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「筏の大杉」を求めて

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湯沢町の小町堂を視て横手の街に戻る途中です。同行のT君は巨木鑑賞が趣味です。秋田に来たら、秋田杉の王様を観たいものだ思って調べておきました。ネットで検索すると「筏の大杉」と云うのが在って写真で視れば御神木の霊感が漂っています。
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そこで、国道を折れて北上方面に折れました。粉の街道は「秀衡街道」とも云うようで、平泉から藤原秀衡は、源義家の加勢を得て、陸奥の安倍氏の内紛を収めた(前九年・後三年の役)の舞台のようです。次第次第に峡谷は深く尾根は高くなって行きます。どうも杉の材木を筏に組んで運んだ川(道)のようです。でも写真で視た記憶では、巨木の杉は先端が幹別れしていて、双頭の蛇のようでもあり、カタツムリの眼のようでもあります。福島県小野町に在る「諏訪神社の翁スギ媼スギ翁尾」は老夫婦を思わせる。高砂の様な大杉でしたが、此方は諏訪神社の「木落し」を思わせる姿です。
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此れは諏訪大社御柱祭のクライマックス「木落し」です。写真出典:諏訪市観光連盟https://tabicoffret.com/article/2294/index.html
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国道107号線を横手から北上市に向かいます。この道が秀衡街道で秋田道に絡む様に走っています。この道は雪を捨てるダンプがひっきりなしに走っています。
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右のやまは「熊の返し山」でしょうか?峠の向こうは鳴子温泉郷でしょう。この秀衡街道も歴史と民俗色豊かな街道のようです。
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国道107号線を左折南の谷間に進みます。谷底にある比叡山三十番神社の境内に自生している直径5.5m樹齢千年の大杉に向かいます。
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手前の車がお世話になった4WDのレンタカーです。背後の杜が比叡山三十番神社で境内に自生している「筏の大杉の天辺が鬼の角のように聳えて見ました。
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筏の大杉は見えるのですが、参道も鳥居まで雪に埋もれていて到底行けそうもありませんでした。
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こんなに雪深い処にも民家がありました。
天然の秋田杉は、人工林の秋田杉と違って間伐の様な保護を受けていませんから、成長は遅いし、年輪の幅が狭いため強度に優れています。有名な大曲の「曲げワッパ」はこの天然杉を原材料にして作った生活用具(弁当箱やお櫃」です。左竹藩は「曲げワッパ」に「樺細工などを奨励したのでしょう。江戸時代の木地師の伝統工芸と云えばこけしやお椀を想い起しますが。角館   家の再興を夢見た京都三条家お姫様の雅や美意識が、美しい秋田杉の木工民具を作り出したのでしょう。そう想うと。この雪の重みが秋田杉民具の美しさを作っていることを確認しました。角館の樺細工伝承館で匠の技を見詰めました。寒さに耐えた桜の表皮の美しさを確認しました。
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角館伝承館での樺細工の実演、伝統工芸士の手元に在るのは茶筒で秋田杉の曲げワッパに桜の樺(表皮)を張り付けています。手前が髪止めです。
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此れが曲げワッパの製品です、秋田杉の光沢と樺の艶がマッチングしています。
髪止めを土産に求めると、陳列棚には「曲げワッパ」のお弁当箱が置かれていました。天然杉の光沢のある木肌に樺の留め具がお洒落でした。まるで曲げ木が着物なら止め具は帯や帯留めのような感じです。素材は天然に勝るモノは無く、細工の技は陸奥の匠が最高です。
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樺細工伝承館の置かれた桜の椅子。「樺細工はこの表皮を使うのです」説明を兼ねています。
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私と同じ歳の堤防の桜。人工の染井吉野は表皮に皴が多いので髪切り虫が付き易い上に、成長が早いモノの瑞が柔いので長生き出来ません。
桜も杉も厳しい自然がストレスを与えたモノが美しいようです。人間も過保護に甘えずストレスに耐えたモノが尊いのでしょう。


女学生の「かまくら」作り

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横手に戻った私達は先ず小野小町が生まれたという湯沢市小野町に行き、夕暮れ時に横手市街に行きました。
横手かまくら祭りは明日明後日(14日15日)ですが、私達が訪れたのは13日でした。前夜祭に当る日です。パンフレットには前夜祭には特別な催事は無いモノの「撮影会」を催しています。「かまくら」の準備を終えた状態を写して貰って写メール効果で沢山のお客を呼ぶ計画なのでしょう。駅のポスターを観れば雄物川岸に近い木戸五郎兵衛村のかまくらが案内されています。
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これは「かまくら祭り」のポスターです。雪穴の奥に「水神様」を祀って子供達が火鉢を囲んで餅焼きをして、甘酒で接待しています。こんな光景が横手城や市役所前通りや木戸五郎兵衛村で観られます。ポスターは木戸五郎兵衛村です。
私達は「かまくら」祭りのメイン会場になっている。横手城に真っ直ぐに向かいました。横手城の天守閣下に横手南高校がありました。私達は横手南高校の中庭に出てしまいました。沢山の生徒が「雪灯篭」を作っていました。青いポリバケツに雪を詰め込んで、バケツを転倒して引き抜くと、固まった雪塊が出来ます、その雪塊の脇腹をスコップで穿ると、七輪の火付窓の様な穴が出来ます。その穴に蝋燭かLED灯を挿入するようです。
夢中で作業している女学生に今夕に点灯するのか確認しました。点灯するので、先ずはお城の登り口に大きなかまくらが出来ているので、そちらを視て帰り際に私達の「雪灯篭」を視て行って欲しい、笑顔で云われました。
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横手南高校の中庭で「かまくら」状の雪灯篭を夢中で作る高校生。
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横手城の南斜面にある横手南高校の生徒が造る雪灯篭。
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これは角館の「火振り神事」会場の桧木川の川べりに作られた雪灯篭です。横手南高校の生徒が作った雪灯篭もこんな風に灯が灯る事でしょう。
横手南高校の門から横手城に至る道は狭い、急な坂道です。でも、私達の車は四輪駆動ですから、心配いりません。すれ違いさえなければノープロブレムです。
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此れが横手城南門に設えられた「かまくら」です。この後横手市(大仙市)主催の撮影会が開催されるので、職員が水神の幟や火鉢等の小道具を置いていました。
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横手上会場から。市役所通り会場に向かいました。
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此れは横手市市役所の西側に在る「市役所通り会場で開かれる「かまくら祭り会場です。ライトはLEDです。
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かまくらの中に小道具も設えてこれで明日からのお祭りの準備は完了です。市職員は「明日は可愛い子が此処に坐りますから・・・・」言ってお餅を焼いて見せました。

「かまくら」と云えば「鎌倉」を想い出します。鎌倉の数多くある「横穴式墓地」は「やぐら」と呼ばれます。確かに鎌倉を代表する「やぐら」に似ています。やぐらの奥に弁天様が祀られている位置関係は横手での「水神様」に置き換えただけ。鎌倉のやぐらに酷似しています。
でも、私は「は竃蔵」の事だと思います。
かまくら」でです置きます

幻の雪の「鹿島様」

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一昨年福島の三春に「瀧桜」を観た序に鹿島の駅舎や丘に「田村様」と呼ばれる人形道祖神」を観ました。同じような藁を編んで作った人形道祖神を横手では「鹿島様」と呼ぶそうです。横手の「鹿島様」は鹿島大明神」の事でしょう。福島では「坂上田村麻呂」をイメージして人形道祖神を作って「賽の神」として祀って、災厄の進入を防いだのでしょう。一面の雪原の中で雪を被っても、平和な村を守る姿は寺院の門に怖い形相で立っている仁王像を思わせます。
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此れは福島県田村市に多く祀られている「田村様」です。イメージは清水寺を創建し蝦夷征伐を祈願した坂上田村麻呂の姿です。鬼の様な形相は杉の葉で顔を覆って(髭の様に)いて武具を持っています。道祖神は「賽の神」としての災厄の進入を防ぐ役割と、豊作子孫繁栄と云った招福の意味があります。横手の鹿島様は巨大な男根が付いていて、外人にも人気だそうです。

「なまはげ」は人形では無く「動く鹿島様」のようにも思えます。
私は旅立ちの前に横手の鹿島様を調べておきました。そして横手の白タクに頼んで「鹿島様を巡りたい」と、伝えると、3~5万円懸ると云われました。そこで、心配はあったのでしたが親友のT君にレンタカーの運転を依頼しました、同君は札幌そごうの開店に携わったので、雪道運転には技量が在るのです。
でも心配はあります。道祖神ですから道路わきに祀られています。
道路脇は何処も1~2mの雪が積まれていて、鹿島様は雪に埋もれてしまっているでしょう。せめて1基は拝みたいと思って、岩崎八幡神社に祀られている鹿島様に向かいました。
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これが岩崎八幡神社の鹿島様です。写真出典麿秋田町作り委員会http://www.geocities.jp/akitasaisei/ninngyou-gaso/00kasima.html
鹿島様だ祀られている岩崎八幡神社は水瀬川の岸辺に在った「岩崎城」の跡地です。岩崎の集落に入ると雪が道路を塞いでいました。雪掻きをして居られたお婆さんに「鹿島様」の位置を窺がうと、神社の裏山の頂上に祀られているので、到底行けないとの事
残念そうな私達の顔を視て「国道沿いにも一基あるので、拝んで帰りなさい」教えてくれました。此処で私達は大間違いしていたのです。お婆さんは私達が今晩「湯沢温泉」に泊まると、早合点していたのです、実は私達は横手市街に戻ろうとしていたのです。場所は道路沿いにある小学校で小学校の向いに児童を見守る様に鹿島様が立って居られるとの事でしたので、小学校を見落とすまいと見詰めていたのですが幾ら走っても小学校は出て来ません。




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角館の美味いモノ

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JR横手駅の待合室には「醗酵食品」をPRするポスターが貼られていました。
私は下戸ですが同行してくれた友人二人は酒が行けます。発酵食品は酒の肴に最適です。「燻りガッコ」に「茄子の辛子漬け」どれもこれも食指が伸びます。
加えて鍋も盛んです。旅立ち前の調査では「横手焼きそば」に「十文字ラーメン」に「キリタンポ鍋」に「稲庭饂飩」3日間の旅行では、全部を味わう事は不可能です。何処で何を食べるか?綿密なプランを立てて「食い物の想い残こしは無い様にしないと後悔します。

