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良寛さんの立ち姿

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ラジオ深夜便がマイ朝ラジオに引き継ぐ頃目が醒めました。ラジオでは八木忠栄さんが陰建っビューに応じて訥々と話しておいでです。八木忠栄氏に馴染みは薄いと思いますが昨年6月にに詩集「雪、おんおん」で代33回現代詩人賞を受賞されました。新潟の見付にあった瞽是宿に産まれた方で。その幼児体験が詩の魂になっているような方です。
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斉藤慎一さんの瞽女(ごゼ)の絵出典ガリレオ画廊http://www5f.biglobe.ne.jp/~galileo/3saitousiniti.htm越後には瞽女(盲目の旅芸人小栗判官等の説教節を歌って家々を巡っていた哀調のある歌声は三味線に代わって胡弓を伴奏楽器として普及した。越後の風土と越後人の温かいハートが育んだ芸能で八木さんの現代詩はこうした伝統が生んだ作品だと思います
八木さんはお婆さんから云われていたそうです。
”お前はあの柿の木の股から産まれたんだよ。”
瞽女宿の庭先には大きな柿の木があったそうで、八木少年は不愉快な気持ちに沈みながら柿の木の股を眺めたそうです。その時心では反論していたそうです。
妹はお母ちゃんの朱い腰巻の上に産まれたのを見たから自分も同じ筈だ。何故自分だけ木の股で生まれたというのか!
ラジオを聞きながら八木少年の心には次の疑念が生じていたのでしょう。
”若しかしたら自分は瞽女が産み落とした子供だったのかもしれない・・・・・一寸心を翳めたそんな思いが詩を生んだのかも知れません。
八木さんの俳句も秀逸で次の句をラジオで被露されました。
 つくしんぼう みな良寛の立ち姿
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今年は暖冬ですから土筆の芽を出すのも早い事でしょう。

越後の長岡から見付にかけては良寛さんが托鉢された里でした。春になれば一斉に路傍に土筆が頭を擡げる事でしょう。その姿が良寛さんのように愛しく眺められる・・といった叙景句ですが。越後人特有の土の匂いと優しさが滲んでいます。佳い句だなあ!”雪割草が咲く季節になったら見付から飯豊山を巡ろうかな!”思ったりします。ルートはイザベラ・バード(日本奥地紀行)がアルカデア(桃源郷・エデンの園)と激賞した里山です。
人間が木の股から産まれる筈ありません。こんな用語の背景には民俗学的な意味が隠れていることが多々あるものです。男女の間の情に無頓着な堅物を評して「木の股から生まれたような石部金吉」だ、と云います。柿の木の股から産まれたという事は男女の情愛の賜物として産まれたのではなくて。神か家(祖霊)が授けた子供と云った意味かも知れません。
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たわわに実った柿の木(写真は伊那谷)
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冬の柿の木 病虫害対策で表皮を削り落としていますので、柿の木は寒々として見えます。戸塚の股野の果樹園で撮影徒長枝も伐採します。
其処まで考えた後私の脳裏には吉野川の河岸段丘に生育する御所柿の風景が広がりました。
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大和柿の風景(写真は柿の葉寿司大和のホームページから拝借http://www.kakinoha.com/gojou/tokusyoku.html)

此処まで考えて.ひょんと思いつきました。
柿の木は直ぐには実が実りません。苗を植えて10年もしなければ収穫は覚束ないものです。
大和の柿農家も今の収穫は20年、30年前の先祖(お爺さん)がの育てた成果を収穫しているのです。14代酒井田柿右衛門が12代13代柿右衛門が育てた職人さんのお蔭で人間国宝になったように、今の成果は数代前の先人の成果のお陰です。「子供は親の生殖行為の成果として産まれる」こんな理解は現代医学や遺伝学による常識です。それは1世代個体としての命に着目してミクロに考えるからで。少しマクロで見れば命は大きな柿の木の根元から連綿と伝えて来ているようなものなのでしょう。
八木忠栄さんの現代詩も俳句も越後の土壌や瞽女の文化を継承したものですから私達の心に響くものでお婆様が”お前はあの柿の木の股から産まれたんだよ”と諭したという事はお婆さんには八木さんの将来が見えていたという事でしょう。そんなわけで早速八木さんの本を図書館に借入申し込みました。
同氏の俳句を書いておきます
 学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地 (月島中通りにて)
んの字に膝抱く秋のおんなかな   (東京百景)
妹さんが胸の病気で逝かれた際には次の句を残されておいでです。
 その肺でこの白髪まで露の世を

  (吾は胸郭成形手術で生きのびて)
肺病の兄妹なりき吾亦紅

千歳飴わけてしゃぶりし日もありき

  (通夜へ、人身事故により電車遅延)
毀れやすきものひしめくや月の駅

  (告別式、路傍の子らの声)
死んだひとの車がゆくよ秋の野辺
  (火葬場にて)
孫の画と菊を抱いて焼かれけり

鳥渡るはらからの骨ひろうとき

私は現代詩では八木重吉位しか知りませんでした。偶々同じ八木姓の詩人を知り幸運でした。
越後は会津八一を生んだ土地です。会津八一の言の葉に八木忠栄さんの言の葉にも瞽女の言葉使いの響きを感じます。そしてその景色には雪深い越後と雪の下の大地には肥沃な土壌を感じます。どれもこれも良寛さんの法脈だと確信します。




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蛇は善神?それとも悪神?

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早いもので今日は門松を片付けなくてはなりません。松の内(お正月)は今日までですから松飾は我が町内では松飾もお札や注連縄共々氏神様へ返します。宇治神様の境内には「返却用のボックスが設えてあります。ですから1月7日から1月11日の夜に左義長までの間は氏神様に置かれていますから、放火されないかと見回っています。私は、庭先でで焚き上げてしまいます。左義長にしても自分で焚くにしても神様は天上に戻って戴きます。
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今朝でお正月もお終い。七草粥を戴いて松飾も撤収します。
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我家の鏡餅は11日に「鏡開き」で私の胃袋に収まってしまう予定です。お餅に宿っている歳神様(命)庭が身体に移って戴く予定です。最近は鏡餅は形ばっかしで、プラスチックの殻の中に切り餅が入っています。鏡割りの努力も不要では行事の意味も解り難くなってしまいます。

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これは横浜金沢八景のどんど焼きです。各家の松飾を集めて焚き上げてしまいます。町内会が主催する松飾の処分のようです。クリスマスツリーの焼却も何れ実施されるかもしれませんどんと焼きもクリスマスツリー焼きも横浜市条例違反なのでしょうが(ゴミの焼却条例)海の向こうは八景島シーパラダイスです。三浦ではどんと焼きに参列すると御汁粉のお裾分けがあります。
一方鏡餅は1月11日「鏡開き」で戴いてしまいます。鏡餅を包丁で切るのは縁起が悪いという事で木槌で叩き割ります。今は電子レンジで温めれば柔らかくなりますが。昔は金槌で叩いても割れないので大騒ぎでした。鏡割りしたお餅は御汁粉にして私の体を元気にして下さいます。今年は関東では1月11日関西では1月15日だそうです。
ところで今日の本題はどんど焼きでお焚きあげされる注連縄です。
藁で編んだ太い綱を二本硬く捻られています。横綱が締める綱も注連縄ですあれは何なのかな?思うと思い当たることがあります。昭和20年代の末、我が家の近くの柏尾川の堰堤に屠殺場がありました。戸塚は日本ハムや鎌倉ハムの発祥の地で牧畜業が盛んだったのでした。川沿いに食肉工場があって週末には牛や豚が屠殺処理されていたのでした。屠殺日には牛さんも豚さんも今日が今生の最期と解っていたのでしょう。朝から悲しげな啼き声が響いて子供心にも辛いものがありました。お婆ちゃんに訊けば屠殺は専門の職員が行うもので牛も苦しくはないというのです。立っている牛の額に向けて太い棒を打ち付けるのだそうです。私はお寺の鐘撞きをイメージしました。鐘撞き棒を鐘の中央のめがけて叩きつけます。すると”ゴーン”と響きます。手慣れた職員が牛の急所を外さずにぶつけるので牛さんは苦しまないで即死するんだそうです。子供心には牛さんは最期の瞬間こそ苦しまないで済むものの、屠殺場に入れられた時から苦しく悲しかった筈だと思いました。人間は残酷な動物だと思いました。遊行寺にも蔵田寺にも牛馬慰霊塔が祀られているのは屠殺処分された家畜を慰霊する為です。
屠殺実施日以降暫くの間は柏尾川は血で染まっていましたし。牛などの臓物が流れていました。その為に柏尾川の鼠も鰻も丸々太っていました。彼等も屠殺場の恩恵に浴していたのでした。その柏尾川の川原で怖ろしい光景を観ました。悪魔を観てしまったような悪寒が背筋を走りました。
二匹の大きな蛇が絡んでジット静止しているのでした。
家に帰ってお婆ちゃんに訊きました。お婆ちゃんは云いました。
「それは夫婦になった蛇なんだよ。そうして蛇は子を為すんだよ・・・」。
奈良の大神神社も出雲大社も大きな注連縄で有名です。大神神社は箸墓伝説で出雲大社は八咫の大蛇の伝説でどちらも神も蛇に近いのは古代人が蛇に畏怖していたからでしょう。米作地帯は何処も蛇の神様が祀られています。
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寒川神社の注連縄蛇に馴染みの深い大神神社や出雲大社の注連縄はもっと太くて逞しいのです。

【蛇は悪神と思った民俗】
旧約聖書創世記は民俗学や文化人類学の宝庫のようなものです。
蛇からストーリーが始まります。
「主たる神が造られた野の生物のうちで最も賢いのは蛇であった」とはじまります。
若しもアダムとエバが蛇に騙されて毒りんごを食べなかったら、人間は幸いだったことでしょう。ヘブライの民が夫婦の蛇が交わる光景を見て「蛇を悪の象徴」「人間の罪の始まり」と理解したのでしょう。私達は語彙も豊かになりましたし抽象的な思考も出来るようになりました。でも神話を思いついた古代人は動物や自然を見て素朴に感じ、思うばかりでした。
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蛇に唆されて禁断の林檎を食べた事から人類はエデンの園から追放されたのでした。フーゴー・ファン・デル・グース作人間の堕落出典:ウキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/
蛇を見て人間は次のように感じ、思った事でしょう。
1、クネクネと動く得体の知れない無気味な動物だ。
2、獲物を獲る時敏捷に動くし蛇に睨まれると獲物は動けなくなってしまう。
3、毒があるので噛まれると死んでしまう。
これらの特徴が蛇を悪神と直感した根拠だったのでしょう。

【蛇を善神と信じた日本人の先祖】
一方私達には古事記日本書紀の神話があります。
私達の祖先は蛇の別の側面を観たようです。
1、地上も水面も樹上も何処でも滑るように自由に動ける。
2、害獣である鼠を食す天敵である。
3、田圃に棲息する。稲作の守護神である。
4、脱皮を繰り返しながら成長する。
以上の特徴から、日本人は蛇を穀物の豊穣をもたらす善神として、捉えました。
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 これは中山道の八幡宿にある八幡神社境内の石仏蛇神石仏
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これは江の島の岩屋に祀られた蛇蛇は江の島弁才天のお使いとされています。以前次に書きました。http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%B1%9F%E3%81%AE%E5%B3%B6%E8%9B%87%E3%81%AE%E7%9F%B3%E4%BB%8F&oq=&ei=UTF-8&xargs=2&b=21
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石見神楽八咫の大蛇の舞台出典:ウキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%A6%8B%E7%A5%9E%E6%A5%BD
イザナミの子須佐之男命「スサノウのミコト」は怖ろしい八咫の大蛇を退治し櫛稲田姫(くしなだ姫」を救出しました、大蛇の尾から得た剣(゛あま‐の‐むらくものつるぎ【天叢雲剣】】をを天照大神に献じたのでした。荒々しい山の民を滅ぼして千代川流域に美田を開墾して一帯を大和朝廷に従属させた伝記と読めるのでしょう。大神神社の箸墓伝説は山の民と稲作の民との平和的な統一(結婚」と読めるのに対し。出雲は武力と策謀によって出雲の民を屈服させた…、と理解できます。
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これは鎌倉の佐助稲荷の祠に鎮座する宇賀神を表す蛇です。お稲荷様のお使いは狐になったのは江戸時代以降で古代中世までは蛇でした。蛇も狐も稲作の害獣である鼠の天敵でしたが蛇に比べて狐の方が当りが良かったし、仏教の影響で狐がその座を蛇から奪ったものと思います。仏教では狐は吒枳尼天(稲荷神の本地仏)を乗り物となっていました。


記紀では蛇は必ずしも善神ではありませんでした。八咫の大蛇等は悪神でした、日本の国が米本位の農業国家になるにつれて、蛇は弁才天にしても稲荷神にしても宇賀神においてもそのお使いになり善神の眷属になりました。日本の信仰は人間に限らず総ての動物に霊性を認めその霊性を畏怖する事からシャーマニズムと評され未開人と同じ程度に分類されますが。それは西欧流の人間中心の考えに依るモノであり生活の場面に即応して考えるのは自然な事です。記紀も旧約聖書も同じシャーマニズムであったと思われます。西欧文化が抽象化形而上下の考えが進んだ結果偶像を否定し一神教に統一されたのに対し、日本は抽象思考が苦手で在った為に遇物崇拝したものと思います。同じ蛇でも捉え方の違いが興味深いのです。

