ラジオ深夜便がマイ朝ラジオに引き継ぐ頃目が醒めました。ラジオでは八木忠栄さんが陰建っビューに応じて訥々と話しておいでです。八木忠栄氏に馴染みは薄いと思いますが昨年6月にに詩集「雪、おんおん」で代33回現代詩人賞を受賞されました。新潟の見付にあった瞽是宿に産まれた方で。その幼児体験が詩の魂になっているような方です。
斉藤慎一さんの瞽女(ごゼ)の絵出典ガリレオ画廊http://www5f.biglobe.ne.jp/~galileo/3saitousiniti.htm越後には瞽女(盲目の旅芸人小栗判官等の説教節を歌って家々を巡っていた哀調のある歌声は三味線に代わって胡弓を伴奏楽器として普及した。越後の風土と越後人の温かいハートが育んだ芸能で八木さんの現代詩はこうした伝統が生んだ作品だと思います。
八木さんはお婆さんから云われていたそうです。
”お前はあの柿の木の股から産まれたんだよ。”
瞽女宿の庭先には大きな柿の木があったそうで、八木少年は不愉快な気持ちに沈みながら柿の木の股を眺めたそうです。その時心では反論していたそうです。
妹はお母ちゃんの朱い腰巻の上に産まれたのを見たから自分も同じ筈だ。何故自分だけ木の股で生まれたというのか!
ラジオを聞きながら八木少年の心には次の疑念が生じていたのでしょう。
”若しかしたら自分は瞽女が産み落とした子供だったのかもしれない・・・・・一寸心を翳めたそんな思いが詩を生んだのかも知れません。
八木さんの俳句も秀逸で次の句をラジオで被露されました。
つくしんぼう みな良寛の立ち姿
今年は暖冬ですから土筆の芽を出すのも早い事でしょう。
越後の長岡から見付にかけては良寛さんが托鉢された里でした。春になれば一斉に路傍に土筆が頭を擡げる事でしょう。その姿が良寛さんのように愛しく眺められる・・といった叙景句ですが。越後人特有の土の匂いと優しさが滲んでいます。佳い句だなあ!”雪割草が咲く季節になったら見付から飯豊山を巡ろうかな!”思ったりします。ルートはイザベラ・バード(日本奥地紀行)がアルカデア(桃源郷・エデンの園)と激賞した里山です。
人間が木の股から産まれる筈ありません。こんな用語の背景には民俗学的な意味が隠れていることが多々あるものです。男女の間の情に無頓着な堅物を評して「木の股から生まれたような石部金吉」だ、と云います。柿の木の股から産まれたという事は男女の情愛の賜物として産まれたのではなくて。神か家(祖霊)が授けた子供と云った意味かも知れません。
たわわに実った柿の木(写真は伊那谷)
冬の柿の木 病虫害対策で表皮を削り落としていますので、柿の木は寒々として見えます。戸塚の股野の果樹園で撮影徒長枝も伐採します。
其処まで考えた後私の脳裏には吉野川の河岸段丘に生育する御所柿の風景が広がりました。
大和柿の風景(写真は柿の葉寿司大和のホームページから拝借http://www.kakinoha.com/gojou/tokusyoku.html)
此処まで考えて.ひょんと思いつきました。
柿の木は直ぐには実が実りません。苗を植えて10年もしなければ収穫は覚束ないものです。
大和の柿農家も今の収穫は20年、30年前の先祖(お爺さん)がの育てた成果を収穫しているのです。14代酒井田柿右衛門が12代13代柿右衛門が育てた職人さんのお蔭で人間国宝になったように、今の成果は数代前の先人の成果のお陰です。「子供は親の生殖行為の成果として産まれる」こんな理解は現代医学や遺伝学による常識です。それは1世代個体としての命に着目してミクロに考えるからで。少しマクロで見れば命は大きな柿の木の根元から連綿と伝えて来ているようなものなのでしょう。
八木忠栄さんの現代詩も俳句も越後の土壌や瞽女の文化を継承したものですから私達の心に響くものでお婆様が”お前はあの柿の木の股から産まれたんだよ”と諭したという事はお婆さんには八木さんの将来が見えていたという事でしょう。そんなわけで早速八木さんの本を図書館に借入申し込みました。
同氏の俳句を書いておきます
学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地 (月島中通りにて)
んの字に膝抱く秋のおんなかな (東京百景)
妹さんが胸の病気で逝かれた際には次の句を残されておいでです。
その肺でこの白髪まで露の世を
(吾は胸郭成形手術で生きのびて)
肺病の兄妹なりき吾亦紅
千歳飴わけてしゃぶりし日もありき
(通夜へ、人身事故により電車遅延)
毀れやすきものひしめくや月の駅
(告別式、路傍の子らの声)
死んだひとの車がゆくよ秋の野辺
(吾は胸郭成形手術で生きのびて)
肺病の兄妹なりき吾亦紅
千歳飴わけてしゃぶりし日もありき
(通夜へ、人身事故により電車遅延)
毀れやすきものひしめくや月の駅
(告別式、路傍の子らの声)
死んだひとの車がゆくよ秋の野辺
(火葬場にて)
孫の画と菊を抱いて焼かれけり
鳥渡るはらからの骨ひろうとき
孫の画と菊を抱いて焼かれけり
鳥渡るはらからの骨ひろうとき
私は現代詩では八木重吉位しか知りませんでした。偶々同じ八木姓の詩人を知り幸運でした。
越後は会津八一を生んだ土地です。会津八一の言の葉に八木忠栄さんの言の葉にも瞽女の言葉使いの響きを感じます。そしてその景色には雪深い越後と雪の下の大地には肥沃な土壌を感じます。どれもこれも良寛さんの法脈だと確信します。
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