テレビでは横手のかまくらが映っていました。横浜の中華学校では、連日春節のお稽古に力が入っていることでしょう。もうじき立春旧暦の正月になるからです。
先日の新聞記事では外国人旅行客が日本でのお買い物に落とすお金が2兆円にも及ぶそうです。一人当たり20万円ですからお土産の購買力は眼を見開くほど巨額です。もうじき中国・台湾・韓国(何れも陰暦)の旅行客で京都も東京も賑わう事でしょう。
横浜中華街での春節では中華学院の生徒さんの獅子舞・龍舞が見られます
私達日本人は明治時代初めに従来の陰暦を取りやめ西洋諸国に倣って太陽暦にしました。でも2000年に及ぶ日本文化は陰暦で堆積しています。そこで太陽暦を表にして裏に陰暦を併記して「太陽太陰暦」で生活してきました。陰暦の正月は立春で2月初めごろですから、そもそも旧暦と新暦は一月のスタート時期が異なります。
ですから、新暦を旧暦に換算するときは1ケ月程進めれば(陰暦が遅れてくる)良い事になります。
ですから、新暦を旧暦に換算するときは1ケ月程進めれば(陰暦が遅れてくる)良い事になります。
立春をはじめとする二十四節気の名称は元々華北地方の季節感で名付けられたものです。立夏や立秋、その他の名称も日本の季節感からすればずいぶん先走っている気がしますが、これらは我々の季節感が鈍っているのではなく、暦の方が日本の自然とはずれているのだと理解すべきものです。立春と聞いたら、ああ華北地方では冬がようやく緩むころなのか、と考えれば良いのです。もともと陰暦は陽暦より1ケ月ほど遅れていることに加えて華北地方は日本より緯度が高いと思えば良いのです。
24節気を考えるとき頭の中で1箇月遅らせたり進めたりするのは不便です。そこで今年は陰暦併用のカレンダーを自作する事にしました。どうせ作るのなら、我家専用というのではなくて、町内会館や小中学校でも使えるように戸塚の風景を使う事にしました。
「かまくら」は陰暦の正月に行われます。東北地方の祭りは七夕も竿灯もねぶたも陰暦です。東北地方は農業が盛んだからではなく陰暦の文化が馴染んでいるからです。NHKテレビを撮影)
昨今は「陰暦の奨め」を言われる人が目立ち始めました。そうした人の主張は総じて次のようなものです。
昨今は「陰暦の奨め」を言われる人が目立ち始めました。そうした人の主張は総じて次のようなものです。
「陰暦は農業暦で、陰暦で生活すれば農作業の目安が立つ、陰暦こそ稲作文化圏の暦であって陽暦にはそんな知恵が無い)でも農業暦は陰暦では無くて陽暦こそ農業に適しているのです。春夏秋冬季節の変化は1年で1周地球が太陽の周囲を公転好転する事によって生じます、稲作も麦作も太陽の変化に応じて進めるのが合理的で、月の満ち欠けは関係ありません。そもそも月は15日で地球を一周します。ですから新月を1日にして満月を15日にしました1年間に24回地球を回る事になります。24節気はこれを暦に表現したものです。
月の満ち欠けが大事なのは妻問婚の習慣です。
先史時代も古代も母系社会では女性の家に男性が通いました。別れ際に女性が尋ねます。
「今夜は良かったは次は何時来て下さるの?」男性は夜空を見上げて答えます。「今夜は13夜如月の3日月齢3だから2日後が満月でその翌日十六夜の月の出過ぎ時刻(酉8時)に来ることにしよう」答えます。次の逢瀬は「4日後の月が出て一時後」と約束されたわけでした。時計が無くても逢瀬の場所と時刻が確実に約束された事になります。陰暦は母系社会でこそ重要であったのでしょう。
これが2月のカレンダーです。写真は路傍に咲いた正月草(福寿草)です。
これが4月です。写真は柏尾川の桜を使いました。
これは7月です。露地の如意輪観音とどくだみの花を使いました。
これは8月です。写真には柏尾川の精霊流しを使いました。
これは10月です。戸塚倉田の夕焼けを使いました。
これが11月です写真は峠の馬頭観音(倉田小学校脇)を使いました。
この他に1月は羽化羽化したばかりの隼4兄弟の写真を使いましたし、使わなかったものの愛着のある写真も数多くありますが。まあ、満足ゆける陰暦・陽暦の併用カレンダーが出来上がりました。筆ペンで孫の誕生日やお祝いを書き込めば完成です。
こうしてカレンダーを作っていて思い出しました。
思い出は悪い事が多いものです。
銀行に就職して2年目の仕事が債権の広告作成で、浮世絵カレンダーを作成しました。何時もは公告代理店を通していたのでしたが、カレンダーの作成は直接にK印刷に発注したのでした。というのは印刷会社の営業が「不織布を持ってきてこれで浮世絵カレンダーを作成すればお客さんに喜ばれますよ!」提案があったのでした。そこで客層の好みに合わせて七曜俵を書き加えました。正月明けに某同和問題組織の役員の糾弾を受けました。「自分達は因習によって社会から差別を受けている。お前の銀行は因習である七曜表を印刷している。けしからん!」というのが抗議内容でした。東洋信託銀行の頭取が日比谷の野外音楽堂で謝罪した事件を知らないのか!」凄まれたのでした。私の手には負えそうもありません、総務部の職員にバトンタッチして作成済みカレンダーの焼却を覚悟したのでした。因習として批難されようが伝統として賞賛されようが、いずれにしても私達は歴史の恩恵の上に育っています。陰暦は馴染めば馴染むほど奥深く、生活に潤いをもたらしてくれます。今年は自分好みの「陰暦併用カレンダーを作ったので。これで1年を楽しみながら、過ごそうと思います。
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