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日韓の漬物文化に共通するモこと

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「和食」がユネスコの文化遺産に指定されて湧いた日本ですが同時に韓国は「キムチ」が文化遺産に指定されました。私はキムチもキムチ鍋も好きですから,指定に反論があった訳ではないのですが。漬物なら柴漬けや沢庵漬けの方が文化遺産に相応しい思ったのでした。
キムチは、もともとは朝鮮半島の厳寒期に備えた保存食です。初冬になれば白菜や大根を干して塩とニンニク唐辛子と共に大きな壺に漬けこみ民家の軒下に保存します。
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キムチ写真出典ウキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%83%81冬野菜を塩魚貝唐辛子等と漬けこんだもので。当時(文化遺産指定)辛子等が中米からポルトガル船で日本経由で朝鮮半島に伝わったといった云う解説に韓国がムキになって、朝鮮経由で日本に伝わったと主張して失笑を買いました。当時は桜も朝鮮経由で日本に伝わったと主張して居ました。
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キムチを漬けた甕を並べた景色/出典ウキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%83%81冬野菜を塩魚貝唐日本の漬物は甕では無くて樽(杉や椹材)に漬けこみます。どちらも冬野菜を乳酸発酵させた漬物で冬越しの健康を守る健康食品ですが少し違う処が面白いと思います。
キムチは甕の中で乳酸発酵して酸味・うま味と塩辛さが複雑に混じり合った風味が特徴です。多くの場合は魚介類や塩辛などを交えていますから、魚醤のうまみに通じています。韓国サッカーが強いのもキムチを食べる文化があるからだと思います。
一方日本の漬物の代表柴漬けは。秋野菜の代表茄子やキュウリを紫蘇と共に樽に塩を混ぜて漬けこんだものです。詳しくは大原に工場のある土井柴漬け本舗のホームページをご覧ください。http://www.doishibazuke.co.jp/。日本の優しさは(和)は”お客様をおもてなししようとする心に由来すると思います。
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建礼門院の眠る大原の寂光院先年火災に遭いましたが建礼門院の肖像彫刻も安泰でホッとしました。寂光浄土を想わせるに充分に美しいお寺で女性に人気のお寺です。里では紫蘇を栽培して柴漬けの材料にします写真出典京都府観光当局http://kyoto.wakasa.jp/kouyou/3/J062/)

柴漬けの始まりは大原に隠棲した建礼門院(平徳子)に大原の、里人の差し入れた漬物を気に入られたのが始まりで名付けたのは建礼門礼門院と言い伝えられています。優しかった里人の「おもてなしの心」が柴漬けの乳酸発酵の美味しさだったのでしょう。
”おもてなしと”といえば佐野源左衛門です。下野佐野の御家人は旅の僧(北条時宗)をもてなすために、丹精した牡丹を焼いて暖を提供したのでした。(謡曲鉢の木)
昨日は鎌倉の街を歩きました。
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の大根寒の内に抜いて干して沢庵漬けにします。寒が抜ければ大根は塔が立ってしまいます。今が一番美味しいし美味しさの最期の季節です。漬物は野菜のライフサイクルと人間の知恵を共生させた食品です。
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三浦の大根を干す風景手前の黄色い花は”冬知らず”です。強い山野草で喫茶の世界では禁花です。利休の命日に咲いていた花だそうでそういえばもうじき利休忌です。
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これは霜降り白菜。霜が降りるようになると白菜は固まって防寒します。外側の葉っぱは霜げて枯れてしまいますが芯の葉っぱは栄養を溜めて美味しくなります。これを干して塩を振って漬けます。美味しい白菜漬けになります。我が生家でも母は本堂の縁側一杯に白菜を干して白菜漬けして居ました。あんまり寒いので指先は霜焼けで切れていたものです。手作りのほうじ茶と白菜漬けで来客をもてなしていました。
市場には白菜や大根が並んでいます。主婦に”いまからでもお漬物にしませんか!”呼びかけているようです。
白菜も大根も霜降り野菜と云って寒さが厳しくなってからが甘さが増して、寒干しも進むのです。
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鎌倉の若宮大路スーパー山鹿の店頭に並んだ漬物用の冬野菜。近くに野菜市場がある事もあって戸塚より廉価なようです。


私達は鎌倉農協の営む野菜市場に入り漬物を探しました。でも、漬物はありませんでした。そこでかって知ったる漬物屋に廻りました。
案の定全国の漬物を取り揃えていました。柴漬けも奈良漬けも店頭に並んで、試食ОKになっています。
奈良漬け京漬けを求めて帰宅しました。
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これは大根を囲炉裏端で燻蒸干してから沢庵漬けした燻りガッコ。山形や新潟の囲炉裏の香りがします。
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これは奈良漬け瓜半身で760円では山形の燻りガッコよりお安くて、気の毒です。本場の奈良市内ではではもっと高い筈です。
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これが京漬物のコーナー、漬物の王様は矢張り京都です。見た目も雅ですし、伝統漬物と革新漬物が程良くミックスしています。
韓国で漬物と云えば誰しもがキムチを想いますその点日本派野沢菜に千枚漬け赤カブら漬けと迷いってしまいます。乳酸発酵と云ってもその多様性が日本の良い所です。
壇葛の工事も進捗中で、既に老桜の姿はなく、若木が植えられていました。
京都の街の内裏の位置にあるのが鶴岡八幡宮ですが、段葛を取り壊して新造する工事を進めています。
壇葛の桜並木は日本の桜道を代表するものです。1182年政子の出産に際して整備したもので長い間松が植えられていたようですが関東大震災後の整備事業で松に代わって桜並木になったようです。しかし、その桜も百年を超えた事、根元を踏み固められアスファルト舗装された事から傷みが激しく。枯れる度毎に若木を植え替えて来ました。植え替えに際してオカメ桜や早咲きの河津桜を植えた事から。まるで美人の白い歯に金歯を嵌めたようで醜くなっていました。そこで昨年11月に大改修に着工したのでした。老樹は若木に植え替えると聞くと、市民は悲しみました。八幡宮は総じて樹木への愛情が薄いようで、あの大銀杏が病んで髄が腐っていた事も気づきませんでした。結果2010年3月10日に倒壊してしまいました。今度は桜を伐ってしまうのか!憤りましたが。腐ってしまう桜を観るよりはマシかもしれません。今年は市民が自慢の近代美術館を撤退して貰うようです。
壇葛も近代美術館も何れも八幡宮の境内地ですから市民が如何に怒ろうが八幡宮の判断が優先されます。
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これは鎌倉野菜市場から見た若宮大路路肩の水仙が見事でした。
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壇葛の工事も進んで桜の若木に植え替えられていました。市民の”「老桜」を伐ってしまうのは可哀想”抗議に対し八幡宮は”伐るか残すかは専門家の診断次第”と答えていました市民は傷んでいない老桜は残されるものと理解して居ましたが一見すると全部伐採して若木に植え替えたようです。八幡宮はその場凌ぎの嘘を言ってはいけません。


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出家詐欺問題の核心

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去年の4月夕食時にNHKテレビのクローズアップ現代」「を見ていました。キャスターの国谷裕子さんも降板するようで、彼女こそ一番気の毒”貧乏くじ”を引いたようです。
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NHKテレビのクローズアップ現代」のやらせ問題で降板するキャスターの国谷裕子さん、看板を降ろすことで幕引きを図る当局に国民は義憤を感じています。無理やり払っている受信料はもう払いたくありません。この際苦境の東芝に「NHKテレビ」の映らないテレビの販売を許可して同社の再建をサポートしてほしいものです

昨日はラジオもテレビもズット国会中継を報じていました。NHKは国営放送なのだから国民に番組の選択権はありませんせめてNHKテレビは「公平で公正で知性溢れる放送をしてほしいものです。それが出来ないならばwowwowのような放送形態にしてほしいものです。黙って受信料を払って国会中継を観る野も勘弁してほしいものです。
目玉番組の紅白歌合戦も史上最低の視聴率で大河ドラマの通年盛り上がらなかったようです。
その為でしょうか?NHKテレビでは「真田丸」の予告編を垂れ流しています。国会中継も大河ドラマも紅白歌合戦も観たくない人にとってはNHK受信料は”ぼったくり”です。
その不条理に早くNHKを民営化させて受信料を低廉化させるか。低所得者の端受信料は定率にするようにして欲しいものだ…思って居るのではないでしょうか?
いずれNHK民営化を選挙公約にするような野党が出現するような予感がします。
【出家詐欺報道問題】
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問題の発端はお坊さんになろうとして出家すれば戸籍は消して新しい名を戸籍に入れられる制度でした。戸籍に登記簿のように経歴も登録するようにすれば、今次の詐欺問題が発生する余地はありませんでした。写真は建長寺で戴いた栞

ところで「クローズアップ現代」で報じていたテーマは「出家詐欺」でした。
既に出家詐欺自体が現代用語でありますから説明する必要はないかもしれませんが・・・、出家詐欺(しゅっけさぎ)とは、出家すれば”戸籍の名前を消して新しく自分の好きな名前を名乗れる仕組みを悪用 して、多重債務者を出家させて別人に仕立て上げ、新しい名で銀行等から住宅ローンをだまし取る 詐欺を云います。本来は一生二生(いっせいにしょう)で人間の一生にはは在家と出家の二つの人生がある…の意味でした。
信仰は憲法にも優先する「基本的人権」ですから、信仰を理由に名を変えようとするのを否定できません。問題は詐欺に加担すると解っていて宗教法人が一役買って出る事でした。視聴者は宗教法人を仲間に組み込んだ詐欺グループに怒りの矛先を向けましたて改名詐欺とも呼ばれる。でも出家詐欺の当該人物がNHKの”やらせ”ではないかと云った疑問が向けられると怒りの矛先はNHKに向かいました。
夏にかけてNHKの籾井勝人会長のタクシーの私的利用問題が俎上に上がって”NHKは阿倍チャンネル”だ批判が盛り上がりました。
BPO放送倫理 検証委員会は、NHK総合テレビ『クローズアップ現代』“出家詐欺“報道に関する意見を 公表。[重大な放送倫理違反があった]と判断しました、民放では度々”やらせ”を経験していましたから敏感に反応して報道倫理を逸脱した内容であると断じたのでした。既にNHKは自社調査によってクローズアップ現代の報道自体に問題はなかった報告して居ましたから。BPOの判断は民放とNHKの感覚の段差を強く印象付けてしまいました。NHK受信料の不払い問題の再燃を危惧して国谷裕子さんを降板させて幕引きを図っているのは明瞭です。国谷裕子さん程の知性ですから、この涙を民放で活かして報道の本来の姿を指し示すことでしょう。”禍福は糾える縄のごとし”と云います。今回は転身の絶好のチャンスです。国民は彼女を判官贔屓しています。
詐欺は富くじから・・・・】
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目黒不動の富くじ風景同じ番号の木札を二枚作り一方をボックスに入れて錐で刺して辺り札をボックスから取り出します。それが当りくじになりました。現代の当選番号を決めるのは廻る円盤を矢で当てる方法で公明であるようです。インチキは可能でしょう。


歳末年初は寺社の稼ぎ時です。富籤・富くじ(とみくじ)は、8代将軍吉宗の時代に始まったと云われます。既に財政危機に在った幕府は寺社の普請工事に支援できなくなっていました。そこで普請の為の資金収集の方法である富籤・富くじや賭博の開帳を認めたのでした。宝くじの 起源と云われる富籤・富くじも賭博も財政危機が発端です。安倍政権がカジノに前倒れなのは昔も今も変わらないのです。
国定忠治にしても木枯し紋次郎にしても座頭市にしても時代劇は寺社の賭博場が舞台になっています。悪は賭場を仕切るヤクザでそれを認める代官所や寺社です。庶民は正義の刃が悪に振り下ろされるのを爽快に見るのです。どうも今回のクローズアップ現代の役割はNHKの籾井会長や同会長を推薦した阿倍自民党に悪役を担わせ美人壺振りにの国谷裕子キャスターが嵌っていたようでした。
江戸の三大富くじは谷中感応寺、湯島天神、 目黒不動でした。今年も賑わったようでおめでたい事でした。
目黒不動の還元率は70%と伝えられていますから年末ジャンボ宝くじの還元率50%よりずっと高かったのでした。江戸時代の感覚の方が現代よりズット公正で公平で庶民感覚に近かったように思います。
江戸城は1657年の明暦の大火で焼失してしまいましたが幕府は民生を優先して細見しませんでした。
ところが都庁を始め地方公共団体の役所は何処もかしこも豪華極まりありません。横浜市さえも林市長は市庁舎の建築を発表しました。横浜市の次の施策は目に見えています。横浜をカジノ特別区にして退潮気味のマカオに代わろうとするでしょう。我が戸塚区を基盤にする坂井学氏( 財務副大臣)はIR議連=通称カジノ議連の委員として横浜にカジノを誘致しようとしています。ライバルは大阪市でしょう。維新の党はカジノ積極派でしたが公明党は白紙でした。自民党を核に維新と公明党が寄り添うような格好です。公明党が創価学会の別動隊ならカジノは反対するでしょう既に我が国はパチンコ賭博天国でありこれ以上庶民を困窮させる施設は不要ですから。
賭博で泣かされるのは何時の時代も庶民で笑うのは権力でした。
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角川映画「女賭博師尼寺開帳主演は江波杏子さん出典は角川映画ttp://www.kadokawa-pictures.jp/official/onnnatobakushi_amadera/何時も賭場は寺社でした。
宗教は本来の役割に徹すべきです。詐欺の片棒を担いでいるうちにアマゾンやイオンがお葬式ビジネスに参入してきて大騒ぎ右往左往しています。アマゾンの「お坊さん便」に反対するより詐欺の片棒を担ぐような隙を見世ない事が重要です。


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多国籍国家への道

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私が学生だった頃流行ったフォークソングに「朝日の当る家」がありました。ジョーンバエズが透き通った声で唄いました。
私の家は西斜面にあるので、夕焼けは良いのですが、陽が射すのが遅いのが欠点です。居間の窓から向かいのURの高層住宅が見えます。朝陽が燦々と降り注いでいますから、アッチの家は温かそうです。そんなわけで「朝日の当る家」は良い家じゃないかと思います。。でもフォークソングのメロディーは陰鬱で、ハウスメーカーのCМソングのような単純な事ではないようです。歌詞を訊けばニュ―オリンズ不運な娼婦の半生を顧した反差別の人権歌のようなものです。寒い日本では羨望歌であっても暑い南部では人権歌なのでしょう。
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我家の居間から見れば西側のURのマンションには燦々と陽があたって羨ましく思えます日陰に住んでいれば陽向の家は羨望の的です。
そのURのマンションの北側には図書館があります。私は図書館に再三出かけるのですがURマンションに外国人が多く住んでいるので図書館のロビーは彼等の憩いの場所になっています。彼等の談笑する声を聴きながら
”中国人は如何して大声で傍若無人に話せるのだろう?”思ったりします。URマンションは私が10年も会長を務めていた町内にありますので、彼等が日本のライフスタイルに馴染めないでいるのが幾つもの場面で問題になったりします。一つはゴミ捨ての問題もう一つは地域の行事に参加しない問題、そして最近は震災対策です。
連合町内会では他の町内での外国人問題の対策を聞いて帰ります。また「学校地域懇談会」では虐めになっていないか気づかいしたりします。
小学校では年々外国人子女が増えて来ていますが子供達同士は仲良く運動し、学んでいるようです。親同士は仲良くなれないのに子供は容易に仲良くなれるようです。そう思って居た処”クローズアップ現代”で銀杏団地を紹介して居ました。大規模なUR団地ですがその四分の一が外国人居住者なのだそうです。この団地はベトナム戦争で難民になった人々を受け入れた団地だったのでした。ベトナム人が多い事から団地のセンター街区にはベトナムの食材を販売するお店があり、フォーや春巻などベトナムの料理店があるのです。私は身近にベトナム料理が食べられるので度々出かけます。小田急線沿線は外国人を受け入れる工場も多く、レストランは多国籍化が進んでいるのです。私のサラリーマン時代上司だった日下公人さんは国道246を観れば明日が見える」著されましたが、今は”小田急線を見れば明日が見える”面白さです。
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NHKのクローズアップ現代では銀杏団地の自治会の取り組みが報道されました出典:http://mojata.link/trend/19914

