瀧山寺の運慶仏を拝観し(http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49177975.html)て私は次のように推測しました。
運慶仏マップ(出典芸術新潮の特集号)
1、瀧山寺の中興の住職が寛伝上人が頼朝の従兄弟であった事から頼朝の庇護をうけた。その頼朝が没すると寛伝上人は頼朝の冥福と鎌倉幕府の安泰を祈願して運慶を招致して造仏を依頼した。その結果、奥三河に運慶の仏像が残されたのでした。その後瀧山寺は足利幕府の支援を受け徳川幕府が成立すると三代将軍家光は祖父家康を祀る東照宮を日光を筆頭に各地に祀ります。瀧山寺にも東照宮を造営します。わたしはテッキリこの時に運慶仏も修理されて彩色が為されたものと推測しました。
念の為と思い瀧山寺が脚光を浴びるきっかけとなった芸術新潮(20009年1月)をアマゾンで求めて読んでみました。その文中で運慶研究の第一人者(山本勉氏(清泉女子大教授)が次のように言われておいででした。
『瀧山寺の運慶は本来の彩色ではない近代おそらく明治期に彩色されたものです。当初の彩色を剥がさないまま上に新たな下地を被せて色を塗った為彫がすっかり鈍くなっています。三体の中では帝釈天の塗りがまだしも薄いようです。ただ像そのものの保存状態はとても良い状態です。』
瀧山寺の帝釈天像。聖観音より一回り小さい像ですが、塗装が薄いので運慶像の彫の息遣いが感じられるようです。甲冑に描かれた宝相華模様や下着の麻の葉模様など絵筆も繊細で美しいと思います。おそらく運慶3体の中で国宝に指定替えがあるとすれば個の帝釈天でしょう。全身写真はhttp://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49177975.htmですl芸術新潮をスキャン
彩色状態が運慶仏の彫の良さを台無しにしているので本来なら国宝なのに重文に留まっているとの認識に間違いは無いのですが、江戸時代初期の彩色では無くて明治時代の彩色が稚拙であった、稚拙と云うよりは手抜きであった事が重文に留まっている理由なのでしょう。考えてみれば江戸時代初期は日本の工芸の全盛期です。光琳や仁斎が活躍した時代に仏像の修復を手抜きしたとは考えられません。でも明治時代なら手抜きもあり得ます。産業革命に成功し生産性が優先される風潮にありました。廃仏毀釈が流行った時代ですから、修復されれば良い程で運慶の蚤の冴えを殺してしまうなど思いもよらなかったのでしょう。生産性優先の誤りに気付いたのは大正から昭和にかけてアールヌーボーの日本版昭和モダニズムの運動でした。
塗り直し修理によって仏像が傷められ、像の本来の姿とはかけ離れ、文化財的価値が損なわれていると思われます。私達は高松塚古墳の壁画が黒カビで汚れてしまったのを嘆き技術が稚拙なら閉まって置いた方が良かった、と思いました。下手な修復なら何もしないでおけば良かったです。
薬師寺の薬師如来は時代の変遷で金箔が剥げて下地の黒漆が露出してしまっていますが。美しいし、持統天皇の情愛が像に写されて時代を経てきた美しさを実感して文化財としての価値がアップしていると確信しています。金箔を貼れば儀軌の通りで白鳳時代の昔の状態に戻せるでしょうが、誰も金箔を貼ろうなんて言い出しません。文化財は最初腕を振るった人も大切ですが、その技や心を守ってきた人々や歴史も大切なのです。
瀧山寺の梵天像塗装が厚塗りなので運慶の鑿の冴えが隠されてしまっています上段の帝釈天と対で祀られています。全身写真はhttp://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49177975.html
3年前三越のIさんが輪島塗の工房から仏師の工房を照会してくださいました。私達は輪島の総持寺門前にある工房で輪島塗が漆職人や木地職人『仏師)の合作である事を教わりました。仏像の下地である漆を剥がす作業がどれほど大変かは知りませんが。そのまま上塗りしてしまうという心境は非難されて然るべきことでしょう。
そう想って運慶の仏像三体を見ると。帝釈天像は塗も薄く運慶仏の迫力を伝えています。それに比べると梵天像や聖観音像の厚塗りは目立ちます。特に最大の聖観音像は上塗り塗装に亀裂も入ってしまっています。
瀧山寺聖観音像体内に頼朝の毛髪と歯が埋められています。下地を剥がさないで漆を塗ったので塗装が厚塗りのうえに表面に亀裂も生じて来ています左手は塗装が剥げて下地が透けて見えています。屹度数年のうちに解体修理をすることになって体内の確認(頼朝のDNAも解るでしょう)と塗装のし直しが実施され運慶仏当初の姿が現われると期待します。
現代の匠に漆塗装を上手に剥がして彩色出来る人がいるのでしたなら、再度修復して運慶当初像を再現させてもらいたいものです。
ところで、山本勉氏は何故に清泉女子大の教授で居られるのか不思議です。清泉と云えば我が家の近くのお嬢様も通学しているプロテスタント系の学校です。キリスト教徒のお嬢さんに仏像ガールが沢山いられて。
「瀧山寺の帝釈天イケメンじゃない」とか
「私は東寺の帝釈天の方が好きよ」なんて喋っていることでしょう。私達の恩師の浅子先生もそんな私達の姿を目を細めて見て戴きました。仏像の技も仏像を見詰める眼差しも代々伝えて行かないと。瀧山寺の運慶仏のように残念な事になるように思います。
さて次は何処の運慶仏を拝観に行こうか芸術新潮のページを括りました。すると足利の鑁阿寺の近くに光得寺があることを知りました。真如苑や円成寺の大日如来を髣髴させる金剛界大日如来です。獅子の上に九重の蓮華座を設え大きなお厨子の中で印を結ぶ姿は宇宙の中心におわす大日如来の世界観を一体で表現しているように思えます。
これが次に行きたい栃木足利光得寺の大日如来像(重要文化財) 真如苑大日如来の二分の一の大きさですが厨子も併せて大日如来の大宇宙を表現しているように窺がえます。
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