湯沢町の小町堂を視て横手の街に戻る途中です。同行のT君は巨木鑑賞が趣味です。秋田に来たら、秋田杉の王様を観たいものだ思って調べておきました。ネットで検索すると「筏の大杉」と云うのが在って写真で視れば御神木の霊感が漂っています。
そこで、国道を折れて北上方面に折れました。粉の街道は「秀衡街道」とも云うようで、平泉から藤原秀衡は、源義家の加勢を得て、陸奥の安倍氏の内紛を収めた(前九年・後三年の役)の舞台のようです。次第次第に峡谷は深く尾根は高くなって行きます。どうも杉の材木を筏に組んで運んだ川(道)のようです。でも写真で視た記憶では、巨木の杉は先端が幹別れしていて、双頭の蛇のようでもあり、カタツムリの眼のようでもあります。福島県小野町に在る「諏訪神社の翁スギ媼スギ翁尾」は老夫婦を思わせる。高砂の様な大杉でしたが、此方は諏訪神社の「木落し」を思わせる姿です。
此れは諏訪大社御柱祭のクライマックス「木落し」です。写真出典:諏訪市観光連盟https://tabicoffret.com/article/2294/index.html
国道107号線を横手から北上市に向かいます。この道が秀衡街道で秋田道に絡む様に走っています。この道は雪を捨てるダンプがひっきりなしに走っています。
右のやまは「熊の返し山」でしょうか?峠の向こうは鳴子温泉郷でしょう。この秀衡街道も歴史と民俗色豊かな街道のようです。
国道107号線を左折南の谷間に進みます。谷底にある比叡山三十番神社の境内に自生している直径5.5m樹齢千年の大杉に向かいます。
手前の車がお世話になった4WDのレンタカーです。背後の杜が比叡山三十番神社で境内に自生している「筏の大杉の天辺が鬼の角のように聳えて見ました。
筏の大杉は見えるのですが、参道も鳥居まで雪に埋もれていて到底行けそうもありませんでした。
こんなに雪深い処にも民家がありました。
天然の秋田杉は、人工林の秋田杉と違って間伐の様な保護を受けていませんから、成長は遅いし、年輪の幅が狭いため強度に優れています。有名な大曲の「曲げワッパ」はこの天然杉を原材料にして作った生活用具(弁当箱やお櫃」です。左竹藩は「曲げワッパ」に「樺細工などを奨励したのでしょう。江戸時代の木地師の伝統工芸と云えばこけしやお椀を想い起しますが。角館 家の再興を夢見た京都三条家お姫様の雅や美意識が、美しい秋田杉の木工民具を作り出したのでしょう。そう想うと。この雪の重みが秋田杉民具の美しさを作っていることを確認しました。角館の樺細工伝承館で匠の技を見詰めました。寒さに耐えた桜の表皮の美しさを確認しました。
角館伝承館での樺細工の実演、伝統工芸士の手元に在るのは茶筒で秋田杉の曲げワッパに桜の樺(表皮)を張り付けています。手前が髪止めです。
此れが曲げワッパの製品です、秋田杉の光沢と樺の艶がマッチングしています。
髪止めを土産に求めると、陳列棚には「曲げワッパ」のお弁当箱が置かれていました。天然杉の光沢のある木肌に樺の留め具がお洒落でした。まるで曲げ木が着物なら止め具は帯や帯留めのような感じです。素材は天然に勝るモノは無く、細工の技は陸奥の匠が最高です。
樺細工伝承館の置かれた桜の椅子。「樺細工はこの表皮を使うのです」説明を兼ねています。
私と同じ歳の堤防の桜。人工の染井吉野は表皮に皴が多いので髪切り虫が付き易い上に、成長が早いモノの瑞が柔いので長生き出来ません。
桜も杉も厳しい自然がストレスを与えたモノが美しいようです。人間も過保護に甘えずストレスに耐えたモノが尊いのでしょう。