雪下野菜を味わう

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最近は「雪下野菜」が話題になります。以前は「霜降り野菜」と云っていたのでした。
「霜降り野菜」とは霜が降りると白菜や葱の甘みが増すので美味しいというのです。
一方「雪下野菜」は秋に畑の野菜を収穫しないで故意に雪を積もらせて冬に雪を掘り起こして収穫する野菜の事で、積雪地帯の人は雪下に暫く置く事によって美味しくなることを知っていました。
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これは雪下野菜の販売サイトの絵です。出典:高橋農園http://www.kenko-yasai.com/shohin/yukisita.html相場は2800円/2キロのようです。
そこで、冬に捨てる筈の雪を倉庫に積んで、天然の冷蔵倉庫を作って、その中に野菜を貯蔵して、野菜の不足する冬場に市況を観ながら出荷するのだそうです。一面の雪も貯蔵すれば資源で、川に捨てればゴミならぬ水です。
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これは列車の窓から見た冷蔵倉庫です。ライスターミナルと書かれていますから、お米を貯蔵するのでしょう、冷蔵倉庫の役割ですが右奥の建屋に廃雪を積み込むことに依って氷室になって、お米が劣化しない以上に、澱粉質が糖化するので美味しくなるし、電気冷蔵倉庫の様に乾燥の劣化が無いそうです。沢山の雪室倉庫を観る事が出来ました。
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これは「町屋ホテル角館に併設された野菜バイキング施設でしたが、バイキングは取りやめホテルの食堂喫茶室として活用されていました。私は生野菜を食べようとして此処に来たのですが残念でした。
横手の郊外十文字の博物館隣に「道の駅十文字が在って、産直商品が人気だと知りました。そこで「道の駅十文字」に寄って雪下野菜を求めました。一番人気は「雪下人参」で「キャベツ」も「白菜」も「葱」も人気だそうです。林檎も加えてレジを通すと千円足らずでした。一番高い林檎が10個で500円、人参も5本で250円、キャベツも葱も250円です。宅配サービスに持参すると、3キロで1100円でした。野菜より宅配費用の方が高いのは致し方ありません。ワイフの笑顔と自宅に帰ってからジックリ雪下野菜を味わう場面をイメージしてお金を払うと、「後は全部承ります」言われました。道の駅の玄関ロビーには「お雛様が飾られ地域の高齢者がお雛様作りに熱心でした。
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道の駅十文字の玄関ロビー奥には紙を折って作ったお雛様が段飾りされていました。その前の作業テーブルには地域の高齢者がお雛様を無心で作っていました。
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一番人気の人参は相当売り切れていました。一方雪下キャベツは人参以上に人気があるようでした。
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此れは雪下葱です、これで300円足らずでは申し訳ないようです。鴨葱で食べたいです。
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佐川急便で届いた雪下野菜。どれもこれも愛しい野菜です。雪下野菜と漬物を食べて桜の開花を待つ事にしましょう。一山500円のフジ林檎も新聞紙に包んでくれて、誠実さを実感したのでした。

雪は豪雪地帯の住人にとっても野菜や果物にとっても大きなストレスです。でも、人間にとっても野菜にとってもストレスの無い外部環境何てあり得ません。人間も野菜もストレスに耐えることに依って充実するモノです。ノーストレスでの野放図に育った人間は使いモノになりません。野菜も同様で、過保護に育てられた野菜は本来の味がしなくて水っぽいだけです。カリフォルニアのイチゴが水耕栽培で味気ないのに較べて日本のイチゴが甘いのはストレスに耐えて育てているからです。
雪下野菜には叡智が込められています。



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仙北地方の水

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角館は仙北市の中核であるのだそうです。宿泊した花葉館の運転手の話では「平成の合併に際して周辺自治体が「角館市」案に反対したのだそうです。周辺自治体にすれば角館に吸収合併されるような感覚に陥ったのでしょう。仙北しならそんな印象が薄らくのでしょう。そこで気になるのは仙北の「仙」とは何処なのか?運転手に聴くと大昔から秋田県仙北群と呼んでいたから、仙北なら抵抗は無いのだそうです。明治の行政官が仙北の名に何を込めたかが問題になります。私は花葉館の玄関に置かれていた出羽鶴の菰樽を視て気付きました。
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花葉館のロビーに長野神社の祭壇があって其処に供えられた出羽鶴。此処は秋田文化圏では無くて山形文化圏なのです。列車も天童行き新庄行きが多いのです。従って「出羽三山の北」の意味で仙北市で合意したのでしょう。
出羽鶴は山形の天童市に在る銘酒メーカーなのです(商標名出羽桜)。同社のメセナ活動が「出羽桜美術館」で、斉藤真一氏の作品を始め瞽女絵のコレクションで有名です。地域への愛着や感謝がお神酒である酒蔵のメセナ活動の原点なのでしょう
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此れは斉藤真一氏の瞽女絵雪原を歩く瞽女は出羽三山の信仰を各家々に伝えているのです。農家も瞽女を出羽の巫女の様に温かく出迎えました。瞽女絵のコレクションでは出羽桜が貢献しているのです。
お酒が美味しい為には美味しい酒米が収穫出来る事美味しい軟水が出る事、よく言われます。伏見の酒蔵でも耳にタコが出来るほど聞かされました。軟水が麹菌の育成に欠かせないというのです。水に含まれるミネラルが「カルシウム」「カリウム」「リン酸」「マグネシウム」が豊富で、人間にとっても有用なこの成分が麹菌にとっても大切なのだそうです。逆に不要な成分は「鉄」で、鉄分は日本酒の色や味わいを悪くしてしまうそうです。美味しい水を使って麹菌を育て日本酒を醸造する事が美味しい日本酒造りに係って来るのだそうです。
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角館温泉花葉館の浴場、天窓から光が射して雪景色を観ながら入る温泉は快適でした。炭酸温泉質の水質ですから、肌は滑々で若返った気分になれました。
水が優しいと感じたのは温泉に浸かった時に一番に思いを深くしました。このツアーでは最初に温泉に入ったのは角館温泉「花葉館」でした。ロビーマネージャに―確認した処、角館の北「長野町」に温泉が湧いたのは10年前で、先ず温泉スパを作って近くのスキー場の集客力を増やそうとしました。農閑期や積雪時の温泉客が施設の運営を助け、更に研修施設等を増設してホテルにしたそうです。
生水が飲めること更にその水がミネラルを多量に含んでいる事は、人間が健康で快適に生きる為の基礎条件だと思います。世界を旅すると、生水が飲めない国が数多くあります。硬水の水は飲んだ途端に胃腸が反応して下痢になります、大腸菌が入っている水は翌朝に下痢症状を発祥します。生水を安心して美味しく飲めるのは日本の長所で「瑞穂の国」の所以です。その水が無ければお酒もお豆腐も美味しく戴けません。仙北地方の水が美味しいのは、八甲田山や十和田の山に降った雨が一度地下水になって湧き出しているからでしょう。勿論積雪が雪解けと同時に地下水にもなっていることでしょう。白神山地の水も美味しかった、皆ブナ林の恵みです。




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奥羽本線の列車の景色

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奥羽本線は、福島駅から、山形・秋田の山間部を縦貫し、青森駅に至る鉄道路線です。大曲駅で田沢湖線が分岐し秋田新幹線「小町」が走ります。一方山形新幹線「つばさ」は奥羽本線を走って米沢山形新庄天童などの山間都市を繋いでいます。
深夜バスで早朝に横手に着いた私達は奥羽本線に乗って角館に向かいました。処が、前夜は大雪で除雪待ちを余儀なくされました。覚悟はしていたモノの、豪雪風景を視ると心細くなってきました。駅員は「取敢えず大曲まで行きなさい」案内します。
大曲駅では秋田新幹線「小町」に乗り換えて「角館」に向かいました。
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深夜バスで横手に着いた私達は奥羽本線に乗って角館に向かいました。電車はワンマン運転ですから。運転手に直接に運賃を払います。従って先頭車両で昇降しなくてはなりません。
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ワンマン運転の運転席の景色。
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奥羽本線から大曲駅で田沢湖線に乗り換えて角館に向かう新幹線「小町」に乗り換えました。
私達は特急料金は払って居ません、非常時対応で在来線乗客に便宜を図ったのでしょう。私の楽しみは通学の学生、とりわけ女学生を視る事です。懐かしい、肌白でホッペの赤い女学生を見つける事でした。処が、この日は学生の姿は全く見えませんでした。若しかしたら「かまくら」や「火振り神事」で学校はお休みだったのかもしれません。代わりに外国人が矢鱈目に付きます。東京や京都に飽き足らずに角館まで外国人旅行客が押し寄せているのでしょう。一面の雪景色を眺め車体に打ち付ける落雪に興味津々の様子で写真を写しています。
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ドア上部の路線図は駅名や山などをローマ字表記していました。外国人が多いのでしょう。
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中吊広告も無くて清潔感溢れる車内。
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スマホを操作している人が多いのは首都圏と同じですが、視線を落せば皆長靴を履いています。窓の外は寒いので結露で何も見えません。
私は車内の広告(東京では吊革広告」を観察しました。青森大学や新潟大学の「薬学部」や「介護学部」の「募集広告」が目立ちます。乗客が学生である事を考えれば自然なことなのでしょう。都内の電車が「エステ」や週刊誌の不快な広告で埋まっていることに較べれば快適な車内風景です。
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中吊広告は新潟薬科大学と北海道医療大学の受験案内でした。エステと貧疎な内容誇大なトップコピーの週刊誌広告が無いのは素敵な事です。
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壁面広告は青森大学の薬学部でした。
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清潔な車内は乗客を知的に見せます。昔は鈍行列車は「担ぎ屋」の叔母さんで溢れていたのでしたが。
車内が清潔なら駅舎も清潔ですし、とりわけトイレが清潔なのは驚くほどです。加えて駅員も親切ですし、無料で長靴も貸してくれます。バリアフリーも徹底しています。お蔭でリハビリ途上の私でさえ安全・安心に昇降出来ました。
楽しかったのは横手駅にも大曲駅にも受験合格の神社が出来ていた事です。
両駅とも一般人の応援エールを書き込み、巨大な壁新聞状態になっていました。
取分け横手駅は合格祈願を終えた合格鉛筆(五画形)をプレゼントしてくれるのだそうです。駅員は朝晩顔を合わせる学生の合格を祈っている気持ちが自然な形になって現われているのでしょう。
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此れは大曲駅に出来た合格祈願の神社。受験生とその応援する人の寄せ書きが貼られていました。
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これは横手駅の合格祈願神社地元の神明神社でご祈祷を受けた合格鉛筆が貰えるそうです。
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横手駅の待合室に貼られた合格祈願壁新聞に参加を呼び掛けるポスター。
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私達もバスを待つ時間を利用して桜が散らない様にエールを書き加えました。
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此れは大曲駅の花火のポスター、小さな手が開いて巨大な花火を描いていました。

角館駅」でも「大曲駅」でも「横手駅」でも。地域の核になっているのは「駅」でした。人間の脳の指令が神経細胞を介して体の隅々に伝わります。理科の授業で神経細胞同士の結節点を「シナプス」と呼ぶ組織だと教わりました。日本国土のシナプスの役割を果たしているのが「駅」なのでしょう。そして駅で地域の絆を頑なに守っているのが駅員さんです。良い意味での日本の国が有機体であり続ける為にも地方鉄道を大切にしたいものです。何しろ鉄道は神経細胞(ニューロン)であり、駅は神経細胞の結節点なのですから。駅は地域の絆の役割を果たしているのです。
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これはシナプスの役割を示した概念図です出典:ALS疾患啓発委員会http://www.als.gr.jp/public/als_about/sickstate/sickstate_02.html

