修善寺は秋の特別拝観が始まって人混みのようです。庭園の公開、お檀家の方が丹精され菊花が展示されていることでしょうが、今回は修善寺は素通りさせていただき、奥の院に詣でる事に致しました。
修善寺は大同2年(807年)、弘法大師に依って開創されました。、その後約470年間は真言宗として栄えました。
鎌倉時代になり、中国から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が入山して臨済宗に改宗。やがて
室町時代北条早雲が一帯を治めるようになると曹洞宗に改宗します。
明治になってからは本堂を再建し僧草を整備して曹洞宗の専門僧堂(お坊さんの修行道場)として多くの禅僧を輩出してきました。
鎌倉時代になり、中国から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が入山して臨済宗に改宗。やがて
室町時代北条早雲が一帯を治めるようになると曹洞宗に改宗します。
明治になってからは本堂を再建し僧草を整備して曹洞宗の専門僧堂(お坊さんの修行道場)として多くの禅僧を輩出してきました。
曹洞宗のお坊さんになるには永平寺、総持寺を筆頭に各地の専門僧堂で相当期間の修行を積まなくてはなりません、私が大学を卒業する頃は「高卒で3年、大札なら半年は僧堂で修行しなければ・・・・」言われていました。当時僧堂なら「修善寺が良いか、それとも祖父が副住職であった最乗寺が良いか」考えたものでした。以来、修善寺を詣でると「若しもあの時に此処の僧堂に入っていたなら・・・・・?」想像するのでした。
最近は中高年や外人のの修行僧も増えているようで、体調を崩せば病院にも行けるし携帯を持参する事も許されているるそうです。でも地方の人口減によって廃寺になる寺が多く、修善寺の奥ノ院も無住寺だそうです。
修善寺が有名なのは何といっても岡本綺堂の「修善寺物語」です。主禅師に幽閉された「源頼家」は面造りの名手「夜叉王に自分の表を彫らせます。しかしどうしても満足できる面が出来ません。面に死相が出てしまうのでした。夜叉王はむすめの「桂」を頼家の側女として差し出します。ところが北条の刺客が頼家を襲います。桂は面をかぶって頼家の身代わりとなって討たれてしまいます。
修善寺物語のヒントになった面(修善寺宝物館に展示されています)、鎌倉八幡宮にも残る「面懸行列」の異形面です(http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/47576859.html)死相が出ているというよりは縦に割れているので袈裟がけに切り殺された事を思わせたのでしょう。面の素材は「桂材」でしょう。
修善寺前の桂川川の中州に温泉が湧いています(独鈷の湯)は今は足湯です。橋の欄干に笊菊が飾られていました。
修善寺山門を右手に左手には桂川の中州に涌いた「独鈷の湯」を観ながら修善寺の町屋の中を上流に遡ります。道には道標が建っていて「奥の院道」と表示されています。修善寺本堂から5キロほど山麓に入った谷戸に奥ノ院「正覚寺」があります。私達が境内に入ると老婆が一人で落ち葉を掃いておいででした。
私達を見るなり「掛川からおいでですか?」尋ねられました。主禅師観光協会では、修善寺本堂を拝観して奥の院まで散策して奥の院でお弁当を食べるそんな企画を売り出しているのです。今日はウィークデーでも相当人数の予約が入っているようです。奥の院道は蛇のように曲がりくねった道をダラダラ登って行きます。農家の庭先には柿の実がたわわに実っています。野鳥や山猿の餌になるものでしょう。新米の採りいれも終わって長閑な里山風景です。道標の脇には観音石仏やイボ取り地蔵尊が祀られています。どれも弘法大師が謂れの遺跡と案内されています。
修善寺奥の院道を奥ノ院「正覚寺」に向かう。右手に桂川が流れています。
これがイボ石で、中央の窪みに溜まった水でイボをこすると落ちるのだそうです。この左手にイボ取り地蔵が祀られています。
正覚寺降魔段への石段奥の木は桂手前は銀杏です。石段の上に滝壺があってその左右は巌窟です。
降魔段に祀られた石仏群。弘法大師像を中核に不動明王像、33観音像など多様です安山岩の柱状列石の洞が降魔段になっています。
中央の仏座(蓮台)を持った菩薩(勢至?)が可愛い観音石仏群
滝下の位置に祀られた弘法大師像。この位置で弘法大師が瞑想されたイメージなのでしょう、この右側に降魔段が繋がっています。
弘法大師が悟り得ようと瞑想しているとその邪魔をしようとにマーラ(悪魔)の軍勢が攻撃してきた。それを退けて悪魔に勝利し、成道つまり開悟(悟りを開く)したという場面を表現していると思われます。弘法大師像はお若く柔和なお顔をしておいででした。
降魔段には桂の木がありましたが、
案内に依れば奥の院には天然記念物の桂の大木があるそうです。私はその桂の大木の根元には弘法大師像が埋もれそうに祀られている写真を見た記憶があります。
友人は私が長く急な石段を上って石仏を拝観するのをサポートしてくれました。屹度桂の大木もその根元の石仏も拝観したいだろう、偵察に行ってくれましたが徒歩50分という事で断念しました。何時か足を治癒して拝観できることを目標にまたリハビリに努める事に致しましょう。
狩野川台風で多くの堂塔を失った修善寺奥の院「正覚寺」以来無住の寺になっています
修善寺奥の院正覚寺は狩野川台風で堂塔の多くを失ったそうです。今では無住のお寺で村人がかんりせいそうしているのです。そして修善寺観光協会が修善寺の参詣客を奥の院まで景色を見ながら歩かせ、奥の院でお弁当を案内しています。(弁当込1000円)修善寺の里山風景を愛でながら歩くのは楽しい事です一昔前でしたら何処にでもあった里山風景でしたが、今では貴重な風景資産です。2004年「景観法」が施行されました。法律は主として都会の景観を守ろうとするものだったのでしょうが、現在のように地方が捨て置かれ荒れてくると地方の景観も貴重な観光資源であることに気づきます。修善寺の河原の露天風呂も観光資源で外国人に人気ですし、奥の院道の里山風景の保存にも心がけてほしいものです。