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銀杏団地のセンター街区にはベトナムラーメンや春巻等が軒を連ねていて多国籍タウン状況を現出しています。筆者も小田急線沿線の多国籍料理をエンジョイしこのブログにもアップしました。

クローズアップ現代では銀杏団地の自治会が外国人のマナーが悪いと云って困惑していたそうです。ゴミ捨てのルールは守らないし、挨拶も反してくれない。掃除やお祭りの行事にも参加しない・・・・。
ところが最近は自治会の役員にも外国人はなっているんだそうです。この変化のきっかけは子供達だったそうで、子供が小学校の社会見学で市内の”ゴミ処理工場”見学をして帰ったそうです。親は子供からゴミを分別して出すことの意味を教わったそうでした。分別してゴミ出しすれば街が清潔になるばかりでなくて資源になるのです。そう教わってゴミ出しするようになってから挨拶も出来るし団地の行事にも参加するようになったそうです。
なるほど外国人の受け入れは子供の受け入れが重要なのだと理解しましたスマートフォンも遊びも親より子供の方が先に使いこなしてしまいます。街の習慣やルールも子供に教えて、子供から親に拡げて貰うのが得策だと思って見ていました。
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町内一斉清掃には子供達に参加して貰って一家全員で汗をかいてもらう事が肝要です。筆者の町内では子供向けの菓子やジュースを用意してお子さんを待っています。写真は銀杏団地ではありませんが何処も同じでかs族にとっても地域にとっても「子はかすがい」です。

ところで、偶々図書館で『それでも私達が日本を好きな理由』を見つけて読みました。
現在日本には在日中国人が70万人もおられるそうです。彼等は日中両国の「反日・嫌中国」感情の狭間で最も心を痛めていることでしょう。日本は中国から言葉に尽くせない恩恵を受けています。字を知らなかった日本人は無料で漢字を遣わせてもらって来ました。中国での反日運動と日本人のヘイトスピーチに挟まれて心が揺らいでいたことでしょう。そんな中で『・・・・、それでも在日中国人は日本が好きです』との発言を中国人に向けて発したのがこの本でした。
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在日中国人70万人だそうです。彼等は荷中のいがみ合いに心底心を痛めた事でしょう。そこで「それでも私達は日本が好きです」と中国の同胞に向けて発言されました。読むと日本の多国籍国家への道が見えて来るように思います。

唐辛子(タン・シンス)さんは大阪在住の女性ジャーナリストです彼女は母国中国に向けて「日本は女性と子供にとって最高の国だ」と云っておいでです。唐さんも日本社会に馴染めないでいたことでしょうがその障害をいとも簡単に崩してくれたのがお嬢さんでした。ある日お嬢さんが小学校の社会見学で浄水場を見学して戻ったそうです。そして水道の蛇口を開いてコップに水を満たしてゴクゴクと飲んでいったそうです「今日私は浄水場を見学して来たの!こうやって水道の蛇口を開いただけで安全で美味しい水を飲めるなんてすばらしい事でしょう・・・」言ったそうです。以来唐さんの日本を見る目が変わったそうで。子供を通して市民としての教育を受けて来たのだそうです。隣に住む日本人に挨拶の作法を教わるよりも子供に教われば受け入れやすいものです。
お嬢さんは学校での挨拶習慣をお母さんに伝授します。”挨拶すれば相手が佳い人か危険な人か解るでしょう、挨拶は自分を守り自分を高める作法なのよ”お嬢さんに挨拶の作法を教わり習慣が身に着きました。
そんな唐さんも何れは中国に帰るようです。中国は世界に冠たるエリート社会です。今のママ日本の平等教育を受けて中国に帰ったらエリートにはなれず落ちこぼれてしまいそうです。そこで学習塾に通わせて競争に打ち勝つ術を叩き込んでいるようです。
水道水の有難味はPМ2.5や壌汚染に悩む)中国人にとっては耳の痛い話でしょう。何れ日本の水道システムを中国に移入しようそんな時代が来ることでしょう。
そんなプラントを受注するために商社も躍起になる事でしょう。
私の銀行員時代は中国プロジェクトと云えばリゾート開発や香港トンネルや工場建設ばかりでした。水道プロジェクトや土壌汚染大気汚染対策などに参加したら面白いかったのに…思ったりします。

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鏡開きで今年の吉兆を占う

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今日(1月11日)は鏡開きです。成人の日が連休作りの愚策によって鏡開きと一緒になってしまいました。昨日(10日)に鏡餅を床の間から下して(我が家には神棚がありませんので床の間が神棚兼用です)昨日のうちに青カビを削ってワイフが小豆を煮ていました。ですから今朝は御汁粉に漬物で朝食です。
お正月は歳神様を我家にお迎えしてこの一年の無病息災をお願いしました。願を叶えて貰うのは歳神様が宿られた鏡餅を戴かなくては神通力が着きません。そこで健康食品であり魔除けの色の小豆と一緒に戴くのです。
昨日のうちに鏡餅を下げましたが見事に青カビが生えていました。熱心に青カビを削っているワイフに私はアドバイスします。
「大丈夫だよ青カビに毒はないし、青黴からペニシリン(抗生薬)を作るくらいだから益はあっても害はないよ」言います。
でも私は青カビの生え具合が気になります。
青カビの生え方で今年の吉兆が占えるとズット思ってきたからです。鏡餅に青カビが沢山生えるほど健康運が上昇していると思っているんです。
鏡餅を割って歳神様を自分の体に取り込む事が「鏡開き」です。新酒の酒樽を割ってお神酒を戴く事を「鏡割り」と云うのと同じです。
私は未だ左半身不随意ですから歳神様のパワー(霊)で生き返らせて欲しいのです・・・。

こんな風に信じるようになったのは白幡八幡宮や御霊神社の湯花神楽を見学して濛々と湯花が揚がる程豊作になると聞いたからです。
青カビだって生物ですから生命力旺盛なほど吉兆だと思って居るのです。
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これは藤沢の白幡神社の湯花神事熱湯の中に青竹を入れて掻き混ぜて昇る湯気の花を観て吉兆を占います。高等学校で習った盟神探湯(くかたち)神明裁判を想わせる神事です以前次に書きましたhttp://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/47574765.html

こんな発想は縄文時代の占いでもある「太占/ふとまに」にも通じます。
鹿の肩甲骨を焼いて出現する割れ目をみて運勢や焼き畑農業で栽培する穀物を占ったものです。
太占/ふとまに」は訃と呪(マニ)と書いたのでしょう。昨年狼の護符を読んで先史時代の呪術を理解したのでした。太占/ふとまににた占いは現代にも残っています阿弥陀籤です。
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これが阿弥陀籤です。籤に当ると悪い役に着くので貧乏籤とか閻魔籤と云った方が適当なようです。元々は阿弥陀如来の光背が阿弥陀様の背後から放射状に出て居る事から上の様な網目ではなく決められたようです。図の出典はウキペディア
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これは鎌倉光則寺の頬焼き阿弥陀如来放射光のような後背が阿弥陀籤の語源です。まるで筮竹のようです。この阿弥陀様は以前次に書きましたhttp://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E9%A0%AC%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80

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 これが太占です鹿の肩甲骨を焼いて出来た割れ目で焼畑で栽培すべき雑穀の種を占います.線の先に書かれているのは黍とか稗とか蕎麦等の名です。冷害になったり虫害や日照りに遭遇すると飢餓に瀕してしまいますから占いは真剣そのものです。出典:狼の護符(奥多摩の御岳神社に残されていたものです)

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これが今年の鏡餅です。上の段は紙の三宝に乗っていますが実は切が三個入っているのです。従って黴も生えませんし、そのまま焼いて御汁粉に入れる事が出来ます。歳神様は弐重に巻かれたビニールを通らねばお餅に入れません。樹脂パックでは歳神様に敬遠されるので、昔ながらの重ねた鏡餅を用意した処見事に青白の黴が生えてヒビも入りました。お猿さんも梟さんも見事な黴に目を丸くしているようです。
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これが我が家の鏡開きです。御汁粉に奈良漬けを添えました。ほうじ茶と三つ好きなモノを並べて貰いました。

今朝は期待通りに鏡割りしたお餅を使った御汁粉です。
甘いので漬物は奈良漬けにしました。
お餅に宿った歳神様は私のお腹にすんなり収まりました。屹度胃袋が縫い物だらけなのでその綻びを償って下さることでしょう.でもこう呟いておいでかも知れません。
「子のお腹は黒づんでいるマロは朱色が好きなんだよな・・・・・」
奈良漬けを口にした瞬間に大神神社の杉霊が思い浮かびました。


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桜を待つこころ

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今年は暖冬です。早く暖かくなれば、桜も早く咲きそうな気がします。ところが昨年調べた処、暖冬と桜の開花とは無関係で、冬到来の早い、遅いが開花に影響するんだそうです。早く寒くなると、桜は早く次年の準備を始めるので開花が早くなるが冬が遅いと開花も遅れるんだそうです。今年は気象庁が開花予報を始めその根拠を次のように解説しています。『冬になって一定期間の低温にさらされると、花芽は休眠から覚めます(休眠打破)。休眠から覚めた後は、気温の上昇とともに生長し開花しますが、気温が高いほど花芽の生長が早く進み、開花が早まります。』
https://www.jwa.or.jp/news/2016/01/post-000597.htmlそして今年から気象庁は各地の研究者の協力を得て今年から開花予報をは大擁する相です。三春の滝桜を例にすれば昨年は4月6日頃に開花したのでしたが今年は10日頃に開花し満開は20日頃だそうです。http://afun7.com/archives/3059.html
今年は白水阿弥陀堂と併せて三春に行きたいものです。
昨日1月11日は御汁粉を満喫してワイフとお出かけしました。
戸塚駅のコンコースには伊豆の河津桜のポスターが貼られていました。ISBEUTIFUL『伊豆ビューテフル』と捻っています。私は河津桜も良いが河津川の藻屑蟹の方が気に懸ります。
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JR戸塚駅構内に貼られた伊豆の観光ポスターの目玉は早咲きの河津桜です。

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今は冬桜と早咲き桜が同時に咲いています、写真は冬桜です。冬桜は10月に咲き始め冬中咲いています。春桜の早咲き種とは別です。
今日の行き先は深川の富岡八幡宮にお隣の深川不動尊(成田山の東京別院その後、佃島、月島を時計の逆回りして東銀座の歌舞伎を経てJRで戸塚に戻る江戸下街周遊です。
東京駅丸の内北口に出て都バス(錦糸町行)に乗り換え、門前仲町に向かいます。丸の内北口は30年以上通勤した駅舎ですもう丸ビルはありません。国鉄本社ビルも無くなり。新ビルには日本生命のプレートが貼られています此処は開発は国鉄の他交通公社や丸ノ内ホテルがあった処、ところが国鉄の解体清算事業によって三菱地所や日本生命の開発事業に移って現在は丸の内オアゾとなっています。オアゾは大手町丸の内でありオンオフを捩った合成語で、「Office&Amenity ZOne」を略したものです。日本生命東京営業部も日比谷でなく現在地であったなら私の友人も先輩も丸ノ内ホテルのビアガーデンで落ち合っていたことでしょう。仕事のオン、オフ上手に切り替えればどんなに仕事が楽しかった事でしょうか。
錦糸町行のバスが1時間に2本しかないので、再開発ビルを眺めて回りました。
丸ビルの隣は三菱信託ビルその北隣が東洋信託その隣が住友信託、信託3社が並んでいます。三菱信託ビルだけが前面意匠を残してオアゾを含めて全部が完全新築です。
街路樹も植え替えられました。昔は銀杏でしたが今は椿と河津桜です。
陽当りも良いので桜は随分早咲きだったのでしょう。既に花弁は散って花の芯が残って若葉が生い茂っていました。
気象庁の昨年よりは開花が遅いという予測は早咲きの河津桜に限って言えば外れのような気がしてきます。
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丸の内オアゾビル前の河津桜はもう散って若葉に移ってしまいました。西側の信託ビルとの間の街路樹は椿に変わっていました。
深川不動尊の中通りは餅花で飾られていました。
私達は京漬物の金為さんの暖簾をくぐりました。するとお囃子が鳴って獅子舞さんがお店に入って来ました獅子舞さんは上手にご祝儀袋を咥えました。金為さんの女将さんも頭を齧られて嬉しそうです。でも、子供は泣きべそをかき始めました。
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深川不動尊参道の仲通りは餅花が咲いて獅子舞さんが巡っていました。写真は京漬物の金為さんの店頭です。

お昼は深川不動から住吉神社に向けて歩いて月島もんじゃ通りでランチを食べました。
この辺りから築地にかけては私が銀行に入って預金集めに歩き回りました。
お得意さんはお医者様で医科歯科大や癌研そして聖路加病院にお勤めの勤務医さんのお住いが多かったのでしたそして花柳界で働く方々のマンションや小さな戸建て住宅を露地の奥に集金して回りました。
永井荷風や宮本輝の小説の世界を蟻のように歩き回っていました。
露地は次々に潰され高層マンションが林立しています。粗末な戸建て住宅はビル風に吹き飛ばされそうな気配です。露地は無くなる、家は崩れる。字の通りの「仕舞屋」(お終いの家の意味)にはお世話になった、芸子さんや仲居さんが画今も住んでおられるのかも知れません。
露地には植木鉢が並んでいてシクラメンや桜草が咲いています。

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月島の露地、夢見通りの人々(宮本輝)や永井荷風(築地鉄砲洲で育ちました)の世界を見る思いがします。

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月島の路地裏に育てられている桜草。路地裏の優しさは昔も今も変わりませんが。街の気色は随分様変わってしまいました。

