今年は空海が高野山を開いて120年にあたります、加えてこれだけ天災が続くと天に「”日本を見捨てないで下さい”と祈りたい気持ちになって来ます。
そんな次第で今年は空海が伝えた密教が世上関心を集める様な期待がします。
ズット私は密教は「おどろおどろしくて解り難いし、説明の出来ない」敬遠してきたのですが。
今年は密教を理解したい・・・思っていました。
密教は昨日書いたチベットに始まり。密教の諸仏もチベットの神々が仏教に取り込まれたものでした。飛天も天女も天使もチベットの大空を飛んで天上の神の意志を地上に伝える役割を担うものでした。
空海は仏教には二種類ある,と説いています。
その一つが多くの人が慣れ親しんできた顕教で薬師如来が仏像の姿で現れて言葉(お経)で伝えた教えである(目でも見えるし理屈でも解るので顕教と呼ぶ(法華経などのお経)、。一方仏教の真理そのものは言葉や仏像では説明できないもので大日女以来が説いたた教えである。大日如来は滅多に姿を見せないし理屈では理解し難い。秘密の教えなので衆生は大日如来の教えを信じて感得する他は無いし・・・。
仏教伝来前の日本は汎神論「総ての生き物に霊があり神性が認める宗教的情操)でありまさいたから、貞観大地震等の天災を見て空海の説く密教を受け入れる状況に在ったのでしょう。世界には凡人の人知を超えた真理や世界があるのでしょう。
そんな密教ですが日本に居てはオカルトのような世界でも、密教が誕生したチベットに行けば理解が出来るのかもしれません。
年末タレントの壇蜜さんのチベット紀行がNHKBSプレミアムで放映されていました、私の密教の扉を押し開いてくれたような思いで見つめました。今日はその骨格を概説します。
八方を寺院で囲まれたカトマンズの市街。寺院は祈りの場所であると同時に要塞(城」でありました。四方を高山が囲んでいますが奥(東)がヒマヤラ山脈(最高峰エベレスト)山脈を越えるとチベット(都はラサ)左(北」もヒマヤラ山脈でにマナスルがあります。この方角に北極星が輝き死者の魂はこの方角に上ると考えられます。カトマンズの市街をスン・ニコン川を下って右(南)に下って行きます。南側の寺院で命は誕生すると考えます。京都の町の地勢(北極星の方角を鞍馬山が守り陽が昇る東側に比叡山が聳えるも同じようです。
日本人の8割は自宅で家族に囲まれて最期を迎えたいと念願していると調査報告されています。
ところが実際は8割以上の人が病院で亡くなっています。
壇蜜さんは先ずカトマンズのスワヤンブナート仏舎利塔に行きます。お寺に入るには橋を渡ります。川はビシュヌマティ川と呼びます。何処か御茶ノ水駅下の神田川を髣髴させます。川に面して寺院と白い建物が続いています。白い建物が病院なのです。死期が近づくと家族はこの病院に病人を運びます。
「この人は腎臓も膵臓ももう枯れてしまっています」「今この人は亡くなりました」お医者さんの言葉に壇蜜さんの丸い眼が陰ります。
お医者様と思えた人は実は聖職者で最期の時を神が祝福して下さる、神の意志を伝える役なのでした。家族の死亡を告げられて、家族は泣き崩れますが故人が神に祝福して貰っている事を確信していますから、悲しむだけではありません。再生する、再生したらまた家族で居られる期待していますので、追悼の心の底には喜びも潜んでいるのです。この辺りは万葉集の挽歌を思い位来させます。
遺体は病院室からからテラスに運び出されます。川に面したテラスには薪が組まれています。遺体は家族によって洗われ花に埋もれます。そしてうず宅積み上げられた薪に火がつけられ荼毘に付されます。
カトマンズ市街を流れるビシュヌマティ川(母なる大河=ガンジズ川の支流川川に面した左端の建物が
