昨日は吹き降りで,春雷も聞こえるか?思いました。
私は連合町内会の総会でした。
屋根に響く雨音に「今日の遊行寺の放生会どうなっただろうか?明日に順延したら・・・見に行けるので良いのに・・・!」思いながら議長を務めました。
連合会長も辞任出来たので、これからは毎週曜日が事由になります。
これからは、日本文化研究会(毎週土曜日)にも参加できますので、嬉しい事です。
日文研の皆様、久々の復帰です。よろしくお願いします。
今日の話題「花水川」流域の双体道祖神
このブログで最近道祖神を記事にしているのは、私の発表が「双体道祖神の宗教社会的考察」と題して6月4日に予定されているので、道祖神が頭を離れないからでしょう。
(2時30分から慶応日吉キャンパス来往者中会議室)
花水川の上流、金目川、「金目薬師」の風景、手前薬師橋
平塚の西、大磯との境に小河川が流れています。
名前は「花水川」、鼻水なら汚いのですが、
「花が水に浮かぶ川」「花筏の美しい川」と美しいイメージが膨らみます。
イメージ通りの美しい河川です。加えて万葉の時代からの歴史に富んだ小河川です。
花水川の上流の名は「金目川」です。
丹沢と大山の山峡から流れ出します。渋田川と合流して、相模湾に流れ出すまで2.5キロの間を花水川と呼びます。
この辺り一帯を花水と呼んでいたのでした。(万葉仮名で「波奈美頭」)
川の西側に丸い「高麗山」があります。
鎌倉時代には高麗山一帯は桜の名所であったそうです。
源頼朝も花見に出かけました。
ところが前夜半に春の嵐が吹いて、せっかくやってきたのに花は散っていました。
そこで「花見ず川」と呼ばれるようになったそうです。
万葉時代が正しいのか、鎌倉時代の言い伝えが正しいのか解りませんが、
美しいところである事は間違いありません。
高麗山
もう、高来神社の桜も散ってしまいました。
私は桜を惜しんで高麗山の裏、湘南平に登って周囲を見ることにしました。
此処は小学校の遠足の場所、私も来た筈ですが、景色の記憶はありません。
登山道は桜並木です。
来年は桜の咲いた季節にやって来よう、心に決めながら徐々に登ると、景色も開けてきます。
山頂に展望台があって、その上に上れば360度の展望が開けています。
眼下に開けた相模湾、江ノ島辺りはかすんで見えます。
その先に鎌倉、三浦半島が続いている筈です。
目を右に向ければ箱根から伊豆の山並みが続いています。
背を見れば丹沢から大山の山並みが屏風のように続きます。
その上に富士山が望めるはずですが、これもかすんで見えません。
湘南平から伊豆方面を望む
近景に目を移せば高麗山の向こうに大磯漁港が見えますし、松林が続いて吉田屋敷、プリンスホテルから国府津に続いています。
あの辺りに島崎藤村宅があったはずだな・・・見つけられる筈はありません。
小さな平屋建てなのですから。
大磯の町並み、手前の戸建住宅群の中に島崎藤村の宅があります
文豪としての地位も名声も確立した島崎藤村が何故温暖な湘南に転居したのか・・・?
昔から不思議に思っていました。
大磯の長所は避寒地である事、魚も野菜も美味しい事・・・、景色が良い事・・・、歴史がある事・・・・、様々あげられますが・・・木曾の印象の濃い島崎藤村には相応しくないような気がしていました。
でも、此処湘南平に登ると背中は山また山で、馬籠にも似た景色のようです。
時折、湘南平に登って、富士山の左の方を見詰めて、木曾に想いを馳せていたのでしょう。また、その翌日は大磯駅から品川駅に出て、白金の明治学院大学に向った事でしょう。
住宅開発の進む大磯辺り
身近な湘南平ですが、今は人気も無い様で、今日は展望レストランも休業です。
私が遠足で来た頃には、賑わっていたのでしたが。
湘南平からの大磯方面を望む