私はこの春日本文化研究会の仲間19人と秩父往還道に桜を観に出かけました。
(http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/47237264.htmlで書き始めました。ボチボチ続きを書く予定です)
学生時代からの仲間と一緒に旅をすることは楽しい事であります。
その楽しみを増して、更に記憶に留める期待もあって「俳句遊び」をします。
旅先で俳句を作って・・・・、その俳句が誰の作品か当てる・・・、それだけの他愛無い遊びです。
勿論俳句ですから・・・・、作品の優劣も気になりますが・・・、それは問題にしません。
でも、何度も続けていると、皆が上達しているのが解ります。
今日の写真は群馬県渋川市の白井宿の八重桜です。市場町の中央に堀川が流れていて、その両脇1Kに 八重さくらが花を咲かせます。このピンクの八重は「関山」ですが、沢山の種類の八重が楽しめます。
文と写真とは桜が共通するだけです。
足湯もあるのですが、この日は桜まつりの前日で、お休みでした。
その俳句遊びでの作品です。
花びらも 共に愛でるか 露天の湯
遅咲きに 重ねてみたり うばざくら
露天風呂に入ったら、桜の花弁が飛んできてお湯に浮いたので・・・・桜も一緒に露天風呂に入りたいのか・・・・!
そんな句でしょう。
次の句は・・・・・、「歳を重ねても桜を観ると娘時代のようにはなやいでしまう自分です。
まるで、姥桜のようですね・・・・」 そんな意でしょうか?
”重ねてみたり・・・”が憎いですね。
それで・・・・・、誰が作ったか、作者を推測します。
自分自身を姥桜とは言い難いだろう・・・・、矢張り男性の作品であろう・・・、との判断が大勢でした。
で・・・・、蓋を開けてみたらT女史の作品でした。
大半の人が”騙された・・・・!”とぼやきましたが・・・、
もう笑うだけです。
これは「御衣黄」。貴族の衣服萌黄色に近い事からこの名が付いているのでしょう。京都仁和寺が有名です。
それ以来私はぼんやりですが「姥桜/乳母桜」の事を考えてきました。
今は姥桜と言えば、歳を経ているのに若作りしている叔母さんを言い表し・・・・、
良い意味では使われていないように思います。
今朝もNHK朝の連ドラで「あまちゃん」を放映しています。
主演は「能年玲奈」さんですが・・・・・、私は脇役の小泉今日子(天野春子役)に目が注がれてしまいます。
小泉今日子さんは若い時は”なんてたってアイドル”でしたが、歳を重ねて更に輝いているようです。
スッピンがまた素晴らしい・・・・。
脇役が揃っているので・・・、ドラマを安心して見られますし・・・・、多くの世代が一緒に見られます。
”小泉今日子はまるで姥桜だな・・・・!” 思ったりします。
小泉八雲の怪談に「乳母桜」があります。
松山にある国宝「大宝寺」の本堂前にある江戸彼岸桜にまつわる民話です。
江戸時代の初め伊予の国に徳兵衛と言う名の長者が居ました。
長者夫婦の間には子供が出来ず、お不動さんに願をかけていました。
すると娘を授かります。
娘の名は「露」、でもお母さんは高齢でしたのでお乳が出ません。
そこで、お袖と言う名の乳母に面倒を見て貰いました。
露は美しい娘に成長しました。
ところが、15歳の娘盛りに医者も見放す大病を患ってしまいます。
乳母のお袖はお不動さんに祈願します。
その満願の21日目、露は突然に快癒します。
ところが・・・・、お袖は突然に倒れます。
露と入れ替わりに息を引き取ります。
この八重桜は「普賢象」、普賢菩薩の乗られる象さんのように高貴であり雌蕊が象の牙のように出ているからこ の名があるのでしょう。乳白色が素敵です。
命の際にお袖はこう言いました。
「私はお不動様にお嬢様の命と私の命を引き替えにしてください・・、お祈りしました。
私の願いが叶えられました。その感謝の印としてお不動様のお庭に桜の木を植えてください。」
徳兵衛夫妻は最高に美しい桜の若木を植えました。
その桜はお袖の命日、2月26日にお乳のように白い花を咲かせました。
以来400年、今も見事な花を春の彼岸には咲かせています。
人々は「乳母お袖の桜」と呼びました。
彼岸桜は桜の中でも長寿で知られています。
北杜市の神代桜(樹齢2000年)も、今頃咲き誇っている筈の盛岡市の「石割桜」も彼岸桜です。
乳母桜とは花の盛りに葉(歯)が無いので・・・・、歯の抜けた姥にかけて呼んだものでしょう。
かなりの年齢でありながら艶めいて美しい女性を誉めた言葉でしょう。
最近は”乳母”よりも”姥”に重点が置かれてしまって・・・、年甲斐もなく若作りの女性を揶揄しているのでしょう。
私の友人のT女史は本来の意味の乳母桜で・・・、今も艶めいておいでです。
まるで・・・、あまちゃんの小泉今日子のように・・・・。
堀川の水は飲めません、300メートルおきに井戸があり、櫓が建っています。
遠くの雪をかぶった山は白根山と思われます。
白井宿は新田町・八軒町・上ノ町・中ノ町・下ノ町と整備されている。
各町ごとに共同井戸と火の見櫓が整備されています。
桜の花弁が堀川を流れていました。堀川はこの市場町が悪路であったので排水を良くするために道の中央に溝を掘ったものだそうです。上流で作られた生糸を白井に集積して、下流の製糸工場に運んで・・・、栄えたものでしょう。
今は観光に精を出しているようです。
【追記】
白井宿は群馬県渋川市にある歴史的町並みです。
決して宿場町では無い、白井城の城下町、六斎市の開かれる市場町でしたが、村の中央を堀川が流れ、宿場のような景観ですので、白井宿と呼ばれています。
町の東を吾妻川、西を利根川が流れる事から物資の集積地であったのでしょう。
街並み保存の一環で堀川の両側に八重桜が植えられました。
八重さくらは樹齢が30年余り、見栄えも良く成長したので昨今人気です。
4月25日、行ってきました。
文中写真は、この時の写真を掲載しました。
乳母桜が八重桜である…、と言う事ではないのですが。
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