インフルエンザにノロウィールスの季節になって来ました。私の体が”柿を喰え”と欲しています。「柿が赤くなると医者が青くなる」諺も「柿の葉寿司」も柿の滋養や殺菌力を示しているのでしょう。柿の薬効と云えば①抗癌作用②、老化抑制効果、③風邪やインフルエンザの予防効果、④血圧の低下効果など、どれもこれも私の為にあるような果物です。私の体が”柿を喰え”命じるのは自然な事です。
美味しい上に春先に吹き出す芽は鶯色でとても美しいし。紅葉も見事です。紅葉の色は赤一色ですが、柿の葉は緑も在れば茶色も混じって紅葉するので、趣きがあります。
紅葉が美しい柿の葉黒いのはカテキンが溜まった処でしす。青いのはクロロフィル葉っぱの三態が同時に観られるのが魅力の柿の葉です。今年は春先に大きな鉢に柿の木を植えました。右の葉は栞にしていたのでしたが干乾びて終った柿の葉です
柿とは「赤い木」の意味だと聞いたこともあります
私の生活圏では舞岡や俣野に柿を栽培している農家があって「浜柿」と云ったブランドで売り出しています。でも数量が揃わないので知名度は全くありません、横浜にも法隆寺がありますので「法隆寺柿」とか「総持寺柿」とでもブランド名を付ければ知名度も上がるかもしれません。
偶然でしょうが舞岡も俣野(も鎌倉古道に面しています。前者は鎌倉古道中道で後者は鎌倉古道上道(新田義貞/群馬県太田市)府中町田を経由して鎌倉を結ぶ)に面しています。
国道1号線影取から龍長院(曹洞宗)入り口から大山街道に入ると直ぐに鎌倉古道上道に交差します。
大山道は鎌倉古道にクロスします。この辺りは源義朝を祀った鯖神社が多いのですが向こうの鳥居は八坂神社です。其処を右折すると目指す柿農家があります。
この辺りは市街化調整区域で農家は庭先で無人販売をしています。夏頃までは1袋100円でしたが昨今は200円にインフレしました。柿は3個で200円でした。
八坂神社の庚申塔鎌倉古道の楽しみは豊富な石仏もあります。同時に遊行寺道でもあるので小栗判官照手姫伝説や絵巻物等も豊富です。
境川の西岸方向を見渡すと富士山が見えます。富士山の手前に大庭城後(後北条氏)があって、慶応藤沢や日大のキャンバスも点在しています。このアングルを楽しむ為に住友財閥は俣野に別荘を建てました。昭和モダニズム建築を評価され重文でしたが横浜市に管理を移された途端に放火?全焼してしまいました。
鎌倉幕府は軍用道路を鎌倉と北関東(源氏温故の地)を結んだのでしたが、信頼していた御家人(足利氏一族)に背かれて鎌倉古道を攻め上がった新田義貞によって滅ぼされてしまいました。(新田義貞は足利尊氏と同族で主従の関係(足利市と太田市は隣接しています)
まるで府中の分倍河原の戦い(ぶばいがわらのたたかい、元弘3年1333年)はライン川を渡ってローマ街道を攻めのぼったゲルマン人がローマ軍を打ち破り飼い猫に手を噛まれたと云った戦い(トイトブルク森の戦)を髣髴させます。
遊行寺の柿の実、柿は墓地に生えています。塔婆の裏には「若人欲了知」と書かれていました。この意味は百隠の故事に依っています。白隠禅師はある時、一人の若侍から地獄の有無を問われます。白隠は若侍を一瞥して言います。「お前は、いい年をして、まだ地獄の有無を知らないのか!とんでも無い馬鹿だ!」と罵倒します。すると若侍は刀を抜いて百隠禅師を殺そうとします。白隠は殺されかかった刹那に「そこが地獄だ!」叱声します。若侍は地獄の因果が自らに在る事を悟ります。
遊行寺を詣でて銀杏を拾ってバスに乗って影取に出ました。影取のバス停から大山街道に入って境川の河岸段丘を下ります。その河岸段丘の上に鎌倉古道が通じています。この街道沿いには鯖神ご神体源義朝/左馬頭社)が多く北条高時の言い伝えの寺等も残されています。そんな中に柿や葡萄を栽培している農家が点在しているのです。
龍長院門前の柿畑向こうの瓦屋根の農家が柿を栽培しています。
柿農家の庭先では縁台を出して試食販売しています。この位置に立つとお婆さんが出てきて売ってくれます、1袋12個入りで千円です、訊けば早生の柿で「伊豆」と云うんだそうです。
我家で戴いた柿 葉っぱに載せてあるのは蒸しイモです。お芋も柿も美味しくて困ります。
12個も買ってしまって満足です。
お三時には珈琲に柿とヨーグルトです。柿はヨーグルトにつけると一層美味です。
でも12個も柿を買ってしまうと食べきれません。幾ら体に良くても食べ過ぎたら血糖値が上がってしまいます。で大半は柿ジャムにすることにしました。
残った柿はジャムにして食べる事にしました。
家に戻るとワイフの友人が次郎柿をプレゼントしてくれました。流石に次郎柿は大きくて立派です。
大きいくて座布団のようなのが戴いた次郎柿です。各地各地で柿の味も違うのがまた楽しいモノです。
今年は次郎柿の故郷と云われる奥駿河の森町に行きました。奥駿河は善光寺街道を遡れば市田柿の産地ですし。西にいって鳳凰山を越えて木曾に向えば数年前ワイフと出かけた香嵐渓のある足助です。足助では柿を喰いながら馬頭観音を巡って歩きました。一番肥沃な奥駿河で次郎柿が出来て、市田や足助では山柿なのかもしれません。
今年は紅葉を観に近江に行く予定です。湖南は柿の銘菓も多いし楽しみです。
柿は日本の風景に似合う果樹です。先日書いたように柿の文化も数多くあります。
我が生家の柿は渋いのですが野鳥が楽しみにしています。私は柿を啄む鳥を楽しみに待つ事にしましょう。これを「木守り柿」(きまもりかき)と云います先日天雅彦(あめのわかひこ)の葬儀に集まった鳥を説明しました。雀は粉ひき役でしたが。鳥に柿を残してあげるのは良い優しい風習です。
我が生家に近い筆柿これは渋いので誰も見向きません。
これは木守り柿に寄って来た四十雀。先日校長先生の写真に「四十雀ですね!」云うとこれは私の財布で”始終空だよ”言われました
私は四十からセカンドキャリアでしょうが、私は40から惑放しです。”言いました。
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