道端にカタバミや蒲公英の花が咲いていました。気が早いと云うにも程度があります。我家の椿も今が満開で春本番になったらどうなることか気懸りです。この秋は何かやり残したものがあります。箱根の紅葉も観たし三溪園にも出かけました。紅葉は満足したのですが。未だ銀杏を観ていません。例年は日吉で日文研セミナーがあって慶応大学の構内の黄葉を観ているのですが今年の秋は早くにセミナーが終わってしまいましたので黄葉を充分見ていないのです。
路傍で咲いたカタバミの花、冬の次は春だと言っても、気が早すぎです。
私の評価では銀杏の黄葉が一番見事なのは藤沢の遊行寺です。次いでは大分国東の富貴寺の黄葉も見事でした。
富貴寺の銀杏の絨毯以前次に書きました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/46905059.html
これは藤沢遊行寺の銀杏の絨毯
若芽も良いもんです。
ところで富貴寺では銀杏の落葉に遭遇しました。特に風もないのに一斉に黄色い葉が舞い散って来ました。私の友人は全身で舞い散る葉を浴びて迦楼羅(カラス天狗)が舞い降りたようだ・・・俳句を吟じました。富貴寺の銀杏の舞い散る様は名物でもあるようでアサヒビールのテレビCМ(福山雅治)にも使われています。http://cm.asahibeer.co.jp/contents/movie/drypremium_zeitaku_premium01_30/player/index.php
昨日12月16日はワイフを誘って藤沢の遊行寺に出かけました。既に銀杏は終わりでしょうが、一面の黄色い絨毯は観られるかもしれない期待したのでした。
期待した通り梢の先の黄葉は既に散り落ちていましたが境内は一面黄色の絨毯が敷かれています。
老夫婦が大木の根元を囲っているベンチに座って、次々に舞い散る迦楼羅を観ています。私達も暫く銀杏の舞い散る様を見上げていました。
今年の遊行寺の銀杏の絨毯国宝館では有名な一遍聖絵を展示して居ました。素敵な熟年カップルがベンチでサンドウッチを食べていました。国宝館前の掲示板に一遍聖絵のポスターが貼られていました。
裏を見せ表を見せて散る紅葉かなは良寛さんの句ですが一斉に散っていますのでこれでは大量死です
私達もベンチに腰掛けましたが後から後から銀杏の迦楼羅は舞い散って来ます。
何故紅葉は一枚一枚別々に散るのに銀杏は一斉に散るのかしら?私に生じた疑問です。
昔読んだ理科の教科書には次のように出ていました。
1、葉っぱで炭酸同化作用をしますその結果澱粉が葉に蓄積されます。葉に含まれる色素には緑色のクロロフィル(葉緑素)と黄色のカロチノイド(カロチン類とキサントフィル類)があります。量はクロロフィルがカロチノイドよりずっと多いので、夏の間は黄色はめだたず葉は緑色に見えます。秋、気温が低くなると葉のはたらきが弱まり、クロロフィルが分解されます。そのため、クロロフィルにかくされていたカロチノイドの色がめだって黄色になります。銀杏やポプラがの葉が秋に黄色になるのはそのためです。
2、寒くなると葉っぱに蓄積された澱粉は根や幹に運ばれます。葉っぱから根に運ばれるに際し茎を通ります。ところが寒くなると澱粉は茎に蓄積してしまうので剥離層を形成します。剥離層で葉っぱは梢から放たれ落ち葉になります。紅葉は此処の葉っぱに剥離層が出来るのですが銀杏は一斉に剥離層が出来るのです。なので銀杏だけが風が無くても一斉に葉を散らすのです。
遊行寺の手水越に大銀杏を眺める。
以上が学校の理科的な解説でしょう。
デモ遊行寺で迦楼羅の様に散る様を観ていると銀杏の木の意志が働いている様に思えます。
毎日毎日少しずつ葉を落とすのでは雲水さんは掃き清めるのに大変です。雲水さんのお仕事を楽にするために思い切って纏めて葉を落としている様に思えて来るんです。
一遍さんは桜の花が散る様を観て興奮した弟子たちに向いて
「花の事は花に訊け」と看破されました。同様に衆生に向けて云われることでしょう。
「迦楼羅(銀杏)の事は銀杏に訊け」・・・・・と。遊行寺で迦楼羅を浴びて満足した私達はバスに乗って自宅に帰りました。
銀杏の向こうに本堂が在ってその右新築の地蔵堂の前に一遍上人像が西向きで(銀杏の木向きで)合掌しておいでです。
遊行寺の紅葉は放生池の周囲です。池面に映った紅葉を破ってカワセミがダイビングします
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