11月14日は生憎の雨降りで東戸塚小学校祭りも傘をさして行われました。同校校歌を作詞されたサトーハチローさんの忌日(昭和48年1973年)に当りました。
14日【土曜日】は生憎の雨天でしたが東戸塚小学校祭りを挙行しました。 昭和20年戦争の焼け跡の残る街に林檎の唄が流れて人々は復興に向けて汗水を流しました。戦後復興の原点は林檎の唄であり、松竹大船撮影所は戦後日本映画の第一作「そよかぜ」の製作に向けて作曲家万城目正さんや、佐々木康監督主演の並木路子さん等の熱気で燃えていた事でしょう。その松竹も今では大船には無くなってしまいました。小学校時代良い子は万城目正音楽学校にお稽古に通って歌手や俳優になるチャンスを狙っていたのでした。
私の町内では「焼き玉蜀黍の模擬店と「生物一杯柏尾川」を実施しました。
東戸塚小学校では地域の模擬店や展示そして校長先生は故郷の群馬県片品村の林檎を即売されます。先生自らハンドルを握って関越を走って美味しい富士や世界一を仕入れて販売するのです。
屹度生徒の喜ぶ顔を瞼に浮かべて居られるのでしょう。
”先生林檎美味しかったよ。先生の育った片品村は自然一杯で、だから林檎も美味しくなるんでしょうね!”そんな賞賛を聞きたくて赤い林檎を自家用のワゴン車に満載されておいでなのでしょう。
私も林檎を楽しみにしています。
昨日は富士と世界一を3個ずつ求めて帰りました。自宅の居間に置けば家中に芳香が漂いました。
私は林檎が家にあるだけで豊かな気持ちになれます。
林檎を観ながら考えました。
校長先生の故郷群馬県片品村の林檎(富士と世界一)を求めて帰りました。
〈【林檎の原産地は旧約聖書の舞台である事】
”こんなにおいしい林檎は何処で生まれてどのようにして日本に来たのか”第一の疑問です。
今朝【15日】のテレビニュースも昨日のパリでのISのテロに集中しています。世界中がテロを憎みイスラム文化を差別化しようとしています。でもこの事件を世界史視点で見れば根が深いのです。シリアやイスラエルのある中近東は何度も世界の震源になりました。先ず最初がヒッタイト民俗でした。ヒッタイト民俗は世界で初めて製鉄技術を発明して武器を作りました。特に馬に曳かせる戦車を開発して西に進みギリシャにぶつかります。映画の「ベン・ハ―」の戦車のシーンや「トロイ戦争の木馬」の場面などはヒッタイトの戦車の威力を伝えています。ヒッタイトの東進はの支流の一つが騎馬民族の日本進出で、日本人はこれを天孫降臨大和朝廷成立としました。
ヒッタイトが西に東に進行する時に林檎も中近東からアジアやヨーロッパに伝わりました。
旧約聖書「出エジプト記」の行き先は中近東で其処は鉄器を開発し圧倒的な武器を有したアッシリアでした。東に進んだ鉄器文化は秦の始皇帝を産み大和朝廷を創設したと考えます。
キリストの時代を映画化したベンハ―の戦車競走の場面(出典アマゾン)
再度中央アジアが世界を震撼させたのはジンギスカンの蒙古帝国でした。蒙古は東ヨーロッパからアジアまでユーラシアを統一します。強大な蒙古帝国の成立は東西の交流を盛んにしました。東西交流の西側はオスマントルコの都イスタンブールで東側はイタリアのフィレンツェでした。フィレンツェに鳩意味が蓄積しルネッサンスの発火点になりました。再びトルコの林檎は世界に広がります。
蒙古帝国はユーラシア大陸を横断します。その結果中近東に自生していた林檎は中国や北ヨーロッパに伝わります。中近東の小アジアで生まれた小侯国から発展したオスマントルコはイスラム教を信奉しヨーロッパに攻め込みます。このオスマントルコにヨーロッパがEUのように団結して反抗したのが十字軍です。フィレンチェは東西の交流と戦争の最中に富を蓄積してルネッサンスをサポートしました。当時日本では僧侶が元や宋に留学して禅宗を日本に伝えました。禅にシャマニズムを否定する要素が無かったので宗教戦争の懸念はありませんでした。この時に日本に伝わった林檎は小さくて林檎飴に使っているもので長野県の街路樹などに使われています。(和林檎)一方明治以降に伝わっている林檎を西洋林檎と呼んでいます。
従って今も林檎を使ったトルコ料理が多いのです。
旧約聖書の創世記では林檎は禁断の果実」として登場します。
アダムが悪の果実を齧ってしまった事から人間の堕落が始まったという段はキリスト世界のイスラム文化への偏見に起因しています。因みにアダムは齧った林檎を吐き出したので命は助かります。喉仏に林檎が引っ掛かっていたのでした。此処を私達は扁桃(アーモンド)と呼びます。リンパ腺が集中している所で風邪などの初期症状は扁桃腺炎になります。禁断の木の実は林檎では無くてアーモンドだと思うのです。十字軍で敵概視したヨーロッパのイスラム世界への偏見が林檎に不名誉な伝説を押しつけたものと思います。
禁断の果実と云っても林檎は美味しいし。健康にも有益ですヨーロッパ人は好んで林檎を食べました。林檎への本心(賛美)はウィリアムテルに表れていると思います。一方白雪姫は旧約聖書の世界を引きずっています。
【林檎を齧ったのは誰】
私の学生時代のアアップルコンピューターは死に体でした。アップルのパソコンを使っている人は滅多に居ませんでした。僅かにイラストレーターが使うマニアチックな世界でした。
一方ソニーのパソコンはエリートサラリーマンが愛用して居ました。ウォークマンを成功させたソニーがIパッドを開発しなかったのは不思議でなりません。
