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今、一番大切にしたいことは何ですか? 内には「健康」外には「地球環境」こう答える方は多いと思います。時代はこんなライフスタイルを「LOHAS」と呼んで期待しています。 先日、二人の太めな厚労副大臣が、メタボリック症候群対策を発表していました。「これから半年ウォーキングに励んで、腹回りを6センチ、体重を5キロ減量する」 出来るかな、公約。 自分の足で歩くと、普段気づかなかったものを発見し、感動したりします。グッドアイディアが閃く事もあります。行き交う人に会釈して、人にも地球にも優しく出来ます。私たちは車依存症から脱却すれば、リッチになれます。 ウォーキングは心身の健康に良いことばかりか、感動があります。私自身のささやかな感動を皆様にお伝えし、共感の輪を広げ、「LOHASU」な世界にご一緒したいと考えて、ブログします。 ところで、副大臣様歩数計をお持ちでしたが、それにUSBをつないで自動記録を残したらどおでしょうか?さらに、ウォーキングデータを「仮想旅」マップに表示したら、国会や霞ヶ関への通勤路が憧れの街道歩きに移行できますよ。 6ヶ月で「腹回りを6センチ縮める」のは切実でも、楽しくありません。6ヶ月で「中仙道」を踏破する計画に変じれば、楽しくなるし、データも残せます。グーグルアースの3Dマップに表示するので、画面は斬新ですよ。2008年4月に「健康指導」が義務付けられますが、一番肝心な「運動データ」が出来上がっています。USB歩数計を使えばメタボ対策は容易になります。 私たちは「LOHAS」な人の輪を広げたいと計画しています。
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    昨日7/14日は博多祇園山笠を始め全国の八坂神社で天王祭が開催された事でしょう。佐原や潮来の様に余り有名でない天王祭もその山車がユネスコの文化遺産に指定されて最初のお祭りでしたから、地元の観光協会もさぞかし熱が入った事でしょう。
    ところが心配なのは日田の祇園祭です。今次の水害ではどうなったのでしょうか?テレビ画面を心配しながら観ていると「朝倉の三連水車」は報道され文化財として復旧するようですが、日田の祇園様の山車の報道はありません。私の記憶では日田市の中央を縦断して流れる築後川の堰堤近くに「山車蔵」があって、その中に納まっていたと記憶しているのですが。ネットで調べてみると日田市のホームページでは何もお知らせしていません。今年は「日田の祇園祭は7月21「土」と22日(日)に開催される」、案内に変更はありません。私は博多に転勤していた時代日田には取引先は少なかったのでしたが運送会社や焼酎会社等と取引が開始されました。私の関心も在って日田市内ややその先天ヶ瀬温泉に泊まって小鹿田焼( おんたやき)の窯元を巡って民陶を買い求めたりしました。今でも愛用しています。テレビ画面では街中を小鹿田焼の陶土が埋めてしまった様な光景です。
    でも、日田祇園祭りは来週末ですから、今変更の案内も無いと云う事は山車等に被害は無かったのでしょう。
    加えて日田祇園祭りの主神は素戔嗚尊ですから災害に負けない姿を意気に感じているのかもしれません。
    そう想いながらネットを括っていると、日田市民の「祭りは予定通り実施する、山車に乗って犠牲者の慰霊の為にもお囃子を奏でる」心意気が出ていました。流石に隼人の住んでいた国です。林屋辰三郎氏の著書でも祇園祭はコレラで亡くなった町衆の慰霊の為に牛頭天王を祀ったのが始まり」と出て居ました。両国の花火もコレラの犠牲者の追悼を目的に始めたモノ。天災の度毎に天災を克服するように新しい文化を生むのが日本人の特長のようです。
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    ところで戸塚でも天王祭が14日開催されました。
    戸塚の天王祭は此処4年ほど中止されてきたのです。何が理由だか説明はありませんでしたが、平成23年に『横浜市暴力団排除条例』が定まりました。戸塚八坂神社には山車も神輿もありません。在るのは「お札播き」と呼ばれる横浜市指定の無形民俗文化財だけです。住人の楽しみは露天商の営む屋台での買い食いとか、ゲームくらいです。露天商の場所取りは江戸時代からのしきたりがあって暴力団のつけ込む余地が在ったのかもしれません。
    元々地域団結力に事欠く戸塚の町でしたから、お祭りが中止となると、様々な欠陥が露呈し、市民の「お祭り再開」への期待も強くなったのでしょう。戸塚駅の駅舎には「お祭り再開の横断幕が張られ。区民の参加を呼び掛けていました。
