連日川崎での中学1年生(上村遼太君(13))殺害事件が報道されています。遼太君の笑顔が素敵だった分、同君が友人や家族に愛されていたことが報道される度に「こんないい子がどうしてあんな惨い目に遭ったのか不条理に思うばかりです。首犯A(18歳)に命じられて冷たい多摩川で泳がされて、ずぶ濡れになって川岸から上ると次はカッターナイフで切り刻まれました。待てよこんな場面はどこかで見た記憶があります。地獄絵には氷河があって、亡者は氷河から上るtっとお次ぎは獄卒に身体を切り刻まれてしまいます。
氷河の畔で切り刻まれる亡者(益田鈍翁が所有敷いていた地獄草子国宝、怖い場面は人間の奥底に潜む残忍性が露出したものと考えます。)
地獄極楽草紙(京都金戒光明寺)氷河の手前が現世、左手前に最後の審判場面が右手前に生前の行為が描かれています。氷河の対岸は極楽,左から釈迦如来薬師如来、阿弥陀如来、ミロク菩薩の浄土です。
これは熊野比丘尼が持っていた「熊野の観心十界図。上部の半円には一生が描かれ閻魔地蔵菩薩が見守る前で審判が行われています。心の字が書かれた神鏡の前で裁かれます。上には阿弥陀如来を中心に聖衆が
お迎えに来ています。手前は地獄で釜茹で責め苦や血の池地獄の様相が描かれています。
これ等の地獄絵は平安時代末期、鎌倉時代初期にかけて描かれました。
千年も昔の人達の心の底に地獄の恐怖場面があったのでした。えっしょう。極楽も地獄も人間が考えたものですから,少女が時に天使に時に魔女になるように、人間の両極端の側面が現われたものでしょう。誰でも天使にも悪魔にもなれるのが不思議です。でも。誰もが天使になりたい、悪魔にはなりたくない、思っています。天使が右(プラス)で悪魔が左(マイナス)なら人は生き様んのベクトルを右向きにしておくように心がけなくてはなりません。
主犯Aはあの日に突然に悪魔になった訳ではなくて、徐々に左に進んでいったものと思われます。Aの家族も周辺の人もAが左を向いて居る事に気づていたことでしょう。
上村君もAに殺されるかもしっれない、ラインに書いていたそうです。
筆者が小さい時、夏休に栃木の郊外思川に遊んだものでした。思川の河原で近所の子供達と「地獄遊び」をしました。
遊戯は「缶蹴り」と同じようなもので。鬼(一人)が缶を蹴られる前に全員(フリー)を捕まえます。
フリーは川原石を塔(タワー)に積み合あげます。タワーは積み上げてしまえばフリーが其処に居る限り鬼は捕まえる事は出来ません。そこで遊びの要点はタワーを作る事。鬼はタワーを作られる前に足蹴して壊してしまう事でした。昔も今も河原は子供の遊び場で河原で遊びながら大きく育ったものでした。折角多摩川の河原も綺麗になったというのに惨劇の場面になるなんて、せつなすぎます。
恩愛地蔵経では地獄の河原で童子g川原石を積ん功徳しようっとしますが、が」出現して川原石を崩してしまいます。多摩川にも鬼が現われるとは思いもしいんでした。写真は佐渡の外海部海岸んです。
こんな悪い予感を「鬼の知らせ」と言いますが。人間は古代も現代も誰もが多少はそんな予知能能力があったのでした。筆者はこの能力を体系的に鍛えたの密教だと思います。
人間がある日突然に悪魔になることは無く、徐々に悪魔性が強く、大きくなるものです。。そして多摩川の惨劇もあの夜突然に起ったものではなく、予兆もあったのでした。
地獄絵図は現代の「写し絵」だから怖いのです。今回の事件を報道で確認するたびに地獄絵図が存続するのは@「怖いもの見たさ」だけではなく、万人の心のひだに悪魔が隠れていると自覚しているからでしょう。犯人Aの残忍性を誰もが自分も持っている感じているのです。
潜んでいる悪魔を抑えなくてはなりません。大切なのは。心に高くアンテナを立てて悪い予兆をキャッチして、悪魔が顕在になる前に、惨事になる前摘んでしまう事です。アンテナを高くする方法は”祈る事”だと思います。
祈る人には神仏はアンテナを介してシグナルを送ってくれます。惨劇を未然に防ぐチャンスは格段にアップするものです