月島から築地を経て慶応大学創立地や立教大学創立記念碑を経て歌舞伎座に回るプランだったのでしたが、既に私の脚は乳酸が蓄積して棒のような状態でした。タクシーで東銀座に廻りました今日の一幕は「義経千本桜」です。看板を見ながら歌舞伎座ギャラリーに入りました。
歌舞伎座には桜が其処此処に飾られています。
餅花もあれば、簪も桜ですし、投げ入れも桜が飾られていました。桜は山形産の啓翁桜という淡い花弁の桜です。屹度サクランボを育成している温室の傍らで育って花開いた桜なのでしょう。日本人は桜の花を観るとパット華やいだ気持ちになります。
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歌舞伎座ギャラリーに投げ入れされた啓翁桜
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11日は成人式沢山の晴れ着を見ましたがこんなツマミの花簪もお似合いでしょう。
春になれば歌舞伎座では義経千本桜京都の南座では「都躍り」です。
今頃はお稽古に汗を流しておられることでしょう。
夫々に桜の開花が待たれる今日この頃です。
1月21日になれば大寒で節分を越えれば2月4日に立春です。今日は心底冷えていますが春は遠からじです。

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露地裏の社会学イン月島

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私の銀行員時代上司に人気の経済学者竹内宏」さんが居られました。平易な経済解説で人気で居られました。ご出身が次郎長を産んだ清水でしたし、庶民性が魅力の方でした。著書「路地裏の経済学」の名を取って「路地裏学派」と呼ばれたりしました。私は鞄持ちをしたこともあって同氏が経済学者として大成した秘密を知っていました。
それは路地裏がお好きでいた事、更に、路地裏を観察するだけでは無くて路地裏での井戸端会議に参加して、聞き上手で居られたのでした。人の話を聞いてその話を構築して自分の言葉で井戸端に集まった人に訊かせる、そんな手腕が秀でておいでなのでした。露地裏経済学派は竹内氏引退後も森永卓郎氏や金子勝氏等に引き継がれお茶の間で人気です。
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竹内宏氏の代表作「路地裏の経済学」出典アマゾンhttp://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E8%B7%AF%E5%9C%B0%E8%A3%8F+%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6.井原西鶴の「日本永代蔵」も市井の出来事を綴ったものであったように竹内氏も露地裏に入り込んで世間話を聞き込んで話を論理的に構築して茶の間に聞かせるような姿勢で人気でした。路地裏経済学は江戸時代以来我国経済学の主流でした。

ところで浅草寺の一番の人混みと云えば仲見世でしょう。でもこの漢字を書ける人は相当の江戸通で大半の人は「中店」と思って居る事と思います。何しろ浅草寺の参道にあって雷門と総門の中間にある屋台通りなのですから・・・。
大坂の四天王寺にしても京都の東寺にしても露店が軒ならぬテントを連ねています。テントや屋台では出店する方もお客さんも混乱します。毎日賑わうお寺さんなら屋台の位置も決めておいた方が便利です。そこで参道の端っこに一列に屋台の場所を決めたのだと想像します。その上で屋台の主人を集めて『此処は仏様のお膝元なのだから仲良く遣りなさい』と命じられたので『仲見世』と呼ぶようになったと思います。「見世」とは遊郭の花魁が美貌をひけらかせる飾り窓のような施設です。
浅草寺の仲店文化が広がって深川不動尊の参道も「仲見世」k状態です。
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此処はお相撲記念碑の集中している富岡八幡宮。参道にはテントの屋台が並んでいました、この屋台を常態にしたものが仲見世だと思います。多分、屋台を常駐させたのは江戸っ子の合理性でしょう。合理性は基本的に冷たいものですが、接着剤の役割をしたのが下町の人情だったのでしょう。満員電車で尻を動かして席を譲るのもすれ違いに傘を窄めるのも人情です。昨今は江戸人情が薄れた様に感じるのは寂しい限りです。
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富岡八幡のお隣の深川不動尊『成田山東京別院』の参道(人情深川通り)は狭いうえにお店が軒を連ねて仲見世状態です。



深川不動尊から清澄通りを南下すれば大川に沿って佃島越中島そして月島です。ワイフの手にはインターネットでプリントアウトした江戸古地図があります。この辺りは大川の東で深く堀を築いて干拓地にしたようです旗本榊原越中守照清の屋敷があったのでしょう。相生橋の袂の公園には巨大な碇が置かれています。
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隅田川に懸った相生橋の袂に置かれた碇下流に明治丸(帆船重要文化財)が展示されていますので同船の碇でしょうか)
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相生橋から上流を眺める向こうの白い橋が永代橋左の大きなビルが三井住友海本社ビル。高層ビル群の下に露地があってその両側に木造家屋が密集していて質素に暮らしています。40年前この街で私は預金集めで這いずり回っていました。
橋の上から川上(北)を眺めれば石川島播磨重工業始め高層ビルが眺められます。
此処で日本最初の西洋式軍艦「旭日丸」「千代田形」を建造され明治10年に民間に払い下げられると日本初の蒸気船「通運丸」も建造したのでした。有限責任石川島造船所設立れたのは明治22年(1889)でした。
テレビでは今日も国会中継がなされています。
阿倍首相は税収の予算超21兆円を自民党政治の成果と自慢しています。従って補正予算3.6兆円に着いて文句は云わせない主張しているように聞こえます。野党は参院選挙前のバラ撒きであるとして補正予算案に疑問を呈しています。
阿倍首相は”民主党政権下ではこんな果実は見られなかった”と声高です、でも民主党は反論できません。
竹内宏さんが民主党のブレインで居たら仰るでしょう。路地裏視線で見れば疑問が幾らでもあります。陽向に居るのは大企業です。日陰で悲鳴を上げているのは庶民です。
これ以上格差を広げれば日本もテロ社会になってしまいます。
景気上昇、デフレマインドの終息が、税収は21兆上振れしたと云っても国の借金は1000兆におよび国民総生産の2倍になっています。
国債の過半は庶民の為に使われたのではなくて景気対策と云った名目で企業の顔色を窺って使ったものでした。
戦前は富国強兵の為に爪先を灯して貧窮に耐えて来ました、でも戦後は企業優先で庶民は顧られていません。軍艦に費やされた国債は紙屑になってしまいました。

ところで年収に倍する借金証書(国債)の所有者は誰かと云えば日銀、郵貯、そして年金事業団ですこの三者で1000兆円の5割を越します。国債は日本人が保有しているから安心でデフォルトリスクはないと政府は云いますが。こんな借金過多が国際常識で通用する筈はないので何時かは破綻するリスクがあります。国債を売り浴びせるとすれば外国人が想定され、最大の投資家は中国です外国投資家は下表に依れば135兆に及びます。正月明けから株価が続落して私達は疑心暗鬼で、諸悪は中国の「サーキットブレーカー制度にある、と非難していますが。東京証券取引所も国債の相場急落対策として「急落した場合は取引を停止する用意をしています。。
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1000兆に及ぶ国債の所有者内訳。日銀も年金も郵貯も皆身内で。国債と云う借金をたらいまわししているのです。戦前のモラトリアムと同じように国債デフォルトの場合は国民が尻拭いする事になります。中国が安倍政権はけしからんと云って国債を売り浴びせれば日本丸は沈没する事でしょう。私も年金を失う事になります。

私が月島の露地裏で預金集めをしていた頃は安アパートが露地の両側に建っていて、日雇い労働や芸者さんやクラブのママが住んでいました、みんな貧しくても夢がありました。露地裏ではいろんな人が肩を寄せ合い慎ましくも優しくいたわり合って生きていました。ソロソロマンションも出始めていました。マンションには癌研や聖路加の勤務医がお住いで、みんなせっせと貯金しておいででした。
私は勤務医さんの若奥様から貯金を預かって廻りました。
私は銀行の竹内宏さんの露地裏を身を以って廻っていました。表通りには喫茶店が在ってジャズを聴きながらオムライスを頬張りました。当時はモンジャ焼きはありませんでした。表通りに善光寺別院がありました善光寺さんですから阿弥陀様が本尊かと云うと観音様が祀られていました。地下鉄や臨海線が通って立地が良くなったお蔭でしょう。一日会社勤務で疲れた人が月島でオフを楽しむようになったからでしょう。浅草の仲店状態に変身しました。
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これは昔の月島通り浅草寺の仲店が1~4丁目まで続いています歩天国で椅子も設えてあります。モンジャ屋さんには行列が出来るのでおお店の前にも椅子があります。

1丁目から4丁目まで500mもの間が仲店です。日本最長の仲店です。
善光寺さんは川崎駅前の別院を月島に移転したら、月島の仲通りは善光寺さんの参道のようにチェンジされることでしょう。屹度、長野駅から善光寺本殿迄よりも賑わう事でしょう。
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善光寺別院もビルの中に入ってしまいました。でもビルは公衆浴場ビルで人情のあるもので良かったです。
ワイフともんじゃ焼きを食べて歩行者天国を楽しました。ようやく杖も外して歩き始めた私ですが、此処なら安全です。先日テレビニュースで駅舎のホームで肩がぶつかって線路に突き落とされた事件が起きました。仲店は仲良くするの意味なのでしょう。仲良くする町が居心地良いのです。高層ビルは日陰を作るし、ビル風で小さな木造家屋は心細いのです。大風が吹く度毎に竜巻で吹き飛ばされないかビクビクしておいででしょう。私が好きな三井不動産が大川端開発を推進してきた事実は残念ですが高層ビルと江戸情緒の色濃い長屋文化や露地裏文化を大切にして残して欲しいものです。
70年代は三味線も響いていた露地でした。粋なお姉さんが小唄のお師匠さんなんかしておいでなら楽しいのですが。
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路地裏の向こうは隅田川で高層ビルが聳えています。路地裏は津波が来ない前提です。でもそんな時は高層ビルに避難すれば良いでしょう。江戸の優しさで津波時に避難受け入れ協定を結んでいることでしょう。

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筍の冬瓜

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昨年末に巨大な冬瓜を戴きました。暫く台所でゴロゴロして魔除け役をして貰っていました。冬至には魔除けを意図して一つ目を描いて遊んでい媽祖びました。"魔物ウォッチャー”です。
いよいよ寒さも本番食べる事にしました。
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これが農家から戴いた冬瓜です。妖怪ノッペラボウを想わせる表情に興が湧いて一つ目を描いて冬至の魔除け”魔物ウォッチャー”にしました。我家版のハローウィンの積りでしたが台所の邪魔なのでソロソロ打擲して胃袋に収まって貰う事にしました。
ワイフから”どうやって食べたいの?”尋ねられました。
中華料理の春雨と冬瓜スープ。京都のおばんざいに出てくる土佐煮”その上に鳥ソボロのあんかけを懸けたのも美味しそうです。二年越しで台所を占領していた冬瓜です。
冬瓜は南瓜(かぼちゃ)と同じで真夏に実りますが、農家は収穫せずに、畑にゴロゴロ転がしておいて冬になると収穫して食べるのです。冬瓜の筍は真冬なので冬を待って出荷するのです。
冬瓜は腐る事はないし真冬にフーフーと吹きながら食べるのが美味しいし、寒中が筍なのです
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冬の畑に転がっている冬瓜、春野菜の種を撒くまでは畑に放り出されたままです。でもこうしておいた方が旬の寒中に美味しくなるのです。撮影場所三浦半島の畑。
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三浦半島の畑では夏は西瓜を栽培しますが西瓜を収穫すれば大根に移ります。売り物にならなかった西瓜は畑で土に戻されます。同じころ成熟した冬瓜は畑で売られる日を待ちます。撮影場所三浦半島の畑

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初秋の鎌倉野菜の市場に並んだ冬瓜。でも青いうちは美味しさはイマイチです。畑で滋養分を蓄え寒くなると美味しさが増すのです。

ワイフが手を痛めながらも巨大な冬瓜に包丁の刃をあてがいました。冬瓜は南瓜以上に固いので包丁の刃を跳ね返してしまいます。それmにこの冬瓜はお化け冬瓜なんですから・・・・。

ワイフがお化け冬瓜と格闘する様子を見ていたら、私は瓜子姫を思い出しました。
善い婆さんが桃を割った時に桃から産まれたのが桃太郎でした。
優しい婆さんが瓜を拾って、割った時に産まれた女の子が瓜子姫でした。
どちらも川を流れ下ってきた果物でした。
拾ったのは仲の良い老夫婦でした。桃から産まれた桃太郎は鬼退治して老夫婦に幸福をもたらします。
ところが瓜子姫は美しく成長したものの悪い天邪鬼に騙されて食べられてしまいます。鬼に殺される処までは「赤ずきん」と同じ様なスト^リーですが。瓜子姫では救済してくれる王子様は出現しません。悲しい儘の救いようのない暗い物語です。
瓜子姫が金太郎や一寸法師の様な若武者に救出されて一家4人幸せに暮らしました…目出度い目出度い!とならなかったのはお姫様だからだったからでしょうか?関西ではハッピーエンドの瓜子姫が語り継がれているようですが関東の瓜子姫は悲劇の儘です。
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菜切包丁では刃が立たず出刃包丁でようやく割れた冬瓜でした外皮に近い肉厚の部分を風呂吹き大根か南瓜を料理するようにして調理します。
日本の中世は男尊女卑だったので瓜子姫は救いようのない暗い物語で女の子は残念だったでしょう。
夕食の卓にはあんかけ土佐煮の冬瓜が出されました。
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これが冬瓜の土佐煮ソボロあんかけです。今頃京都の町屋の”おばん材の店”に行けば定番です。冬瓜が熱いのでフーフー吹きながら食べるのですが、冬野菜の滋養がたっぷりで体が悦んでくれるのです。

翌日の味噌汁の具も冬瓜でした、お昼の饂飩の具にも冬瓜がお目見えです。毎食に冬瓜が食卓で私の体を気遣ってくれます。
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味噌汁の具はワタリガニに冬瓜でした。冬瓜に蟹の旨味が染入っていました。冬瓜はオデンの蒟蒻のようなもので、自体には味は無いものの他の食材の旨味を吸い取っているのです。私の内臓に蓄積した毒(魔とか厄)を吸い取って体外に排出してくれるような気がします。
毎食のように冬瓜を食べても未だ半分も残っています。冷蔵庫(野菜庫)を占領したままです。でもこの調子なら節分を越えて立春(今年は2月4日)には全部食べ終える事でしょう。その頃には私の体内の毒素は尽く排出されて綺麗な桜ももう眼の先になっていることでしょう。