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オリンピックの商業主義

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2月25日(日)に冬季オリンピックも閉幕してしまいました。25日には前夜実施されたカーリングと「マススケート」を放映していました。結果は解っていても何度も観てしまうのは日本人選手の活躍を視る爽快感があるからでしょう。
でも、同じ時刻に生放送でアイスホッケー決勝戦が放映されていました。金メダルを争ったのはドイツとОARでした。ОARとは「オリンピックアスリート、フロムロシア」の意でロシアの国名はドーピング問題でロシアの参加が認められない事からの苦肉の策で個人参加となったのでした。若しもロシア選手の参加が認められなければ、女子フィギュアの宮原知子選手も銀メダルでしたし、坂本花織選手も4位でした。
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平昌オリンピックで自己最高点をマークした宮原知子選手
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実力を出し切って爽やかな坂本花織選写真出典朝日新聞
終わってみればドーピング検査で陽性を示したロシア選手が2人も居た事が判明しました。ドーピングを国家規模で推進していた」事を確認した事による罰則として有効だったのか?疑念を残しました。「ドーピングをしても実質オリンピックに参加できることが前例になったのですから、ドーピングは払拭できそうもありません。
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平昌オリンピックでは表彰台に上がれなかった日本女子フィギヤですが、何時の日か表彰台を占領するような場面が観られる事を確信した、宮原、坂本選手の演技でした。写真出典産経新聞/pye1802230054-p1.
私はアイスホッケーでドイツを応援しながら考えました。若しもОARが参加していなければ白熱の決勝戦は観られません。ドイツが格下のチームに圧勝してる場面を視ても少しも感動しないでしょう。金メダルがドイツでも、実際にはもっと強いチーム(ロシア)があるのだ、
宮原知子さんや坂本花織さんが表彰台に上っても「ザギトワ選手とメドべデワ選手が上位に在る筈」だ、思えば白けてしまいます。ですから、ロシア国家を非難しても選手はお咎め無しにした措置に異論がある訳ではありません。
それよりも気になるのはオリンピックの商業価値がロシア抜きにしては考えられないのも現実です。
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黄色いユニフォームはドイツ赤いユニフォームはОARです。終始ОARが先行しドイツが追いつくし足運びでしたが。結局3-2でОARが金メダルになりました。
何しろ、USAで最もテレビの視聴率が稼げるスポーツがアイスホッケーで、USAチームがロシアチームに勝って金メダルをゲットする場面をUSAでは放映したいのです。ですから、日曜日のゴールデンタイムにアイスホッケーの決勝戦をセットしました。ところが、得てして思うようには行かないもの、ロシアは準決勝で快勝したモノの、USAも盟友のカナダも準決勝で敗退してしまいました。結果はドイツとロシアによる決勝戦になってしまいました。会場はドイツ贔屓でした。ロシアはヒール役です。USAが強くてヒール役のロシアも強ければ、興業的大成功です。ところが、USAは早くに負けるし。ヒール役は憎らしいほど強かったのです。女史フィギャを応援した日本の視聴者も。アイスホッケーに熱くなるUSAの視聴者もロシアがОARと名を変えただけで出場した事実に疑問を持ったことでしょう。でも、商業主義を支えているのは一般視聴者です。私達も最強のロシアの選手が出場しないオリンピックは味気なく映る事でしょう。
ジャンプも複合も深夜に実施されていました。オリンピックの放映権料の最大なのは米国で何と1兆円だそうです。1兆円の放映権料を払う会社が我国の「ゴールデンタイム」に中継したいので深夜に実施するように注文を出せば従わざるを得ないでしょう。それは、東京オリンピックにも云える事です。アスリートファーストで季節を選ぶのなら秋か春に実施すべきです。国民も日本の国が一番美しく過ごしやすい季節に外国人をお迎えしたいものです。でも。商業主義が視聴率の得やすい夏にオリンピックを開催するように期待しているのでしょう。
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平昌オリンピックは政治介入が懸念されました、無事に終了しました。でも最大の問題はオリンピックを牛耳っている商業主義でしょう。
渡部選手や葛西紀明選手が「風が強くて」唇を噛んだ姿を観たのは、「フォア・ザ・アスリート」では無く「フォア・ザ・コマ―シャリズム」の事実だったと思います。フォア・ザ・アスリートに徹するなら、真夜中では無く、風も弱く冷気も漂わない昼間に実施すべきでした。放映権料を高く売りつける為には、USAのゴールデンタイムに実施する必要があったのです。
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帰国した選手団の合同記者会見の様子。晴れがましい選手の前面に葛西選手の顔が見えます。私は坂本花織選手と宮原知子選手のファンですから、メダリストだけでなく、自己最高の成績を残した選手の記者会見を観たかったのでした。
オリンピックのメダリストには金(300万円)銀(200万円)銅(100万円)の奨励金が払われるそうです。その妥当性は別にして、日本中を元気にして国民の愛国心を振い起してくれた事への謝意とすれば些細な金額です。でも世の中は皮肉なモノで、メダリストが眼を瞬かせるようなニュースが同日に流れました。
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東京マラソンで16年ぶりに日本記録を更新した設楽選手に報奨金1億円が支払われるニュースがオリンピックの帰国記者会見の後に流されました。
東京マラソンで第2位だった、設楽選手が日本新記録を16年ぶりに作った事に対して陸連から1億円の報奨金が払われたのです。同じ報奨金でも、国民の納得の行く水準が在って然るべきです。高々東京でのマラソンで日本新記録を出しても、オリンピックでの功績に較べれば色褪せて見えます。商業主義に走れば、ヒーローは不可欠ですし、ヒール役も欠かせません。アスリートファーストに徹して欲しいモノです。
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読売新聞は小平選手団長の言葉「百花繚乱」をヘッドコピーにして選手たちの労を労い紙面1面で報道しました。

陸連やオリンピック組織委は報奨金よりも大切な事を忘れているような気がします。
卓球やバドミントンにはアスリートを育てる施設JOCエリートアカデミーがあります。府中の「味の本ナショナルトレーニングセンター」がそれです。
私は諏訪出身の小平選手の笑顔を視るにつけ「冬季オリンピック用の「ナショナルトレーニングセンター(スケート)」を諏訪に作ったら良いのに思わずには居られません。ジャンプやクロスカントリーは白馬でカーリングは北見です。各地方にスポーツの聖地が出来る事は町興しになりますし、何処も温泉施設併設です。

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御室仁和寺の地獄絵

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2月27日(火)に上野国立博物館に「仁和寺展」を観に出かけました。前日は月曜日で休館でしたから、小春日和であったからででしょう。驚くほどの混雑でした。仁和寺は再三登りました。何しろ嵯峨の入り口に在る事、それに遅咲きの「御室の桜」が人気です。私の推測で確たる根拠も無いのですが。御室桜は二重の意味で思い入れがあるのです。第一は、京都御所の「左近の桜」のイメージである事、第二に奈良の八重桜のイメージである事です。
「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」伊勢大輔
御所に匂っているのは八重桜なのです。霞系の桜でもないし増して山桜でも染井吉野でも無いのです。
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京都御所の左近の桜写真出典:御所のパンフ右に在る左近の桜をアップで観ると「山桜」なのです。
左近の桜を宮内庁のホームページで確認すると、桓武天皇が梅に代えて、植えられたが貞観の天災で倒壊以降何度も植え替えられ現在の桜は平成10年に植えられた山桜だそうです。http://www.kunaicho.go.jp/event/kyotogosho/pdf/shiori4.pdf
私は御室仁和寺の桜に何故しなかったのか不思議でなりません。
山桜は国花ですが、私には軍国主義の匂いがして平和主義の我国は御室の八重桜が最適だと思うのです。
仁和寺は皇室とゆかりの深い門跡寺院で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」と称されました。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになりました。 御室は桜の名所としても知られ、桜前線が北上して想いを残した人は行く春を惜しむ様に仁和寺に上り「御室の桜」を愛でるのです。
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上野公園の避寒桜。
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春色色濃い上野の東博前広場
今年の春は福島の桜と庄川桜を観に行く予定ですから。御室の桜は観られません。
何度も出かけた仁和寺ですが宝物を観た事はありません。それに藤井寺の千手観音や私の生活圏にある龍華寺の菩薩像も出展しているというので、後期展示が始まるのを待って出かけました。でも、大変な混雑で平成館に入るのにも30分待ちでしたから、お目当ての空海の書や藤井寺千手観音を拝観するのに一苦労でした。
空海は豪放磊落な人物と思い込んでいましたが、繊細几帳面な文字を残されているのに驚きました。私が感服したのは「観音堂」の展示でした。
広大な仁和寺の何処に観音堂があったのか定かではないのでしたが、、須弥壇や壁絵も博物館に再現して観音堂の諸仏を展示した迫力には恐れ入りました。一見した瞬間は中尊寺金色堂や白水阿弥陀堂を観る想いがしたのですが、林立する菩薩像は東寺金堂や、二月堂仏像群にも劣らぬ迫力でした。
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仁和寺観音堂の再現展示、中央に千手観音立像を祀ってその左右に眷属である28部衆と風神雷神像計30仏が揃った壮観さはオーケストラのような感動を呼び起こしました。
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手前の緑色が風神像中央の千手観音を中心に28部衆が並んでいました。須弥壇も展示の為に新設し、壁絵もスキャンしたのでしょう。長生きしているとこんなすごい展示を観られるのは感激です。千手観音の脇侍に不動明王、降三世明王が立っていました。イメージ 6
東の脇から諸仏を眺める手前は雷神でその後ろが密遮金剛、その隣が神降り天だそうです。(背後の壁に貼ってありました)
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須弥壇の後ろの空間の壁絵です。千手観音の真後ろ(北)の壁には下の絵が描かれています。
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千手観音の真後ろの絵です。補陀落山で説法をする観音菩薩を中心に、そのまわりに観音の三十三応現身の一部が見えます。国立博物館の説明では木村徳応という絵仏師の作で、生年は文禄2年(1593)と考えられており、少なくとも75歳ごろまで活動していたことが知られています。当時の記録にも「仏画をよくし、諸宗の祖師像をよく写す。諸山に多く蔵せり。仏画師中の健筆たり」と評されており、江戸時代前期、京都を中心に、宗派を問わずさまざまな寺院で活躍していました。江戸時代仁和寺中興の祖「仁和寺宮守覚法親王」時代に作られたモノと説明していました。
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壁絵の上段は説法する観音菩薩ですが下段は地獄絵でビックリしました。写真は浄玻璃と云われる鏡で生前の悪行を確認される亡者手前は青鬼(地獄の獄卒)に仕置きされる亡者。
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下は火炎地獄で火炙りの刑に処される亡者。
実に壁絵も諸仏も良く出来ていました。おまけに此処だけは写真撮影が許可されていたのです。でもフラッシュを焚いてはなりません。みんな写メールを堂々と撮っていました。出口で初老の親爺が係員を掴まえて説教していました。
「撮影は総て禁止すべきだ!フラッシュを焚く人も出ている」国宝が傷んだら如何ともし難いじゃないか!」
お爺さんもスキャンと3Dプリンターハイテク技術で以って本物と見分けが出来なかったのでしょう」東博の係員は可愛そうにサンドバックで叩かれ通しの状態でした。「あれはコピーですから、クローンですから」説明しても許して貰えない諦めたのでしょう。
それにしても気になったのは庶民を対象にした「善光寺」や「六波羅密寺」と違って此処は御室仁和寺です。皇室ゆかりのお寺です。近世には皇室も庶民と同じ地獄思想が染入っていたのかと思いました。

