紫陽花の綺麗な季節です。
我が家にも、数本の紫陽花が咲いています。
生花に切って花瓶にさせば、長く咲いています。
玄関に、仏間に爽やかな空間を作ってくれています。
(明月院の紫陽花、明月院ブルーが色濃くなり始めました。全写真、明月院で撮影しました)
紫陽花と言えば、明月院。
今年は如何かな?
雨の降る6月13日、出かけてみました。
驚いた事に、境内入り口から長蛇の行列です。
驚いて帰宅、翌14日開門の8時半前に出かけました。
(明月院 方丈への参道。鎌倉石を積んだ石段が優しい)
紫陽花は字の如く、赤紫のイメージですが、明月院の姫紫陽花は、水色です。
水色は涙色、悲しみに耐える色でしょうか?
明月院が女性に人気なのは、きっとこの水色が癒してくれるからでしょう。
たまの雨の日曜日、鎌倉を詣でて、心を洗い流してスッキリして帰る事でしょう。
そして、紫の紫陽花を見ていると不思議に明るい気持ちになれます。
紫陽花は日本原産の植物です。
シーボルトはオランダ商館の医師として、長崎に赴任します。
27歳の血気盛んな青年でした。
鳴滝塾を起し、日本青年に西洋医術を講義します。
そんな青年を17歳の少女が面倒を見ます。
名前は「お滝」さん。
シーボルトは紫陽花に魅せられます。
何枚も植物画を描き、科学者の目で、紫陽花の美しさを紙上に表します。
故郷に紫陽花を持ち帰ります。
そして「滝さんの花」と言う学名をつけます。
屹度、雨に濡れて咲く紫陽花の美しさ、強さにが「お滝さん」を見たことでしょう。
二人の間に娘が生まれます。
名前は「稲」、後年「楠本イネ」、日本最初の女医になります。
(細道を抜けると、露で濡れてしまいました)
シーボルト事件によって強制退去されたシーボルトは全財産をお滝さんに残し、去ります。
そして、明治維新を経て、35年後に再来日致します。
シーボルトは、心底お滝さんを愛していたのでした。
で、女性が紫陽花が好きなのは、屹度そんな「愛」に思いを託しているからでしょうか・・・・。
だとすれば・・・紫陽花の花言葉「七変化」「移り気」は不適当かもしれません。
紫陽花は昨夜来の雨に濡れています。
木漏れ日が紫陽花に陰影を下ろしています。
足元の石段も丸味をあって、やさしげです。
渓流が流れ、紫陽花の香が境内を包んでいます。
現代人は、しばし、明月院の静寂に癒されて、活気を回復します。
そして、又明日から喧騒の都会で働きに出陣します。
(此方も日本女性の美しさを象徴する、川原なでしこの花)
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