下時国家を出ればそろそろお茶が欲しい時間です。
私達は町野川を上流に向かいます。
川沿いには美田が広がっています。
でも、能登を廻って気付く事は田圃に適した土地が少ない事です。
能登はその8割が山林です。
クヌギが多い落葉照葉樹が目立ちます。
照葉樹が美味しい米や魚を育んでいるのでしょう。
クヌギが日本一の茶室用の炭になり、
漆が輪島塗を育てたことでしょう。
今、照葉樹は一斉に色づいています。
下時国家から町野川に沿って上ると金蔵に入ります。田圃は棚に変わって行きます。
美田は次第に棚田に変わります。
町野町「金蔵/かなくら」にある慶願寺が目的地です。
お寺にオープンカフェがあるんです。
この日は定休日でしたが、無理を言って開いてもらいました。
16人で、珈琲と古代米で作ったシフォンケーキを戴きます。
オープンカフェはお寺の本堂と庫裏を繋ぐ渡り廊下にありました。
廊下は下を潜れるように太鼓橋の形になっています。
その段差を利用してテーブル、椅子が並んでいます。
各テーブルにストーブが焚かれています。
丸窓は冬を迎えて透明なビニールで塞がれていますが、
中央の窓だけが開いたままです。
この窓は開けておくから、其処から梢のざわめきをお聞きください・・・、
そんな意図なんでしょう。
そうです、このオープンカフェの名は「木の音/きのこえ」なのです。
お客さんに無言で言いかけます。
「暖かい珈琲を飲みながら、心静かにして木の声に耳を傾けて下さい」
渡り廊下はビニールで覆われていました。一か所丸窓が開いていました。
此処から木の音(こえ)に耳を傾けてください・・・・、そんな意向なのでしょう。
”あら?ガラスが張って無いの!確認しています。
内玄関には見事な投げ入れが活けられていました。
荒れ地野菊にマユミ(赤い実・紅葉も)が目を引きます。
玄関で声を発すると直ぐに出て来て下さいました。
慶願寺20世住職の妻(坊守)日向文恵さんは素敵なアラフォー(?)でした。
既にシフォンケーキは用意され、後は珈琲に沸かすだけです。
テキパキと16人分のケーキが配られました。
そして、コップに水が配られました。
身体が芯から冷え切った私達ですから、ほうじ茶が良いのにな・・・・、
思いましたが、コップの水を口にして直ぐに理解しました。お水は冷たいものの、実に美味しいのです。
(輪島、和倉の水も美味しかったんですが金蔵が最高でした)
「少し冷たくても金蔵のお水を味わってください・・・・・」
水は坊守さんのご自慢なのでしょう。
古代米で作ったシフォンケーキ、珈琲セットで850円、しっとりとして美味しかったです。
古代米のシフォンケーキはしっとりした口触りで、甘くも無く上品なお味でした。
クリームにフルーツが添えられていて・・・・・・、新宿の高野で戴くような気がします。
窓の外には時雨が降り止まず、梢が風に吹かれて右に左に揺すられています。
木の音(こえ)を聴けと言われれば・・・・、
私は何度も幹に耳を押し当てた事がありました。
すると・・・・、ゴーゴーと地下鉄の様な音がします。
あの音は風に吹かれた梢の音で・・・・・、畢竟”風の音”なのです。
大地や水の音が地蔵菩薩の音声と言うならば、
風に吹かれて洩れる音は虚空蔵菩薩の声なのでしょう。
人間の住む空間は、地と空の間です。
”木の音/こえ”と聞き慣れないネーミングには、
坊守さんの想いが込められているのでしょう。
こんな辺鄙な里のお寺でカフェを始めるには、
相当の覚悟が熱い気持ちが在ったに違いありません。
私は、坊守さんにお話をしてくださるようにお願いいたしました。
坊守さんは、ノートブックを読むようにして説明してくださいました。
本堂(手前)と庫裏(向こう側)を繋ぐ渡り廊下がカフェになっています。
右側でファイルを手に説明されているのが坊守さんです。
以下は坊守さんのお言葉を私なりに解釈して述べるものです。
時代が中世から近世に変わる頃、金蔵にはお寺が5つもありました。
金蔵の名が示すように、総じて貧困な奥能登にあってこの辺りは裕福でした。
お寺が核になって、山を開いて棚田にし、水を確保するため池を掘り・・・・・・、
