今晩の宿泊地は山形県置賜郡の飯豊町です。飯豊の現役マタギ猟師の家に民泊の予定です。熊料理のオーダーもしておきました。昨秋に味を覚えてしまった私はもう熊さんの味の虜です。同行の親友もジビエは嫌いではなさそうです。
喜多方ラーメンも食して気分は飯豊に飛んでしまいました。
夏場ならスーパー林道も通れますから、飯豊はそんなに遠くはないのですが、まだ、飯豊山は冠雪して神々しく人を寄せ付ける気配は無さそうです。
立木観音からは会津坂下に出て国道121号線を米沢に向けて北上します。途中会津縦貫道を通り大峠を越して米沢の田沢に出ます。向かいの山脈が朝日連峰で左が新潟県境になります。主峰が飯豊山です。飯豊山や朝日岳を中心とした2000m級の山脈を東北アルプスと呼ぶのだそうです。横浜では28度と云うのにこの辺りは14度程度で肌寒く感じられました。
喜多方の郊外は田起しの作業中でした。15日には田植えでしょう。
道は唯一喜多方河東線(国道121号線愛称田島街道日光の田島が起点で米沢まで繋がる)です。田島は桧枝岐の入り口ですから今秋は桧枝岐のマタギ集落に泊まって桧枝岐農村歌舞伎を観る予定です。私達は北の米沢に向けて走りますが後ろの南をを向けば会津若松を挟んで南に日光の山脈が見渡せます。喜多方から見れば北は飯豊連山、南は日光連山で東は阿武隈連山の南端(三春が有名)西は新潟県境の山脈で東北アルプス(飯豊山大日岳朝日岳が主峰でイザべラバードの探検した街道)です。
喜多方の郊外(南)から西を観る低い山の手前を只見川が流れていて西会津の柳津があります。この辺りは田圃も広いのですがお墓(埋め墓)も広いようです。田圃を潰してお墓にするのはパールバックの大地のようです。それだけ祖先を大切にする土地なのでしょう。
大型トラクターで田起ししています。正面の低い山が有名な虚空蔵菩薩の山で向こうの冠雪しているのが朝日岳だと思います。あの山の北側がイザべラバードが探検(日本奥地行)の道でアルカディアと激賞された処です。
三方を山に囲まれている意味では諏訪に似ています。今ツアーでは都合があって同行できませんでしたが友人のМ君が観たら屹度大好きになる地勢です。あの山裾は日本で唯一の笹ユリの群生地ですから何時の日にか尋ねてみたいものです。
ドライバーの親友T君がカーナビを観ながら云います。
「この道はレインボーラインとも云うようだよ!何でレインボウなのかな?」
彼の疑問は暫く走ると直ぐに判りました。
121号線は登って次第に残雪が確認出来る様になりました。鶯色の樹木はブナで澤の赤い新芽は山楓だと思います。次第に桜が混じるようになりました。
峠の名は「大峠」でその手前に7つものトンネルが連続しているのです。東北地建の技術者が7つのトンネル工事を竣工させて思いついたのが「レインボーライン」だったのでしょう。峠の大峠のトンネルは一直線で4キロもありました。峠を越した米沢側に道の駅「田沢」があります。此処で一服、先刻から気になっていた山容の景色を堪能しました。
峠を登るとトンネルが連続して桜の花も未だ残っていました。向こうのトンネルは不動トンネルです。不動の次に地蔵トンネルその次に薬師トンネルが在って、順番に仏のランクアップしているのでした。
これが7番目のトンネルの御手窪トンネルです。トンネルを越えると雨が降っていました。
これが大峠トンネル直線で4キロもありました。このトンネルの中に福島県と山形県の県境がありました
澤には点々と鹿の子斑に残雪があります。白い筈の雪の表面にはブナの葉先が散っています。ブナは一斉に鶯色の若葉を萌え出させています。ブナの新緑の間に未だ桜が咲いていますし、澤には楓の新芽が朱色です。
曇天ですが時折雲が切れて初夏の日差しが山容に差し込みます。まるで天照大神が山の美しさを知らしめる為にライトアップしているようです。鈿女の巫女のストリップショーに惹かれて天岩戸を開いて覗き見したような。邪気を感じさせる陽の光です。若しかしたら東北地建の技師もこの天照大神の邪気で虹を観てその通り「レインボーラインとネーミングしたのかも知れません。
山肌に斑に雪が残っています。
高校の授業の伊勢物語で次の歌を想い出しました。
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらん
業平が東下りして富士山を見上げた時の歌です。
雪が降って鹿の子斑に新雪が積もっていたのでしょう。季節は屹度秋だったのでしょう。でも歳時記では「鹿の子斑」は3月です。此処飯豊町辺りは山深いので2か月遅れで鹿の子斑を確認できるのです。
桜のピンクと山楓の朱色とブナの鶯色が競い合って綺麗です。
大峠トンネルを越えて山形県米沢市に入ると直に「道の駅」田沢があって愛称「和みの郷」と呼ばれ山菜などが並んでいました。121号線を走っている車は殆どが軽トラの4輪駆動車です。皆、山菜取りに峠に来ているようです。
道の駅には「草木塔の案内」と木村武雄氏の銅像が立っていました。珍しい草木塔は別の機会に説明します。武雄氏は米沢の政治家で大峠の開通に尽力された人のようです。説明には大正15年生まれ明大卒となっていますから米沢の田中角栄の様な人物のようです。
これが国道121号線大峠の開通に功績のあった木村武雄氏の顕彰碑向こうが大峠
「道の駅田沢」から大峠方面を見返す。
これは玉庭集落の光景桜が残っていて未だ桜があるうちに田植えを終える必要があるようです。紅い屋根の家は典型的な山形置賜の曲屋です。曲屋は別の機会に書く予定です。
これは飯豊村中津川です。斑雪が残っていて漸く猫柳が芽吹いていました。朝には残雪から靄が湧いて幻想的でした。
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