ところで、ソフトバンクの孫さんは季節ごとにノートパソコンを買い替えておいでで、ご説明はパソコンの画面を使って為されておいででした。当時から孫さんにはソニーの凋落とアップルの今日が見えていらしたように推測します。
私は証券会社の公開部長でしたから孫さんが天下のNTTを敵にしたような事業計画が資金面で破綻しないか懸念を持ちました。屹度当時のソフトバンクに同様な懸念を持った人が多かったのだろうと思います。
アップルの林檎を齧った商標はビートルズの林檎スターのそれであり、旧約聖書のアダムを思わせるものだったのでした。
アダムが林檎を齧らなかったら。人類は最もおいしい果実を知らなかっただけではなく、文明は発達しなかったでしょう。文明の発達は常にチャレンジが必要であるように思うのです。
麻薬を麻酔薬に使った華岡青洲もチャレンジでした。常識人であれば医術は進歩しませんでした。ソニーは最も技術の先端に居て、良き企業文化を持っていたにも関わらず、ベータ方式で失敗した事に懲りて林檎を齧る勇気を捨ててしまっていたのでした。私は日本を代表していたソニーの凋落を残念に思います。孫さんのような人が社外役員になって居れば今日の体たらくは無かった事でしょう。アップルの商標を見る度に胸が痛みます。
齧った林檎はビートルズ【林檎スター】と旧約聖書を捩った商標でしょう。ソニーがアップルだったら、今日の日本のエレクトロニクス産業は違った表情をしていたことでしょう。
【日本の林檎の系譜】
日本の林檎は明治維新に始まります。北海道開拓使が林檎の苗木を余市や札幌郊外に植樹します林檎は南北海道から青森で盛んに栽培されました。明治の日本人は林檎の美味しさに西洋文明を感じ競って美味しい林檎の栽培に勤しんだのでしょう。林檎への憧れは島崎藤村の若菜集によく出ています。
明治維新政府にあって、各地の農業試験場が競って美味しい林檎。病虫害に強い林檎の開発をに競いました。
国光や津軽は米国産の林檎を移植したものでした。しかし、1965年前後にはバナナの輸入自由化の煽りを受けて林檎は大不況に見舞われてしまいます。そこで果樹農家は国光や津軽に代わってスターキングやデリシャスが(米国原産)が植え代えて窮地を脱しようとします。
でも米国産の国光や津軽から米国産のデリシャスに代えてもたいして成果は得られません。農業はそんなに甘いものじゃないのでした。日本人好みの美味しい林檎を開発する必要があったのでした。
東北農業試験場(盛岡)では国光とデリシャスの交雑によって1947年実生の新種を開発していました。8年後ようやく播く種するまでにこぎつけます。新種の開発に成功しても果樹園で栽培するまでには多くのプロセスが必要なのでした東北試験場7号を1962年「ふじ」として八百屋の店頭に並ぶようになりました。「ふじ」は最初の交雑試験に成功した藤崎町の「藤」を取ったとも、富士山の名とも山本富士子とも言われています。我が国の林檎生産量も富士の成功によって40万トンから現在では100万トンに増加しました。果樹農家は実生の他「高接ぎ法」という接ぎ木を実施したのでした。国光や紅玉の樹は根や幹はそのままでも枝は「ふじ」に変わったのでした。
この段は主として品種改良の日本史(阿倍和幸著)に依りました
毎日林檎を戴きます
林檎の品種改良は糖度と程良い酸味を求めて実施されてきました。「ふじ」は国光とデリシャスの交雑で成功したモノでした(出典品種改良の日本史)
一方もう一つの人気種は「世界一」です。此方は、青森県りんご試験場が、1930(昭和5)年、デリシャスとゴールデンデリシャスを交配した実生3個体の中の一つの個体でしたが、1946(昭和21)年に初結実し、1951(昭和26)年に最初の選抜をしたものでした。試験場の育種圃場が狭いこと、選抜を早めるためなどの理由から、1958(昭和32)年から穂木を配布して試作を一般農家に委託することに致しました。弘前市のりんご栽培家對馬竹五郎氏の園で最初に結実をしました。その果実が極めて大きかったので、對馬氏が「世界一大きいりんごだ」と宣伝したことから、それがそのまま本品種のデビュー及び命名になったそうです。
高品質の林檎とは①糖度が高く同時に適当な酸味も併せ持っている事②肉質が良い事果汁が多い事③芳香 ④色や形。
富士も世界一も親をデリシャスとするものです。兄弟ですから高品質と云う事では大差ありません。世界一は大きいので圧倒的に見栄えが良いものがあります。
林檎は種が大事ですが種で総てが決まるモノでもありません。陽当りや実の数、肥料や農薬によって評価は大きく違ってきます片品村は尾瀬の入り口にあります。みずほの国の美しい天然がATTを好機にする安全で美味しい林檎を栽培するチャンスだと思います。現在世界で一番多く出回っている林檎は富士です。日本に渡ってきて200年足らずの間に世界一の林檎の開発に成功した先人に敬意を払いながらこれから1週間林檎の備蓄もあるので豊かな気持ちで林檎を戴く事にしましょう。
昨年は奇跡の林檎を観に行きました。岩木山を見渡せすリンゴ畑と秋田美人の菅野美穂さんが良かったのでしたが今年は観たい映画もありません。映画文化も頑張って貰わないといけません。
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