既に丁字屋は開店の時間でしたが、
もう少し腹を空かせて、美味しくトロロ汁を食べたい・・・・、
そんな思惑で、吐月峰柴屋寺に向かいました。
「吐月峰」「柴屋寺」とは
”月を吐き出す峰の麓にある柴で葺いた質素な寺”そんなネーミングです。
誰がこんな中世の匂いの強いお寺を建てたのか?
俄然興味が湧きます。
吐月峰柴屋寺はお寺らしからぬ簡素な構えです。
手前のガラス戸の東屋風の建物が本堂、奥が庫裏です。
以前は茅葺の寄棟だったようですが、今はブリキ板で覆われています。
丁字屋の前を流れる川を遡って、匠の里を通り過ぎて、谷戸の奥に柴屋寺がありました。
入口に石塔が建っていて、庭は国の名勝に寺は史蹟であることを示しています。
お寺自体は簡素で・・・・・、高名な禅僧の侘び住いと言った感じです。
方丈庭園で説明される住職
紺の作務衣を着られた住職が柔らかな語り口で案内してくださいました。
このお寺が水無瀬三吟百韻の宗長が最晩年過ごしたお寺である事を知りました。
狭い本堂です。
でも、正面はお庭で在って・・・・・須弥壇ではありません。
先ず、お庭を見てください。
奥の方に二つの山が見えます。
その山蔭から月が出ます。
お月様が出るまでの間・・・・、お茶を一服煎じましょう・・・・・。
月見石にお座りになって暫しお待ちください。
宗長さんのおもてなしの心が伝わります。
月見石の奥に宗祇、宗長二人のお墓があります。
手前、池の周囲にある庭石は北斗七星を表わしています。
庭園全体が宇宙を表現しているんです。
本堂に入ると正面にお庭が見えます。手前右に須弥壇があります。右端は家康お手植えの槇
右端に月見石があります。その奥に宗長・宗祇の墓があります。
写真では左側に池があって池の周囲の石は北斗七星を表現しています。
待てよ、こんな説明は何処かで聞いたことがある・・・・。
そう、銀閣寺です。
銀閣寺より遥かに小さいものの・・・・世界観は同じです。
銀閣寺より粗末な分、侘び・さびを一層強く感じます。
お茶室の裏、お庭を見渡し位置に祖師堂(?)があります。宗長さんが庭を見渡しておいでです。
宗長は師「宗祇」を箱根早雲寺で弔い、
最晩年を故郷であり、時の実力者であった今川家の城下で過ごしたのでした。
宗長のライフスタイルがこの柴屋寺に表わされているんです。
こんな感じは・・・・、大和の慈光院で見みました。
慈光院は片桐石州が建立したものです。(昨日書いた誓願寺を見てください)
石州は200年も前の宗長のライフスタイルを踏襲したように思えます。
お庭は天柱山を借景にしています。左の柴屋根はお茶室です。
ご住職は説明を続けられます。
宗長は京都嵯峨野から竹を移植して、境内に植えました。
庭の西には天柱山が見えます。
その手前に竹林が茂ります。
竹林の上に、突然に月が現れます。
だから・・・・・、「月を吐き出す・・山」と言うのです。
南にも竹が見えます。
その彼方に丸子富士が遠望されます。
この庭は南から西に向けて借景になって見渡せるんです。(北は庫裏です)
そういえば、慈光院は四方が借景になっていたように記憶しています。
ご住職はガラス戸の前で寺宝を説明されます。
「この小さなお釜が足利義政から賜った文福茶釜です。」
鉄製の釡ですが・・・小さいので4人分くらいのお湯しか沸かせないようです。
茂林寺の茶釜より遥かに古いようです。
この短冊は後水尾天皇御真筆です。
この柿本人麻呂像は頓阿法師の作です・・・・。
真偽は判りませんが・・・・・・、有名人の名がポンポンと出て来ます。
右のガラス戸の中に文福茶釜などの寺宝が収められています。
柴屋寺なんですから・・・・・・・、屋根は柴で覆われ居なくては・・・・、看板倒れです。でも、柴で葺くのはお金もかかる事でしょう。
そこで止むを得ず・・・・・・ブリキの鉄板で覆われています。
残念ですが・・・・・・・・、致し方ありません。
宗祇や宗長というと高校の授業では、芭蕉の前の人、利休の前の人・・・・・、
そんな扱いで学びました。
一人の中世を体現した文化人であって、僧侶であり、インテリで・・・・・・、今川氏義忠と氏親に仕えたのでした。
芭蕉や利休は宗長らの育んだ文化の一つを更に奥深く追及した・・・・、
そんなものでしょう。
今後は芭蕉以前、利休以前に関心が集まる・・・・、確信いたします。
利休以前の茶室
昭和26年の額、屋根は茅葺であったようです。山蔭からポンと月が天中に飛んで出る・・・、
そんな意味で「吐月」と呼んだのでしょう。
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