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    戸塚駅の橋上改札口には戸塚夏祭りの横断幕が張られお祭り気分を盛り立てていました。
    今年から二つもお祭りが始まりました。新入の祭りが郡上踊りを被露するモノで。2009年より明治学院大学戸塚 まつりの一環として、善了寺さん(浄土宗)の境内で毎年開催していました、「郡上踊りイン善了寺」が 2017年には、拡大して、戸塚大踏切ひろばで行われました。(5/27日実施済み)「何で郡上踊りなのか?」 遊行寺の盆踊りを藤沢市が後援するのとは訳が違います。お祭り好きの住職の活動を自治体が支援するのには疑問もあります。勿論政教分離を骨格にしている憲法違反の疑惑がありますが。「地域の絆」の一言で済ませています。戸塚の町の中央にある公園でお寺の祭りをするのは疑問符だらけです。地域の絆が重要な事は誰も異論を挟みませんが憲法については厳格であって欲しいモノです。
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    4年ぶりに開催された戸塚の八坂神社の天王祭は神社の石段下まで行列になる賑いでした。
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    これが八坂神社の神楽殿(田舎芝居の舞台の様なモノ)で実施された「お札播き」牛頭天王のお札を団扇で叩いて播くもので横浜市の無形民俗文化財に指定されています。幕末に勤王の志士がお札播きに紛れて世直し運動を扇動した(ええじゃないか運動)と云われたもので。京都から江戸まで宿場宿場に在った八坂神社を拠点にした運動も今も存続しているのはこれだけと云われています。その文句も如何にも幕末の昂揚感が出ていて良いモノです。







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  • 07/16/17--12:58: 消えた花火
  • 毎年8月の第一火曜日は横浜港の花火大会が開催されていました。昨年実施時に2017年は中止すると発表されました。理由は観客のマナーが悪いので警備が出来ないという事でした。ところが急遽中止の方針は撤回され7/15・16日に実施する事になりました。突然横浜市民のマナーが良くなった筈はないでしょうし、市長選直前の変高、カジノ誘致上でマナーや警備問題が俎上に乗るのを現林市長(カジノ誘致派)が嫌ったのか、勘ぐったりします。
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    此れは横浜港の花火です。ズット中止とアナウンスされていたのでしたが急遽今年も7/15・15日に開催されました。中止理由は「市民のマナーが悪いので警備出来ない」と発表されていたのでしたが、市民のマナーが良くなって警備可能になったのでしょうか?昨今の林市長の迷走ぶりは疑問だらけです。
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    此方は花火ではありません一昨日観覧車の右の空地に横浜新市庁舎の建設着工されました。その近くにカジノを誘致するというのでしょう。他人をスポイルするような施設を誘致して財政力をつけるのは疑問です。
    実は戸塚でも昭和48年のオイルショックまでは柏尾川花火大会が開催されていたのです。
    お隣の鎌倉市の「由比ヶ浜花火大会は既に中止が決まっています。鎌倉の花火中止の理由を鎌倉市は「鎌倉観光協会が花火の実行委員会から脱会したから・・・・・」と説明しています。でも誰もそんな理由を納得していません。観光協会にすれば17万人も集客力のある伝統の花火を止めるのは自縄自縛です。鎌倉市が財政逼迫しているので補助金を打ち切りして観光協会の負担を大きくしようとしたのでしょう。協会と市の負担の割合を巡って紛糾して結局花火にトバッチリが行ったのでしょう。由比ヶ浜の名称を豊島屋さんに買ってもらったり、鎌倉市の財政健全化策は涙モノですが、市庁舎移転等の方が優先された結果なのでしょう。鎌倉市議会議員のブログを見ると鎌倉観光協会への補助金5百万のゼロ査定に対して協会の猛反発がアップされています、鎌倉観光協会のリーダーは江ノ電ですし、駅前の江ノ電ビルに協会は入居しています。江ノ電には協会を束ねる識見も財政力も無いのでしょう。
    こんな時協会長が頭を下げ、自身が五分の一の百万円も出せば観光で潤っている企業や寺社が夫々協力金を出し、円満裏に市の補助金打ち切りの対策を見つけられた筈です。何処の町の祭りも協力金や祝い金で成り立っています。
