私は週1回デーサービビスに通っています。1年前は週2でしたし、送迎車も利用していましたが、今はリハビリもかねて、徒歩で往復しています。来年の今頃は好きなバイクに乗っているのが私の目標です。その為には左手の握力を回復しなくてはなりませんし、杖無し歩行も完璧にしなくてはなりません。最近は、杖がない方がスムーズに歩けるようになってきました。。杖を突かないで歩くには目線の位置と歩道面の凸凹に気を配って歩きます。一番の危険箇所は我が家の石段です。公道から6段ほどの石段があってアルミフェンスの門があります。門の周囲は生垣です。生垣には空蝉が幾つもついています。夜のうちに羽化して羽を乾かして夜明けを待って飛んで行ったセミ君の脱いだ衣が空蝉です。夕方デーサービスから帰るころには石段に蝉の成虫が命を終えて転がっています。子孫を残して炎天下に往生したのでしょう。蝉の遺骸には蟻が群れて遺骸を解体して運んでゆきます。イソップ寓話の「蟻とキリギリス」そのものを観る光景です。イソップは蟻を誉めあげキリギリスを怠け者として謗るのでしたが、私の敬愛する一遍上人は”自分の遺骸は野に晒して獣に恵んでやれ”遺言しました。屹度一遍上人はこうした生命の輪環関係を見詰めておられたのだろう、思います。今日は旧盆の入りですから、この門に迎え火を焚いて両親を迎えなくてはなりません。
これは法隆寺のタマムシの厨子の左側面に描かれた施身聞偈図。です釈迦は飢えた虎に自らの体を施します。
これは餓鬼草子で描かれた都大路上段に四つの墳丘が描かれており左には棺桶に収まっていた遺体を食っている野犬が見えます。一遍上人の遺言は私が死んだら葬儀などしないで獣に施すように命じます。
昨晩はお盆飾りの菰を買いに出たワイフが”もう盆飾りの高いのに驚いた、蓮の葉っぱ(ご飯を盛る)が百円もする”言っていました。
我が家のお盆の迎え火 牛と馬を用意し門でオカラや竹を焚きます。室内の仏壇の前には精霊棚を設えます。門は外敵や怨霊や災厄が侵入しないよう張った結界なのです。内裏や都も同じ発想です。
蓮の葉っぱに生米と賽の目に刻んだ胡瓜茄子を盛って供えます。この蓮の葉っぱを庭先の無花果の葉っぱで我慢してもらおうと提案したのです。
私は仕方ないから無花果の葉っぱにご飯を盛ったら・・・・・!”言いました。云いながらもお母さんは吃驚するだろうな!もう無花果の葉っぱなんて私は白蓮院よ!”笑いながら抗議の声を発っしそうです。
こんなことなら来年からは庭先に里芋でも栽培することにしましょう。
さて、今日の話題は羅生門です。そう芥川龍之介の小説の羅生門です。
私は学生時代、父の事業の関係で奈良によく出かけました。父は大阪鉄鋼という機械加工メーカーけ受注をしていて。同社が自己破産したのでした。大阪鉄鋼の社長の自宅が奈良の佐紀町にありました。父は破産財産の清算を有利に進めようと思って大学生だった私を社長宅に住まわせたのでした。私は日中は奈良の寺社旧跡を巡り夕方は銭湯で体を洗って過ごしました。
社長旧宅の近くに不退寺があって麦畑が広がっていました。畑の中に柘植の木が植わっていて柘植はまるで柱のように刈り込んでありました其の柘植がが平城宮跡の朱雀門である案内してありました。柘植の木から見ると東が東大寺で。東大寺の手前に法華寺の瓦が遠望できました。陵からは佐保川が流れだし西大寺の先で秋篠川と合流し佐保川は郡山の先で大和川の意合流していましたから。西の京の薬師寺や唐招提寺にも便の良い場所でした。夜はやることもないので屋敷を探検して遊びました。社長家族が大事にしていたような書庫を開けると「生長の家」の機関誌や谷口雅春氏の著書が積まれていました。
