12月3日、今日は早めに動いているので、昼食後に予定していた喫茶を前倒しにすることにしました。
喫茶店は耶馬渓町平田にある「木精座」です。
何故、其処を選んだのか?
それは、廃校になってしまった木造校舎を小学校を利用している・・・・、ネットに載っていたからです。
山国川は総じて流れが激しく、谷合を流れていますが、
平田はその名の通り平地が開けて、田圃が目立ちます。
其処に、近在から子供を集めた大きな小学校があったのでした。
学校の名は「城井小学校」でした。
昭和40年、廃校になってしまいました。
戦後の城井小学校校舎
中段の写真、中央が城井小学校の職員室。昭和40年まで使用されました。
(出典城井小学校周年誌)
木精座は城井小学校の職員室の跡地利用です。店主の上西さんは二階にお住まいです。
10時半、「お約束より大分早いのですが、コーヒーを戴けますか?」
尋ねると、店主の上西賢子(よしこ)さんは、
「未だお化粧もしていないのですが・・・・、待ってて下さいよ!」
言いながら、快く迎え入れてくださいました。
このお店の開店は午後からなのです。
早速に薪ストーブに火を入れます。
そして、
「電話で窺がったところ、皆さんは歴史に興味がおありでしたので、
城井(きい)小学校のアルバムを用意しておきました。」
言われながら、周年記念アルバムを2冊お見せ戴きました。
『学校は写真のように大きかったのです。
木精座の使っている建物はその職員室でした。
此処だけが二階建てでした。
廃校になってしばらく放置され、イザ取り壊し…、という段になって・・・・、
私が”待った”を掛けたのでした。
”私が此処の1階で喫茶店をする・・・、二階は私が住みこむ・・・・、
だから、城井小学校の校舎を残してほしい”。
私の提言が受け入れられて、職員室だけが取り残されました。
以来、木精座はかれこれ30年の歴史があるんです。』
木精座の入口では木像(ゴマスリン)が出迎えてくれます。この像も地域の仲間が作ったものです。
ピアノを挟んでスピーカーと真空管アンプ、これも仲間が持ち寄ったものだそうです。
職員室の入口には大きな木像があります。
室内には木工品や陶器、玩具が並んでいます。
真空管方式の古くて大きなアンプがあって、歌舞伎絵(凧絵)が描かれたスピーカーが置かれています。
聞けば、地域の人達が面白がって、あれがある、これは使わなくなった…、
言いながら持ち寄ってくれたそうです。
コーヒーカップも手作りでした。
私は真空管アンプの音が聞きたくて・・・・、小学生の唱歌を聴きたいな・・・、
無造作に積み上げられたCDを探してみます。
殆どが、ジャズで、少しバロックが入っていました。
古いソファーに座りながらバロックの響きにしたります。
煙突が室内から…、ガラス窓の外に伝っています。
真っ黒い煙が昇って行きます。
柔らかい温もりが室内に広がっています。
室内にコーヒーの香りが立ち込めてきました。
私達は昨夕湯布院で買い求めたケーキロールをカットします。
実は予約を入れる際に「ケーキはありませんか?」
伺ったところ
「18人は無理ですから・・・・、持ち込んでください」言われていたのでした。
私の仲間18人とコーヒーを戴きながら満ち足りた時間を過ごしました。
中央に薪ストーブ、煙突が左に走っています。
店主の上西さん多分50代、私達より一回り近くお若いようです。
この平田で生まれ、城井小学校を卒業して、成人になって、大分市街に就職されたそうです。
ある日故郷に戻ってお父様に聞かれました。
「母校の城井小学校はどうなった?」
お父さんは
「こんな過疎になってしまったんで・・・、小学校はずっと前から廃校になってしまった。
利用計画も無いので取り壊してしまうのだろう・・・・」
「私の学び舎の、あの教室が壊されてしまうなんて・・・、それは残念だし・・・・・、私にも何かできる筈だ!」
そう考えると、前述のように、「廃校喫茶店」構想が建ち上がり、行動に移したのでした。
こんな思いをしている人は日本中の田舎には沢山いる事でしょう。
過疎化が進んで、廃校の運命の校舎は津々浦々にあるでしょう。