    そのように思っていたのでしたが7月16日のネットを観ていた処鎌倉市は急遽花火大会を7月19日開催すると発表していました。http://hanabi.kamakura-info.jp/突然製作したにしては良く出来たHPです。何が在ったのかこれから野次馬が詮索する事でしょう。
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    れが鎌倉由比ヶ浜の花火です。写真の花火はモーターボートの上で点火して海面上で爆発させるモノで扇に花火が開いて海面上に映ります。鎌倉ならではの人気の花火でした。
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    此れも鎌倉由比ヶ浜の花火です。由比ヶ浜の花火は、由比ヶ浜に居ると煙で煙たいばかりで鑑賞どころではありません。ベストポジションは材木座海岸で斜め横から視るのです。
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    此れも材木座海岸で撮影したフラダンスです。踊っているお嬢さんは立教短大のお嬢様で光明寺境内の駐車場にはお迎えの高級車が揃っていました。夏の海は眩しいモノが観られるのです。

    紆余曲折して妥当な処に納まれば良いのですが何か事ある事に混沌としてしまう古都鎌倉です。ところが七里ヶ浜を介してお隣の片瀬江の島は違います。何しろ藤沢市は財政基盤が堅固なのです。貧乏なのに背伸びしているのが鎌倉ですが、藤沢市は姑息な事はしません。今年も早々と花火大会の開催を決めています。8月22日です。https://hanabi.walkerplus.com/detail/ar0314e00505/

    戸塚はオイルショックで花火大会を断念してしまいました。でも擦ったもんだしても鎌倉と横浜は今年も花火大会を開催するようです。
    考えてみれば鉄砲が伝来して。鉄砲を自作したのは日本人でした。その黒色火薬を使って線香花火を作ったのも日本人でした。線香花火を巨大にして大砲用の火薬にして大空に打ち上げたのも日本人でした。江戸時代にはコレラの犠牲者の冥福を祈って隅田川で打ち上げたのが打ち上げ花火で。世界中のお祭りを飾っています。花火はカラオケや寿司と同じような世界の共通語になっています。先の東北大震災の復興でも花火は被災者を勇気づけています。日田の花火は日本一と聞いて出かけました。日本一は爆発音の大きさで谷間の街に響き渡っていました。日本文化継承の意味でも花火文化とその精神を伝えて欲しいモノです。巨大な爆音がテロに負けないようにして欲しいモノです。


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    7月16日は「海の日」で休日です。毎朝ラジオで7月16日の花は「浜木綿」と紹介していました。別名「浜万年青/おもと」です、ワードで転換して知りました。てっきり「浜由布」と書くと思っていたら「木綿」と書くのです。若しかしたら女優の浜木綿子(三代目 市川 猿之助と離婚)が原因かな?思ったりしました。浜木綿の花を知っていたら木綿とは書かずに由布岳の由布を使ったはずです。
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    此れは由比ヶ浜の稲瀬川河口に咲く浜木綿の花です。花が終わると浮き球のような形の種子が出来て波間を漂流して自生地を増やします。

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    私は由比ヶ浜に浜木綿を観に行ったのでして写真の水着美人を観に行ったのではありません。7/16日は海の日屹度こんな写真が撮れる事でしょう
    慶応大学の南校舎の芝生には浜木綿が植えられていました。吉野吉雄氏(万葉調の歌人)を慕う友人が同氏が好きだった花を学び舎に植えたのでした。
    由布とは神主さんがお祓いに使う祭具です。柳や桑の白木の先端に半紙を稲妻状に切って飾りつけます。その祭具を振って「祓いたまえ!浄めたまえ!」と祈るのです。
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    此れは慶応大学三田校舎に咲く浜木綿です。夏休み中に咲いて散ってしまうので。この花を知らない卒業生が多いのです。
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    これは宇治の県神社の大幣祭りです。由布は幣とも呼びます。幣は神様に供える貢ですが由布はお祓いの祭具です。写真出典宇治市HPhttps://www.city.uji.kyoto.jp/0000009928.html
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    此れは私の地元の夏の例大祭で由布を使ってお祓いをする神主さんです。