残された「お雛様」と「クリスマスローズ」

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2月28日、ワイフは「確定申告」を終えて安堵してご機嫌です。確定申告で還付金が在ると、それはワイフのお小遣いになるのです。と云っても、最終的にはワイフが孫のお祝いに充当する訳で、小遣いになるわけではないのですが・・・。
確定申告作業を終えると「お雛様」を出してきました。
「お雛様」と云っても、娘のモノで。亡くなった祖母がお金を出してくれて、私と祖母とで新宿の小田急に出かけて買い求めた「木目込み」人形です。
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此方が娘の雛人形です。新居を構えた娘ですが、引き取る気が無さそうです。手前は娘が置いていったクリスマスローズです。
娘が結婚しても我が家に置いていったモノです。ワイフは自分のお雛様と娘のお雛様を隔年に出して飾っているのです。今年は娘のお雛様の順番になるのです。
スポンサーだったお婆ちゃんの仏壇は我家に在りますから、お婆ちゃんも喜んで居そうな気がします。娘は昨年、女の子が産まれて、自分の木目込みのお雛様より一回り小さなお人形を求めて、満足して飾っています。自分のお雛様を自宅に引き取る気配は無さそうです。
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これは娘が置いて行った「クリスマスローズ」です。日陰を好む性格なので白蓮の根元に置いています。夏は日陰で冬は陽が良く当たって良く育っています。
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これも娘が置いていったクリスマスローズで、白とピンクです。
娘が引き取りそうもない大切な品はもう一品あります。それは「クリスマスローズの植木鉢」です。
娘が「クリスマスローズを貰ったのだが、世話の仕方が解からないので・・・」言って我が家に預けて帰ったクリスマスローズです。濃い紫二鉢、と白1鉢、ピンク1鉢、計4鉢もあって、毎年桃の節句に見事に咲いてくれています。
この正月に、アパート住まいを卒業した娘夫婦ですが、新居も庭が狭いのでクリスマスローズを引き取る積りが無いようです。
4鉢のクリスマスローズは何れも元気に育っているので、今年は株分けをしなくてはならない気配です。娘の新居に似合う植木鉢を買い求めて、新株を娘の家に「里帰り」させようとも思っています。
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此れはお雛様を据える前の出窓、クリスマスローズを暫く生けておきました。
昔はクリスマスローズなんて気の効いた花はありませんでした。冬の花と云えば「パンジー」か「冬知らず」でした。咲いた花を観ればクリスマスローズは「キンポウゲ」の仲間です。キンポウゲの仲間で一番人気は「雪割草」ですから。雪割草の要領で手入れをすればいい訳です。春先に花を付けます。ですから、春の光が株元に良く届くように、古い葉は落してあげると花芽が多くつきます。夏の暑さに弱く、冬の寒さには強いのです。夏場に日焼けしない様に、水分不足にならない様にすれば、手は掛りません。
お雛様も飾ったし、クリスマスローズも生けたので、後は3月3日に娘が孫を連れて来るのを待つばかりです。
ワイフから、娘、娘から孫(女子)に、女系家族は華やかで楽しみも多いような気がします。


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「日中合作映画「空海を観た。

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かねてから楽しみにしていた「空海」が封切られました。3月1日私はワイフと一緒に湘南テラスモールにある「109シネマズ」に観に出かけました。表題は単純な「空海」ではありません。『 KU-KAI /美しき王妃の謎』が正式表題です。でも中国名表題は『妖猫伝 Legend of the Demon 』ですから、印象は随分違います。表題としては妖猫伝が適切でした。
109シネマズは何時もゆったりしていました。「奇跡の林檎」も「たそがれ清兵衛」も「蝉しぐれ」もガラガラの映画館でしたが、空海は満員でした。
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これが日中合作映画日本名「空海」のポスターです。
原作は夢枕獏氏のの小説「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」です。空海と云えば「弘法大師」で我国仏教史の中で散々と輝く祖師ですから、日本人には特別な思い入れがあります。一昨日も東博の「仁和寺展」で空海の自筆を視て感動したばかりでしたから、映画は史実を離れて戯作の世界で充分に楽しめました。「虚実皮膜」は日本の演劇論でしたが空海は「虚実」ならぬ「実写」と「バーチャル」の「二色どんぶり」でした。空海を信奉する人には落胆する内容で、お奨めしません。漫画を観に行くつもりで出かけたらそれなりに楽しめるでしょう。
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仁和寺展での空海の直筆国宝 三十帖冊子、几帳面な書に驚きました。
私達は高校の漢文の授業で白楽天の「長恨歌」を習いました。高校1年生にとっては楊貴妃の美しさの比喩は刺激が強すぎた記憶がありました。でも「比翼連理」の夫婦愛の例えと「長恨歌」の「み」のギャップが大き過ぎて、講義の内容に疑問が残った記憶があります。原作の夢枕獏氏も同様な疑問を抱いておいでだったのでしょう。夫婦愛の叙事詩に「恨み」の一字が入った訳を推論したのでした。
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此れは上野公園の楠都立美術館の前にあって「比翼連理」の「連理の樹」を想わせます。
李白は宮廷詩人として玄宗皇帝の期待を受けて次の様に楊貴妃の美しさを比喩したのでした。「清平調詞」三首がそれで、『雲想衣裳花想容』/雲には衣装を想い 花には容(かたち)を想う。楊貴妃の薄手の着物はまるで雲か霞のようだ。牡丹の花を見ると楊貴妃のあでやかな姿が目に浮かぶ。此れから観る人の為にも多くを語ってはいけないのでしょうが。許して貰って、大凡のストーリーは次の通りです。
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世界不思議発見で紹介された現在の西安は唐の都(長安)でした。写真はテレビを写したモノ。
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唐の都の偉大さを伝える西安(唐時代は長安)の鼓楼写真出典「世界不思議発見」
空海は先進国唐国に渡って密教を習おうと「青龍寺」に上ります。唐の都長安は賑やかでも、楊貴妃や玄宗皇帝がなくなって30年程経っていました。ところが空海が渡った唐王朝では皇帝が突然死するはその後継者も大宮に棲む黒猫の祟りにあって人心は乱れていました。空海は偶々知り合った白楽天と共に唐王朝を揺るがす怪事件を追って行きます。
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空海(染谷将太)と白楽天(ホァンジュアン/声高橋一生)は協力して楊貴妃死の謎を追って行きます。これは過っての王宮の園地の跡です。
玄宗皇帝に仕えた高級官僚の息子「陳雲樵」の愛人が黒猫に憑依され、これを空海が助けた事から、幾重にも絡まる事件の真相に迫って行きます。一方白楽天は楊貴妃の美しさを称える詩「長恨歌」の構想を抱いています、黒猫は白楽天の作る長恨歌に強い関心を抱いています。空海と白楽天は力を合わせて「楊貴妃」の死の真相に迫って行きます、しかし、二人が接近して楊貴妃の死に立ち会った人は次々に怪死してしまいます。
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此方は楊貴妃です(チャンロンロン/声吉田洋)これは極楽の宴の場面です。
空海と白楽天は玄宗皇帝に仕えた人を次々に追って行きます。そして終に「安倍仲麻呂(安倍寛)」の霊に会います。仲麻呂は楊貴妃を愛していました。「末期的症状を呈していた唐を見捨てて楊貴妃を日本に亡命する」ように誘います。しかし、楊貴妃はこれを断ります。でも、仲麻呂は日記をつけていました。空海は仲麻呂の妻から日記を預かります。楊貴妃に仲麻呂の日本亡命提案を断わられると、玄宗皇帝は王宮の医師(呪術師)黄龍の提案で「尸解(しかい)の法」と呼ばれる呪術を採用することを決めます。
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阿倍仲麻呂(安倍寛)は楊貴妃に日本に亡命するよう提言しますが受け入れて貰えません。でもその日記が真相に迫る根拠になります。
「尸解(しかい)の法」とは「安禄山の役」で怒り狂う民衆の前で楊貴妃を針を使って仮死状態にし、乱が納まったら生き返らせる計画でした。
黄龍には「白龍」「丹龍」という名の二人の弟子が居て夫々楊貴妃を慕っていました。白龍は黒猫に憑依して、楊貴妃を守っていたのでした。在る日、白龍の霊(黒猫)は王宮の庭で「極楽の宴」を開く、として、空海、白楽天、丹龍の霊を呼び集めます。
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空海と白楽天は楊貴妃の石棺を開けて視て初めて楊貴妃の死の真相を解き明かしたのでした。この後空海は青龍寺に上り密教の極意を教わります。白楽天は長恨歌を完成させます。
極楽の宴で楊貴妃の死の真相が判明します。楊貴妃の石棺は血の海だったのでした。実は楊貴妃は「尸解(しかい)の法」で仮死状態になって墓に埋められた後二日で生き返っていたのでした。白楽天の長恨歌は生き埋めされた楊貴妃が石棺から出られず死に絶えたの恨みの詩(歌)だったのです。黒猫は楊貴妃の死の真実を伝える役割を果たし楊貴妃の遺骸の横に眠ります。映画のテンポは小気味良い程に早く画面は迫力が在って楽しめました。空海は青龍寺に上ると、既に空海を密教の
正伝者として迎え入れる用意が出来ていました。


