「チャングムの誓い」「イ・サン」と韓国歴史ドラマを見ていて、女性の立ち居振る舞いの美しさに見入りました。
立ち姿はすっきりと、高松塚古墳の女性群像のような優雅さです。
そして、座ると、胡坐をかきます。
でも、脚はチマチョゴリの裳(スカート)に隠れてしまいます。
その動作の中で、右脚は立ち膝姿になる事があります。
正座と立座の中間動作のような姿です。
ああ、この姿は「半跏思惟像」、如意輪観音さんの姿だなあ・・・・思い出します。
和服なら太股が丸出しであられもない姿ですが、チマチョゴリだから美しい姿になるのだな・・・・思いました。
(胡坐座と立ち膝姿はチマチョゴリだから可能な姿です。チャングムの誓いHPから転載)
弘法大師空海が中国から持ち帰った仏像が歓心寺の如意輪観音像と言われています。
それより前から中宮寺や広隆寺には半跏思惟像があって、一般には弥勒菩薩と呼ばれています。
いずれも、右膝を立てて、右手で頬杖をついて座っています。
右手を頬にあて物思いに耽る姿は如何にも物憂げです。
菩薩が「・・・でも現実がある、どうしたら人々を苦しみから救済できるだろうか?」
菩薩が「・・・でも現実がある、どうしたら人々を苦しみから救済できるだろうか?」
考えていられる姿である・・・・と説明されてきました。
(河内歓心寺の如意輪観音像/国宝、近畿大画像ファイルから)
石仏巡りをしていますと、一番多く目に付くのがお地蔵様です。
墓標塔の場合、子供を弔った場合は間違いなくお地蔵様です。
そして次に目に付くのが如意輪観音像です。
その大半が成人女性です。
出家した尼さんも、在家でお百姓のおかみさんも如意輪観音さんが墓標になっています。
(没年もお名前/珍しく童女 も明記された墓標仏、玉縄で・・・・)
鎌倉時代以降、亡くなった人の墓標に五輪塔が使われました。
「死んだら自然界の元素に戻るんだ・・・・でも、生きた証をこの地上に残しておきたい・・・」
そんな想いが、石を積んで五輪にしたのでしょう。
でも、大半の人は墓標も無く、土饅頭に埋められて、その上に卒塔婆が立てられました。
卒塔婆が腐って無くなる頃、遺体は骨だけになったのでしょう。
元禄時代頃まで時代が下ると、墓標も様々な姿に変わりました。
お坊さんは卵塔に、武家は宝篋印塔に、庶民は角塔や仏像を選びました。
石仏を選んだ場合、その仏が死者を守って冥土に送ってくれる・・・そんな期待もあったでしょう。
亡くなった人の生前の信仰もあったでしょう。
そして、何よりも死んだ人の面影を宿してくれる仏像が選ばれたように思います。
(葉山の山口 新善光寺、 椿の樹下の如意輪観音像)
亡くなった人が優しい人で、いつも口数少なく、思慮深かった。
何かの重圧に耐えながらも、子供たちの幸福の為に必死であった・・・・・、
そんな江戸時代の女性の姿に一番似ていたのは半跏思惟の姿の如意輪観音だったのでしょう。
如意輪観音は本来六臂像ですが、6本も手があっては異様です。
そこで二臂像にしました。
そうおもうと、韓国歴史ドラマのヒロインは如意輪観音が似合いそうです。
加えて、江戸時代に入ると宗教界にフィクサーが出現します。
十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜に、「講中」に信者が集ってお月様を拝み、お経を読んで、悪霊などを追い払います。「月待ち講」と呼びます。
勿論、飲食を共にして、悩みを語り、お喋りを楽しみます。
女性にとって一番の人気が「二十三夜講」、次いで「十九夜講」でした。
二十三夜講の主尊は勢至菩薩で、十九夜講の主尊仏は如意輪観音様である・・・喧伝したのでした。
子供が欲しい、安産でありたい、お乳が出て欲しい、立派な跡取りに成長して欲しい・・・、
女性だからこそ深い祈願を聞いて下さるのが如意輪観音でした。
「産後のひだちが悪くて、亡くなった・・・・」
必ず、如意輪観音様が納められた事でしょう。
(十九夜講の記念塔として奉納された如意輪観音、本来の本来六臂像です)
こんな事も重なって成人女性の墓標には多くが如意輪観音が刻まれたのでしょう。
石仏の背中には女性だからこその「優しさ」「悲しさ」が宿されています。
姿が美しい事が如意輪観音の魅力です。
浄智寺の方丈の裏は竹林です。
私達は、竹林の傍を通り抜けて、鎌倉七福神の布袋様に詣でます。
竹林の脇は大岩がせりだしています。
その岩に櫓が掘られています。
櫓には二体に如意輪観音が仲良く並んでします。
その美しさに、驚いて立ち止まります。
(竹林の向こうに櫓あって、中には二基の如意輪観音像が並んでいます)
(上記の右側如意輪観音像、林月妙吟禅定尼(戒名)元禄15年と記されています)
家内に咎められます。
「貴方は墓地に入っては如意輪観音を見詰めてばかりいる。貴方は背中に誰かをおぶっているのと違う?」
と。
でも、「チマチョゴリ」の美しさは家内も認めていて、一緒に韓国歴史ドラマを見詰めています。
(玉縄玉縄の如意輪観音、享保年間の墓標仏です)
(同じく玉縄の如意輪観音、光背には過去帳程の住所、名、没年が記されています。墓標塔に合掌。)
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