    毎朝ラジオでは浜木綿の花言葉を「貴方を信じる」とか「純潔」と説明した後で「何所か遠くへ」と加えていました。浜木綿の原産地は東南アジアで「椰子の実」と同じように黒潮に運ばれて日本の南岸で着根したからでしょう。
    藤村の「椰子の実」や栄六輔さんの「遠くへ行きたい」と同じ発想です。浜木綿子さんと云っても知らない人ばかりになってしまいました。藤間紫さんとの確執なんて話題にすれば乗って来そうな女友達は沢山いますが。皆遠くへ行ってしまったようです。


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    日本の夏の花と云えば何を置いても蓮の花でしょう。旧暦の7月16日は藪入りと云われていました。薮入りとは、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中 など奉公人が実家へと帰ることのできた休日。旧暦1月16日と旧暦7月16日が藪入りで本人もその両親も半年ぶりに会える藪入りを楽しみにしていました。特に夏の藪入りはお盆でもありますから先祖の墓参りをして、鎮守の村祭りをして故郷の味を噛みしめたモノでしょう。
    私の生家はお寺でしたので良く夏には本堂に「丁稚羊羹」が供えられました。
    久々に戻った子供が土産に用意した水羊羹を嬉しくて食べ難いので、「先ずご先祖に」と云った気持ちで本堂に供えて行ったモノでしょう。あの頃生家に電気冷蔵庫が在ったならば丁稚羊羹はさぞかし美味しかった事でしょう。
    7月17日は海の日、ワイフを誘って上野の不忍の池に出かけました。勿論蓮の花を観るのが目的です。上野に不忍池を作ったのは天海僧正です。上野に寛永寺を創建し、江戸城の守りにしました。京の都の比叡山に匹敵するのが北叡山寛永寺です。京都の忍ケ丘に匹敵する森を寛永寺の境内に造成し忍丘とし清水観音堂を建築しました。
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    此れは上野の忍ぶ丘に建つ清水堂広重の錦絵にあるように舞台があって舞台から不忍池を見下ろします。
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    清水堂の舞台の下には竹生島を模した弁天堂が丸い松の幹越に見渡せます。江戸っ子は忍び丘の清水堂にお詣りして、その後は石段を下って不忍池の畔の茶屋に入って、恋にを忍ばずに愛し逢ったのかもしれません。”お詣りまでは忍んでもお詣りが終えたら自由よ”そんな感覚かもしれません、無縁坂のフレーズ「忍ぶ、不忍、無縁坂・・・・・」を想い起します。
    そして忍ぶ丘から見下ろす位置に琵琶湖に模して池を掘って「不忍池」と名付けました。竹生島に模して弁天様を祀りました。
    江戸時代から名所として繁栄し、今も都民の憩いの場になっています。
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    不忍池は地蓮が咲き出した処です。地蓮とは古代から日本に自生して来た蓮です。大賀博士が千葉の検見川の古墳から出土した蓮の種を発芽生育させ原始蓮と名付けられました。原始蓮は地蓮とたいして変わりませんでした。
    午前10時過ぎ不忍池に着きました。期待の蓮は未だチラホラ、ピークに較べれば2分咲きと言ったところでしょうか。今咲き出したのは良く視る地蓮(じはす)で私達が蓮根として食べる濃いピンク色の蓮です。唐招提寺の蓮も鎌倉八幡宮の源平池の蓮も同じ種類です。 大賀一郎博士は「原始蓮」と名付けられました。私が観た限りでは行田の古代蓮と同じです。中国で開発された八重の蓮も牡丹のようで綺麗だと思うのですが、やはり一重の古代蓮が良いと思うのは、八重桜よりも一重の山桜や大島桜が良いと思うのに似ています。
    私達は弁天堂を詣で健康を祈願して蓮を観て廻りました。この日(7/17日)は巳の日でしたから参拝者も多いのでしょう。今晩は夜7時から「灯篭流し」だそうです。主催者は寛永寺さんではなくて下谷仏教会だそうです。
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    「今晩は灯篭流しをする」案内が弁天堂に掲示されていました。京都は大半の行事は旧暦で実施されますが東京は新暦で実施されます。7/17日が藪入りですから、一月早い灯篭流しなのでしょう。
    弁天堂を詣でて、弁天島を一回りします。