病院、その左にパシュパティナート寺院がある。川のテラスが荼毘所で遺骨はそのまま川に流されます。(写真はNHKテレビを複写)
夕方におなるとパシュパティナート寺院は荼毘の煙に囲まられます。真っ白い仏舎利塔が並んでいます。
荼毘に付した遺骨は焼いた薪もろともに川に流してしまいます。作業を見守っているのはご遺族でしょう。どの人の顔にも悲しみは消えているようです。 荼毘壇の左右の石段にははご遺体を水で浄め花で飾ったあとで残されています。
壇蜜さんはカトマンズ到着して直ぐに人間の死ぬ場面に居合わせて旅行気分も吹き飛んだようです。カトマンズの寺院を巡りながら人間の死と生を見詰めようとし始めます。
翌朝訪れた河畔にはお供え物が並んでいます。七輪には炎が燃えて朝餉は故人の好きだった雑炊のようです。朝陽が昇って天空から地上に射しています。故人の魂は光の方向に昇って行ったのでしょう。
壇蜜さんは魂の行方を探すようにカトマンズのお寺を巡ります。
荼毘に付した翌朝には故人を追悼する供え物が川べりに並びます。野犬や野鳥が集まって来ます。
ご遺族には故人が神に祝福されて天上に(北斗星に)上った安心感で満ちているのでしょう。
壇蜜さんはスワヤンブナート寺院(ユネスコ文化遺産)に向かいます。、カトマンズの中心部から西に3kmほどいった丘の上にあるので400段もの急な石階をカメラマンを気遣いながら登ります。仏塔には仏陀の知恵の目が四面に描かれています。カトマンズの街を守るため四方に眼をを開いているようです壇蜜さんはマニ車をカラコロ・カラコロ回して進みました。
チベットには三つの神が見守っていると説きます。3 人の神とは創造神ブラフマー(梵天)、維持神 ヴィシュヌ(日本では弁才天)に対してシヴァ神は破壊を司る。で3神が実は3神一体で様々な場面に現われ。結果的に輪廻を形成します。
これはお土産用のタンカ(仏画」で中央がシヴァ神で日本に伝来すると大黒天になります。カトマンズは外的に攻撃された時シヴァ神が出現して街を守った事から篤く信仰されました。度の神もおどろおどろしく武器と生首毒蛇を伴い破壊(死)と生活と命(生殖)を司る意匠です。
壇蜜さんは世界最大のヤブユム(抱擁する仏像)が祀られているヒンヅー教寺院に向かいます、金色の抱擁する仏像に驚きますが、偉そうなお坊さんに遠慮もなく、「エロスの意義」を尋ねます。お坊さんは供花の菊の花を手にして「菊の花の美しさに心を奪われては/束縛されてはなりません。心は自由にしておかなければなりません」と諭されます。エロスは人間の本質であり、生物はエロスが無ければ存続しません。種の保存はエロスのお蔭です・・・。(壇蜜さんの眼が光って帰国後一層エロスに輝きが増しそうな気配です。
私達は顕教の世界で生きて教育を受けて来ました。眼で確認できる事自分の理性で実証できることや経験を積み重ねて世界観を形成してきました。しかし、若しかしたら、真実は眼に見えないのかもしれません。目に見えない霊的な世界でも生き抜くには心を自由にして真実を感得する事が重要でしょう。それが出来なければ心の平安は得られないでしょう。
一昨日は108の煩悩を消し去るために除夜を過ごしました。でも人間は煩悩の極み「エロス」の成果としてこの世に命を授かったのですから煩悩を消すという事は煩悩を否定する事では無くて煩悩を肯定する処にあるような気がします。
この辺りが密教理解の入り口でしょうか?
でも壇蜜さんは容貌も心にもエロスがあると思いました。NHKのディレクターは壇蜜さんのような妖精(?」と11日間も旅が出来て仕事冥利に尽きます。
壇蜜さんは死もエロスも人は隠したがるでもそのタブーを剥いら自由になって個人のも世界も平和におなれると思うのでした。
これが金色のヤブユム(抱擁仏) 日本に伝わると歓喜天になり多くは人間ではなく象の顔になっています