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「鴨葱鍋」を食べる。

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2月13日~15日まで秋田の「角館」「大曲」「横手」を旅して。「雪下野菜」を宅急便で自宅に送ってありました。
葱は庭に土を掘って埋めておいて。少しずつ掘り出して食べています。大分食べたので残り少なくなってきました。
そこで記憶に残る美味い食べ方をしたいと思って考えあぐんでいました。ワイフが東急ストアに「京都の鴨」が出ている、話します。
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長浜から観た北琵琶湖の夕暮れ、向こうの島は竹生島鴨が集まります。次にブログアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49597074.html
京都の鴨と云う事は奥琵琶湖の鴨でしょう。2年前の晩秋に友人と4人で湖北の観音像巡りをした折に長浜の野鳥公園で無数の鴨の飛来している景色を眺め「鴨蕎麦」を食べました。鴨と云っても鴨肉と骨を叩いて練り込んだ「鴨肉だんご」が2個浮いているだけのシンプルな蕎麦でしたがこの上無く美味しかったのでした。
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これは長浜の野鳥公園に在るレストランで食べた「鴨蕎麦」関東で「鴨蕎麦」を注文すると冷たい蕎麦を鴨の出汁で作った汁に蕎麦を漬けて食べる「漬け蕎麦」ですが、写真のように。温かい汁に蕎麦をシタして食べるのです。次にブログアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49597074.html
その晩は長浜のホテルを取っていて夜は街に出て「鴨鋤」を食べる予定にしていたのでしたが、私は身体が冷えてしまった事と、ジビエの鴨が消化出来ずに吐いてしまって、一人で部屋で大人しくしていました。本場の「鴨鋤」を食べ損ねてしまいました。
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これが長浜の千茂登の鴨鋤です。これを食べたかったのですが、体が冷えて食べられませんでした。写真出典食べログhttp://www.e-nagahama.com/timoto/meal/kamo.html
NHKのラジオ放送に「毎朝ラジオ」があります。3月2日までは「健康な腸」お維持するために医師が様々な面からアドバイスをしていました。1週間を通して記憶に残ったのは『第一にお腹を冷やさない事』『第二に繊維質な食物と良質な蛋白や脂肪を摂取する事』『第三に体内時計を大切にする事』でした。思い返すと「自分は随分腸に惨い仕打ちをしてきたものだ」、という実感です。此れでは「癌や脳梗塞」を患う筈だ。思います。
あまり良い意味では使われませんが、『鴨葱(かもねぎ)』という慣用句があります。
鴨が具材である葱を背負ってくれば、鴨鍋ができるので好都合です。転じて『利用しようとしたものが、さらに好都合な状況を呼び込む』という意味で使われます。
それほど鴨と葱は好相性ということです。
“鴨葱”は、栄養面でも好相性です。鴨肉はビタミンB1、B2などのビタミン群や鉄を含みます。葱と鴨の食べ合わせは葱はビタミンの吸収を促進させる最高な組み合わせ云う事になります。
葱は繊維質が多い事に加えて、鴨肉のビタミンB1の吸収を促進する硫化アリルを含みます。鴨肉のビタミンは水溶性なので、煮汁ごと食べられる“鴨葱鍋”は栄養面でも食べ合わせ抜群ということになります。
しかも、鴨肉の脂肪は、生活習慣病予防に役立つと言われている「不飽和脂肪酸」が豊富に含まれているヘルシーなお肉なのです。サラリーマン時代も風邪をひきそうなとき、必ず出掛ける店がありました。渋谷の泥鰌屋(駒形どぜう の支店)でした。
丸の泥鰌を少し甘いタレで煮て、十二分に生葱を一緒に煮込んで食べれば気力は充実、引きかけた風邪も吹き飛んだものでした。泥鰌ですラ効果充分だったのですから、鴨なら「泥鰌鍋」以上に身体に良い筈です。
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これが駒形泥鰌渋谷店の「泥鰌鍋」です。丸と呼ばれる泥鰌を丸ごと甘い醤油の汁で煮込んで刻みネギ(無料)を煮込みます。泥鰌の脂肪と葱のセルロースが体力を復活させてくれます。写真出典駒形泥鰌渋谷店(https://www.google.co.jp/search?q=%E9%A7%92%E5%BD%A2%E3%81%A9%E3%81%9C%E3%81%86+%E6%B5%85%E8%8D%89&dcr=0&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjJ2Yrs1szZAhWKT7wKHWnRC-oQ_AUICygC&biw=1920&bih=962#imgdii=JzTu2SY9-S8X_M:&imgrc=ODg2zqgQVDnz3M:&spf=1519960620559
誰が最初に「鴨と葱の食べ合わせが良いのを発見したかは知りませんが誰もが”鴨なら葱」の食べ合わせが最高だと思っていたのでしょう。だから「鴨葱」なる慣用句が出来て誰もが納得しているのでしょう。「トンカツ+キャベツ」のような食べ合わせです。職場の同期会に顔を出して「久々に麻雀やらない?)声掛けしたら「鴨葱が飛んで来たよ!」大歓迎されそうな昨今です。鴨葱は総じて良い意味では使われない慣用句です。
美味しく葱を食べようとして、2年前食べ損ねた「鴨葱鍋」を食べたくなりました。ワイフがチラシで確認した「京鴨」を求めて来て、いよいよ「鴨葱」パーティーの開始です。先ず醤油出汁で輪切りした雪下葱を煮て、沸騰した処で、鴨肉を投入しました。
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先ず葱を煮て鴨葱パーティーの開始です。
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鴨の香り風味は圧倒的です。豆腐と鴨肉だんごを投入して、直に食べ頃です。
鴨葱を始めると、直に部屋中が鴨鍋の香りが充満してしまって、ペット犬がベランダに出て、早く自分の夕食にして欲しい、自分も鴨鍋を食したい、そんな素振りです。
鴨葱鍋を食べ終えると、体中が火照って来るようでしたし、顔にも脂が滲んで来たような気がします。
「鴨には葱が最高の食いあわせ」慣用句はヤッパリ真実である事を体験した鴨葱パーティーでした。幸い庭にはまだ雪下葱が残っています、3月3日娘家族が来たら、チラシすしに鴨葱鍋にすることにしましょう。


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味方から敵に変ってしまった「荒神様」の嘆き

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NHKのBSプレミアムで2月17日(土)のゴールデンタイムにドラマ「荒神」を放映する、予告案内が再三流されました。原作は宮部ミユキみゆき氏、恐ろしい怪物が貧疎な村を襲う話でした。
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これが宮部みゆき氏の創作「荒神」です。写真出典ヤフーオークションhttp://buyee.jp/item/yahoo/auction/286537575で649円で売られています。
私は巨大な鰐の様な怪物が何故村を襲う事になったのか?
興味もあって、テレビを観ました。
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此れが荒神です。巨大な河馬の口からカメレオンのような舌が伸びて来て人を一吞みしてしまいます。
円空仏が好きな人は円空が彫った荒神を多く見ています。高山の千光寺には臼の側面に顔を彫っただけの「荒神」があります。民家に招かれた円空が農家の期待に沿って観音像を彫りあげた序に、土間に無造作に置かれていた餅臼を作るために乾燥させておいた材木を視て、その側面に「荒神面」を彫ったそんな印象です。
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これが飛騨高山千光寺に在る円空作の荒神像です。
荒神は我が生家の台所にも祀られていました。一般に三宝荒神と呼ばれる竈(かまど)の神様で釜戸に釜を乗せる石作りのコンロのようなものでした。その神様が荒神ですから、荒神は一家の食事を守る神様でした。
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川崎民家園の井岡家住宅の竃。明らかに竈の上に三宝荒神を祀っています。東北や宮崎の民家では柱に荒神面を吊るしているモノですが。
三宝荒神は「石焼釜の神様」のようなです。秋葉様が火除けの神様なら荒神様は家族が食糧危機にならない為の「福の神」でした。福の神の意味では大黒様と重なりますが、荒神の方が地縁的・家族神の色が濃いモノでした。
【荒神面】
岡本綺堂が書いた修善寺物語は源頼家の面を何度撃っても死相が出てしまう話ですが、私は原作のヒントになったのは修善寺の典座(キッチン)に祀られていた荒神面だと確信しています。というのは宮崎の高千穂の神楽で荒神面を被った鬼が踊る神楽を観たのでした。禅寺では台所の柱に荒神面を掛けているモノです。荒神面は宮崎の他東北にも多く残されています。先月旅した秋田の横手でも「なまはげ」のお面を観て「これは荒神面だ!」と確信しました。
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此れが修善寺宝物館に在る面。岡本綺堂の修善寺物語創作のヒントになりました。私は禅寺で祀られていた「荒神面」だと確信しています。
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これは横手の「秋田ふるさと館」に陳列されていた「なまはげ」の面です。なまはげの面は神楽面の一つで、一般に「荒神面」と呼ばれたモノと思います。荒神面は能が流布すると「能面のべしみ」になります。
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此れは横手の「鹿島様」と呼ばれる「賽の神」身体は藁で、お顔は荒神面です。福島の田村様も同じ荒神面だと思います。昨年秋に行った安曇野の仁科神明宮でも確認しました。
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これは仁科神明宮の神楽です。中央には荒神面を被ったタヂカラオで奥から岩戸を開いて天照大神が現われました。写真出典八二財団http://www.82bunka.or.jp/bunkazai/legend/detail/09/post-34.phpタヂカラオは戸隠の神楽でも荒神面を被っています。
本来の荒神は家々の竃に祀られてきた家の守り神で屋敷神とか、お稲荷様の様な神様だったのです。怖い形相なのは災厄除けの為お寺の仁王像の様な形相にされたのでしょう。でも、テレビドラマ荒神は本来の意味を忘れて「荒神」の「荒ぶる」と云った語感だけが着目されていました。荒神は本来「正直者」「働き者」の味方ですから、貧村の村人に敵するようなことはしないのです。原作者の宮部氏は時代設定を元禄時代、場所を東北の寒村としています。東北の寒村では八郎潟の「八郎」にしても男鹿の「なまはげ」にしても働き者の味方で、身を挺して田圃を築いたり、働き者の嫁を手伝って朝まで田植えをしたのです。
そんな民話を百も承知で原作者は、農民に敵する怨霊を「荒神」とネーミングしたのです。
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此れは男鹿の「なまはげ館」です。写真出典「男鹿ナビhttps://oganavi.com/spot/47/

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これは神楽で使われる面です。一般に荒神面と呼ばれ南九州に残されています。岩戸神楽ではタヂカラオがかぶるお面です。
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これは能面の癋見(ベシミ)です。写真出店:大槻能楽堂http://www.noh-kyogen.com/encyclopedia/mask/kijin.html癋見(ベシミ)とは 能面の一つで鬼神面です。主に天狗や地獄の鬼に用います。仁科神明社の神殿内に沢山架っていました。
処でNHKのドラマ荒神では山を鋏んで南北の村が敵対しています。北の村は南の村に敵愾心を燃やしていて「祟ってやる!」と云って、次々に自害します。自害が続いて到頭厄神が出現します。
でも北の村ではこの厄神を封じ込める呪法と人物を残します。そして村の灌漑池に祠を建ててその中に厄神を封じ込めていたのでした。
しかし、旅の絵描きが懸けられた絵馬を盗んでしまったので厄神が暴れ出したのでした。一方厄神を封じ込めるその呪法や秘密を知っていた兄妹が居ました。
兄は野心家で南の村の領主に取り込みます。そして、荒神を利用して栄達を志します、一方妹は北の村に入って絹織を指導し、村人の尊敬を集めていました。兄は愈々栄達を極めようとして、荒神を怒らせて北の村を襲わせます。
昨今のNHKのドラマは荒唐無稽が過ぎるように感じます。時代考証や民俗考証をしっかりやって骨太の作品にして貰わないと、伝統文化を損ないかねません。
視聴率稼ぎの為に時代の風潮におもねるのも程度問題です。本来人間の「守護神・福の神」であった荒神を人間に災厄を振りかける怒れる神に創作するのは真逆であります。先日亡くなられた苦界浄土の作者石牟礼 道子氏も屹度同感で居られるでしょう。不知火の海を汚したのも神通川にイタイイタイ病を招いたのも人間の飽くなき欲望でした。荒神は人間の欲望を諌めるモノであっても、人間を無意味に食い殺すモノではありません。自然を敬う心を尊いとします。