    此れから夏の盛りです、塩辛蜻蛉が飛んでいます。塩辛蜻蛉は雄の名で雌は麦藁蜻蛉と呼ばれます。色に着目したネーミングでしょう。初夏は塩辛蜻蛉ばかりが目立ちますが秋が近づくと麦藁蜻蛉が目立ちます。種の保存の為には雌が重要だからでしょう。塩辛蜻蛉は太陽に向かって飛ぶか風に逆らって一直線に飛びます。その習性が武士の心意気に共感されたのでしょう。屹度突然に鳥に狙われた時に、逃げ易くする警戒心や雌をゲットしたい欲望が為せる習性なのでしょう。
    矢鱈雄ばっかりの不忍池を観ていて思いました。
    ”雄ばっかりでは寂しいな、雌が同数居れば平和なのに!”考えてみれば今育てている南瓜も雄花が多いのです。雌花が咲かなければ美味しい南瓜は収穫出来ません。盛夏になれば雌花も増えるのでしょう。私達は学校でメンデルの法則を学び性染色体上にある性決定遺伝子が雌雄を決定すると学びました。でも蜻蛉やカボチャは温度や日照時間といった環境が性を決定するのかもしれません。環境が性を決定し適者生存の法則が種の保存上有効に働くのでしょう。


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    去年も高校野球を観戦に俣野に在る薬大球場に出かけました。この暑い最中涼しい図書館や美術館に行くのはクレバーですが暑い時こそ炎天下に行く事が良いに決まっています。テレビでは沖縄や対馬の珊瑚の白化現象が報じられています。ラジオの世界の天気予報ではバンコックでさえ最高気温は31度コロンボは29度香港も29度です。熱帯は日中にスコールがあるし偏西風も吹くので横浜程暑くならないのでしょう。何しろ日本の夏の暑さは尋常ではありません。天気予報では午後雷雨の予報が出ていましたが、思いついたらストップ出来ないのが私の性格です。ワイフの用意してくれた水筒をリュックに入れてバスに乗って薬大球場に着きました。内野席は500円です私が席に座ったのは試合開始(11時)の15分前でした。一塁側は逗子高校三塁側は藤沢翔陵高校です。「さて、どちらを応援しようか?」暫し考えました。高校野球は自分の好きな街を応援するのが基本です、私にとっては逗子も藤沢も同じ程度の思い入れがあります。そこで試合開始の「礼」が美しい方にしようと決めました。
    両軍選手がホームプレートの前に並んで「礼」をしました。どちらが美しいか?瞬時には見分けが困難でしたが僅かに藤沢が勝っているように思えました。少なくとも帽子を脱いで坊主頭が並んだ姿は藤沢が勝っていました。そこで私は3塁側内野席に移動しました。正面に一塁側逗子校のアルプス席(応援団が陣取る)が見えます私の東隣は三塁側アルプス席で藤沢翔陵校のブラスバンドも鳴り響いています。どちらの応援も見事でブラスバンドも上手です。
    ブラスバンドを聞きながらチヤガールの踊りを観ていたら気付きました両校とも「夏祭り」を応援歌にしているのです。私も好きな歌です。先月観に行った映画「君の名は」を想い起すような切ない歌詞です。ユーチューブ:https://www.youtube.com/watch?v=dZb9qRFyc8A
    君がいた夏は
    遠い夢の中
      はぐれそうな人ごみの中
     「はなれないで」 出しかけた手を
    ポケットに入れて握りしめていた
    君がいた夏は
    遠い夢の中
    空に消えてった
    打ち上げ花火
    屹度此処に集まった高校生にとってもこの夏は「打ち上げ花火」の様にな記憶に刻まれるのだろうな?思って応援席を眺めました。

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    7月17日は横浜薬科大学俣野球場に高校野球の観戦に出かけました(逗子高校VS藤沢翔陵高校)。藤沢翔陵高校のコールド勝ちに終わりましたが良い試合でした。観客席には第二試合の横浜商業(横浜市民はY高と呼んで横浜高校以上に人気があります)の選手の姿が観られました。でも11時過ぎには雷雲も出て来たので、Y高は観戦しないで帰宅しました。雨にも濡れず寸での処での帰宅でした。
    でも7月18日ヤッパリ気になります。呆れるワイフを置いて連日の俣野球場にお出かけです。Y校の相手は西湘高校です。西湘高校は西湘バイパス小田原IC近くにある高校です。昔は小田原東高校と呼ばれていました。
    試合は予測通りと云うか、期待通りと云うかY高がコールド勝ちになりました。第二試合は横浜創学館高校VS関東学院です。試合開始まで1時間余り待たなければなりません。そこで俣野球場の西にある相州春日神社に向かいました。以前も来たことがあります。その時には神主さんに鹿の話を聞きました。俣野球場の前身は「横浜ドリームランド」で創業者「ドリーム観光」が境川沿いの丘陵に住宅地と遊園地の開発を計画して、屹度春日大社への信仰が篤かったのでしょう。遊園地の西外れに奈良の春日大社を分祀したのでした。自ずから春日大社の神使の鹿を譲ってもらい鹿園を併設しました。