私は生長の家に少なからず共感をもって来たのでした。
奈良への脚は東海道線の急行「銀河」か鈍行「大垣行き」に乗りました。京都から近鉄奈良線に乗り換えて夜明の頃に西大寺に着きます。三笠山の上から朝日が昇って、私は平城山を口ずさんでいました.当時から会津八一をそらんじていましたから。一季節奈良で過ごして帰りは千年余りの歴史の重みを感謝して〝さらば故郷”を口ずさんで帰りました”さらば故郷”と重ねるフレーズは”さらばならやま”と替えるだけなのでしたが。は東には東寺があって西側にく陰陽師銘じて
此方が平城京の内裏を復元したもので。その朱雀門です。朱雀門も二階建ての楼門でした。この朱雀門から真っすぐ南に幅75メートル長さ4キロの朱雀大路が走っていて大路は現在の郡山の辺りまで続いていたそうです。郡山の高架道路下に平城京羅生門の印石が立っています。
一方桓武天皇は平安京を建立しますがそのモデルに平城京であったことはまず間違いないでしょう。
京都の内裏の南門は朱雀門で、朱雀門からは真っすぐ朱雀大路が南に走っていて都の南の門が羅生門です。
これは京都の平安神宮の門この門は内裏の朱雀門を復元したものです。ですから桓武天皇がその高さにこだわりを持った羅生門はこんな風格だったことでしょう。でも大風で二度も倒壊し、大人の乱によって都が荒れると、楼上には盗賊が住み着き遺骸が投げ込まれ妖怪や鬼も住み着いたようです。陰陽師ではこの楼上では鬼が琵琶を弾いたり笛を吹いたり遺体を繋ぎ合わせて美人を合成したりする悍ましい話を創作しました。東寺の南には羅生門跡の脊柱が立っています。
桓武天皇は今日の都の造営を毎日のように確認して羅生門の前を通って長岡京に帰ったと記されています。そして蔵人に命じて出来かけた羅生門の軒高をもう1尺半低くするようにさせたそうです。天皇の命令の根拠は羅生門の辺りは風が通るので安全の為に軒を低くしたかったのだそうです。ところが官吏は見栄えが損なわれるなどの理由で天皇の命令に従いません。結局平安京の南門は軒高のまま竣工してしまいました。風害で二度も倒壊したと記録されているそうです。加えて応仁の乱にかけては。遺体の捨て場所になって夜盗が住み着き龍之介の小説のように遺体の髪の毛をむしり取って生活するものや夢枕獏原作の陰陽師に出てくるような遺体を寄せ集めて美人を作るような鬼が棲んだりするのでしした。羅生門の東西には東寺と西寺があったのでしたが、西側は貧民街になって荒れ果てていたようです。
これが鬼です手の指は4本脚の指は2本です写真出典:怨念の日本文化史
これは法隆寺金堂で軒下で庇を背負う鬼です。日本人の鬼のイメージは怖いモノで。それは人間の怨念が姿をもって出現したものと考えたのでしょう。
平城京の朱雀大路の東西は大違いであったので証では。西は貧民窟で治安は悪く、それも羅生門の外に出ればは危険な異空間で悍ましい夜盗や妖怪の跋扈する世界であったのでしょう。
貧民窟に住む人は夜になると東の町に出て都の中に忍び込んで悪事を働いたかもしれませんことでしょう。
時には内裏の中にも盗賊が親友したかもしれません。古代末期になると宮中に秘蔵された琵琶や笛が盗まれたりしました。その真犯人探しに阿部清明や武士が活躍します。犯人は鬼ということになります。鬼退治に密教が期待され。菅原道真も祀り上げられて鬼退治に活躍します。したがって北野天神には鬼を切った刀が奉納され、建築の細部に退治された鬼が耐えています。
日本人は古代から妖怪や鬼は人間の怨念であると思ってきたのでした。
元々平城京も平安京も中国(唐)の都洛陽を模して作ったのでしたから。お手本は中国です。
