親友が随筆を贈呈してくれた。毎年1冊綴っておいでで、鋭い感性は20歳の頃一向に衰えを知らないようです。文章が出来るのは良く承知しているのですが、話の面白さも秀逸で、一緒に雑談していると座の話題は彼女が浚ってしまいます。
私の机上に並んだ友人の随筆毎年綴られておいでですのでもう、12冊にもなりました。 今回の随筆集も教唆に富んでいたのだが新興宗教の話題が特に面白く読みました。ネットの「Q&A」に出ていた話です。
”新興宗教を起してある程度成功したのだが教団運営上次の課題は何ですか?”と云った質問に夥しい回答が寄せられ、良くも悪くも現代社会の一面を晒しているというのです。
私はそんな風にネットを利用する方法もあるのだと思って最近気になっている、隣国韓国の問題をネットサーフィンしてみました。具体的には釜山に新設された「日本軍慰安少女像問題」と「対馬の盗難仏像問題」です。
韓国地裁が盗難金銅仏は6百年前倭寇が非合法的手段で韓国の浮石(プソク)寺から略奪したモノであろうから同寺に返還を命じた、と云った報道。
此方は平成24年に盗難されたものの韓国裁判所が日本の対馬の神社に年間を命じた新羅時代の金銅の如来立像(此方は国の重文でした。私達はこの金銅仏の返還が実現したのでこの問題は解決済みだと思っていました。ところが窃盗団は対馬でもう一体盗難していて。その仏像を浮石寺が『自分のモノだった』と主張したので今回対馬に返還してはならないと判決したのでした。
前者については海外の論調は総じて韓国に同情的であるのに対し後者は韓国に対する批難が多いようです。”史実は判らないが戦場下植民地ではそんな事もあったであろう”と云うのが戦争に明け暮れした欧米の常識なのでしょう。”一方千年近く前に海賊が略奪した文化財でも直近に盗んだ行為は犯罪であるから韓国裁判所の判断は間違っている”と云うのが後者の意見でした。若し韓国裁判所の判断が正しければ大英博物館やルーブル美術館等の所蔵品は皆返却しなければなりません。
「慰安少女像問題」に付いては日本政府も一度は怒って見せて大使や領事を帰国させて見せたものの。静観しています。米国の「日韓両国は合意を忠実に履行する事が好ましい」意見に安堵して大人の対応に変身したのでしょう。
でも日韓両国はどうしてこうもソリが合わないのか気になって仕方ありません。そこで文化人類学的な視点で考えてみました。
古い順に先ず仏像問題から取り上げてみます。
【外来文化を神として受け入れる文化】
先ずは法隆寺や飛鳥大仏です。
これは飛鳥大仏です丈六の我国最初の大仏です。何度も修復されていますが左右非対称である事は杏仁形の眼を観れば良く解ります。左右対称は半島を始め北魏様式です。左右非対称は日本の感性で百済帰化人の三世(止利仏師)が日本の仏像を創作した事が判ります。
此方は昨年京都の左京区の妙傳寺で発見された金銅仏重文指定は間違いないでしょう。韓国の思考スタイルではこの仏像も韓国がルーツだから返還しろと主張しかねません。
これはご存知太秦広隆寺の弥勒菩薩像、私が高校生時代はこの像は半島の赤松が素材であると教わりました、だから半島の帰化人が日本に持って来たものと云うのが常識でしたが、最近は日本産の赤松が素材なので「百済帰化人の子孫が日本で彫ったモノである」と云った考えが主流になりました。明らかに北魏様式とは違って柔和な日本洋式に転じています。 私達はこの金銅仏が推古4年(596年)に止利仏師(鞍作鳥/百済の帰化人の三世)の作である事を教わっています。百済の帰化人は桧隈に多く住んでいました。桧隈は石舞台古墳の脇を飛鳥川の上流で今も棚田が広がっています。棚田の開墾も帰化人が為したもので私達はその恩恵に浴しているのです。私達の祖先は外から入って来る文化を積極的に時には貪欲に受け入れて来ました。
此方は法隆寺の百済観音像和辻哲郎は古寺巡礼でこの像の美しさを支『那の仏像様式の一つで日本人の感性が磨き上げた美しさであると激賞』しています。
カールビット氏(ドイツ人美術史家大正時代に活躍した)は法隆寺の百済観音の段で次の様に百済帰化人の功績を評価しています。『百済観音は北魏様式の堅苦しさや圧迫感を払拭するために観音像は一歩前に動こうとしている様であり、全体に柔和で慈しみの表情があって拝観する人を優しく包み込むようである・・・・。それは百済帰化人が日本に土着するプロセスの中で実現した美しさなのである。』
こんな評価を鳥取生まれの民芸運動の旗手であった柳宗悦は古瓦で(半島の陶器技術を評価しています。法隆寺を始め古代の瓦が高句麗の金剛寺のそれと酷似していた事から半島文化を評価し、その恩恵に浴した幸いを感謝して』おいでです。韓国人はその先祖が日本文化に与えた功績を自慢するのは当然です。私達日本人は半島の民俗が私達の文化に良い影響を与えて来た事実を素直に認め感謝しているのです。
でも、。韓国民俗も日本民族も支那等外来のの文化を吸収したところまでは同じなのです。ところが私達は最初の一歩の違いにがあるのです。
半島も日本も6世紀は髄や唐を模範に国家の建設を進めていました。高句麗の都も新羅も百済も都は堅固な石塁で固めていました外から来るものを野蛮として排除する攘夷の姿勢です。ところが日本では都へは何処からでも入れるようになっていました。都には碁盤目状に道路はあっても。都を外敵から防御するような石垣は作りませんでした。外から来るモノ『文化、時に神仏)を常時歓迎しているのです。