    私が5年前に訪問した時には「今年は子鹿が4頭も産まれて。餌代もままならないし、去勢手術も出来ないので大変だ」嘆いておいででした。
    其処で「今年はベビーが何頭産まれました?」伺うと
    「今年は2頭産まれました。でも健康に育てるのは大変なんですよ」言われます。
    「病気にかかる鹿が多いというのは運動不足かストレス過多なのか、それとも・・・・?」
    思って折のフェンスを廻ってみると「葱やグレープフルーツの皮を与えないで下さい」注意書が架っています。
    確かに兎を飼って居た時に蜜柑の皮をあげると下痢になりました。下痢になったら夏なら屑の葉、冬なら蒲公英の葉を取ってあげると下痢は納まりました。春日神社の近くに俣野霊園があります。横浜市の運営する霊園です。霊園のレストハウスで涼しんで、試合開始を待ちました。

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    先月はブリューゲルの「バベルの塔」を観に行ったのでしたが同時に「タイの仏像展」も見学する積りでした。しかし公開前でしたので7月16日にワイフを誘って出かけました。上野駅を不忍口を降りて午前中に弁天堂を詣でて観蓮シテから食事をし、午後にタイの仏像展を観る事にしました。で問題はランチを何処でとるかです。池之端の食事処は厭きてしまっています。気になるのは数年前出来た「桜テラス」です。もう一案は東博の法隆寺館にあるレストランです。レストランはニューオータニの運営ですからお味に心配はありません。と云って特段に期待が持てる訳でもありません。要するに安全安心だという事です。谷口吉生氏の設計した建物です、庄内酒田の土門拳記念館も東博の平成館も同氏の作品です。
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    これは酒田にある土門拳記念館です。室内からは正面(北)に鳥海山を眺められます。谷口吉生氏の作品はこの記念館がベースで大きな施設はこの記念館を拡大したもののように見えます。
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    手前が京都博物館の平成知新館でこれも谷口吉生氏の設計です。向こうの煉瓦建物は従来の京博本館手前の池や芝生に京都大仏(方広寺)の山門柱跡が留められています。
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    此方は東博の平成館です。これも谷口吉生氏の設計です。池は初代東博館長だった森鴎外の屋敷跡です。
    同氏の作品はアッチコッチで観てきたうえに最近は「GINZA SIX」を設計したので脚光を浴びています。屹度私達の生きた時代のモニュメントとして残る作品だと確信しています。土門拳記念館を少しづつ大きくしていったような作品で水平線と垂直線の画面構成が機能的で心地よい事、水を浄土建築の様に使っていること等が印象深いモノです。私の敬愛する藤森 照信 氏の作品が縄文集落をテーマにしているのに似ています。現代の設計が古代や先史時代を継承しているのは素晴らしい事です。
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    此れが法隆寺館です。
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    法隆寺館1階ロビーからの眺め池の向こうに黒門が見えます右奥手前がレストランです。レストランはニューオータニが運営しています。
    レストランに入るなり言われました「今日は(海の日)でメニューに在っても用意できないお食事があります。」
    まあ良いかニューオータニなら馬鹿高い事もあるまい、安心して部屋に入ります。
    上野公園を南から北に縦断して来たのですから大汗をかいています。エアコンの効いたレストランでお水を飲むと生き返る気分です。私達が席に就くと次ぎ次にお客が来て廊下の椅子に座っています。タイの仏像展や法隆寺展を観る前にレストランに入って正解でした。
    私はビーフシチュウ定食、ワイフはビーフストロガノフ定食をオーダーしました。メニューにはサラダ付きでしたが、今日はサラダは欠品で(若しかしたら青果市場がお休みだからかな?)ドリンクをセットします。言われました。
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    これがビーフシチュウランチです普段はサラダ付ですがこの日はドリンクセットでした。
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    此方

