今朝からはワールドラップも無し、寝室に朝日が差し込んできます。
これでは合歓の花も叩き起こされそうで、今日も暑くなりそうです。
今週末には梅雨明けの声も聞こえそうな気配です。
合歓の木も叩き起こされそうな今朝の朝陽です。
一昨日は同期の友人T君が先輩のNさんから写真集「長崎の教会」を預かって我が家に届けてくださいました。
私の日文研セミナーでの次のテーまは「隠れキリシタンです」、発表した途端にNさんからご学友が「長崎の教会群」という写真集を上梓された事を伺い、お借りしる事になったのでした。
7月10日長崎県は正式に長崎の教会遺産をユネスコの世界遺産に申請しました。その申請薦文が少し気がかりです。『長崎におけるキリスト教の伝来と繁栄、激しい弾圧と250年もの潜伏、そして奇跡の復活、という、世界に類を見ない布教の歴史を物語る資産として、ユネスコの世界遺産暫定リストに』、と書かれています。
お借りした長崎の教会写真集
私が「隠れキリシタン」に関心を持ったのは中学に入った頃(昭和39年」でした。鎌倉の雪ノ下教会の祭壇の横に小さな部屋があって、その空間が「鎌倉の隠れキリシタン」を紹介していたのでした。
雪ノ下教会の隠れキリシタンの小部屋
雪ノ下教会の当初の建物
江戸に近い鎌倉でキリシタンが隠れていて、弾圧を受けた歴史に驚いたのが始まりでした。以来、笠間に行っても、木曾に行っても隠れキリシタンと聞けば立ち寄って確認してきました。最近では大分、奥能登でも切支丹遺跡を拝観しました。
でも一級の隠れキリシタンの遺物は少なく多くが地蔵尊だったり観音像だったりしていました。「マリア観音・マリア地蔵」を見て「隠れキリシタンと直感したようです。「日本人は隠れキリシタンが好きなんだなあ」思いました。錫杖の取手は十字になってしまいます。マルに十字は島図の家紋ですし・・・。
平戸にも島原にも行きました。残念なのは五島列島に行っていない事です。
お借りした写真集は素晴らしかったです。
群青の海に真っ青な空、海象の狭い空間に集落が並び、集落を見下ろす小高い丘に教会が歩ポツンと建っています。漁師は教会の尖塔を灯台のように見て海に出たことでしょう。
教会の建物は日本の伝統手法で建てられています。石を積み上げて漆喰で固めて、建物の下層部分を作りました。長崎は台風銀座でもあります。
島の狭い空間に漁民の民家と教会が並んでいます。
景色と漁民の生活と教会との調和が素晴らしいと思います。此処はカソリックの世界ではなく多神教『シャーマンビズ』『祖霊教』の世界だと直感します。古江教会『1899』
大浦教会『国宝日本二十六聖人に捧げられた教会堂『1864』の内部、和様の技術が折衷されている不思議な空間ですが心地良い空間です。
一般に隠れキリシタンというと「島原の乱前後のキリシタン弾圧と殉教の歴史、そして地下に潜伏して信仰を守り続けたキリシタンと思います。長崎県の申請もそんな感覚で捉えているます。私達も学校ではそんな風に教わりました。
でも、申請された長崎県の教会群は江戸時代の建物ではなく何れも明治維新後に建てられたものなのです。、明治政府は欧米の批判に従って「禁教令」を解きました。カソリック教会は隠れキリシタン信徒に対して「カソリックに復帰するよう」促しました、そうして、長崎の島々に教会を建立して、隠れキリシタンの復帰を待ちます。しかし隠れキリシタンはは戸時代以来の信仰を守ってカソリックには見向きませんでした。彼等には牧師の説得が「祖先崇拝を止めてゼウスに戻りなさい」と聞こえたのでしょう。
こうして、明治以降も江戸時代の信仰を守り続けた人々を「潜伏キリシタン」と呼びます。ですから、長崎県の申請は「隠れキリシタン」を事由にして遺跡群は「潜伏キリシタンの文化財」を世界遺産として登録しようとしているのです。
「隠れキリシタン」は弾圧にもめげずに信仰を守り続けた精神の尊さを意味します。一方「潜伏キリシタンは」「信仰の自由」を保証されながら、先祖代々の信仰を捨てなかった民間信仰の強さを示します。
全く違う意味を有していると思われます。昨今の学者の研究は後者潜伏キリシタンに向けられているように思います。
申請者にこうした、混同がある事は見学者に混同を誘発して、「日本はやっぱり変わっている思わせる事でしょう。「革命で信仰の自由を勝ち取った欧米に比べて日本は信仰の自由が最初から保証されていた。だから明治以降のキリシタンも、シャーマニズムの域を出ない」批判されそうです。筆者はカソリックが尊いとか。シャーマニズムが劣るとか一切思っていません、両者の間に、混同があってはいけないと思うのです。
沼田のマリア観音像、慈母観音はマリアと思えば
隠れキリシタンに見えます。一級の「隠れキリシタン遺跡」は少ないようです。
そのことも問題ですが長崎教会群で特筆されのは「美しい自然と島民の生活に調和した教会」です。島々の狭さも質素な民家も猫の額ほどの畑も美しいし、そんな島の漁民の生活を見守る教会も素晴らしいと思います。讃美歌が流れる島に憩いたいと思います。石垣には鉄砲百合が咲いているでしょう。 鉄砲百合はシーボルトが持ち帰ったものです。欧米人はこの純白な百合が大好きになって「イースターリリー」としました。今まで大事にしていた「マーガレットリリーを止めてイースターには長崎に咲いていた鉄砲百合にしました、欧米人にとっては長崎はイースターリリーの故郷であるだけで充分価値があるのではないでしょうか。私は教会群を鉄砲百合で埋めたらいいと思います。そう思いながら教会の写真を見ると、長押の上に白い花が飾られていました。ステンドグラスを通して優しい光が室内に差し込んでいます。お寺で散華を浴びるような思いがします。
鎌倉路地裏の鉄砲百合真横に花が向いているのは、雀蛾に花粉を運んでもらう為です。