に登ってみました。でも修理工事中でした。お蔭で強羅公園側に出た蔓の先には岩カラミが見事に咲いていたにもかかわらず、肝心要の白雲洞の前の大岩には全く咲いていませんでした。今年から数年は修理工事の影響で我慢してくださいそんな風です。
6月30日の白雲洞縁側から観た岩カラミ。花は全く残っていませんでした。
岩カラミの向こうが白雲洞の茶席です。
白雲洞の茶席此は一服お点前を戴けます。500円(菓子付)です農家を移築した質実な建物が如何にも鈍翁好みです。
これが白雲洞の岩カラミでした。修理工事の為に今年はこの本体部分は眺められませんでした、この蔦の一部分は強羅公園にはみ出して咲いていました。左上は強羅公園になります。
これは強羅公園内の遊歩道白い紫陽花は「柏葉紫陽花で岩カラミではありません。この道の右下に大岩があって其処に岩カラミが自生していて白雲洞があります。
この白い花が白雲洞に自生している岩カラミの一部です。陽当りの良い強羅公園に這い出している部分は見事に白い花をつけていました。
強羅公園は薔薇が咲いて夏椿も咲き始めていました。薔薇が日向の花なら岩カラミは日陰の花です。幸い地震も静まって観光客も戻って来ています。強羅公園をはじめ伊豆箱根鉄道の施設内では紫陽花の鉢植えを販売しています。今年はダンシングパーティーが人気のようです。
紫陽花は花が終われば強めに選定をします。伐採枝はそのまま火山灰土に挿し木すれば発根して来年は販売できます。鈍翁さんの商才は伊豆箱根鉄道の企業文化に根差して日本最初のホームセンター(ビーバートザン)になりました。東急ハンズよりズット先行しましたが。ドミナントエリアが狭いのが不幸でした。
でも紫陽花の伐採枝を挿し木にして鉢植えを販売するそんな姿勢に共感を覚えます。
これが今年人気だったダンシングパーティーです。もうお終いなので半額の1500円で廉売していました。
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