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    法隆寺館を出て愈々タイ仏像展を観に平成館に向かいました。私の目の前をお坊さんが歩いて行かれます。屹度タイの留学生が上野で故郷の門外不出の国宝を拝観できるというので来られたのでしょう。
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    タイのお坊さんの法衣(袈裟)は黄色で仏像の金色と同じように見えます。日本のお坊さんは墨染です、黄色は太陽の昇る朝を思わせますが墨染は夜を思わせます。黄色は「どのように生きるか」模索する姿勢を墨染は「死に方を」追及する姿勢を思わせます。写真はワットプラ・シー・ラタナー・マハータート(ワット・ヤイ)寺院。展示パネルを撮影(タイ人が最も美しいと評するバンコク郊外のお寺だそうです。
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    東博平成館の外壁に貼られたタイ仏像展の幔幕 中央の釈迦坐像の光背は8頭の巨大なコブラで台座はコブラの胴です(釈迦はトグロの上に坐っています。展示では仏教伝播以前のタイの信仰にナーガ(龍/水神)があった事を説明しています。
    日本のお坊さんは墨染の衣ですがタイの御坊様は黄色というか金色です。実はこのお坊さんとズット一緒でした。お坊さんは展示会場でズット熱心にメモを取っておいででした。私は黄色い染料は何なのか?気になって仕方ありません。ターメリック(ウコンカレーの香料)かサフランでしょう。サフランなら先刻ワイフが法隆寺館のレストランで食べていました。どちらも天然染料ですし。蛾や蚊を防ぎますし消毒効果もありそうです。儀軌(仏像の決まりごと)では仏像の体は金色と決められています。ですから、タイでは仏像を金箔で貼ることが善行だとされています。でもお「釈迦様の体が高貴だから金色に輝いていた」と信じるのが普通なのでしょうが、実はお釈迦様も黄色い袈裟を着ておられたのでタイの人は「お釈迦様と同じように修行を積んで自分も釈迦になりたいと思っているので仏像を自分が来ている袈裟と同じ色にしたのではないか」思ったりしました。それが日本に伝わると山岳仏教の)ブロッケン現象(高山で太陽を背にして仏像が出現したように見える幻覚)もあって仏像と云えば金色になったのかも知れません。
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    此方はアユチャ歴史公園のアユチャ王朝遺跡のポスターです。(平成館のロビーに貼られていました。)左がウォーキング仏陀と呼ばれる仏陀の遊行像。右は仏陀坐像
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    此方も平成館の壁に貼られたポスターでスコータイ歴史公園内の遺跡です。有名なアンコールワット遺跡群は12世紀クメール王朝によるヒンズー教遺跡ですが。その影響下にタイスコータイ王朝(14世紀)による仏教遺跡群です。左の巨大物は日本人感覚だと弥勒如来と直感しますが。釈迦如来坐像でしょう。。カンボジアもタイも似た風土に在って似た宗教エートスを持っていたのでしょう
    日本の仏教に較べると随分違う仏教です。日本人は自分達の仏教こそ本物だと思いあがって「大乗仏教」と自称して、私達もそう覚え込まされました。自分のニーズに逢わせて沢山の仏像を創作しました。そしてタイの仏教を自分一人の救済を志す「小乗仏教」と呼んで蔑視してきました。でも最近はタイ仏教を「上部仏教」と呼んで釈迦の原点に回帰しようとするように変わって来ました。


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    去年も遊行寺の盆踊りに出かけました。今年も7/20(金)7/21(土)22/(日)がそれです。昨年は二日間も出かけました。4年前には一人で出かけた処娘夫婦に遊行寺の境内で発見されてしまいました。今年は聖路加病院の日野原先生も亡くなれてしまいましたが、遊行寺の法主他阿真円(たあ・しんえん98歳)上人はお元気だろうか?尊顔見たさに出かけたくなります。昨年は盆踊りの櫓に登られてご挨拶され。地上に待ち受けていたご婦人(輪踊りリーダー)に囲まれてご満悦で居られました。22日の事は同日決める事にして21日ワイフと共に出かけました。昨年は初めて秋田の竿灯が遊行寺通りを練って良かったのでした。夕方陽も落ちて海風も吹き始めた頃にバスに乗って遊行寺を詣で21日の盆踊り会場である遊行寺通りに向かいました。午後7時に始まるのが西馬内盆踊りです。
