また「竹の話」をさせていただきます。
日本の竹の物語なら「かぐや姫」でしょう。
そして中国なら「孟宗の孝行話」でしょう。
元の時代に”郭居業”(かくきょぎょう)と言う人が24人の孝行者の話を纏めました。
孝行話は日本に伝わり、24の話のうち幾つかは、鎌倉時代の今昔物語、その後の御伽草子に採録されました。
最も日本人に人気を博したのは「孟宗の孝行話」だったのでしょう。
神社の欄間や唐戸や脇障子の彫刻、お神輿の装飾彫刻に”孟宗の孝行”は取り上げられています。
大船龍宝寺の孟宗竹の筍。旬が来ると朝取り筍を本堂前に並べてくれます。(持ち帰り自由)
中国、三国時代の話でした。
名は孟宗と言う青年が居ました。
小さいときに父に死に別れ、母と二人暮らしでした。
母が老いて、病気勝ちでいました。
病気が進行して、もう先が知れている・・・・、そんな状態になりました。
冬が来て、雪が積もって・・・・・、ひもじい季節になりました。
老母が話します。
「私は筍のなますが食べたい・・・」
孝行者の孟宗ですが、筍は春まで待たなくてはなりません。
でも、雪の中を出かけてゆきます。
朧月夜の竹林を彷徨います。
真冬に筍が見つかるわけが在りません。
でも、母親に筍を食べさせてあげたい、一心でした。
そこで孟宗は竹に抱きついて大声を上げて泣きました。
でも、母親に筍を食べさせてあげたい、一心でした。
そこで孟宗は竹に抱きついて大声を上げて泣きました。
孝行者の一心に天地も動じたのでしょうか?
孟宗の目の前の地面から筍がいくつも生えて出たのでした。
孟宗は筍を戴いて走って戻りました。
孟宗は筍を戴いて走って戻りました。
筍を煮てなますを作りました。
母親は涙を流してなますを食べました。
病気も奇蹟的に快方に向かいました。
病気も奇蹟的に快方に向かいました。
この孝行話から、竹の名を「孟宗竹」と呼ぶようになりました。
日本でも中国でも竹は精霊の宿る植物なのです。
だから、門松、精霊だな、地鎮祭等には竹は欠かせません。
股に刻まれた「竹に泣き、筍を生じる図」 南禅寺襖絵(重文)、祇園祭り山車をはじめ多くがこの図です。
孟宗竹は冬には芽を出さない・・・・、思っていました。
ところが、孟宗竹の筍を見つけました。
場所は鎌倉山之内の浄智寺の裏です。
先日「狸のお墓がある」と報告した場所、其処から10m程山に入った場所です。
まるで、狸が化かしたようです。
狸の前一帯が竹林でした。その奥半分が伐採されました。
そこから筍が出てきました。これは狸の仕業かしら?
其処はこの夏までは孟宗竹の林でした。
ところが大半の竹を伐採したのでした。
竹林を狭めて、その場所を墓地拡幅する事でしょう。
孟宗竹は丸坊主、露地がになってしまいました。
ところが、其処から一本、二本と筍が顔を出しています。
流石に春の筍に比べたら痩せ細っていますが、れっきとした筍です。
櫓の前に大小二本の筍が出ていました。
竹林は秋になって伐採されたので、慌てて種の保存に精を出したのでしょう。
筍を芽吹かせました。
”此処は私達孟宗竹の居場所なの・・・・!お墓になどしないでおいて・・・・!」
訴えているようです。
櫓の前が竹林でした。手前半分が伐採されました。今まで日陰にあった石仏に陽が当たる様になりました。
竹林背後の櫓に眠る梅貞妙春信女さん。江戸時代前期(貞亨5年1668)に亡くなられました。
もうじき、浄智寺は梅の香で満ちるでしょう。
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