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下曽我駅前の「支那蕎麦屋」

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私達は観梅ウォーキングを下曽我駅から始め、瑞雲寺を廻って中川原梅林を周遊して再び下曽我駅に戻りました。御殿場線は電車の本数が少なく、電車の待ち時間が長いので駅の周りを視て歩きました。「何でも屋」があって、葱が一束270円、蕗の薹、菜の花は1パック150円です。美味しそうですが、瑞雲寺門前の公民館では何でも1束百円でした。気になった時に買えば良かったのでしたが・・・・。
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此れは下曽我駅から別所梅林方面に50m歩いた処に在る仕舞屋(しもたや)風の「平野屋」です。隣りの「さがみ野ストアー」は「何でも屋」です。
駅前に如何にも古い昭和20年代の香りがプンプンする食堂「平野屋」がありました。
私達は道路脇の石に腰掛けて「草餅団子」を食べ、瑞雲寺の梅林で簀子に腰掛けて「粽」と「つみれ汁」を戴いたので、もうお腹は出来ていました。私が「駅前ラーメンを食べよう」言うと。
ワイフは呆れ顔で相手にしてくれません。ワイフを駅に待たせて私一人「食堂」平野屋の疲れた暖簾を潜りました。
食堂の前には立派な黒いBМWが駐車していました。駅前食堂平野屋の店内には2つの食卓があって、70代の老夫婦が一組親子丼とラーメンライスを食べていました。テレビをつけっ放しで「笑てんか」を写しています。
BМWは屹度この夫婦が乗って来たのでしょう。この付近の農家で。此処平野屋の味が好きで再三来ている風です。私が向かいの席に相席すると直後にまた一人モノが私の横に相席しました。私のラーメンを一瞥してラーメンを注文しました。
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私の注文はラーメン(550円)でした。左隣のお兄さんもラーメン、向かいのBМWの叔父さんは親子丼で奥様はラーメンライスでした。鰹出汁の蕎麦屋風のラーメンでした。
壁には色紙が2枚貼ってあります。「舞の海」に「高見盛」です。二人とも玄人好みのお相撲さんでした。お相撲さんの色紙の並びには「氷川清」のポスターが無造作に貼られています。ラーメンを運んできた店員に訊けば。
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壁に貼られた色紙左が「舞の海/昭和53年」で右が「高見盛/2006年)
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部屋と食堂の境には楽屋暖簾がそして壁の僅かな隙間には氷川清のポスターが所狭しと貼られていました。
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このカウンターの奥がキッチンで、ラーメンが出来たら此処に取りに行きます。店員はカウンターの下が押戸になっていて、そこから出入りします。キッチンの右奥にコンロがあって親爺が調理しています。
店の「ママが氷川清の追っかけ」なのだそうです。キッチンに入っている親爺がセッセと稼いで女将さんが氷川清の追っかけをしている光景は愉快です。
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平野屋のメニュー、夕方からは居酒屋になるようです。
昨今は何処に行っても「ラーメン」です。私が小学生の頃は「支那そば」と呼んでいました。多分日本蕎麦屋が隣の中華蕎麦屋で売れている「ラーメン」「老麺」「柳麺」を自分の店でも売り出して「支那そば」トメーミングしたのでしょう。だから「ラーメン」でも「中華蕎麦」でも良いのにわざわざ「支那そば」と呼んだのでしょう。支那そばの名は戦中・戦後の香りがするのです。だから、平野屋のラーメンは本来の「支那そば」なのです。同じメニューでも時代が違えば呼び方も異なるのです。唯違わないのは私の味覚に「支那そば」が記憶されているので、時には懐かしい支那そばを喰いたくなる事です。
鎌倉の大仏様の門前に中華の老舗「中華飯店」がありました。同店でラーメンを注文すると本格的なチャーシューや肉団子が入っていました。「中華そば」に相応しい豪華ラーメンでした。スープは見事な鶏がらで縮れ麺でした。
勿論「支那そば」は「蕎麦つゆ」に「ストレート麺」でした。
下曽我の駅前も随分に拓けて来ました。瀟洒な戸建て住宅が連担しています。広い庭には家庭菜園もあって、御殿場から都心に向かうにも便利なようです。駅前ラーメンの平野屋が何時まで続いて居られるか定かではありませんが、氷川清の追っかけをしているママと働き者の爺さんが何時までも元気で「支那蕎麦」を商い続ける事を柱に貼られた大黒様にお祈りしました。
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セロテープで無造作に柱に貼られたお札、店員に確認しても「知らない」という事。ニコニコのマークと食堂ですから出雲大社相模分祠の大黒様と判断しました。


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曽我梅林の「瑞雲寺」

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3月弥生に入って首都圏は一気に春らしくなってきました。3月3日庭の冬至梅もハラハラ散っています。ワイフが「今日はどうしますか?」訊きます。どうも予測していた娘親子は来ないようです。そこで、今年の観梅の締めくくりを曽我の梅林ですることにしました。ワイフの記憶では最後に曽我の梅林に行ったのは5年前の節分の頃、その年の年末に私が脳梗塞を発症したので、曽我梅林の記憶が薄らいでいるようです。あの頃は元気に車を運転していたので、景色の記憶も薄いのでしょう。
9時過ぎ東海道線に乗って、国府津に行き、御殿場線に乗り換えれば最初の駅が「下曽我駅」です。駅から「県道松田線」を西に行けば10分余りで「瑞雲寺」があって、その周囲が「中川原梅林」です。下曽我駅を降りて駅前の和菓子店で「草餅団子」を求めます。団子さえあれば梅林の何処に腰掛けても一服できます。奈良長谷寺でも当麻寺でも草餅さえ腰にぶら下げて置けば「桃太郎の犬状態で幾らでも前進できます。
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下曽我駅前の和菓子屋曽我乃正栄堂 本店で草餅団子を買い求めてイザ観梅ウォーキングの開始です。
懸念していた通り白梅はもう散り始めていました。でも「思いの儘」をはじめとした杏系の梅は見頃になっていました。
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私のイメージは白梅の彼方に冠雪した富士山が見渡せるはずだったのでしたが。この日は昼には春霞が立って冨士は霞んでしまいました。白梅も散り始めて居ました。写真は看板を写したものです。
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私の足では下曽我駅から瑞雲寺迄徒歩10分の案内でも坂道は多いし、景色を眺めながら行くので到底10分では行けませんでした。道端の石に腰を下ろしてお団子とお茶を飲みます。脚下には「オオイヌノフグリ」が青い小花を一斉に咲かせています。向こうからは逆コースを辿るウォーキンググループが遣って来ます。曽我の梅林の梅の樹も相当に年老いて来ました。其処ここで老木を倒し、若木に植え替えています。老木は畑で燃やされて灰は若木の栄養になるのでしょう。でも、若木が伸びるまでの間は野菜畑として活用されるようです。大根や菜の花が目立ちます。
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老木の目立つ梅林は一度野菜畑に戻され、若木を植え替えるようです。
瑞雲寺は随分綺麗になっていました。門前の畑は一面の梅林に変容し、植えられた紅梅や杏梅も成長し、見事な樹勢です。境内に小川軒『地元の和菓子屋」が店を出し、「つみれ汁」や「粽」を商っています。私達も求めて赤い毛氈が敷かれた簀子に坐って戴きました。梅の梢には俳句が書かれた短冊が吊るされています。良く見れば「ハコベ」や「ペンペン草」の生えた地面に短冊が落ちています。一昨日の春一番で飛ばされたのでしょう。
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此れが瑞雲寺の参道入口です。参道左は畑でしたが、花梅が見事な梅園になりました。
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向こうに見えるのが瑞雲寺の本堂子の梅園の下に簀子が置かれていますので、座ってお茶を飲んだり食べたり出来ます。入山料は無料なのは申し訳ないような景色です。
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瑞雲寺周辺の野の道には石仏が多く祀られています。石仏も曽我を歩く楽しみです。
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ポスターのアングル、霞が立っていなければ梢の隙間から秀麗な富士山が遠望できたはずでしたが。
午後1時下曽我駅に戻って来ました。時刻表を見れば1時間近く待たなくてはなりません。御殿場線の土日の時刻表では1本/1時間しか電車は走らないのです。
電車に乗ると、松田の河津桜を見物して来た人が大勢乗っていました。松田で桜を見て曽我で観梅して、欲張りなお客さんが多いのです。


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夏蜜柑「コロコロ」

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我家の前の道は私の生家「盛徳寺」の参道です。先日の春一番が吹いた日には盛徳寺の庭で稔った夏蜜柑が坂道を転げ落ちて県道にまで行っていました。県道で自動車に轢かれて無残な状態になっていました3月6日の朝も参道には三つも4つも夏蜜柑が転がっていました。
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盛徳寺の境内庭に稔った夏蜜柑コロコロ転がって200m、県道で轢かれて無残な姿を晒しています。坂道の中段に在る我家では気付けば拾って湯豆腐に絞ってカボス代わりに使っています。
この夏蜜柑」は私の祖母が食べた夏蜜柑の種を播いて育てたモノです。祖母には5人も男の子を育てて、全員大学まで卒業させました。4人は住職になりましたが一人三男だけは早稲田の金属工学を卒業させ日本鉱業に勤めさせました。三男が福岡の飯坂に勤務した時、夏蜜柑が送られてきて、祖母は喜んで食べ尽くして、その種を庭先に捨てていました。祖母の部屋の前庭には「柿」や「枇杷」に「夏蜜柑」が芽吹いて育ちました。何れも各地方に散った息子たちが送ってきた果物の種でした。祖母は柿(福島)枇杷(長崎)夏蜜柑(飯坂)の苗の面倒を見ながら、私に言いました。
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現在の「盛徳寺」の全景中央の13重石塔の左に在るのが飯坂生まれの夏蜜柑の樹。野菜畑だったのですが境内に車が乗り入れられるように道を整備したので畑は狭くなってしまいました。
『柿に琵琶に夏蜜柑の苗が育っている。何れお前が家を建てたならこの苗を自宅の庭に植えておくれ。果物を食べた時は私を想い出しておくれ!』
今では盛徳寺の庭は大半が駐車場に変って夏蜜柑は庭の端に追い遣られてしまいました。一方、枇杷も柿も伐採されてしまいました。祖母が篤く信じた観音像が戸塚の街を見渡しています。
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観音像は祖母の貯金を叩いて京都の太秦で鋳造したモノ筆者が大阪勤務時代に何度も立ち会って立派に出来ました。
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夏蜜柑の樹の下には13重の石塔が建っています。石塔の基壇には祖母(竹内ノブ)の半生を刻んであります。
毎年夏蜜柑はたわわに稔っています。処が誰も食べてくれません。南国で育った夏蜜柑は十分に甘くても、横浜で育った苗から稔った夏蜜柑は酸っぱいのです。誰も食べてくれない夏蜜柑は足元に実を落します。大半の夏蜜柑は其処で土に戻りますが、大風が吹いたりすると、崖の下に落下して其処からコロコロと坂道を転がって県道まで転がって行ってしまうのです。夏蜜柑を口を窄めて食べるのも孝行ですし、ワイフは酸っぱい夏蜜柑は好物です。蜂蜜も在るので、「グレープフルーツの様にして半分に切って蜂蜜を掛けて食べたら良い」と提言するのですが、ワイフは「この酸っぱさが良いのよ!」言って、祖母を喜ばせています。夏蜜柑がコロコロ転がって来て言っている様な気がしました。
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収穫して来た夏蜜柑実は食べて皮はお風呂に浮かべて使う予定です。
「今年も婆ちゃんの夏蜜柑が食べ頃になりましたよ。婆ちゃんは孫夫婦に食べさせたい!。と言っていたのだから収穫に来て下さいよ!」
私はコロコロ転がってきた夏蜜柑に急かされて収穫に行きました。収穫した夏蜜柑をお盆一杯に拡げて思います。私の体は酸を欲しています。夏蜜柑の酸っぱさは「クエン酸」です。、クエン酸には動脈に蓄積される乳酸をも分解する作用がありますので、動脈硬化予防にも高価があるのです。ズット前から我家の前にコロコロ遣って来ていた夏蜜柑でした。早くから気付いてクエン酸を摂取していたら、脳梗塞を発症する事も無かっただろうに・・・・・!
でも、今からでも遅くはありません、婆ちゃんの気遣いに感謝して動脈硬化予防に努める事にしましょう。