何れも地域住人の迸る愛情が校舎に注がれて、再利用が検討されます。
でも、再利用が進められたのはごく一部で、大半の校舎は取り壊されてしまいました。
城井小学校は稀に見る実行力のある「上西さん」が居られたので、校舎も壊されないで存続しています。
考えてみれば私の育った昭和は沢山の誤りをおかして来ました。
その最大の誤りが国土利用です。
日本の国土の66%は山林で、田畑を加えれば80%に及びます。
農林産業は産業であると同時に80%の国土利用計画でもあります。
美しい国土は、「農林業従事者の生活の場」でありますが、
同時に「安心・安全対策」であります。
国民の「癒しの場」でもあり、「様々な生物が命を種を繋ぐ場」であります。
それ等を忘れて、GDPを大きくする為の…、人材を送り出す場ばかりが強調されてきました。
都会に働く労働者を送り込む機能ばかりが着目されてきました。
まともに農林業で生計を営む、山間地で産業を育成する・・・、そんな正しい視点は忘れられてきました。
「若い人は大都会に出て働け、残った年寄りには助成金を呉れてやるし、生活ができる程度の価格でお米を買い上げてやるから・・・・、文句を言うな」
そんな政策でした。
結果的に田舎には・・・・、爺さん婆さんが取り残されました。
これでは「国政による姨捨山」と言われても仕方ないでしょう。
そして、何ら国土利用計画を見直すまでも無く・・・・、
今回の総選挙でもTPPの名の下で、姥捨て山政策は加速しようとしています。
左端が上西さん。
江戸時代末期日本の人口は3000万人、9割は農山村に住んでいました。
いま、農村人口はどの位でしょうか?
江戸時代よりも過疎が進んでいるのではないかと…、思います。
この夏の集中豪雨で耶馬渓では多くの家が流されました。
橋も流され…、放置されています。
原因は地球温暖化による集中豪雨もあるでしょうが・・・・、
山林のダム機能が損なわれている事も重要です。
人手の入った美林は根っこが雨水を貯水する機能があります。
ところが人手が入らないと、木は痩せ細り、根を張れません。
少しの風で根が浮いてしまっていますから・・・、
少し雨が降れば簡単に地滑りが起きてしまいます。
鉄砲水が人家を押し流してしまいます。
上西さんが18人分のコーヒーを沸かすのに…、40分はかかったでしょうか?
丁寧に豆をひいて、時間をかけてドリップさせていられます。
心地良い空間で、たおやかな時間が過ぎて行きました。
「美味しいコーヒーですね!」
誉めると上西さんは嬉しそうに言われます。
「コーヒー豆は大分の友人が厳選されて、悪い豆を取り除いて、焙煎してくれました。」
お顔はこうも言っているようです。
「時間を充分にかっけて沸かしたコーヒーです。愛情の入ったコーヒーですから、香り立って当然でしょう」
用意していただいたアップルパイもおいしかった・・・・のでした。
これなら、ケーキは持参しなくてよかった・・・・。
コーヒーカップも手作りです。持ち手が無い湯呑のような形は手作りだからでしょう。
コナコーヒー(ハワイ)のような嫌味の無い少し酸味を感じるコーヒーでした。
私達は上西さんを囲んで写真を撮りました。
良い時間を過ごせた・・・・、満ち足りた心で木精座を後にしました。
真っ赤なスモークツリーが見送ってくれました。
この樹は上西さんが植えたものでしょう。
同氏の説明によると、昨年来真夏に一度落葉してしまうのだそうです。
秋口に慌てて若葉を出して、初冬には真っ赤に染まるのだそうです。
上西さんにエールを送ります。
こんな人が目立ち始めた昨今です。
明日は、もうひとつ、耶馬渓の「コラボ食堂」を紹介します。
こちらも、激賞ものです。
右端がスモークツリーです。
木精座の案内です。
TEL :0979-54-2520
住所 :中津市耶馬溪町平田1525
営業時間:12:00~22:00
定休日 :火曜日
コーヒー(小さなケーキ付? 時には御餅も出るようです) 500円
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