今日(1月26日)は旧友等との新年会を開催します。私は旅行会の万年幹事ですから”今年は何処に行くの?”期待に答えなくてはなりません。一応昨年の春の旅行会で吉野山の旅館で”来年は命なりけり小夜の中山に行こう”多数決をしていますから。今更何処に行こうか?迷う必要はありません。
其処で昨晩からパワーポイントで旅行プランを作成し始めました。実は旅行はプランすると時が一番楽しいのです。実際に旅に出てしまえば心配事やトラブルが多発して幹事としては楽しい事は少ないのです。前後が一番楽しい、といった意味では旅は男女の逢瀬に似ているのかもしれません。
目的地は「小夜の中山」と聞いてもピンと来ない人が多いのではないでしょうか薄暗い峠道なら日本中沢山あります。奥会津でも阿武隈山中でも薄暗い峠道は数多くあって。旅人は山賊や妖怪が出現しないか?命がけで通った事でしょう。日本中何処にでもありそうな「小夜の中山」でありますが、一番は静岡/遠江の峠道なのです。
府中とは家康が建てた駿府城の事でその西に鞠子宿があります。鞠子宿と岡部宿の間に宇津谷があります。此処の峠道が「蔦の細道」で古代の東海道で在原業平が奥さんへの手紙を託した処でした。
場所は東名高速を下って静岡ICを越すと直に日本坂トンネルに入ります。同トンネルで越える山が宇津山でこの山の北に宇津の谷があって古代から東海道の難所で在ったのでした。
在原業平は奥様を都に残して東海道を下ります。富士山が未だ煙を吐いていた時代でした。浜名湖を越えると直に日作坂(にっさか」を登ります、更に進むと薄暗い峠道に入りました人は一人も通り過ぎません。心細い思いをしていると見知った旅の僧とすれ違いました。屹度僧も驚いた事でしょう。業平はこの友人(僧」に奥さんへの手紙を託しました其処が「蔦の細道」で以来枕詞にもなっています。宇津谷の西側です。
これは芦舟 の蔦の細道図屏風/国立博物館)業平は馬に乗って宇津谷に分け入ってゆきます。峠道で友人の僧に遇います。そこで都に置いてきた奥さんに手紙を託しました。
業平は旧友の僧(後ろ向き)に手紙を託しました。出典上記
この宇津ノ谷越えを「駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり」と、ツタやカエデが生い繁る峠の寂しさを歌ったことから、「蔦の細道」という地名が生まれた。この地名は、鎌倉時代の『東関紀行』や『十六夜日記』にも登場します。日本人なら誰しも知っている故事だったのでしょう。でも一番にこの故事に想いを託して通った人は西行法師だったろうと想像します。
この峠に続くの西の尾根道に「小夜の中山」があるのです。峠の頂上に頂上には久延寺(開基は奈良時代の行基だと伝え られますが詳細は不明です。、夜泣き石伝説です。)西行が此処で次の歌を残します。
年たけて また越ゆべしと おもひきや 命なりけり さやの中山.
峠道は平成になって石畳道に復旧されました。あと1月もすればこんな景色になります。
西行が子泣き石伝説を聞いていたか解りません。
伝説はこの峠で妊婦が山賊に殺され汰ところが現場の石が夜な夜な泣くという噂が立ったこと。久延寺の僧が泣き声に気付いて赤子を拾って育てた事。更にはその子が立派に成長した事と伝説は広がって行きます。
街道は各地の情報がクロスする処ですから「有名な子泣き石伝説」は各地の伝説が混交しているのかもしれません。
童子説話の多い西行さんですから、この歌が万人の共感を呼んでこの説話に影響したのかも知れません。
でもこの歌が日本人のメンタルに深い影響を与えたのは間違いないでしょう。正に言霊(ことだま)を地(31文字」で行くような歌です。
私も友人も青春を一緒に過ごして以来半世紀、この齢で一緒に旅が出来るのは”命あっての悦び”であります。
一日目は小夜の中山の麓の掛川に宿泊します。
翌朝は真っ直ぐ加茂の菖蒲園に向かいます。日本人は菖蒲好きですから各地に花菖蒲の名所がありますがこの菖蒲は断トツの日本一です。遠江の園芸の伝統は素晴らしく、足利フラワーセンターの藤も遠江の技でしょうが、小堀遠州を産んだ素地は遠江に大きなお寺が普請された成果なのでしょう。加茂の菖蒲園にはその伝統の素晴らしさが五感に訴えてくれます。
二日目は遠江の古刹(油山寺(ゆさんじ)可睡斎/秋葉様の本山)法多山尊永寺を巡りながら、浜名湖畔の舘山寺に宿泊します。
もうじき立春です。立春を過ぎて88日目はお茶摘みの季節ですから。薫風のなか茶畑を眺めながらの旅になる事でしょう。
3日目は舘山寺を出て奥浜名湖を巡ります奥浜名湖は旅行会で既に来たことがありますから湖畔で名物の鰻を賞味しながら時計に逆回りで新居関を観ます。途中幽霊飴で有名な本興寺(以前次に書きましたhttp://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/45137761.htmlを巡ります。この伝説は祖母によく聞かされましたが。先の小夜の中山の夜泣き石の影響でありましょう。
これは飴玉幽霊で有名な本興寺本堂/重要文化財)右側に墓地が広がっています。(墓地から夜な夜な泣き声がするので掘ってみた処飴玉をしゃぶった赤子が見つかったといった伝説湖西市鷲津の飴屋に夕暮れになると若い女が飴を買いに来ていた,といった前段が付いています。
夕方に浜松駅でレンタカーは返却して解散します。小田原新横浜各自都合の良い駅で降りてお帰り下さい。