そして何より水を公平に配分するために……、農民はお寺で協議したのでした。
協議した事を実施するには、お寺の鐘(時間管理)が重要です。
鐘が鳴ったら・・・・・・、自分の田圃に水を引く時間です。
水路を塞いで、自分の田圃の畔を切ってす、水を引き込みます。
ボサボサしていたら・・・・・、お隣の田圃の時間になってしまいます。
稲は畑でも栽培できます。(陸稲)
でも、お米と言えば水稲です。
田圃に水を充分に入れれば・・・・、植物性のプランクトンが湧きます。
生物の循環がスタートし・・・・・・、それは肥料を作る事になります。
水稲は同じ田圃で何百年も連作が可能な・・・・稀有な耕作方法なのです。
水稲は狭い土地に沢山の人口を養い、同時に生物多様性を維持する
”魔法の水溜り”なのです。
小麦はこんなことは不可能です。
五つのお寺さんは棚田の開墾や水稲栽培を指導したことをはじめ、
農民の教育にも熱心でした。
その結果強い結束力が出来ました。
近世初頭には一向一揆が起こります。
領主の欲求に抗して立ち上がったのでした。
その結果は金蔵は全村焼討されたのでした。
それでも、再びお寺を核にして農民は村を復興させました。
近年、金蔵も過疎問題は深刻になりました。
お寺を核にした教育は500年も前から熱心な土地柄だったのに・・・・、
平成9年金蔵小学校は廃校になりました。
平成12年NPO法人や「すらぎの里金蔵学校」が立ち上がります。
標語は「貴方が先生、私が生徒。私が先生、貴方が生徒」でした。
金蔵の再発見と、新しい時代の金蔵を創造する為に、
知恵を出し合おう、協力しよう、そんな試みが続いています。
その結果、ブランド米(金蔵米)や酒(米金蔵)が出来ました。
米や桜のオーナー制度も軌道に乗りました。
棚田では万灯会を催しました。
万灯会は棚田の畔に3万個の蝋燭を灯すイベントです。
白米千枚田(ユネスコ登録農業遺産)よりも先行した万灯会でした。
そんな村おこしの一環で・・・・
慶願寺の渡り廊下でオープンカフェがスタートしたのでした。
坊守さんは寂しそうに話します。
過疎化は深刻で、人口は180人しかいません。
そして、二十歳以下の人はたったの2人です。
でも、こんな試みと美しい里山を散策しようとする人が増えて、年間8千人もの人が訪れるようになりました。
珈琲を美味しく戴いて、私達は本堂に回って手を合わせました。
本堂の周囲は雪囲いのガラス戸が張られていました。
もう、冬支度を終えたのです。
雪囲いをしたのは10月17日(日)だったようです。
本堂の丸柱に行き囲い奉仕の案内が張られていました。
500年も前からのお寺と村人との関係は続いているのです。
本堂の縁側から山門を見る。アルミサッシによる雪囲いが出来ていました。
雪囲いの案内が本堂に張られていました。講が今もしっかり組織されていることが解ります。
私達はお寺を後にしました。
門前の駐車場に下りると、嬉しい事に鮮やかな虹が懸っていました。
此方は時雨が強く、向こうの空も鉛色です。
でも、一か所雲が開いて、光が射しているようです。
それで、鮮やかな虹が出現しました。
こんな天気を「片しぐれ」と呼ぶんだそうです。
私は、天上のM君が虹を渡って、私達と合流してくるように見えました。
M君は今年の1月急逝されました。
真摯な人で、親鸞聖人を崇敬されていました。
時雨(あめ)あがり 雲間に高く虹渡り
君天上より 下りて来ぬらん
時雨の中坊守さんに見送って戴きました。先輩Oさんが作られた句です。
大黒の見送る笑顔 冬の虹
時雨降る中坊守さんに見送って戴き・・・・、勿体ない、感謝しました。
能登の人の優しさ、温かさを痛感致しました。
私達にはシフォンケーキのソフトな味と、珈琲の温かさや香りは忘れ難いものになりました。
それも、時雨や虹のお蔭です。
木の音がそこそこにお客が来られることを確信いたしました。
皆さんも輪島に行ったら時国家の先に金蔵があります。
ぜひお越しください。
【追記】
金蔵は「日本の棚田百景」に選ばれています。
それらのついてはいかのHPに詳しいのです。
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