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これは昔ながらの瓜です。瓜をお寺では大切に栽培しています。円覚寺も向かいの里に瓜畑を所有していたので地名(瓜ヶ谷)にその記憶が残っています。梅雨の季節に食べて体内の毒を輩出し冬にも冬瓜や乾瓢を食べて利尿を促しコレストロールや血糖値を下げます。写真は北鎌倉の瓜ヶ谷の畑で撮影。


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倭国は和国

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先週は深川佃月島の神社を詣でました。其処が私が新入銀行員時代に預金集めに汗をかいたことから懐かしく路地裏を見ました。宮本輝氏の私小説「夢見通りの人々」の世界が未だ残っているのは嬉しい事でした。路地裏の長屋で慎ましくも労わりあいながら夢を持って生きる事は昔も今も素晴らしい事です。
昨年末にはパリで同時多発テロが発生しました。実行犯の姿が次第に明るみに出て”ホームグロウン”と呼ばれるパリ生まれの人達である事が判ると難民が苦労してパリで国籍をとってもフランスに馴染めず謂われなき差別に苦しみ其処にISの誘いがあってテロリストになった、経緯が明るみに出ました。
地政学的に大河の東は被差別民が多く寄り添いあって、住んでいるようです。ロンドンのテームズ川の東もそうです。セーヌ川も東岸に貧民街が広がっています。隅田川も東側が貧しいようです。
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パリの同時多発テロの地図。セーヌ川の東岸に集中しています。大河の東側は地政学的に貧者、弱者が集積するのでしょうか?ロンドンも同様ですし、東京で云えば向川と呼ばれた月島、佃の旧市街地が当たります。出典朝日新聞デジタル版http://www.asahi.com/special/timeline/20151114-france/な
ところで難民問題は今日突然に発生したものではありません。旧約聖書の出エジプト記もエジプトから中東にヘブライ人が難民になって出るお話です。ヘブライ人も蒙古人に攻めたてられ再び難民になってヨーロッパに脱出しようとします。その度毎に血で血を洗う摩擦が生じました。
一方朝鮮半島には北方に高句麗があって大陸に唐が成立しました。新羅は唐と同盟を結び朝鮮半島の統一を志します。朝鮮半島南部の人民は攻めたてられ難民となって日本に逃げ込みます。日本は大和朝廷の統一に向かう時期でした。日本は百済難民を迎い入れます。
大和の名は一般に「山の門」とか「山の里」の意味であると云われますが。それを漢字に直すと”大いなる和を重んじる国”を意味させたと思います聖徳太子は17条憲法で”和をもって尊しとなす”宣言されましたが、
それは豪族と朝廷の内輪揉めを戒めたもので先進国の唐(髄)に対しては私達は和を大事にしますので弱い者の百済を受け入れるのです”と大義を述べたものだと思います。その一方で大宰府に「防人」を置いて防衛に勤めたのでした。小国の日本に和の大義を述べられては大国の唐が日本を攻め込むのは憚れました。
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広隆寺弥勒菩薩像氏のお寺ですしこの像は秦氏が百済から我国に伝えてモノと云われています。百済仏は法隆寺の百済観音も含めて中国六義様式のそれとは違った柔和なお姿が特長です。

昨今我が国は格差が拡大する一方です。格差の拡大は社会リスクを呼びますパリのテロを呼ぶような社会的な環境にあるのです。若しISが日本でテロを引き起こそうと考えたらアジトに向川の長屋を選ぶことでしょう。テロリストが潜むには恰好な環境だと思うのです。加えて民泊自由化の動きにも乗っています。
私は格差社会の反対概念である路地裏がテロリストのアジトにされるのは耐え難いものがあります。
処でこの週末はどんと焼きです。
関東では左義長と呼びます信濃ではどんと焼きと呼びます。
屹度竹が焼けて爆竹の音が”ドン”と聞こえる為でしょう。
ところが奈良では”とんと焼き”と呼びます。濁音が憚れるからでしょう。
奈良の市街地の人は若草焼きの麓の飛火野に松飾を持ち寄ります。集められた松飾をチェックして(石油製品を弾く)春日大社の神主さんが御祈祷して1月23日に燃やします。トンド焼きの火は若草山全面に広がります。
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若草山の山焼きは飛火野で行われるトンド焼きに始まります神事は春日大社が執り行います。若草山の山焼きが終われば次は修二会で春はもうじきです。写真の出典(春日大社HPhttp://narashikanko.or.jp/yamayaki/)


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若草山の山焼き今年は来週1月23日です写真出典奈良県観HPhttp://www.kasugano.com/wakakusayama/
若草山の山焼きが終われば次は二月堂の「お水取り(修二会」ですお水取りを執り行うのは東大寺の守護神社である手向け山神社です。修二会を見ていると不思議な気になって来ます。
二月堂のお堂の中からは僧侶の読経が響いて来ます。でも大松明行事も若狭井から若水を汲む行事も何れも厄を焼いて穢れを流すお祓い神事です。お詣りする人は柏手を打つべきか合掌すべきか迷ってしまいます。大体大仏様を鋳造した時の技師は大分の宇佐八幡宮から派遣して貰った帰化人(難民)だっと主張する人もいます。水銀を使って金箔を貼ったのも帰化人だったことでしょう。
以来東大寺は宇佐八幡宮を勧請したのでした。平安京も宇佐八幡を勧請し、石清水八幡宮として祀ったのでした。頼朝も平城京平安京を見習って鎌倉に八幡宮を造営しました。神仏習合といえば身も蓋もないのですが、神も仏も”和”を重んじると云えば現代的意味も大きいのです。神も仏も分け隔てなく敬愛すると考えれば、イスラムもキリストも等しく頭を垂れたいものです。
批難されるべきは差別であり格差です。
下流老人が流行語になるような時代は愉快ではありません。

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死の判断の社会学

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阪神大震災の忌日が近づいて来ました。15日の明け方「ラジオ深夜便」が「毎朝ラジオ」に引き継がれる頃臨時ニュースが流れて軽井沢碓氷峠での大型バス事故を報じていました。軽井沢病院のお医者様が死者は2名で外傷は殆ど無くて何れも強い衝撃による内臓破裂で生命反応が無いと報じていました。
私は再び〝死”について考えてしまいます。
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スキーバス事故を報じる15日の読売新聞。今年はバス事故が多すぎます。何れ飛行機(フライトレコーダー)と同じように運転記録を保存する事が必要なように思われます。
19歳の大学生二人は原宿から深夜バスに乗り込んで一眠りすれば斑尾高原のスキーゲレンデに居る積りだったのでしょう。でも目が醒めてみると自分の体ないし寒くもありません感覚だけがフワフワ空中を彷徨っているだけです。
二人の霊はそのまま高原の頂に漂うだけなんでしょう。少し先に行けば坂本堤弁護士一家(オオム事件被害者)の霊地でもあります。
坂本さんの御一家が殺害されたのは警察や裁判所が認定します。処が19歳大学生の死亡はお医者様が認定します。わたしたちは化学や医学を信じその判断を優先するのです。
でも私の祖母の死は家族が看取って家族が死を判断し逝った祖母本人も家族にしっかりと別れを告げました。
本人も家族も死については共通の認識を持っていたのでした。現代は死亡診断書はお医者様しか書けませんから火葬の許可証も死亡診断書が在って初めて発行されます。でも200年前までは死の判断も埋葬許可証もお坊さんが発行して居ました。社会の認識が死の判断を坊さんに委ねていたのでした。でも現在はお医者様のスキル(生命反応の有無)に委ねています。
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これは長崎の精霊船です初盆を迎える家では家族総出で「もやい船」を作って海に流します。佐田まさしさんの「精霊流し」の歌の世界です現代は個人の死と結び付けて捉える人が多いのですが、死者の出た家が前々通り栄えるように祈願する行事で、葬儀の一環としてとらえられます。チベットでの葬儀にも奥能登でも見られる葬儀の形態です。写真の出典ウキペディアもやい船ももやい小屋も同じで死者の体に悪魔が入らないようにする行事です。昭和天皇の葬儀でも作られました。
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戸塚柏尾川の精霊流し。社会が「家の時代」から「個の時代」に移精霊流しももやい船は廃れて小さな雪洞に変わってしまいました。
「死んだらどうなるの?」誰も経験がないし一度しか経験できないものですから、自ずから恐怖感が生じます。
一方家族や共同体(ご近所や村)は人が死ねば杉林で一本の木が立ち枯れしたような隙間が生じます人々はその空間がどのように埋められるか心配に想いました。
隙間に悪魔が棲みついたら大変です。死んだ人と同じような良い人が隙間を埋めて良好な家や共同体が存続してほしいそして残された人達が以前と変わらない良い関係が続いて欲しいと願います。
それは先史時代も現代もあんまり変わりません。
葬式の儀礼はこうした見地に立てば(残された家族の平安を実現する)大凡解りますし、間違いもありません。
人が死ぬと先ず瞼を継いで鼻や耳を真綿で塞ぎます。それは体に魔物が侵入して遺族に災いを為さないようにするのです。
更に棺桶に入れて守り刀を持たせて棺桶の蓋は釘打ちをします。
釘も刀も魔物から体を守る行為です。魔物は金属が嫌いなのです。西洋のゾンビが忍辱を嫌うようなものです。古代は特に身内の争いが多く死者が怨霊になって畏族や現世の人に災いを為すことを忌避しようとしました。だから盛大に葬儀を行い、天皇は都を度々遷都しました。最近は身内での争いも醜いものがあるようです。死者は遺族に争いの種を残さない事も大切なようです。
私のように小物でさえ自身が死んだ後は家族が仲良く、友人は私が抜けても家族と以前と同様に昵懇にしてほしいと願うものです。
人間の死については生命反応の有無と云った視点と死後の人間関係をどのように存続したらよいのかと云った二つの視点があると思います。
先日書いたように酒井田柿右衛門や木曾の漆器職人の様な人は死んでも作品や工房は存続します。
ですから人間関係(社会学的な意味で)の死(ジ・エンド)は無いように思います。
その意味では運慶も西行法師も現代を生きているように想うのです。

碓氷峠バス事故の原因究明と再発事故防止さくについてはこれから俎上に乗ることでしょう。
私達は偶々”二度と再発させないような社会にすることが慰霊です”と云います。
その言葉は個人の魂の往生を祈っているような言葉ですが、実は社会学的な意味での”死”の経験を重ねた重要な言葉なのです。個人は居なくなっても良い人間関係が続いて欲しいと願う気持ち(葬儀)は個人が命を失った原因をトコトン追及して絶対再発させない仕組みを社会に整備することであると確信するのです。
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これは「かまくら」です。偶々鎌倉に多い岩屋の櫓(お墓」のような形をしています。かまくらに入って歳神様を迎えてお正月を寿ぐ行事は死者(先祖)と現代人(子孫)との交流行事で葬儀に通じるものがあります。



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鷽替(うそ替え)玩具への愛着

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今日は共通第1次学力試験の二日目です。受験生もそのご父兄もご苦労様です。でも、何れは「あの頃が一番よ好かった」言うときも必ず来るものです。雰囲気に呑み込まれずに、精一杯実力を発揮してほしいものです。
受験シーズンになると必ず全国の天満宮が報道されます。学問の神様菅原道真が祭神だからです。東大のあるお茶の水には湯島天神が京大のある京都には北野天満宮がありますし福岡(九大)には太宰府天満宮が賑わいます孟母三遷の中国の受験事情は熾烈を極めるようで、わが国では「天神三遷」かも知れません。
テレビを見ていると受験生が鷽人形を求めている姿が映ります。そして鷽の字が學(学の古体)に似ているから入学の夢を鷽の人形に託すのだ・・・・、説明していました。
こんな説明に納得する人は少ないでしょうし、心底受験に成功したいと願う人にとっては”ウソ”と云われて不本意でしょう。鷽は嘘の語呂合わせである点では正しいのですが。ウソの意味が違うのです。ウソとは災厄の意味で旧年中に在った災難が転じて福になるように願うのが”ウソ替え神事なのです。要するに災厄をお雛様に託して川に流したり、神社で形代(かたしろ)に災厄を移してお祓いして貰うのと同じ神事なのです。
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これは橘神社の形代(かたしろ)です旧年中の災厄を人形に移してお祓いして貰います。鷽替え神事もこの一つです。
鷽のと字と学の字が似ていた事もあるでしょうが、偶々受験シーズンに鷽が里に下りて来ることの方が重要です。大宰府天満宮に飛梅したように突然に綺麗な小鳥が遣って来ました。”これは春から吉祥!吉祥!”と里人は喜んでウソ替え神事に納得した事でしょう。
私の住む戸塚でさえ鷽は姿を見せます。庭先に雀が飛んで来たかと思えば朱色のゆだれ掛けが目につきます。”鷽だ!鷽が来た”確信した瞬間に今年の吉兆と喜びます。
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これは水浴びする鷽です。雀と同じ大きさでありながら喉にある茹だれ掛けのような朱色が目に留まります。雀の仲間ですから通常5~6羽が群れています。山雀(やまがら」よりも可愛らしく季節感の濃い野鳥です。
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鷽が群れて飛んできますからお目立ちです。

私の生活圏では鎌倉二階堂の荏柄天神社が賑わいます。鎌倉で最初に紅梅が咲き始める事、水仙や三椏等の春告げ花が多く咲くので観光客が集まって来ます。
若い巫女さんのリーダーがお婆ちゃんで甘酒を作って下さいますし、境内のr御神木の大銀杏になった銀杏の実を分けてくださいます。懐かしいお婆ちゃんが参拝客を孫子のように面倒見てくださいます。
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鎌倉二階堂の荏柄天神社は受験生や観梅客で賑わいます。縁台に腰掛けて甘酒を啜るのは早春の楽しみです。

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荏柄天神社ではお婆さん巫女さんが甘酒を分けて下さいます。100円は御神酒500円に比べても嬉しい安さです。
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絵馬も鷽が描かれています。鷽は受験の合格よりも旧年中の厄を転じて嘘にしてくれるご利益の意味です。