でも。元々の民族性が違います。
中国の門は農耕民族が騎馬民族などの外敵から都を守るために城壁を築きその都の出入り口として設備したものでした。門の内は自分と同じ血の流れている民族で、門の外は自分たちと違う血の流れている異民族で危険極まりないと思っていました。”門を一歩出れば異民族に掴って頭の皮を剥がれるかもしれないと思っていました。中国の王朝は自分自身が侵略者征服者でしたから、いつかは自分たちも征服されるかもしれない危惧していたのでしょう。城壁も門も命の民族の生命線でした。
中国では殷から秦王朝まで都は次々に変わります。それは異民族が豊饒な中国の中原を奪い合う歴史でした。
秦の都は咸陽でしたが、漢は都を長安に移します。移行黄河中流域の都市に都は変遷します。
モンゴル平原の民族が都を大都(今の北京)に移します。元の後の宋は都を大都と黄河を繋ぐ運河の中間位置にあったある開封に都を移します。
そして、には堅固な城壁で取り囲んで更に国境の様の尾根にも城壁を積み上げました。それが万里の長城であったのでした。
皇帝が城壁つくりに熱心なら一般人も同じです。屋敷はまるで野盗を防御するかのように壁を繋いで作られています。日本の家は源氏物語絵巻でも生垣で囲まれているだけですから侵入するのも簡単です中国人から見ればこんなに無防備な国家は考え難いでしょう。隣通しで味噌や醤油を融通しあう日本人には隣人は泥棒と思うような中国の文化は理解しがたいものがあります。
日本では北方の蝦夷が大和朝廷を征服したり、南方の熊襲が都に攻め込むこともありませんでした。
日本人には外敵に制圧されるリスクは思いもしなかったのでした。
唯一日本人が怖れたのは怨霊でした、政敵や肉親が恨みを残して死んだとなるとその怨霊が災厄をもたらすと危惧しました。逆に銅が発見されたり白い鳥が飛んだりすると吉兆として喜びました。そんなときは元号を変えたり。天皇が変わると怨霊が棲みこんでいる旧都を出て新都に移りました
宋を滅ぼした清は都を大都に戻します。王朝が変わるたびに都は変得ました。都を変える度に前の都は顧みることはありませんでした。
大都(今の北京)は元々は北方騎馬民族が作った元の都でしたから朱雀門に相当する門が天安門です。中華人民共和国は大都の名を北京に改め朱雀門を天安門と名を変えて毛沢東の写真を飾りました。その一方で羅生門に相当するのが安定門でしたが毛沢東は破壊してしまいました。北京オリンピックに際しては旧市街地の美しかった街並み(胡同」を壊して。道路とオリンピックスタジアムを建てて見せました。4千年の歴史は目のものを壊して都合のよいモノに作り替える事の繰り返しでした。結果、中華人民共和国の空気は汚れ水は濁ってしまいました。妖怪は異空間を融通無碍に行き来できます。空気や水も融通無碍です。
妖怪豆腐小僧。妖怪や鬼をモンスターと英訳したのは間違いで妖怪はデビル(鬼)に近い人間味があります。出展は日本テレビの画面です。
空気も水の海も全部自分たちだけのモノとして独占利用できると考えるのは、天安門の怪物(モンスター)です。妖怪や怨霊を怖がる方が優れているし地球に優しいと確信しますポケモンが突如ブームで嬉しいことです。
明らかにポケモンの原型は鬼です。どこか愛嬌がある鬼です。鬼の祖型は人間の心ですから。ポケモンは人間の心を持っています。ポケットモンスターなんて名付けないで「鬼」で良かったように思います。鬼を英訳するとデビルです。マイデビルとかファミリーデビルとか・・・・・。
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