リハビリ専門病院の脳梗塞病棟には様々な症状の患者さんが奮戦中でした。患者が「一期一会」励まし合って、発症以前の状態に戻して、家族の負担を少しでも減らそうと、集中している様はまるで修道院にでもいる様な緊張感がありました。
私が最初に医師に質問したのは「自分は認知症になる危険はあるのか?」でした。医師は「貴方の脳梗塞箇所は右前頭葉ですから・・・・、左半身に麻痺が残りますが、脳髄は問題ないので先ず認知症の危険は少ないでしょう」という事で、一安心でした。
他の患者を観ると、左半身麻痺でも、足の関節も曲がらない人も居れば、失語状態の人もおいでです。症状は色々です。何故症状が人によって違うかと言えば・・・。切れた箇所と発症後の処置が違う事によるのでしょう。
脳血管が切れてしまった、血の海が出来、神経系統が断絶してしまう症状が脳卒中脳梗塞なのですが、
筆者の作品食堂の掲示板に貼られていました、4月7日、大風の翌朝亡いの庭で散らずに残った桜花を愛でた歌です。
脳血管が切れている間は、、脳には酸素が送られません、その為に次々に脳細胞が死滅してしまって、その死滅箇所や量によって、記憶が失われたり言葉や色を失ってしまうのだそうです。
私は幸いなことに左半身麻痺ひだけで、脳の活動や、記憶に欠陥は生じませんでした。そんなわけで、創作活動や、絵が描けたわけで、他の患者には随分羨ましがられました。利き手が麻痺した人はお箸も持てませんし、名前も書けなくなってしまいます。私の隣のベットの方は大学のノートに逆の利き手で、名前を毎日書いて訓練しておいででした。私が絵を描いて居ると、良く覗き込みながら「羨ましい」言われました。私は上手に歩ける隣人が羨ましいと思っていたのでしたが・・・。
私は脳梗塞くで一命を取り止めたのも、その病状も幸運だった思いました「。不幸中の幸い」です。
神仏が「未だ黄泉に呼ぶには早すぎる。時間を与えるから、生死を極めるように…命じられたものと思いました。ならば、当面は「生きる事に徹しなくて」はいけません、「自分も命に拘り、家内や友人も生かさなくてはいけないと思いました。
ところで、切れてしまった神経系統ですが、よくしたもので、生きようとすれば脳は再生命令を発して、脳から左手や左足首に新しく命令系統を作るんだそうです。「だから「左手動け!]念じながら動かそうとするのは有効こうなんだそうです。
で問題は新しい神経はどの程度のスピードで再生するのかという事です。
どうも医師やトレーナー先輩患者の話を総合すると、一日に0.7ミリ程度伸びるそうです。ですから交通事故で腕の神経を断絶した人は腕と脳の距離が50㎝なら70日くらいで神新しい命令系統が出来て、「50㎝÷0.7ミリ≒70日」
ですから私の場合左手が動き出すまで大凡半年余りという事になるでしょうか
(100㎝÷0.7ミリ=130日。左足は2年弱でしょうか(150㎝÷0.7ミリ)=220日
たしかに、髭や爪は1日0.7ミリくらい伸びて行きます。昔の生物の授業で、新啓も爪も外肺胞から生育すると教わりました・・・・。
私の友人から次の手紙を受け取りました。
貴人はは何時も急いでいますね、今回は各駅停車にお乗りなさい、私達同期生は停車場に下りて貴人が戻られのを何時までも待っています。
私は良く自分の事がお分かりなのだ・・・・、涙で貰った手紙が濡れてしまいました。
考えてみれば「自分一人で生きてきた思うのは驕りであって、何時も友人に家族に生かされてきたのだ」悟りました。今回は思いっきり隣人に生かされてゆこう・・・・思います。神仏が期待しているのはこんな真理を悟ることなのでしょう・・・。
毎日急がずに、じっくりリハビリに努めながら、来年の桜の季節には二年分エンジョイしようと・・・・、念じながら過ごすことが、私には最適な方法のように思えます。
来年は家内や友人と吉野に咲く螺旋本を見たいものだ・・・・、念じながら描いた「吉野千本桜」他の患者に、利き手が使える興奮幸運を羨ましがられました。
こちらも「来年の春は吉野に友人rと一緒に行きたい」と念じながら描いたもの、そんな思いが私のリハビリを成功に導いてくれるものと信じています。(中央が吉野蔵王堂)