処で私が敬愛する画家(浮世絵師に川崎巨泉(1877-1942)、が居ます。玩具絵を得意にされた方でその絵は何処かで観られた方も多いと思います。玩具絵を熱心に描きコレクションした人で、竹久夢二が美人画を描き、「黒崎義介が絵本を描き川崎巨泉が玩具絵を描きました。ヨーロッパがパリ万博をきっかけにアールデコが持て囃された同時期日本でも手作りとか民芸運動と呼ばれた文化活動が活発になったのでした。
巨泉は民芸品をコレクションし大震災で郷土玩具自体が打撃を受けると浮世絵風に郷土玩具を描きました。郷土玩具がもつ庶民美を高く評価し、写生画を残すだけでなく、郷土玩具研究会を主催、又『人魚』などの研究会誌を発行して、民俗学的にも功績を残しました。鷽の郷土玩具はその作品の中でも特に目立ちます。それは巨泉の拠点が大阪で天神信仰が盛んだったこともあるでしょう。川崎巨泉のコレクションは大阪府立図書館にあり次で確認できます大阪府立図書館Eコレクションhttp://www.library.pref.osaka.jp/site/oec/ningyodou-index.html
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これは奈良の「大和菅原天神社の張子の鷽出典は「日本の玩具絵」巨泉の玩具えの愛着と民俗学的な知的好奇心が輝いている浮世絵です。
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京都の北野天神社門前の鷽玩具素材は杉の丸太のようです。
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太宰府天満宮の鷽の玩具素材は朴の木のようです。朴の木は棒葉味噌になる葉っぱの巨大な落葉広葉樹です。山形や新潟の郷土玩具のお鷹ぽっぽもこけしも多くは朴の木が使われています。出典前記
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これは太宰府天満宮の土鈴の鷽天満宮では菅原道真が蜂に襲われた時鷽が来て蜂を退治した言い伝えによっているそうです。流石に窯業が盛んな九州ですから今では土鈴が中心になっているようです。出典前記
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横浜の岡村天神の鷽守この絵を元にして現在は梅の枝に鷽を吊るして笹恵比須の様にして案内しているようです。


山形には笹野一刀彫の鷽の玩具があります。日本橋の丸善で展示会がありまあした。訊けば上杉鷹山の時代に武士の内職で木彫り玩具が始まったものだそうです。昨年は飢饉で苦労した来年は豊作になるよう願いながら。刀を鑿に持ち替えて鷽を作ったのでしょう。以来笹野一刀彫は郷土玩具として敬愛され続けています。
鷽替えを字の通りに実施したものでした。山形の武士は鷽替えを信じていたことでしょう。雪深い里の囲炉裏端でセッセと削ったのが鷽人形だったのでしょう。鷽の成功は鷹に発展し今では尾長の鶏にミミズクも広がりました。
鎌倉の荏柄天神社も関東以北最初の天神様ですからそれらしい新規な意匠で鷽替え玩具を考えて欲しいものです。成功するためには山形の様に鷽替えを信じる事から始める必要があるようです。
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これは上杉鷹山が奨励した笹野一刀彫のミミズクとお鷹ぽっぽ鷽替えの願望が美しい民芸になりました


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猿の文化史

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昨夜はとても静かでした。雪が積もると静寂の極みになるようです。案の定庭の椿も梅にも雪が積もって苦しそうです。私も健康体ならバイクを飛ばして八幡宮の寒牡丹や東慶寺の紅梅を見に行くのですが。この身体では身動き不能です仕方がないので昔の写真を見返して観た積りになりましょう。
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これは鶴岡八幡宮の寒牡丹。八幡宮では春牡丹(5月)は自生させているのですが正月に咲かせる牡丹は島根の大根島のボタン園にリースしています。源氏池の島には冬鳥が佇んでいます。
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これは東慶寺の茶室に咲く紅梅です.此処の紅梅は早咲きなので度々雪が降り積もります鎌倉夫人がお着物に気遣いながら初釜に集まられます。紅梅の表情ににも似た季節感があります。
赤は火の色ですから。人間はその不可思議さに神意を測りました。お不動さんも赤不動が最高です。白の清浄も良いのですが硬くて食べにくい穀物も火で煮て柔らかくしてくれまところ、赤は命を育む色だと思い怖れ慄きました。自然界に眼を移せば赤い顔で赤いお尻の動物がいます。そうお猿さんでした。平安京の裏山比叡山にはお猿さんが群生していたのでしょう。そこで比叡山延暦寺の産土神社である日吉神社の神使であるとか受信したのでした。奈良の街で鹿を大切にしたように(春日大社)京都の街ではお猿さんを大切にしました。
木下藤吉郎(幼名日吉丸豊臣秀吉)は猿の様な貴店の効く革命児でした。
その出世物語はアザナの”猿”への畏怖と相まって日本人のハートを奪いました。
処で今年は「丙/ひのえ申(猿)歳です。2016年の干支は10(干)と12(支)の組み合わせです。10と12の公倍数は60ですから60年間隔で「丙/ひのえ申(猿)歳が巡って来ます。
平安京が低調だと日吉神社のお神輿が山王権現を担いで都にやって来て”世直し”期待を盛り上げました。
、丙申は「革命」の年。さまざまな平安京の人々は現実の政治社会が、天意に背いていると地上に下りて諌めると確信していました。後白河法皇が嘆こうと山王権現をお神輿に担いで都大路を練り歩き”世直し”を要求したのでした。その気運は江戸にも引き継がれ赤坂には山王が祀られ日枝神社が鎮座しています。
勿論日枝神社には山王猿がそこかしこにおいでです。
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                      赤坂日枝神社の山王猿烏帽子を被って神主さんの様な姿です。
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これは江の島の庚申塔に彫られた山王猿この記事は次に書きました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/44509068.html日吉神社の神使の猿を山王猿と呼びますがお公家さんの烏帽子を被って扇子を持っています。江の島の庚申塔は江戸千代紙のようなデザインの秀作です。

大分高崎山のお猿さんが人気です。そのボスの交代劇が日本の政治や企業の交代劇の不条理の逆鏡の様にして取り上げられました。特に昨年は女帝猿が女の子を産んだのでの名前を募集した処”シャーロット”が一番多くなり「英国王室に失礼だからやめろ」と云った意見が目立ちました。二転三転して英国人の大人の違憲を確認してシャーロットと名付られました。あの高崎山も大分日吉神社のお陰で保護されているのです。日吉神社への畏敬は全国のお猿さんの活躍の場を用意していますを。長野県の地獄谷渋温泉のお猿さんもこの雪で期待通りに温泉に入ってくれることでしょう。
日本の山の神は狼であったりお猿さんであったり色々です。に日本人は犬が大好きなので山の神を狼(犬の祖先)にしようか?猿にしようか?迷ったのかも知れません。以来犬と猿は仲が悪くなってしまったのかも知れない思ったりたりします(笑い話)。でも桃太郎では)犬も猿も協力して鬼退治しました。

ところで日吉神社は全国に末社を持っています。城下町の守護神として勧請される事も多かったでしょうし、何よりも江戸時代庚申信仰(主神が猿田彦神)の盛り上がりに伴って三猿がそのマークの様にして広がりました。
”悪いものを見ない””悪い事を言わない””悪い事を聞かない”の三猿を観る度に私はスマートフォンを想います。子供を心身ともに健康体に育てるにはスマートフォンで悪友や悪サイトを見たり聞いたりせずにまたリンクで悪口を言ったりしなければ虐めや虐待などはおこらいだろうに思ったりします。でも既にスマートフォンは子供達のツールとして定着してしまいました神が林檎を取り上げられないのと同じようにスマートフォンを子供達から取り上げる事は不可能です。そのように確信すると猿の玩具が愛おしく想われます。昨日は川崎巨泉氏の玩具絵(鷽)を照会しました。今日はお猿さんの玩具絵を紹介します。全国各地にお猿さんの玩具があった事が誇らしく想われてきます。
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川崎巨泉の玩具絵の中から坂本日吉神社の出世猿神木杉を素材に一刀彫されているようです。昭和8年の作品です。出典「日本の玩具絵」
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京都嵯峨の人形硯の猿。嵯峨野には人魚y博物館があります。これは土人形ですが色も形も日吉神社の山王権現猿です。

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佐賀県の尾形土人形の猿肥前鍋島の陶工尾形某が天保年間に北前船で酒田に移住し酒田で伏見人形を模して作り始めた人形で烏帽子をかぶり鈴を振って三番叟を踊っているおめでたいお猿さんです。御祝いの席で飾ったのでしょう。
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これも坂本の権現猿で烏帽子をかぶり幣を持っています。この形の庚申塔は私の生活圏に数多く祀られています。
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これは日吉神社の山王権現猿一帯を刻んだ庚申塔(在葉山子安)


今年は大発会から株価が暴落し信託も年金も大分傷んだようです。バス事故も加わって御屠蘇気分も吹き飛んでしまいました。飛躍の年は奈落に堕ちるリスクもあるという事でしょう。慢心に陥らずに飛躍の年にしたいものです。人間の友達お猿さんも三番叟を踊って祝福してくれることでしょう「行く年「来る年」では延暦から除夜の鐘を中継して居ました。今年から10年をかけて根本中堂を修復するそうです。(http://www.tendai.or.jp/daihoue/project/konponchudo.html)
1200年ぶりの改修を観られるのは幸いです。材木は屹度比叡のお山から伐って来ることでしょう。世紀の大改修の竣工を観られたらそんな幸いはありません。権現猿さんの三番叟に乗せられて夫婦ともども長生きしたいものです。


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お相撲の楽しみ

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大相撲初場所も後半戦に突入しました。私は特に贔屓のお相撲さんがある訳ではないのですが、好きな土地から御岳海(木曾)大岩戸(鶴岡八角部屋)や隠岐の海(隠岐)遠藤(能登穴水町)などを応援してきました。ところが若手はイマイチで大岩戸は去年春場所に入幕し敵対を集めたものの今は幕下で、テレビに映りません。御岳海は順調な滑り出しだったものの、インフルエンザで休場してしまいました。遠藤たるや脚が痛くて形になれずに早々休場してしまいました。でも、熟年が頑張って盛り立てています嘉風は一皮も二皮も剥けて取り口は自身に漲っています。
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今年の初場所は連日満員御礼の盛況です。櫓に下がっている4色の房(白黒赤青)は四方の神を意味して各方角から災厄が浸入しないように防ぐ意味があります。今日はお相撲を彩る民俗学のお話をします。

何時も勝ち越すのに汲々としていた琴奨菊に至っては全勝で10年ぶりの日本人力士の優勝に向けて期待を一身に集めています。お相撲は社会の縮図のようで、一時は未来の横綱と期待された照ノ富士は冴えず逸ノ城は昨日負け越してしまいました。でも若いお相撲さんには明日があります。大岩戸も遠藤も逸ノ城も捲土重来を期待しましょう。熟年力士に明日はありません、その必死さが勝ち味を体得して突然の変身なのかもしれません。



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力士の四股名は郷土愛に満ちています。郷土に住む人々の熱い想いが背中を押しています。年6回開かれる高教野球のようなものです。
私がテレビのチャンネルをお相撲に回しているので所在無くワイフもお相撲を藪睨みしながら
「行司さんの衣装は綺麗ね!なんていっています。
私がテレビのスイッチを入れるのが幕内中盤からですから。行司さんは朱色の衣装で居ます。
私がもう少し下の取り組みなら行司さんは黒い衣装だよ」と言うとワイフは信用しません。
お相撲に黒は縁起が悪いし無いでしょう!と云うのが彼女の意見です。
そこで昨日は少し早くテレビのスイッチを入れると行司さんは黒い衣装で捌いていました。
ところが中々立ち会いの呼吸が合いません。仕切り直しを4回もやってようやく立ち会ったりしています。テレビ解説ではお相撲さんが少しでも優位に立ちたい焦る気持ちが災いして立ち合いが揃わないのだ解説します。
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幕内に入っても前半戦の行司さんの行司装束」は黒い直垂、鳥帽子は着用しています「軍配」の色は自由なようです。
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行司衣装は打ち止めに向けて次第に変わって行きます。黒の次は白い装束です。
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 行司さんの装束は朱色に変わりました、この頃になると土俵下に次の行司が赤い装束を着て控えています。朱色に鷹羽の家紋が鮮やかです。く隠岐の海風邪は休から復帰しましたが残念ながら昨日は黒星でした。
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 朱色の行司衣装の次は赤です。多くの日本人にとって赤と朱はは識別困難なようです。赤を朱と紅に分けたのは現代人の色彩感覚でしょうか?解りません。
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 行司衣装は白黒赤と続くと次は案の定青ですでもこの色は日本人の感覚では紺です。
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次は浅黄色です。私の感覚ではこの色は青では無くて緑です。古代人は緑も紺青も皆押しなべて青だったのでしょう。青を色々に分けたのは現代人の色彩感覚が豊かになったからでしょう。。青の次の最高位の色は紫です。
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横綱の取り組みを裁く行司の衣装は紫であろうと予測していた所臙脂に近い茶色でした。
日本相撲協会のホームページで行司の装束を確認すると次のようになっていますhttp://ozumou.com/archives/62
即ち最高位は立行司で装束は総紫で脇差を挿す(間違えが在れば切腹する)三役格の行司は朱色で白足袋に草履幕内は紅十両は青幕下以下は黒または青だそうです。幕下以下の素材は木綿で幕内になれば絹だそうです。
お相撲さんの社会は縦社会ですから身分の差は厳格であるのでしょう。
でもワイフが衣装を楽しみにしているのは事実です観客の期待に応えるには行事も含めて衣装にこだわる事も良い事でしょう。元々は陰陽五行説に則った4色+紫だったものが様々に分化してカラフルになったのは楽しい事です。
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陰陽五行説では自然界は因果関係で連携しており木火土金水の5つの形態に変化すると説きます。自然界の色彩も5色に依っていると考えます。死者の墓標を五輪塔(上から ら空輪=宝珠形、風輪=半月形、火輪=三角形、水輪=円形、地輪=方形、も同じ認識論で、死んだら5つて宇宙の構成要素に戻ると云った世界観を示しています。図の出典;ウキペディア