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下曽我の幸福な石仏

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私の曽我梅林ウォーキングの楽しみの一つに石仏巡りがあります。曽我十郎五郎の生誕地である曽我の谷間の底には酒匂川が流れ。梅林の中を走る通称「大井街道」には相模様式の石仏が多く観られるのです。
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此れは梅林の脇に祀られていた道祖神です此れは字塔ですが、相模様式の双体道祖神の発祥地なのです。
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此れは瑞雲寺下の近隣児童公園内に祀られていた石仏、手前は滑り台で右に庚申塔左に双体道祖神が祀られています。多分この辺り一帯に祀られていた石神を近隣公園に移して祀っているのでしょう。道祖神は「童祖神」とも云われ子供の守護神ですから・・・・。
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此れが上記の双体道祖神のアップです。箱根の北は黄泉の国ですから地蔵信仰が盛んでした。六地蔵を彫るに際して二体ずつ刻んで道祖神にしたような形です。
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此方は上掲写真の庚申塔、一般に庚申塔のシンボルとして三猿を刻みますがこれは手を合わせた二匹の猿です。寛文二年に地域の農夫が組織した庚申講が建立し、「こうして熱心に庚申信仰を守っているので功徳を下さい!」としています。
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瑞雲寺入口の三叉路に建っている六面石塔。常夜灯風の灯籠で六面には六地蔵が彫られています。
石仏の魅力の一つは石が自然の素材である事と。彫られた後も石仏(人工物)を自然が造化をし続けていることがあります。造化が進めば石仏は砂に土に還ってしまいます。折角の石仏も土に還ってしまう事は人間も同じ宿命です。その変化を無常と呼びましたが。無常の一瞬の美しさを観る事が石仏鑑賞の醍醐味です。
此処曽我に即して言えば、曽我の石は40万年も昔に地底の溶岩が冷えて圧迫されて出来た堅い安山岩です。一般に小松石と呼ばれ、江戸城も小田原城も鎌倉の頼朝の墓も小松石で出来ています。小松石は東の名石と云われ、表面が黒いモノも在れば白や赤や緑の石もあります。総じて堅いので石仏を彫るのは大変ですが、風化もしないし、細部の彫刻も出来るので石仏に適しています。相模に良い石仏が多いのは湯河原石工と呼ばれる石工が居た事もありますが、何よりも素材の石に恵まれていたからです。
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此れは瑞雲寺の井駐車場の脇に祀られている左地蔵尊、右聖観音。逆光で白っぽく写っていますが実際は鮮やかな黄色です。
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この読売新聞記事(3月7日)は真鶴石『一般には(湯河原石と呼びます。)が優秀な安山岩である事から「石メダル」の販促をしていることを奉じた記事です。墓石としても、石仏としても秀でています。
瑞雲寺の境内には素晴らしい石仏が幾つも並んでいます。一番に惹かれるのは駐車場脇の石仏です。惹かれる理由は白い小松石を素材に彫られたお地蔵様がまるでタイの雲水の様な黄色い袈裟を着ておいでなのです。
袈裟と云うのは「ロウソクゴケ」という名の地衣類です。同じ地衣類の「梅の樹苔」は一般に環境の「指標生物」と呼ばれている様に。空気が綺麗でなければ生育しません。ロウソクゴケが元気だという事は此処の空気や水が綺麗で人間の健康にも良い事を示しています。
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上掲左の地蔵尊、黄色いロウソクゴケの他にも多彩な地衣類が共生しています。割れているのは地震で倒れて自身の重みで壊れてしまったのでしょう。
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瑞雲寺境内の六角灯篭には6観音を刻んだモノもありました。此方を向いているのは馬頭観音です。
石仏が美しい為には次の3つの条件と生きている人が大切にしている事実が大事です。第一に石工の技が伝統を踏まえて居て冴えて居る事です。第二には素材になる石が硬質で美しい事です。第三に自然と調和していて、風景の一部になっている事です。加えて言えば生きている人が大切に祀っている事も大事です。五木の子守歌に在る様にお墓の遺族でなくても通り係の人が野の花を供えているだけでも美しさが引き立ちます。
こうした石仏こそ幸福な石仏と云えます。
我家の庭の弥勒様は五弁の椿の樹下にあって、庭の主だった「蟇蛙」の墓標です。今朝観たら椿が散って弥勒様の膝にありました。
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此れは愛媛の御影石で彫られた作家モノの弥勒様です。庭の主だった蝦蟇蛙の墓標でもあります。







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「啓蟄」は過ぎたけど。

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3月6日は「啓蟄」でした。「啓蟄」は二十四節季気の一つで、「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意で、「啓蟄」で「冬籠りしていたの虫等の動物が地下から地上にが這い出る来るという意味です。我が庭には主のような蝦蟇ガエルが棲んでいたのでしたが、20年程前に「蝦蟇戦争に敗れて敗走の途上家の石段下で息絶えてしまいました。私は庭のシャガの茂みに穴を掘って埋めてあげて墓標塔に弥勒如来を置きました。屹度啓蟄で蝦蟇君が生きていたならソロソロ姿を見せる季節です。もう蝦蟇君は居ないので楽しみも減ってしまいました。
3月7日は高校の仲間と定例の麻雀会でした。野鳥好きな友人に「昨日は啓蟄だったね!」挨拶すると、「昨日は残念な事が遭ったのだ」、悲しげな顔をしています。訊けば『天気が良くて爽快なので、3羽飼っている雲雀を庭先に出して、日光浴させながら自分はお隣との境に植えてある木香薔薇の手入れをしていたそうです。雲雀の籠でばたばた音がしたのだが、木香薔薇の棘が邪魔して振り向けないで居たのだそうです。木香薔薇の伐採を終えて雲雀籠に戻ってみると、一羽の雲雀が血を吹いて死んでいたのだそうです。
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此れがイタチです。鋭い犬歯が在る事病原菌の中間宿主なので要注意生物ですが、鼠の天敵なので益獣の側面もあります。写真出典ウィキぺディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%81#/media/File:Mustela_itatsi201602-02.jpg
友人も私もイタチの仕業であろうと、判断は一致しました。私は子供の時に鶏の面倒を見るのが役割でした。戸塚の大坂に製粉所があって、製粉所に小麦やお米を運んで脱穀製粉して貰いました。製粉所は副業でヒヨコや兎を販売していました。脱穀の作業を見飽きると私はヒヨコを視て居ました。気に入ったヒヨコを買って貰って物置の脇に建っていた鶏小屋に入れて育てました。鶏の天敵はイタチでした。イタチは獰猛な小動物で、鶏の頸動脈を噛み切って血を吸います。肉を食べるのではないのです。イタチの仕業で辺り一面に血が飛ぶので「板血」と呼んだのと思います。
一方イタチの天敵は青大将です。イタチ除けに「あわびの殻」を金網にぶら下げて置きました。屹度イタチはキラキラ光るあわびの殻を蛇の眼と思って近寄らないのでした。また総じて小動物は嗅覚が鋭いので、生焼けの木や灰を鶏小屋に播いておくと鶏は健康に育つし、天敵除けになりました。昨今のペットショップに行くと「木酢液」として牛乳瓶一杯で500円くらいで販売されています。
立春が過ぎても寒の戻りがあるように啓蟄が過ぎた途端に寒波が押し寄せて来ました。北帰行の予定の鴨も白鳥も旅立ちを躊躇していることでしょう。新宿御苑のモグラも出した頭を引っ込めたかもしれません。
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イラスト出典:無料イラストhttp://publicdomainq.net/talpidae-fertile-shoots-0004615/
「啓蟄も過ぎたのに!」嘆いている生物を見つけに庭を視て廻りました。百舌の生贄と思われる干乾びた「家守」が石段に落ちて居ました。昨秋は冷え込みが早かったので百舌はセッセとハンティングして梅の梢に干しておいたのでしょう。でも食べない中に暖かくなったので梅の花芽が早贄(ハヤにエ)を押し落したのでしょう。
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これは我家の石段に落下していた百舌の早贄の「家守」です。
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この梅の木に百舌が早贄していたモノが食べない中に梅の蕾が膨らんだので地上に落下したモノでしょう。そのうちに烏か蟻が掃除してくれるでしょう。
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梅の木の根元には今年も紫陽花の花芽が吹いて、その下ではカタツムリが未だ眠っていました。
生贄のあった梅の木の樹下には紫陽花が花芽をつけていました。冬の間から紫陽花の落葉の間にカタツムリが転がっています。カタツムリは紫陽花の葉っぱを舐めて、その近くの椎茸も舐めます。椎茸を育てている私にはカタツムリも天敵です。でも、カタツムリも亀もスローライフで私の先生です。
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庭の椎茸です。生シイタケは焼いて、生醤油をかけて食べるのは季節の味覚です。椎茸は春先と初秋二度なります。このホダ木でも3年もすれば土に還ってしまいます。椎茸など菌類は有機物を土に還すのです。昨日書いた「蝋燭苔(地衣類)」も同じです。
今年は美味そうに膨らみ始めた椎茸、下の段の椎茸はもう、ゾウリムシが喰い始めました。カタツムリに狙われない中に採って食べてしまいましょう。

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「北帰行」の季節です

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3月6日テレビのニュースで『鹿児島出水市のナベヅルの北帰行がピークを迎えた』報じていました。シベリアのツンドラは屹度食べ物が豊富で子育てもし易いのでしょう。鹿児島はシベリアよりも過しやすくても毎日毎日「落穂拾い」ではやりきれないのでしょう。
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「ナベツルの北帰行もピークを迎えた」報じる朝日新聞写真出典朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/topics/word/%E8%B6%8A%E5%86%AC%E5%9C%B0.html
子育ての為には良質の蛋白やカルシウムが必要なのは人間にも鶴にも共通する事でしょう。屹度シベリアにはそんな食べ物が豊富なので、ナベツルは遠路遥々旅をしているのでしょう。我家の庭に来てい建尉鶲(ジョウビタキ)も同じです。冬の間だけ我庭を賑わせてもうじきバイカル湖に渡ります。
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此れは尉鶲(ジョウビタキ)の雄です。雄の頭の羽が白いので尉の字が付きました。鳴き声が火打石を打つような音に似ているので「鶲」の字が付きました。
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此方はジョウビタキの雌です。冬日本で越冬して写真の様に木の実を食べますが空中で子虫を捕食します。鶴と同じように子育ての為にはシベリアが最適で、避寒地として日本に渡って来るのです。
もう今年の冬はもう終い、「尉鶲ともお別れだ」と思って食べ尽くされた南天の樹や「ヒヨドリ上戸」の枯れた蔓を視ていたら、庭先を大きな鳥が掠めて行きました。ん「何が来たかな?」眼で追えば鶯葛の木に止りました。咲き始めた鶯葛の花を啄んでいます。ツバキや木瓜の花の方が腹を満たすのに十分なのに。思ってカメラをガラス戸越しに構えてシャッターを押すと私の気配に気づいて飛び去りました。
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漸く咲き出した庭の「鶯葛」の木に止って花を啄む「ヒヨドリ」。「ヒヨドリ自体は「隣のトトロ」風の胸の羽毛が可愛いのですが、シベリアと日本を渡る鶴や雁や尉鶲に較べると愛情も濃くなりません。桜が咲けば桜を食べるし大食漢は可愛気がありません。
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此方はスモモの木に止って膨らみ始めた花芽を食べようとして私の様子を警戒しているヒヨドリ。
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此方は小さくても獰猛な百舌です。百舌は鳴き真似が上手なので「百舌」というのだそうです。今年ももうじき百舌ともお別れです。
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また尉鶲が来たと思って観察していたら、尉鶲より一回り大きい「山雀/やまがら」のようです。山雀は御神籤を運んでくる幸運の鳥です。絶滅亜種に指定されている貴重種です。暫くプランターに止って枯葉の下の子虫を探していましたが。特に食べ物が無いと諦めたのか飛んで行ってしまいました。幸運な鳥の代表と云えば「鷽/うそ」ですが一時は群れを為して庭先に来てくれた事も在ったのですが最近は姿を見せてくれません。
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此方は青木(だるま)の枝に止った山雀
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此方は鶯葛の枝に止った四十雀。矢張り雀の仲間は可愛いモノです。
最近は四十雀は未だしも鷽も山雀も来なくなってしまいました。原因はヒヨドリや烏に「尾長」等大型中型の野鳥が増えた事です。特に悪いのは尾長のような気がします。カケスに似た尾長は蛇も襲う獰猛な中型鳥で「ギャー・ギャー」無気味な鳴き声を発します。横浜の住環境が合っているのか急速に数を増やしています。雀の仲間は怖くて近寄れなくなったように思います。冬鳥が北帰行すれば代わって夏鳥や山鳥が里に下りて来ます。季節を楽しむ事は野鳥を楽しむ事でもあります。
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我家のアンテナに止って我物顔の尾長、可愛いい雀を追い落とす。憎らしい野鳥です。
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此れはアンテナから降りて竹の先に止った尾長です。尾長は九品仏にも急増しているし。
尾長は生態家を脅かす存在だと思います。姿が良いので甘く観ていると危険だと思います。農研機構の研究ではヒヨドリやムクドリや鳩等の害鳥対策として尾長の「警戒鳴き声」や「遭難鳴き声」を使って追っ払う事を研究しています。http://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/3010014568。あの鳩やムクドリが怖がって逃げるのですから小さな雀が怖がるのは当然です。自然は人間の期待通りには行かないものです。常軌を失して急増した尾長のマイナス側面が気になります。
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此れは農研機構の尾長の啼き声を使って害鳥追い払いの効果を調べた結果。
尾長の啼き声は間でさえ嫌な声です。まして小さな尉鶲や山雀は尾長の警戒声や警告声がしたら遠くに逃げてしまう事でしょう。希少種として指定するだけでなく、天敵になる鳥や獣の駆除をして、小さな山野鳥が好む環境を作ってあげなくてはなりません。北帰行してしまえば、日本の湿地は寂しくなってしまいます。今年は未だ鴫も観ていません。せめて今春荘川を岐阜から富山に列島横断する計画です、荘川は白鳥や鴨の飛来池です。冬鳥のバードウオッチングを楽しみにしましょう。




