鬼が愛おしいと思うのは鬼が人間の持っている拭い去る事の出来ない性とういうか業を現しているからでしょう。
お嫁さんが美しい衣装に着飾ってくお化粧して最後は「角隠しと」呼ばれる白い布を頭巾に被ります。
嫁げば直に本性を露わにしなければ生き抜けないのを誰もが知っているからです。でも嫁入りの日今日一日は角を隠して綺麗なお嫁さんで居て欲しい”晴れの日”なのだから。
お嫁さんは白無垢に角隠しが正装です。角隠しは字の通り角を頭巾に隠しているのです。(写真は狐の嫁入り)
そんな次第で更に「鬼の考察」を続けたいと思います。
明日香の畑中の道を歩いて行くと傍らに「鬼の雪隠」が現われて来ます。そしてお隣には「鬼の俎板」も出てきます。明らかに古墳の玄室で玄室を覆っていた盛山の土が崩れ落ちて玄室が露座に出てしまったもので、それを明日香の民が鬼の使った俎板と鬼の使った便器と思ったのでしょう。鬼とは人知を超えた怖ろしい妖怪で妖怪を遡れば現世に強い怨恨を残して死んだ霊に辿り着きます。
これが飛鳥の鬼の俎板です。玄室の底でありましょう。このまな板の上で鬼が人間を切り刻んだと推測したのでした。
此方は地獄草子の鬼の俎板の図地獄の鬼が人間を切り刻んで料理にしています。この図は益田鈍翁氏のコレクションを現在は国立博物館が所有しているものです(平安時代末期国宝)
この図も益田鈍翁コレクションだった地獄草子鬼が人間の皮を剥いで居ます。猟師が猪等を捕獲して皮を剥いで居た様子が転じて殺生をした人間の地獄の責め苦を推測したものでしょう。この図でも鬼には角は生えていません。鬼に角が出現するのは能が盛んになって能面が彫られ御伽草子が作られて以降です。
これが飛鳥の鬼の雪隠上段の写真鬼の俎板とセットで古墳の玄室であったと思います。鬼が霊という意味では鬼の雪隠(便器)の表現は適切なのです。
鬼に角が出現するそのきっかけは近世になって、人間の自己省察の結果だと思います。
古代末期に人倫は乱れ兄弟親族が血で血を洗う惨劇を繰り返します末世を自覚した人は平家物語を始めとして今昔物語などで客観描写をしつつ説教節等で子々孫々に語り伝えようとしました。惨劇物語を舞台に載せてに叙情的な芸能に昇華させたのが能楽でした世阿弥や禅竹は謡曲物語を通して人間の本性を能舞台で表現して見せました。
本来は仏教用語であった”般若”を能面に仕上げました。”般若”とは究極の知恵とか悟りの意味でしたが女性の究極を見詰めた時鬼を見つけたのでした。そこで美しい表面でありながら二本の角を供えた般若面を実現させました。般若の面は下から仰ぎ見れば美しい女性でありながら演者が面を伏せれば角が目に飛び込んできて鬼であることが解りました。普段は美女でも場面が変われば鬼女に変じるそれが真実であると体験しました。
六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ、ろくじょうみやすどころ)は葵の上に嫉妬する上に夕顔を執り殺してしまいます。二本の角が生えて来ました。
”女性は化粧を落とせば般若である”それは近世の人間省察の成果であったのかもしれません。でも能舞台ではその真実を花に包んでオブラートに表現してみせました。
月岡 芳年の夕顔の図(六条御息所の生霊は夕顔に憑りついて殺して去るのでした。芳年は六条御息所に角を描いてはいませんが北斎漫画では二本の角が描かれています。
鬼に角を生えさせたのは人間の自然観察の成果であったでしょう。
春日大社や鹿島神宮のお使いの鹿には大きな角が生えていますし。祇園神社の牛頭天王は明らかに立派な角を持った牛さんです。天神様を乗せた牛も善光寺(牛伏寺や布引観音も含めて)の牛も立派な角が二本生えています。神も妖怪も人知を超えた存在は角が証明しているのでした。
国東真木大堂の大威徳明王像(平安末期)巨大な角の水牛に乗って怒髪が逆巻いて角のように見えます。この仏が本地が祇園神社のご神体牛頭天王なのです。牛頭天王は角が生えています。
自然界で神々しい者は角が生えているものでした。そこで人間も怨念を残して死んだ霊には畏怖の想いも込めて角を生えさせたのでしょう。
路傍に立っている庚申塔(青面金剛)の足下には鬼が踏みつけられて苦しそうに蠢いています。私達はこの像を観ながら以下のように絵解き説明を受けて来ました。
「人間の心の奥には鬼が潜んでいるのだよ、少しでも怠けたり奢ったり妬んだりすると鬼が動き出して悪さをする人は何時でも心を律して鬼に惑わされてはいけないよ。さもないと現世で酷い報いを受けるものだよ・・・・」
日本人は1000年も昔から現世は鬼と菩薩が同居していると知っていました。でも鬼は普段は隠れていて見えないものです。でも突然に出現します。浅間山が噴火すれば鬼が出てきた”鬼押し出し”思いました。元寇が起きれば鬼が攻めてきた。想い国家意識を高めました。明治維新にも同じように国家意識が昂揚し、神国観が色濃くなりました。
今日も参議院では仮想敵国が中国と北朝鮮であると説明して国家意識を高揚させようと煽っています。
私達は半島の愛国心や中国の中華思想には辟易としています。
彼等にとっても日本の国家意識や愛国心は気障りなものでしょう。何時でも反日運動は燃え盛る懸念があります。武力行使を可能にすることが抑止力になるというのは身勝手な言い分で国際社会は未だ我国を信用していないしそもそも日本人の心の傷は70年ではまだ癒されていないと思うのです。
鬼は奢った心の中に潜んでいて油断していると突然に出現する・・・、自覚こそ大切であろうと思うのです。
庚申塔青面金剛の足下で踏みつけられる鬼。人間は心の奥に潜む鬼を常にコントロールしておかないといけないと教えています。
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