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格差という名の病魔

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最近の社会事象を観ていると高校時代の世界史の授業を思い出します。”1848年カール・マルクス/フリードリッヒ・エンゲルスはロンドンで「共産党宣言」を出版しました。共産主義者同盟の綱領は「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、共産主義の妖怪が・・・・。旧体制のあらゆる権力が、この妖怪を封じ込めようとしている・・・・。世界史は古代に貴族・騎士と奴隷が、中世には、封建領主、封臣、ギルドの親方、職人、徒弟、農奴そして、産業革命後にはブルジョワジーとプロレタリアートがいました。こうした敵対する階級の闘争が「人間解放の歴史の必然であります・・・・・。”
共産党宣言の妖怪と表現された共産主義の処を格差とか平等に置きかえれば現代にも言い得ていると思うのです。
現代世界中で同時多発的に発生している事件はその発端が「格差」とか謂われなき「差別」です。
大統領予備選に沸く米国で起きているテロもパリの同時多発テロも爆弾を仕掛けたのはISでありましたが、ISを支えたのは米国やパリに蔓延してきている格差でありましょう。その実態を察知しているのでテロをホームグロウン・テロリズムとか自国産テロリズム( Homegrown terrorism)と呼び始めました、国外の組織が起こすテロリズムでは無くて自国民が国外の過激思想に共鳴した結果、独自に引き起こすテロが目立ってきているというのです。
こうした現実は60年代は問題になっていませんでしたが、70年代80年代に顕著になって来たのでした。
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貧富格差を示すジニ係数赤い程格差が大きい社会であることを示します、このマップでは日本は黄色で要注意国家でありますがこの20年の間に要注意国家に転落(格差顕著な国家)しています、格差については次が詳しいのです。http://finalrich.com/sos/sos-economy-expansion-gini-japan.html
米国では1%の国民が99%の富を蓄積していると云われます。トマ・ピケティ『21 世紀の資本』http://business.nikkeibp.co.jp/welcome/welcome.html?http%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Farticle%2Fmanage%2F20111107%2F223681%2F
日本は一億総中流社会と云われたように。中間層が大きく貧富格差の無い社会である事が長所でしたが70年以降この中間層が壊れて低所得者富裕層に分断してきました。
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格差拡大は世界中で問題です。ISのテロは表で裏は進行する格差の拡大で格差拡大がテロや社会的な摩擦を生むと同時に経済成長の鈍化をもたらすと考えます。
政府がグローバリズムの表題の下で米国風の競争的風土を導入したのですから、こんな結果になるのは明白で、今年の阿倍首相の年頭あいさつが『1 億総活躍社会』を目指す」と語られ唖然としました。「一億総中流社会とか」「一億総満足社会」とか言えば私達の感覚にあうのですが、アベノミクス第三の矢が「皆働く社会にしよう」と云うのでは、アベノミクスは三本目の矢が何であるのか明らかにしないまま期待だけを膨張させ引き伸ばしてきましたが”皆が働く社会にしよう”というのでは失望を呼びました。働く事が想う様に出来ない身障者やホームレスは如何すれば良いのでしょうか。近年若者の”ホームレス狩り”が問題になりましたが社会的弱者を顧ない
虐めを助長させるような気がしてきます。
”国民総幸福社会(ブータン”は世界中の共感を呼び高原には天国に近い国家があるモノだ想わせまあしたが。流石に昨日の国会では少しトーンを変えて「同一労働同一賃金」を言い出しました。
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ジャカルタのテロ現場写、真現場は富裕者層の集う繁華街でその陰にはスラム街が広がっています。
完全に平等な社会は理屈の上では考えられても、実現は不可能でしょう。 共産国家である北朝鮮や中国こそ一部の権力者やその権力に癒着した人が富や権力を掌中にしているように見えます。習近平国家主席も近年は格差に対する不満のガス抜きに懸命なように見えます。所得格差の拡大は米国英国イスラエルドイツで広がりが拡大したがりはじめと報告されています。格差拡大している国で右翼化が目立っています(ネオナチ)中産階級の没落、縮小が右傾化を助長するのは世界の現象であるようです。米国では白人主義が中国では周辺の少数民族を圧迫する傾向が顕著なようです。最近の我が国の「沖縄に対するヘイトスピーチを見聞きすると、日本の右傾化もネオナチと大同小異だと思われてきて悲しくなります。
この意味では沖縄県の所得格差が気になりますし。日本の将来は一億総中流社会への復帰と所得の平準化が内需の拡大を呼び経済成長も実現するそんなモデルをトライして欲しいものです。計量経済学では1%の人が99%の富を獲得するより50%の人が60%の富を取得する方が経済は成長する事になり、理論的に証明可能だと思うのですが。

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桜咲く期待する心

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今日は大寒です。未だ我家前の坂道には雪が溶けずに残っていますが。この寒さも直に峠を越すことでしょう。これから桜が咲き出すのを待つのが楽しみです。今年は何処の桜を観に出かけようか?考えるのも楽しみです。
朝夕に花待つころは思ひ寝の 夢のうちにぞ咲きはじめける    崇徳院
白雲と峯のさくらは見ゆれども   月のひかりはへだてざりけり   待賢門院堀川
今さらに春を忘るる花もあらじ やすく待ちつつ今日も暮らさむ      西行

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吉野井水分神社のご神体玉依姫様の像は美しい桜色で待賢門璋子を想う人と静御前を髣髴する人といます。
新古今の歌人三人の中心に居たのは待賢門璋子(たいけんもんいん たまこ)です。崇徳院は鳥羽天皇と待賢門璋子の間に産まれまあした。その怪しい程の美しさは王朝歌人の魂を揺さぶるものがあったようでした。
昨年の春仲間と吉野山に桜を観に出かけました。中千本の宿では何故西行法師が出家したのか?各自が思い思いに自説を述べましたが総じて次の考えが大勢を占めていました。
青年北面の武士佐藤吉清の待賢門璋子への道ならぬ恋が原因である・・・・。
そんな想像は。桜の美しさが待賢門璋子をおもわせること。そして吉野の桜に浸れる処に西行は庵を結んだのだろう(西行庵)。
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桜を待つ間は和菓子でも戴いてゆっくり過ごしましょう。
待賢門院堀川は待賢門璋子に仕えた女房の筆頭でした。璋子亡き後は屋敷の在った嵯峨野に残り、西行法師も訪れています。
現代はマス交通機関が全国に張り巡らせられたので。私達は何処にでも行けますあの世の西行法師らも羨んでおられることでしょう。
処で先日大相撲の行司衣装がカラフルなのは五行思想によるもので、そのサービス精神から本来幕下格の行司衣装が幕の内でも全部みられる・・・、そんな話をしました。同時に若手力士の伸び悩む一方で古参力士の活躍と期待を述べました。琴奨菊はその翌日鶴竜を寄り切り。昨日は白鵬もガブリ寄りで寄り切ってしまいました。いよいよ今日は前場所優勝した日馬富士がにぶつかります。三人の横綱を負かせれば横綱への道も開けて来ることでしょう。
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昨日の打ち止めの一番で白鵬を寄り切り日本人力士10年目の優勝に一歩近づいた琴奨菊。大関になって以来冴えなかったもののこの齢になって皮が剥けてなおかつ精進に励む姿が立派です。昨日は和服の日だったので粋な御姉さまも期待しているようです。

お相撲を見る楽しみはワイフは衣装(行事衣装や化粧まわし)と言いますが、相撲を取った経験のある人なら、取組みを予想する楽しみこそ醍醐味です。それは競馬のレースを予測する事に似ています。
競馬はどの馬が一番になるか予測する事が究極ですが。実力馬が必ず1着になるとは限りません。距離や馬場状態や騎手との相性。レース展開予測も大事です。予測が的中し馬券の配当が高ければ醍醐味は大きくなります。一方大相撲は勝敗予測に帰着するのですが、立会から決まり手までの展開予測が楽しみです。
今日の琴奨菊VS日馬富士戦を予測すれば。琴奨菊はこの二日間と同じく鋭く立って日馬富士の速い動きを封じるでしょう。そして捕まえてしまえば大きな太鼓腹の上に軽量の日馬富士を載せてフォークリフトの様に土俵の外に運び出そうとするでしょう。他方日馬富士は後半戦に入るにつれて動きも早く勝負勘も鋭くなってきています。動きを封じられる事が無いよう立会いの変化も含めて勝つ可能性の最も高い取り口を予測して、立会に全神経を集中させることでしょう。
昨日のNHKのカメラは土俵に上がる前の琴奨菊を執拗に捉えていました。琴奨菊の勝機は立ち合いにあると考えて支度部屋で立会いの稽古を重ねる琴奨菊を映していました。
ところで。私は琴奨菊の太鼓腹を見る度毎に楽しくなります。 証城寺たぬきばやしの太鼓腹を思い出すのです。
気楽な和尚さんの木魚に負けまいとお腹を叩きすぎて皮が破けてしまった気の良い狸さんです。今日も琴奨菊の太鼓腹が良い音を響かせることを期待してテレビの前に陣取る事にしましょう。
今年は春から琴奨菊の活躍で桜の開花期待が大きく膨らんで来ました。粋なお姉さんならずとも琴奨菊の太鼓腹を叩いて福を分けて貰いたいことでしょう。昔天童よしみさんのお人形がストラップに結ばれて”厄除け”と呼ばれました。今年は琴奨菊人形が”招福”人気になるかも知れません。
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筆者は琴奨菊のような餡子型の力士を見る度に如何にも日本人だと思い。その特徴である太鼓腹に相手力士を乗せてカブリ寄りする取口が好きです。街に出れば太鼓腹の狸さんに眼が止まります。
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これは木更津証城寺の土産の狸です。筆者は再三同寺に行きますが木更津市街でもう見かけません。川崎巨泉さんの玩具絵を参考に再度製作される方は居られないのでしょうか?
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これは伊勢道四日市の狸の玩具です。大きなおチンチンが股間にブル下がっていますし金色です。金箔を伸ばすのには金を和紙に挟んでポンポンと叩きます。狸囃しも金箔伸ばしの技が根拠かも知れません。出典飢えと同じ川崎巨泉の玩具絵より

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陸のかもめ

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健康な頃は今頃はバードウォッチングに興じていました。尉鶲(じょうびたき)に鷽に鴫にクイナに大鷹にソロソロ隼(長元坊)が営巣し始める季節です。バードウォッチングのポイントは決まっていますから、愛好家なら今頃皆集まって枯れた梢の先を見詰めて居るだろうと想像します。出かけられないのは残念ですが、庭先に”早く回復しなさいよ”云わんばかりにツグミが姿を見せます。槇の実や椿の花の芯を食べに遣って来るのです。鳴き声も美しくないし、色も地味な鳥ですがお腹の模様が「隣のトトロ」を想わせるのが楽しいのです。
昨日は図書館に返却の為出かけました。図書館には駅までバスで行って駅から歩くコースと。柏尾川沿いに歩くコースがあります。私はワイフを誘って柏尾川堰堤コースを歩く事にしました。理由はバードウォッチングです。秋にコスモスが咲いていましたから川ヒワが種を食べに集まっているかもしれません・・・・・・。
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一時夢中になったアルビノ(白い)尉鶲(尉)の意味は老人の意味でチベット高原から季節風にのって遥々日本に渡って来るのですから可愛い事この上ありません。写真は雌で雄はオレンジ色が勝っています。雄雌とも翅に白い紋が着いていてまるで武士の裃にある家紋のようです。突然変異で写真の様に全身真っ白な個体が出現します、この時は「鼠小僧」になぞらえて”お嬢”と呼んでいまあした。でもアルビノは目立つので隼など猛きん類に狙われやすいのでその年限りで観られなくなってしまいました。
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これは氷の張った田圃に佇む田鴫です。西行法師の「鴫立沢」を想い起させる野鳥です。筆者の生活圏の舞岡自然公園の棚田に現われます。
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これは庭先に飛んで来るツグミです。無愛想な野鳥ですが寒いと胸毛を膨らませているのでお腹のトトロ模様がお目立ちになります。その途端に可愛らしく見えるのが不思議です。
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水木の梢も朱が射して春が近い事を教えています。若芽を啄むために山雀(やまがら)が寄って来ました。昔は八幡様の境内に山雀を使った”おみくじ”売りがいました。
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境川の水道橋の橋脚の継ぎ目に毎年営巣する隼、長元坊は小型の隼ですが毎年此処で子育てします。今頃が営巣を始めるころで。凧上げと競って隼君の求愛行動が観られます。バードウォッチャーは揃って口を開けて橋脚の継ぎ目を見上げます。雄鳥は小型の野鳥や鼠を雌鳥にプレゼントしまくります。雄はプレゼント能力の有無によって子孫を残すチャンスがあるのでしょう。

処で、柏尾川は戸塚の北柏尾街を水源として武蔵の国から相模の国の江の島の海に流れています。北から南に流れる2級河川ですから、北風が吹き抜けます。この季節散歩は北風を真に受けてきついのですが。餌も少なくなってくるので野鳥が集まって来ています。
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冬の柏尾川左側の水際を歩くのは保育園児たちその前後をキジバトが歩きます。保育園児の先に河底に」石畳が敷かれています。これは左側に戸塚浄水場が在って浄水場から流される水によって河底が抉られないようにしているものです。この辺りに群れているのがカゴメです。と云うのはこの辺りが魚影が濃い事と猫に襲われる心配が無い事です。散歩している人釣りをする人など多様です。
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川中で寛ぐカゴメの群れ釣り人の周囲にはキジバトがおねだりしています。手前の枯草は中州に自生しているのは「がも」です。北風にのってがもの羽毛が飛んで行きます。
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柏尾川堰堤でキジバトに餌付けをする人カゴメは目敏く餌付け人を見つけるとキジバトを追い遣ってパン屑を独占してしまいます。

堰堤では保育園の子供達ジョギングする人バードウォッチングする人様々な人が集まります。
一番のお目立ちはカゴメです。片瀬の海より柏尾川の方が魚影が濃いのでしょう。川魚をゲットしようとカゴメが上流に上流に遡って来ているのです。
戸塚はURの高層住宅も目立ちます高層住宅の住人には野鳥に餌付けをしている人も多く住んで居られます。パン屑等をあげる人も多いのです。最も懐いているのはキジバトなのですが。カルガモもカゴメもキジバトさんからパン屑を奪おうと虎視眈々としているようです。観察しているとカゴメの嘴はキジバトやカルガモより遥かに鋭いし気性も荒いようです。カゴメさんはキジバトやカルガモを追い遣ってパン屑を独占しています。ジョナサンで好印象のカゴメですが実際は性悪のように見えてきます。
保育園児はそんな野鳥のバトルをどんな風に見ているのでしょうか?気になります、

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椿の落花(片瀬の常立寺)

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正月明けに”デーサービスのお花も少なかろう”思って、庭に咲いた椿を伐って持参しました。何時も介護士職員が上手に花瓶に活けてくれます。我家の椿は真紅で巨大輪なのです、アクセントに白椿も交えました。深緑の葉っぱに紅白の椿の花「イタリア国旗」と同じ組み合わせです。お客さん(患者さん)から”まあ綺麗!椿は冬の薔薇ね!”歓声が上がりました。私も嬉しくなります.すると、ブスッと”椿は縁起が悪いんだから”声が響きました。何時もの憎まれお婆さんです。
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我家の椿は藪椿に紅白の絞りに巨大輪の紅白の椿の4種類です。今が最高で問題は毛虫の付く初夏です。