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大相撲春場所が始まるというのに

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平昌オリンピックは日本人選手の活躍も在ったし、夫々の選手の人生を掛けた戦いを観る想いがして感銘深いモノがありました。オリンピックの後はパラリンピックに大相撲春場所が始まります。その後には高校野球も準備されているし、スポーツ観戦好きの私にとっては美味く出来すぎて居ます。こんなにうまく出来すぎて居る時には何か「興醒め」が起きるモノです。懸念していたら、横綱が三人揃って欠場する懸念があるとの事です。「土俵に上がって負ければ引退」、欠場したら引退では休んで身体を万全にする他ありません。
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大相撲春場所興業に先立って難波の鎮守住吉大社に奉納土俵入りをする鶴竜。写真は読売テレビ
『こんなことになるのなら、日馬富士を引きとめて置けば良かった。』
相撲協会も日馬富士の引退が本望でなかっただけに「ホゾを咬む思い」で居る事でしょう。自ずと非難の矛先は「貴乃花親方」に向かいます。貴乃花親方は『不祥事が止まらないことを理由に協会の改革』を主張します。
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マスコミは総じて、相撲をつまらなくしてしまった責任を貴乃花親方の度量の狭さをに糾弾する傾向にあります。
でも現状貴乃花親方が「協会改革」の外洋を説明しないので、世論は貴乃花親方の私争と思っています。貴乃花親方の初期対応のまずさが『止めなくても良かった日馬富士が引退に追い込まれた』思っています。
現在相撲協会が議論しなくていけない問題は単純です。
第一に「女性問題」です。相撲は神事だから、女性は土俵に上がれないと云った慣習です。「相撲は神事だからラ女性は土俵に上がれない」事になっています。でも、桟敷席で観ているお客さんの過半は女性ですし、理事会の議長も現在は女性です。以前は横審の議長も女性で、朝青龍が怖がっていました。何時までも『女性は土俵に上がれない』主張するのは時代錯誤です。修験道では無いのですから。それに、神事として営まれている「鎮守の祭りの奉納相撲大会」で女の子が男の子を投げ飛ばしています。「女性が穢れているから土俵に上がれない」本当に思っているのなら、靖国神社や伊勢神宮の内陣に女性は上れないことになります。ところが総じて日本の神様は女性が好きですし。女性の神様の方が上位に在るのです。
第二は「国際化」の問題です。現状の大相撲が日本力士だけであれば、面白くありません。世界中のお相撲さんが同じ裸になって、力比べ、技較べをするので面白いのです。
貴乃花親方の口吻は「相撲の国際化」に逆行していて、モンゴル人力士の排斥に向いている懸念があります。大相撲を『日本の伝統の中で産まれた国際的なスポーツ』の方向にベクトルを定めない限り、貴乃花親方の主張は私憤に映ってしまい、世論を味方に出来そうもありません。
相撲の国際化の前例は柔道があるだけに。如何すれば良いか?は意外に簡単です。キーワードは①に様式美、②は「シンプルな規則」です、③に「公平公正」です。貴乃花部屋の後援会には視野の広い方も多いでしょうから、朝青龍に続いて日馬富士を失った相撲協会の行く末を適切に導く事でしょう。日馬富士の引退勧告は国際感覚とは大きなズレがあります。屹度世界中の人には極東の島国根性と映っていることでしょう。
その意味で1月場所でジョージア出身の「栃の心/レヴァニ・ゴルガゼ(グルジア語表記:ლევან გორგაძე)。が優勝した事は有意義でした。バルトや琴欧洲が引退した現在、国際化の為には欧州出身力士に活躍してほしいのです。
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此方は糸魚川にある奴奈川姫と建御名方命(童子)の銅像建御名方命は諏訪大社の神様で大国主は大和朝廷に戦わずして和睦、鉄器を有していた諏訪一族も大和朝廷に和睦させました。日本の古代は戦争は稀でお相撲によって勝敗を競うか婚姻によって連立の道を辿りました。
相撲は先史時代からズット地域代表者の格闘技でした
相撲が最初に登場するのは古事記です。大和朝廷は葦原中国平定の件で「建御雷神(タケミカヅチ)」を派遣して出雲を平定しようとします。建御雷神は出雲で出雲軍を威圧して戦わずして平定します。建御雷神は出雲平定に続いて諏訪平定に向かいます。諏訪は鉄器を有していましたし、出雲も鉄製の兵器を持っていましたから戦争になれば両軍大きな傷を負った事でしょう。建御雷神は諏訪の英雄建御名方神と対峙します。出雲と諏訪が戦ったら両軍大きな損失を被った事でしょう。
「出雲と諏訪を代表して建御雷神と建御名方神が相撲を取ることになります。、「私は力比べをしたい」と言う建御名方神は氷柱の様な腕を摑んで投げよう(上手投げ)とします。処がまた氷柱から剣(つるぎ)に代えようとしたので技をかけ損ねてしまいます。逆に建御雷神は建御名方神の手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあります。(古事記)これが相撲の起源とされています。
大和朝廷は未だ青銅器文化の時代、鉄器に優れた出雲が平和主義で居なかったら、大和朝廷は無く、出雲が都になっていたかもしれません。諏訪も大和朝廷に抵抗したならば大戦争になっていたことでしょう。
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平安時代の相撲節会の図出典日本相撲協会http://www.sumo.or.jp/IrohaKnowledge/sumo_history/
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「野見宿禰と當麻蹶速対戦の図」図の出典日本相撲協会(上記)
奈良時代には内裏で「相撲節会」が開かれました。宮中の年中行事。騎射(弓と競馬と並んで「三度節」と云われましたが相撲だけが現代に引き継がれています。有名な野見宿禰(のみのすくね/出雲代表)が当麻蹴速(たいまのけはや/葛城代表)に勝って垂仁天皇から葛城の所領を下賜されます。
江戸時代には神社の興業としてお相撲は一層盛んになります。
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歌川国輝(二代)画「勧進大相撲土俵入之図」慶応2年(1866)図の出典上記日本相撲協会
藩は自国の代表として相撲取りを抱えて藩の名誉を掛けて戦わせました。
有名な雷電は信濃松代藩のお抱えでした。
今も「御岳海」は信濃人にとって大人気なのは信濃の代表だからです。
開催時期は田植えも終わった7月でした。
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此れは雷電の手形です撮影場所小田原の飯縄観音
相撲が面白いのはルールが単純だからです。相手を土俵の外に押し出すか、土に付ければ勝ちです。世界中の格闘技の中でこんなに単純な競技は他に在りません、オリンピックで百m競争が一番人気であるのと同じです。
単純なのは土俵にもあります。私は土俵上のお相撲さんを観る度に地鎮祭を想い起します。地鎮祭は四隅に笹竹を建てて注連縄を張ります。其処がこれから建物を建築する聖なる土地で土地の神を浄め承認を求める祭事です。中央には砂盛ヲします。先秋に鰺ヶ沢の相撲会館を見学しました会館の中央に本格的な土俵が築かれていて、砂盛には赤白の幣が建てられていました。地鎮祭のそれと全く同じでした。土俵の奥に大型スクリーンが据えられていて、鰺ヶ沢のヒーロー「舞の海」の20番勝負が放映されていて、お年寄りが飽きずに声援していました。
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此れが鰺ヶ沢の相撲会館に作られた土俵です。お年寄りが簀子に腰掛けて鰺ヶ沢のヒーロー舞の海のDVDを観ながら大声援をしていました。
何のことは無い土俵は三宝の上に俵を丸く敷いて出来て居ました。三宝とは神様にお神酒や食事を奉げる卓です。要するにお相撲は神様に喜んでもらう芸能(神楽)の様なモノでした。
各藩の代表が藩の名誉を掛けて戦った江戸時代にお相撲の繁栄の基礎が築かれました。現代はグローバル時代、世界中の国が民族の名誉を掛けてガチンコで戦えばこれからの大相撲は島国日本から、グローバルスポーツ「SUМОU」になると確信するのです。春場所直前になって貴乃花親方は内閣府に告訴状を提出しました。
高の部屋部屋のホームページに告訴状全文が載っています。(http://takanohana.net/message/)精読しても親方のベクトルの『見当はずれ』が気になります。大半の相撲ファンには現執行部に対する反発ばかりが目について「改革」のニュアンスが無い事です。
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此れは貴乃花部屋のHPの「親方夫人のファイルに在った、新入幕の貴景勝の成人のお祓いに、富岡八幡宮に行った時の写真。部屋の家族の様な空気を良く示しています。
貴乃花部屋のHPを読むと若い入門者を育てる自覚に満ちています。いる「良い部屋」ですから、日馬富士の暴行は許せなかったのでしょうが、協会理事長の席が関係してくると、突然キナ臭くなってしまいます。ファンはもう親方同士の確執は見たくありません。早期に終結して、相撲に集中させてほしいモノです。

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