8月19日はバイクの日であり、俳句の日でもあります。どちらも私の好きなもの、「では、今日は一句ひねってみるか!」朝方寝床の中でで思います。
裏山の奥から「カナカナ・カナカナ、蜩の鳴き声が響いてきます。
「日暮(ひぐらし蜩)は朝に啼いても日暮と云う、。これ何故か?)」。
夕暮れ時より明け方の日暮の方が悲しく寂しく響いてくるのは何故なんでしょうか?
清少納言は「春は曙」に続いて「夏は次のように評しています。
「夏は夜。 月の頃はさらなり。 闇もなほ、蛍のおほく 飛びちがひたる。 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。」
私なら「夏は明け方、未だ暑からず、外の空気冷涼にして、いと心地良し、頭を枕にもたげ、日暮や名も知らぬ小鳥のさえずりも面白し。小屋に飼いたる鶉が我を呼び起こすのも嬉し、ようよう、褥より這いだし、庭の露草を見れば、小さき花あまた我を向きて挨拶す。滴が輝くも、陽が登れば消えてしまうものなり。夕顔は今だ凛として花弁を拡げ、夜の蝶に未練を残す風情なり・・・・・・「朝帰り」を見送る遊女の面影ならむ。」
我が家の垣根に這わせた夕顔。最高の見頃は明け方です。家内を源氏物語の夕顔に見立てた訳ではありませんが・・・・・。無花果の木に絡んでいます。
此方は向か賽ながらの日本の朝顔最近は熱帯アメリカ産の朝顔が目立っていますが、アメリカ種は一日中咲いています。朝顔は朝だけ咲いてこそ朝顔です。一日中咲いていたんでは美名返上して貰わなくてはいけません。
庭の露草も今が盛りです。露草も露草も儚いことのたとえです。
「今暫く褥で惰眠を貪れば体内時計とラジオの時報が一致するであろう、」思っていると電話のベルが鳴って、
横の家内が起き出しました。「何事かこんなに早くから電話をするとは・・・?
電話口で家内の素っ頓狂な声がしました。
「私と同期の安藤さんが脳溢血で亡くなれたんです・・・」
家内の声が沈んで行きます。
私は思います。一昨年は私と同期の元沢さんが脳溢血で亡くなられました。去年の暮れには私が脳梗塞で倒れて、左脳は出血しました。今はリハビリで苦闘していますが、想い起しても私は幸いでした。亡くなってしまうか生きて居られるかは大違です。
安藤さんや元沢君の様に死んでしまえば残された家族や友人が悲しむだけです。
私は褥で横になったまま学生時代の一シーンを思い起こします。
最初に亡くなったS子さんに叱られた思いです。
「竹内君また女の子の噂話をしてたんでしょう!男の人は勉強もしないで暇さえあれば女の子の品定めばかりしていて不潔なんだから・・・、だから女子は次第に退部してしまうのよ・・・。」
源氏物語の「雨夜の品定めで」はありませんが僕ら男子は集まると「女子の噂話を肴に酒を飲んでいました。そんな雰囲気の中心には亡くなられた安藤さんも居られました。
まるで、源氏物語で女に強いと自負した「頭の中称将」のように・・・。
「頭の中将」は集まった貴公子の前で、女性殿体験話をします。
未だう初心だった源氏は聞き役に回りました。
「女は生まれ育ちが良い才媛よりも少し田舎っぽいお人が良い。気づかいができる人柄が良い。自分はある田舎で侘び住まいの女性を知っているが、気立ては良いし・・優しさに溢れている・・・高貴な女性を口説くよりも田舎くさい女性にこそ楽しみがある・・・。」
源氏が故皇太子の夫人であった女性(六条の御息所)のところへ通っていた頃のこと、その途中の五条にある乳母の家に見舞いがてらに立ち寄った時の事でした。源氏は隣の家の垣根に絡まって咲く夕顔の花を見つけて頭の中将の話を想い出します。そこで、鄙びた里の女を誘ってみるかと思って家の中を伺います。
すると隣家の召使いが扇に夕顔の花を乗せて持参したがその扇には歌が書きつけられていました。
心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕がほの花
源氏は自分の下心を見透かされて慌てて歌を返します。
よりてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔
近寄って見詰めなければ夕顔とは判らないように、会ってみないと判りませんね。家に入れてくださいな!
源氏は自分の名も相手の名も素性も解らないままに一夜を共にします。匿名であるからこそ男も女も燃えたのでしょう。源氏は身分の無い人にこそ素晴らしい女性がいるもんだと感動します。
しかしその夜が明けるころ事件が起こってしまいました。
生霊が出現して女性に乗り移って女性は怪死してしまったのでした。
生霊は源氏の元恋人の六条の御息所でした。
月岡 芳年(つきおか よしとし」の夕顔図。
六条の御息所の生霊が夕顔を殺して明け方消え去って行く怪しい情景を見事に描いています。
六条の御息所は
故皇太子の夫人で、教養もあるし、美貌の女性でしたが、気位が高くて鼻持ちならない女性でした。六条の御息所は源氏が自分の処に通ってこないと思っていたら、とんだ田舎(野々宮)で身元不詳の女性と同衾した事に怒って生霊になったのでした。でも源氏は夕顔の優しさが忘れられません。夕顔に一人娘が居たことを探り当て、その娘(玉蔓)を長谷に見つけ出します。
確かに夕顔の花には生霊が乗り移りそうな怪しさがあります。
白洲正子さんは随筆で夕顔の妖しさをこの花の蕾が開くところを見たいと見詰めていたのだが花は自分の視線に気づいていて、決して開くところを見せてくれなかった…書いています。
私が垣根に育てた夕顔は源氏物語の夕顔とは違います。熱帯アメリカ産の種で横浜のの「サカタのタネ」が輸入し販売しているものです。本来の夕顔は干瓢に加工されるもので丸い冬瓜みたいなものです。
外来種は光沢があって絹の輝きがあります。一方本来の夕顔は南瓜の花の様にボテッとしています。南瓜は黄色いのですが夕顔は白いだけの違いです。
外来種の夕顔は六条の御息所のように高貴な感じですが近寄り難さがたさがあります。
本来酒種の夕顔は木綿のような絣の感触です外来種が絹・紬なら本来酒種は木綿・絣の感触です。
夕顔の実と干瓢を作る景色(NHKテレビで)ろくろのように回して細い紐状に削って冬にかけて干しあげれば干瓢です。
人は死んでしまえば修証義(お経」のフレーズの通り、ただ一人で黄泉の深い川を渡るだけです。川の向こうの奥山からは蜩の啼き声が響いているだけでしょう。
思えば「家内の同期の安藤さんの訃報で死因は脳溢血との事。
思えば半年前私は脳梗塞に倒れ、こんな風に思考えていると
自分だけが活かされていることがこううんにおもえます。そして今後の事が思いやられます。
友人が次第に先んじて黄泉に赴く事でしょう。その度ごとに寂しい思いをしなければなりません。
青春を熱く語りし人は如何にと驚きけれど、この寂しさを如何にせむ
夏の花もなべて散るものなれど、次々に友を送りしさてもいづちかもせむ
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