椿の花は散るに際して薔薇の様に花弁が散らないで花が一塊の儘ドサッと落花します。で処刑された武士の首が胴から落ちる光景を思わせます。そんな次第で椿は不吉な花とされてきたのです。椿さんからすれば『鳥さんが寄ってくれるように思い切って派手に咲いて、蜜を沢山溜め込んでいるので、花が首ごと落ちてしまうのです。人間が不吉に想うこと等考えもしませんでした』云う事でしょう。
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玄関に活けた巨大輪の紅椿、活けても直に散ってしまいます。
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朝庭に出て伐って玄関に活けた椿も夕方には散ってしまいます。これを理(ことわり)と受け止めるも不吉と受け止めるのも人次第です。
お婆さんには雀の舌を切った意地悪婆さんと”聞き耳頭巾”を貰った優しいお婆さんと二タイプがあるようです。頭巾を被ればチュンチュン啼いている雀の声が聴き分けられるのです。雀が名主の娘の病気の原因と処置方法を教えてくれたのでした。雀の舌を切ってしまったのもお婆さんですし。雀の言葉を聞き分けたのもお婆さんでした・・・・。
私はそんな話をしたいのを堪えて我が家の椿を見直しました。今日の椿は沢山の人に褒められて嬉しそうです。
1月12日、片瀬の常立寺に出かけました。今年の梅の様子を見ておこうと考えたのでした。先ず戸塚駅に出て大船駅からモノレールで江の島に出ます。江の島駅を降りて200mも歩けば梅の名所の常立寺です。
モノレールに乗るのは10年ぶりです。
モノレールの車窓からは大船観音が見えますお姿を眺めていると、観音様の躯体の中で缶蹴り遊びをした事修工事を竣工して開眼落慶供養式典で足がしびれて転倒した事そして高校時代は観音様の足元の坂道を西に通学しました。
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大船観音は父の親友であった黙仙寺の境内地に住職(無我想禅師)が発起人になって昭和10年代に起工したものでした。無我想禅師は一生独身を通しましたので私を弟子として連れまわしておいででした。東急の五島慶太をスポンサーにしていましたから懸念は無かったのでしたが戦争に突入して工事は中断して居ました。戦後工事を再開し折しも秩父セメントが純白コンクリートを開発した事から昼間は白く夜は青白く蛍光する観音像に竣工されました。本来は黙仙寺の客仏ですが大船観音寺といった別法人になっています。
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湘南モノレール深沢駅の西側はJRの工場でしたが現在は開発が進います。遠くに見えるのは村岡の御霊神社の森で此処が鎌倉権五郎景昌の館がありました。その右の建物が武田薬品の藤沢工場です。JRは工場を閉鎖して分乗し始めたようです。右側の建物は徳洲会鎌倉体操クラブ左奥に中外製薬があります。医療健康関連施設が深沢に集積しています。果たして此処に何が建つのでしょうか?貧乏な鎌倉市を救済するような高額納税施設が出来るとよいのでしょうが・・・。
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湘南モノレール西鎌倉駅から片瀬山住宅地(西武開発)を望む)粉の住宅地にはひ筆者の友人も多く住んでいます。車窓を眺めていると、あの屋根の下でどんな生活をしているのか気に懸ります。向こうの小山(龍口寺)をトンネルで越えれば終点の江の島駅です。


湘南モノレール終点の江の島駅は急な階段ですが、エレベーターもありません。こけないように細心の注意を払って階段を3階から1階に降ります。そんな私を七福神めぐりのポスターが眺めているようです。
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駅の階段に貼られたポスターは七福神巡りの競争です。左は鎌倉江の島のポスター右は藤沢のポスター。七福神のスターである弁天様を見ると鎌倉は八幡宮の白幡神社ですが藤沢は江の島弁天です。
江の島駅から旧江の島道に沿って200mも北上すれば常立寺です。片瀬は海沿いですから暖かいのでしょう。既に蝋梅は満開で紅梅も咲き始めていました。紅梅の根元に石仏が並んでいます。
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片瀬の常立寺手前の木は栴檀です。この実は真っ黒で大黒様の様な形をしています。その下の黄色い花は蝋梅です。
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常立j寺の参道既には紅梅が咲き始めています。今週末は満開でしょう。このお寺の梅は「想いのまま」と呼ばれる豊後梅が人気です2月末からが見頃でしょう。梅の根元に石仏が並んでいます。その石仏に乙女椿の落花が供えられています。
1275年(建治元年)、元(モンゴル帝国)の使者杜世忠ら5 人が、日本に遣って来ます。執権北条時宗は使者の口上も聞かずに問答無用とばかり龍ノ口の刑場で打ち首になったのでした。人々は使者の無念を想い常立寺に埋めたのでした。
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常立寺参道は両側とも紅梅が並んでいますが一段低く乙女椿が垣根状に自生しています椿の落花が無縁仏を慰めています。
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何度も訪れていた常立寺でしたが今回初めて子安地蔵尊に気付きました。日本水仙が香っていました。
梅の木は背丈も高いのですが梅より低い位置に椿が自生しています。綺麗な桃色の乙女椿です。乙女椿が丸ごと散っていました。打つ首になった元の使者の首の様に・・・・。乙女椿は使者が元に残してきた娘さんの面影でしょうか?日本の独立を守ったとして北条時宗は英雄に祀られましたが。その短気な性格が鎌倉幕府滅亡の端緒になったように思います。外交は粘り強く私益ではなく国益を優先に考えて欲しいものです。
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これは無縁仏ではありますがお名前は「妙徳童女」で宝暦5年8月に亡くなられたと刻まれています屹度7歳のお祝いを過ぎて可愛らしさに美しさが際立ってきた乙女盛りに逝ったのでしょう。
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同じく乙女椿の根元に並んだ無縁石仏山椒面は元禄年間に亡くなった寂空童女左は享保年間に亡くなった妙現童子です。龍の髭が青い実をつけていないか探してみました。

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日銀への信頼

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現代の政治目標は私達が学校で教わった事と違った事と真逆になったようです。高校の頃授業では「江戸幕府」の経済改革は(寛政の改革享保の改革等何れもはインフレ退治で、物価の安定こそ庶民の生活の平和をもたらす事とされていました。ですから貨幣改鋳などでインフレを推進しようとした荻原 重秀や田沼意次は悪人と評されました政治の第一の目標は食糧等の物価を安定させることに置かれていました。庶民が生活困窮を理由に実力行使した「一揆」や「打壊し」も庶民の権利として是認されたようです。大正時代の米騒動もテロとは云われずに悪いのは「寺内内閣の政治に在った」と教わりました。70年代のバブルに沸いた日本経済を叩き潰した三重野康氏も生え抜きの日銀マンでしたから、当然の様にインフレを退治する事に目標を定めました。マスコミは金丸信等を荻原 重秀等になぞらせ三重野康氏を平成の鬼平と持て囃しました。
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鬼平犯科帳長谷川平蔵は田沼意次の後インフレ退治(寛政の改革)に登場しました。出典BSフジhttp://www.bsfuji.tv/top/pub/onihei_yamabukiya.html#黒田総裁及び首相官邸は田沼と同じ禁じ手を数多く打っているように見えます。
ところが日銀の目的は何時の間にか「インフレ2%の実現」にすり替わってしまいました。インフレを喜ぶのは借金に潰れそうな財務省と大企業です。政権を握った官邸は白川日銀では想う様にならないと判断したのでしょう財務省ОBの黒田前総裁にアジア開銀総裁にスイッチさせます。
日銀はトップが変わるといとも簡単にその哲学をかなぐり捨ててしまいました。インフレ退治が目標だった「貨幣の番人」が悪魔に魂を売ってしまって「インフレを目標にしてしまったのでした。貯金の金利が5%もい在った時代ならインフレが2%になっても庶民は我慢できますが貯金金利がゼロでインフレが2%では庶民の生活は苦しくなる一方です。
私は長い間学校で教わった事と現実が逆転してしまった事実に浦島太郎気分でいます。
ガソリン価格も灯油価格が下がったので安堵しているのですが、マスコミもインフレ目標が実現困難になったとして問題にしています。マスコミも企業ですから主収入である広告料はインフレなほど増収になるからでしょう。
そこで黒田総裁の業績を検証してみたくなります。
【インフレターゲット2%の実現】
旧大蔵省で次官時間レースにも落ちこぼれ、アジア開銀総裁でくすぶっていた黒田東彦氏に安倍首相から声が懸って日銀総裁に座りました。2013年4月5日の事でした。白川総裁を失い大蔵省にポストを奪われた日銀職員の嘆きは大きかった事でしょう。トップが変わっても定款や哲学が存続すれば問題ありません。
処が今回はトップも変われば定款も哲学も変えてしまう大変換だったのでした。
日銀は「貨幣の門番」を自認ししていましたし。行員研修でも叩き込まれています。今回は「貨幣の門番」の役割は捨てて「経済成長」を最優先に架け替えさせられたのでした。
経済成長の実現に安倍首相は「三本の矢」を放つと公約しました。
手段は何時の時代も同じで市中に流れる貨幣量を膨張させる事でした。学校で教わったように実態経済以上に流通する貨幣量を増大させる「異次元の緩和策でした。」日銀は市場の国債を買い取り流通する貨幣量を膨張させたのでした。市場に溢れた貨幣は行く先を株式や不動産に求めます。株高や不動産価値が膨張します。何時か通ったバブルへの坂道を登り始めたのでした。
この坂道を登り切ってその先に何があるのか黒田さんも安倍首相も説明して居ません、「吉」と出るか「凶」と出るか解らないままにインフレになりそうな策を総動員しています。年金に預けられた資金も郵便局に預けられた資金も株式市場に中国株式にも投資できるようにしました。第三の矢まで的中すれば実態経済が拡大して流通通過料に通貨量に均衡するのでしょうが。実態以上に膨らんだ通貨量は破裂する事になるでしょう。その時に泣くのは国民である事は歴史が示しています。そんな場面を懸念して昔風の経済学者(金子勝慶応教授、森永 卓郎)等は揃って安倍首相黒田総裁を非難しています。
黒田総裁や安倍首相が想定して居る事は明瞭です。
「将来物価が徐々に上昇すると思う人が大半になれば今のうちに買っておこう」と思う人が大勢になるでしょう。それが経済成長を促すと思われたのでした。しかし現代の日本人は次のように考えています
1.高齢化が進行してして行く中で将来の姿が描き難い。人口減では年金もどうなるのか解らない。貯金だけが頼りだ、思えば買う事はしません。
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年金ファンドを官邸主導で株式偏重を可能にしました。一時運用益が15兆円と試算されましたが近時の試算では8兆円の損失となっています。官邸による博打が年金加入者の同意なしに実施されるのは困ったものです。資料出典http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=GPIF+%E6%90%8D%E5%A4%B1
2、黒田総裁が堅調だと主張する消費も中国人の爆買いが目立つだけで庶民の財布の紐が緩む気配もない。貧乏人は少し品質が懸念されても輸入品や横流し品を買えと言われかねない。池田勇人は貧乏人はカレーを食え」と云ったけれど。黒田総裁麻生大臣は「貧乏人は廃棄品のしカレーを食え」と言っているように見えます。鬼平や吉宗に向けられたような信頼が無いのです。
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廃棄物食品の流れ出典東京新聞デジタル版http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201601/CK2016012302000128.html
消費者は今回はマックや餃子【何れも中国で発生)以下の醜悪な事件だと心配していますが横流し品が何処で売られていたのか?といった問題については報道されません。マスコミは企業の)広告出稿量に気づかいしているからでしょう。何れネットで売られていた店が判明するでしょうに・・・。
第三の矢はどうなったののかしら?】
異次元の金融緩和に始まり締め括りは第三の矢でした。初めから実体経済を上回る過剰流動性を金融市場に流しても何時かは実態と貨幣が均衡させなくてはなりません。第三の矢で実態経済を刺激しなくてはなりません。その三番目の矢として「一億総労働社会の実現」を標榜していまあした。1本目2本目の矢は姑息なモノで見せ掛けで在っても消費者のマインドを変えれば効果もあるのですがズット騙し通すわけには行きません。三本の矢が思いついたのなら最初から3本目の矢も見せておけばよかったのですが、見せないままに約束の2年間が過ぎようとしているのです。
私達は日本人は億三千万人と記憶して居ましたから減った3千万人は誰なのか憶測しました。差別を感じて眉を顰めました。そんな批難を感じとってか、最近は次の施策を用意している様です。こちらの方が現実性もあれば庶民も納得しやすいようです。
1、内部留保課税の実施
マクロでみると利益は企業の内部留保に蓄積される一方です。
利益の出た企業は再投資するわけでも賃金として支払うのでもなく企業の内部に留保し続けています。そこで内部留保に対して課税をするという事にします。一昔前は個人の貯蓄を消費に向かわせようと世代間の贈与等を推進しましたがこれからは利益を蓄積する一方の企業に)利益を吐き出させようとしています。
2、同一労働同一賃金
労働形態は自由化されて以来臨時雇用ばかりが先行しました。臨時雇用でも常態雇用でも同一労働なら労働賃金にするといった施策です猪泣くのは庶民ですとして、ブラック企業やブラックバイトに野放図だった政府に対し「当然」と受け止めているようです。


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柳川の喜び

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大相撲は琴奨菊の優勝で終わりました。今日からお相撲を観る楽しみが無くなります。優勝表彰式で大相撲協会に始まり内閣総理大臣杯、NHK協会賞の授賞と続きました。NHK協会賞の授賞式に置いて面白い事が起きました。解説者の北の富士さんが「
諸井会長も優勝した琴奨菊と同じ福岡県の出身ですね」アナウンサー【藤井 康生チーフアナウンサー)に声をかけた処、「私は知りません」答えが返って来たのでした。
北の富士さんは「それは不勉強ですね」言われました。
諸井さんの出身は福岡県の飯塚街で三井炭鉱の街でした。
諸井さんは三井物産から日本ユニシス会長に転出更に現職にあり、「阿倍チャンネル」と揶揄されているのです。
その経歴から言えば朝ドラの「朝が来た」は諸井会長の故郷に錦の番組なのです。
藤井 アナウンサーが諸井会長の経歴について知らなかったのか、故意に話題をそらしたのか知りません。でも、諸井会長が幹部職員に不人気である事、そしてトップの職歴や出身地に無頓着である職員感覚が察せられました。

康生ぞもう教会に始まり
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