8月1日は横浜花火大会が催されました。
鎌倉の打ち上げ花火に味をしめて・・・、出かける事にしました。
インターネットで、見物スポットを調べます。
何処も「大黒埠頭」「山下埠頭」「像の鼻パーク」等を推奨しています。
打ち上げ場所は横浜・みなとみらい(MM21地区)臨港パークの沖合です。
臨港パークは椅子席が6000円、芝生席は2000円だそうです。
船に乗れば4000円・・・・・・、何れも当日では取れないでしょうし・・・・・、
横浜らしい所から眺めたい・・・・、と思って山下公園に出かけました。
夕焼けが近い山下公園。薔薇の向こうが氷川丸です。
私が大学生になった頃、ヨーロッパに行こうとすると多くの人が横浜大桟橋から出かけました。
出国手続きが済んだら、船でウラジオストックにわたり、シベリア鉄道でロシアを横断します。
私は何度か友人を見送りました。
そのあと、見送った友達と山下公園を歩き、中華街で食事をしたものでした。
当時の山下公園には貨物の線路が残っていました。
山下埠頭の倉庫群と国鉄とを繋ぐ線路でした。
当時は公園と言っても芝生があるだけで、何もありませんでした。
ただ、横浜港に面していることだけが魅力でした。
夕焼け時のMM21街区。この日は大型客船が3隻も大桟橋(右側)に接岸していました。
大正12年(1923)関東大震災で横浜の町は壊滅してしまいます。
沢山の瓦礫を撤去することが、復興対策の第一ステップでした。
そこで、横浜市は瓦礫を使って大桟橋と山下埠頭の間、1㎞に渡って埋め立てをします。
そうして出来たのが山下公園でした。
山下公園は今も昔も横浜観光の拠点であり、市民の憩いのスポットです。
右端が氷川丸、花火の打ち上げを待ちます。
いよいよ花火が始まりました。
40年ぶりで入った山下公園です。
バラ園もあれば幾つものモニュメントが立っています。
随分綺麗になりました。
氷川丸が係留されています。
「氷川丸」は戦争を耐え抜いた日本郵船の主力貨客船でした。
終戦を迎えると、戦地から沢山の兵隊さんを故国に運びました。
辛うじて帰還した兵隊さんにとっても、出迎える家族にとっても氷川丸はかけがいの無い船でした。
引き上げ船としての役割を終えると日本郵船の国際線で活躍し、1960年に除籍されました。
山下公園に接岸され、見学やユースホステルに利用されます。
近年は暫く利用されていませんでしたが、
2008年船体の修繕、内装の改装を終え一般公開し始めたようです。
私は懐かしく、氷川丸を眺めます。
今日の花火大会、出来れば氷川丸の船上から見たいものです。
でも、夜になると見学者の受け入れは行っていません。
残念なことです。
臨港パークのいす席が6000円ですから、氷川丸ならもっと価値があるでしょう。
MM21の高層ビルを背景に花火が見える・・・・・、そんなロケーションですから。
屹度大きな船なので、花火見物客の安全対策が出来ないのでしょう。
大型客船の上に打ち上げられた花火
大桟橋には大型客船が3隻も接岸していました。外国人観光客も見上げている事でしょう。
夕暮れが訪れました。
夕焼けが見えたと思ったら・・・・、ビル群に灯がともり・・・・、7時15分打ち上げ花火が始まります。
公園に集まった見物客から拍手が湧き起ります。
この日は水曜日、会社帰りのOL,サラリーマンもいますが・・・・、大半が花火見物の服装です。
勿論浴衣姿も多く見られます。
缶ビール片手に、から揚げを食べている人も目立ちます。
私も手術が無かったら・・・・・、缶ビールと焼売餃子を楽しんでいたことでしょう。
一際派手に花火を連続して打ち上げます。
これが、終了の合図です。
8時半、綺麗だった花火は終了です。
山下公園の集まったお客さんは関内駅や中華街に向けて歩き出します。
見上げれば東の空に大きなお月様が出ていました。
”横浜の町も大人になった” 感じます。
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