日本は長安の文化を積極的に受け入れました。そして日本風に消化しようとしました。私達は中学高校の歴史の授業で「聖徳太子は遣隋使を派遣して当時の先進国髄の文化を積極的に受け入れました」と教わります、でも藤原京には城壁は無かったし洛陽は堅固な城壁が在ったのでした。法隆寺も同様です廻廊こそありますが中国や半島のお寺の様に外壁はありませんでした外者に対し無防備と云うかオープンなのが日本で常に警戒し攘夷意識が強いのが半島でした。
今法隆寺百済観音は宝物館の中の透明樹脂のボックスの中に入っておいでです。ボックスの隙間には夥しいウォン札が投げ込まれています。中国や韓国は常に自分達の周囲は野蛮な夷敵ばかりであると思って軽蔑し敵対的でありました。一方日本は自分の周囲は福の神が取り囲んでいるので常に歓迎しようと心がけていました。
多分韓国の観光客が「この素晴らしい観音像は自分達の祖先が作ったもので、野蛮な日本人が奪って行ったモノだ!。韓国人は日本人より高い位置にある。少なくても、古代は、最近の歴史こそ間違いである・・・と。そんな発想は世界の苦笑を買う事もあります。ワシントンのポトマック河畔の桜が激賞されると「桜は韓国がルーツで韓国人の祖先が日本に呉れてやったモノであった」と
少なくとも以下の事実は覆すことも出来ないと思います。
1、金銅仏を鋳造する技術は百済の帰化人がもたらしたモノであっても。小型の金銅仏を丈六にしたり更に20倍の廬舎那仏に発展させたのは日本だけである。
2、仏像を収める寺院を何度も修復して来たのは日本だけである、韓国でも中国でも仏像を必死に守って来なかった、従って自然環境は悪くても日本には夥しい仏像も寺院も残っている。
ですから対馬に仏像が在って、それを盗んできても本来は自分のモノだ主張して何の憚りも無いのです。「悪いのは倭寇と云った海賊が新羅の国の寺院から略奪したのであって21世紀に対馬の寺院から盗んでも正統な行為なのだ」、考えているのです。それが韓国の裁判官の文化レベルなのでしょう。
【慰安少女像問題】
これはソウルの日本大使館前に20011年建立された慰安少女像です。2015年日韓政府で合意されたものの、一向に撤去されないばかりか、韓国朴槿恵大統領が失脚すると、釜山の日本領事館前にも慰安少女像が新設され問題は以前にも増して深刻な状態に陥ってしまいました。
此方は釜山の日本領事館前に新設された慰安婦像です。慰安婦像とは日本のマスコミがつけた名で像は「Statue of Peace/平和像」でありました。製作者が平和像と思って作ったモノを日本軍のモラル問題と受け止めたのは日本のマスコミが作った虚像です。広島の被爆少女像を米国民が心の傷みに感じないように私達日本人も製作者の意図通りに「Statue of Peace」と受け止めれば撤去に拘らなくても良い様に思われます。
此方は未だ70年も前の問題ですから生々しい問題です。少数民族は特に内部に問題を抱えた時には仮想敵を作って心のベクトルを民俗内部に向けて団結しようとするものです。それは都市の外部を城壁で取り囲んで団結する姿勢に似ています。韓国は中国やモンゴールの脅威に対して何時も団結して身を守ろうとしてきました。
先の大戦で少女が日本の兵隊に慰安婦として辱めを受けた、と云った問題の事実は別にして、それを問題視しすることが民族の団結を呼び窮地を脱する道を開くのでしょう。
古代から戦争とは野蛮な行為でした。ローマ軍はフェニキアやエジプトを負かすとその財宝を略奪して女子供は捕虜として持ち帰り奴隷として売買していました。日本国内でも戦争で隣国を破れば女子供を戦利品として連れてきました。そんなことは常識ですから、「慰安少女像問題」を聴いた欧米人は「そんなこともあったのだろうと」韓国人の主張に同情的なのでしょう。私は現状の論争「日本軍がいたいけな少女を慰安婦として連れていた」事の真偽は棚に置いて戦争とは常に「女子供の様な弱者を犠牲にする』事を問題にして『だから二度と戦争は起すまい』と云った議論に向けられないかと思うのです。先の大戦では従軍した慰安少女も犠牲者でしたが、帰国しようとした女性も辱めを受けて妊娠し帰国後出産、米軍兵士との間にも認知されない子供が多く生まれました。そんな子供がフィリッピンにもベトナムでも沢山出現したと聞きます。博多にはそんな女性の堕胎病棟が在った記録も残されています。女性や子供が弱者である事実は今日もDVやセクハラ事件が多発しています。韓国の矛先を少しだけ躱して「慰安少女像」を日本軍の犯罪行為の象徴とするのではなく、「戦争反対」や「少女の尊厳」を守る象徴」「少女を性犯罪から守る象徴」に向けられないかと思ったりします今の議論は日韓両国にとって不幸な無味乾燥な論争だと思います。少なくとも現状は日本の方が政権も安定しているし、少し余裕を以って、直ぐに約束通りに撤去させるのではなく、暫し捨て置く事が良いと思うのですが…如何でしょうか?
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