娘の安産祈願でオンメ目様に上りました思いの外早く終えてしまったので新しくなった段葛を見て小町通りを散策しました。この日は土曜日大変な混雑です。足元の弱い私はぶつかって転倒したら大変です。すれ違う人の動作を見極めて右に左に身を避けます。”若しかしたら居合道の筋が在るのかも知れない”思いました。
何時もの様に豆屋でつまみ食いしました。後で思うと消化にわるい豆を摘んだのが悪かったのかもしれません、祝い膳で失態をしでかしてしまい娘夫婦に悪い事をしてしまったのでした。
小町通りを出て鎌倉駅前に今日の祝膳の会場「鯉之助」があります。
お祝は別の機会にするとして今日のお食事は娘夫婦にご馳走になる事にしました。
「お父さん何でも遠慮されずに注文して下さい」、娘に言われても、私の胃は胃癌の術後充分に時間が過ぎていません。未だ胃袋は小さいのです。そこでメニューの最初に書いてあった『静御膳』を注文しました「静御膳」が昼のお膳の梅に相当するようです2100円ですから、大変にお安いというかリーズナブルな価格設定なのです。ワイフは瓢箪御前にしました。こっちの方がお祝いに相応しいようです。
祝膳に選んだ鯉之助の開店直後の様子。
此処このビルは昔何だったのかな?訊けばワイフは
『此処は第一勧銀が在ったのよ。みずほ銀行は今では駅の西口よ』
と小学校中学高校と鎌倉の学校で過した私を差し置いて解説します。加えて
「私達は何時も向こうの個室を遣わせて戴くのよ其処は金庫も在るのよ」
私を遥かに凌ぐ詳しさです。
昭和50年代後半私は長銀の福岡支店で支点経営に携わっていました。
お店は天神大通りに面して向かいは地域一番のデパート岩田屋がありましたし、筋向いは西鉄天神駅で背中は親不孝通りでした。商店街の協議会では常々不満を聞かされていました。
「銀行は夜になると真っ暗で街の賑いの上でマイナスだ、もう少し協力してほしい」何時も苦言を浴びせられました。そこで、博多山笠では若い行員に法被を着させて山笠巡行に参加させました。天神から櫛田神社まではたいした距離では無いのですが、山笠を街の倉に納めると行員は銀行に戻って応接室を占領して休んでいました。
観光都市鎌倉でも目抜きの広場に第一勧銀が居て迷惑だったことでしょう。其処に鎌倉の日本料理屋さんの御代川が「鯉之助」と云う若いブランドで出店したのでした。
でも第一勧銀の前は西武百貨店だったのでしたから。銀行が出店した時だけが間違い(場違いだったのです。銀行は元々が経済の黒子です。黒子が表通りに顔を出すことが間違いだったのでしょう。
お店に貼られた鯉之助の以前の姿昭和40年代までは西武百貨店でしたが50年代になると第一勧銀が出店I平成20年代になると現在の御代川が鯉之助ブランドで日本料理と寿司店を出店しているのです。
これは鯉之助の個室で、静かに歓談するには恰好なお部屋です、この時はお弁当が用意されていました、お客様のお土産か、はたまた行楽用に使われるのでしょう。
棟方志功さんの太った鯉が嬉しい食事を盛り上げてくれます。
私は懐かしいと思いながら銀行ロビーを見渡します。ドンドンお客さんが来店して満席になってしまいました。ワイフの云う様に予約を取っておかなくてはならない繁盛店です。
鎌倉御代川の新ブランド「鯉之助」の壁に懸った金工細工
私の座った席の後ろの甕には鯉の金細工が懸っています。掛け軸は棟方志功さんの鯉の絵です。
でもよくよく見れば鯉では無くて鯛のように見えます。こんなに肥っていては滝登りは出来ません。
此方は棟方志功さんの掛け軸御代川大主人に喫す」志功と書かれています。創業者御代川鯉之助氏の嬉しそうなお顔が思い浮かばれる大作だと思います。
棟方志功さんに”これは鯉じゃなくて鯛ですね”と言ったら禿げた頭を掻かれながら仰るでしょう
わだば惚けて鯉も鯛も分別できなくなってしまった”呵々大笑されることでしょう。
お店を見下ろす位置に神棚が祀られていて恵比須大黒が見渡しておいでです。棟方志功さんはこの恵比寿さんがお好きで鯛と鯉を間違われたのかも知れません。
でもよくよく見れば御代川さんが鯉之助ブランドで出店するお祝いに描かれたのですから鯉よりも恵比寿さんの抱えた鯛の方がピッタリだったようです。
お店の調度を楽しんでいるうちにお料理が用意されました。
これが私の注文した静御膳(2100円)です。今年初めての鰹のお刺身で縮緬雑魚の乗ったご飯を美味しく一膳戴いてしまいました。そうしたらもう満腹状態で天麩羅も大好物の煮物も食べられなくなってしまいました。若い人に食べて戴きました。折角のお祝いの御馳走を)残念でしたし娘夫婦に”ごめんなさい”言うだけでした。
お隣はワイフの注文した瓢箪御膳です。瓢箪が4段の重箱になっていて一段毎開ける度に声を出す美しさでした。眼にも舌にも感動させ遊び心ある瓢箪御膳だったようです。
実は私はご飯がおいしくてお刺身だけで一膳のご飯を食べてしまいました。マダマダ天麩羅もあれば煮物もあって食べたいのですが既に胃袋さんが”もう充分これ以上は入りません”と悲鳴をあげ始めたのです。屹度小町通りで摘み喰いしたお豆が胃袋で膨らんでいたのでしょう。意地汚く喰意地を張ったのが災いしていざご馳走になったら胃袋に余裕が無くなっていたのでした。娘夫婦に謝りながら箸をつけずに戴いて貰いました。
これはデザートの南瓜プリン。プリンさえ食べられなくて婿殿に助けて貰いました。
御代川鯉之助氏は築地の新喜楽で評判をとった料理長で政財界人や文化人に知己を得て鎌倉に進出し由比ヶ浜の一の鳥居店を皮切りに湘南で第一の日本料理店になった人物です。鯉之助は御代川の味や日本料理の文化を大切にしながら利用しやすさを追求したブランドのようです。
鎌倉でイタリアンが流行りのようですがヤッパリ日本料理を楽しみたい、そんな人には恰好なお店ですし、ロケーションも良いようです。
私のように鎌倉で育った者には日本料理と云えば山椒亭でしたが御代川さんの活躍で同店は
これから何度も言われることでしょう
”お父さんは安産祈願のお祝の膳の前にお豆を食べ過ぎて、肝心の御膳を食べきれなかった・・・・。”
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