    西馬内盆踊りのHPによると源親という修行僧が、中世に蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)を勧請し、ここの境内で豊年祈願として踊らせたものという事で。宝泉寺(西馬音内寺町)境内で行われた亡者踊りと合流しました。そして天明年間(1781~1789)に現在の本町通りに移り、現在まで継承されてきたものと伝えられます。要するに時宗のお寺に在った亡者踊りと蔵王権現の豊年満作の祈願踊りが合体して江戸時代出来た踊りが伝承されてきたのだそうです。羽後町観光協会http://ugo.main.jp/bonodori/
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    これが羽後町で踊られる西馬内盆踊りです。写真出典http://ugo.main.jp/bonodori/ 何と云っても目に着くのが踊り子の被っている黒い頭巾です。一般に彦左頭巾と呼ばれる浄瑠璃の黒子の使う頭巾ですが。踊る人も見る人も頭巾の人が亡くなった家族の様に見えた事でしょう。
    西馬内盆踊りが毎年遊行寺の盆踊りに招かれているのは遊行寺の本堂で奉じられる遊行念仏以上に盆踊りの精神を残しているからでしょう。亡者の慰霊をするだけなら亡者踊り(もうじゃおどり)で済みます。でも亡者は現世に再生して来る確信しているから豊年満作を祈願するのでしょう。この辺の事は小栗判官物語や一遍上人絵伝で説かれています。亡くなった人が現世に生き返るか否か?それは確信が持てません。現代科学のスキルである実証が出来ないからです。でも中世的な経験則で考えれば「死んだ人も何時かは生き却ってこの故郷の田畑に戻ってくる」考えた方が生き方は力強く。循環可能な社会経済が存続します。皆が「死んだらもう何も無い」考えれば何も残さないし。人類は早かれ遅かれ絶滅します。
    私達は学校で「江戸時代は総じて停滞した社会経済と教えられ、ルネッサンスや科学の進歩が社会経済の発展を促した」教わりましたが、地球環境の破壊や科学の進歩が必ずしも人間の幸福には結びつかない事を知りました。
    亡者の衣装で踊るだけではありません。踊り子の衣装亡くなった親が着ていた「接(は)ぎ衣装」です。 大小の絹布の端切れを配色や配置 に工夫しながら接ぎ合わせて作られています。袖口や裾などには同じ柄の布を使い、 布の配置は左右対称としているようです。剥ぎ継ぎ衣装には亡くなった親の汗や涙が浸みこんでいる事でしょう。そう想うと女性はひとしお美しく見えるし 情熱が感じられます。

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    7月21日に遊行寺の盆踊りを観に出かけました。目的は遊行寺通りの盆踊りでも、先ず本堂に上って手を合わせるのがマナーです、広い境内ですから、どの門から入ってどんな順に廻るか、考えます。真徳赤門) から参道に入るルートを選びました。何故なら真徳寺には白い蓮が咲くのです。蓮には紅白二種があります。
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    正面が遊行寺の南門右の木立の中が真徳寺さんです。真徳寺さんは遊行寺塔頭の一つです。
    古代蓮も地蓮も多くは紅色です。ベトナムの国花の蓮も紅色です。蓮が尊いとされ仏花や仏坐に使われるのは、蓮が水底の汚泥に根を張ってそれでいて美しくも清浄な花を咲かせるからです。美しく清浄という意味なら白い花が優先されるべきです。でも、蓮と云うと赤い蓮の方が好まれているようです。
    私の母の名前は「白蓮院純日正信女」ですから、蓮と云えば白なのです。蓮の白さが増すのは夜です。満月なら最高、夕顔も純白ですから、夜こそ綺麗です。
    マリア様を象徴するのが白い百合の花です。純潔の色は白なのは、洋の東西共通するのでしょう。
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    此方が遊行寺参道に面した真徳寺赤門です。一般に赤門と呼ばれているのは鎌倉北条氏邸より赤門を寄付され以来呼ばれています。遊行寺の南(密教では赤お相撲の赤房)を守護する門の意味です。東大の赤門は徳川将軍家(斉昭)の娘が前田家に嫁いだ記念に嫁ぎ先の門に寄贈した事に依ります。

    真徳寺さんの境内を遠目に見ても、白い花が見えます。遠目に見えた白い花房は百日紅かと見間違いました。
    近づいて見れば、柏葉紫陽花です。柏葉紫陽花の根元に鉢が置かれていて、蓮は鉢で育てられているのです。「ドッチが綺麗?」競っているようにも見えます。花の美しさは白さのように見えます。「ドッチが白い?」比丘尼同士が並んで参詣客に尋ねているようです。