Are you the publisher? Claim or contact us about this channel


Embed this content in your HTML

Search

Report adult content:

click to rate:

Account: (login)

More Channels


Channel Catalog


Channel Description:

今、一番大切にしたいことは何ですか? 内には「健康」外には「地球環境」こう答える方は多いと思います。時代はこんなライフスタイルを「LOHAS」と呼んで期待しています。 先日、二人の太めな厚労副大臣が、メタボリック症候群対策を発表していました。「これから半年ウォーキングに励んで、腹回りを6センチ、体重を5キロ減量する」 出来るかな、公約。 自分の足で歩くと、普段気づかなかったものを発見し、感動したりします。グッドアイディアが閃く事もあります。行き交う人に会釈して、人にも地球にも優しく出来ます。私たちは車依存症から脱却すれば、リッチになれます。 ウォーキングは心身の健康に良いことばかりか、感動があります。私自身のささやかな感動を皆様にお伝えし、共感の輪を広げ、「LOHASU」な世界にご一緒したいと考えて、ブログします。 ところで、副大臣様歩数計をお持ちでしたが、それにUSBをつないで自動記録を残したらどおでしょうか?さらに、ウォーキングデータを「仮想旅」マップに表示したら、国会や霞ヶ関への通勤路が憧れの街道歩きに移行できますよ。 6ヶ月で「腹回りを6センチ縮める」のは切実でも、楽しくありません。6ヶ月で「中仙道」を踏破する計画に変じれば、楽しくなるし、データも残せます。グーグルアースの3Dマップに表示するので、画面は斬新ですよ。2008年4月に「健康指導」が義務付けられますが、一番肝心な「運動データ」が出来上がっています。USB歩数計を使えばメタボ対策は容易になります。 私たちは「LOHAS」な人の輪を広げたいと計画しています。
    0 0
  • 01/10/18--11:07: 獅子舞の文化史
  • 1月4日川崎民家園に出かけた目的は「獅子舞」を観られたからです。案内では午前11時に佐々木家住宅で開催される、されていました。
    イメージ 1
    此れは民家園の佐々木家住宅(長野県南佐久郡八千穂村国の重文)の縁側を舞台に客席は庭に茣蓙を敷いて獅子舞が演じられました。前半はオカメとヒョットコによる踊りでした。高千穂神楽はエロスがあって面白かったのですが、サッパリした踊りでした。
    11時に着くには9時に我家を出発しなければなりません。1月4日は川崎市も仕事始め職員も気合が入っているし笑顔も爽やかです。民家園は尾根も在るし谷戸もあります。通路が凍っているので転ばない様に注意して佐々木家に向かいました。道祖神の前は霜柱が立っています。踏めば「ザック・ザク」音がします。道祖神様も「良く来た!」歓迎して下さっているようです。
    11時前には沢山の人が佐々木家の縁側前の庭に敷かれた茣蓙に坐っていました。
    イメージ 2
    晴れ着を着て背中にお獅子を背負って踊るオカメさん。
    イメージ 3
    お化粧をするオカメさん。この後二人のヒョットコさんが登場します。オカメさんはモテモテのようです。
    定刻に獅子舞が始まりました。獅子舞を演じるのは民家園に近い白旗神社/https://tesshow.jp/kanagawa/kawasaki/shrine_miyamae_hachi.htmlの氏子が作っている「連」だそうです。住所表示は「平」で白旗神社も平安時代に遡る平家の一族が住み守ってきた神社だそうです。私は白旗神社は鶴岡八幡宮の源氏池にもあるし藤沢の白旗神社のご神体は源義経ですから、源氏に近い神社とばかり思って来たのですが、平家が守ってきた神社だというのです。でも、ネットで確認すると始まりは八幡太郎義家が奥州征伐の折に建立したのが始まりだそうですから、偶々義家の家臣にいた「平」と名乗る郷士が守って来た神社だったのでしょう。
    川崎市宮前区とか田園都市線の宮前と云えば首都圏では人気の住宅地ですが「宮前」とは白旗神社である事も初めて知りました。
    イメージ 4
    ヒョットコさんとオカメさんが揃って母屋の広間で踊ります。法被には「襟に平と染め抜いてありました。
    白旗神社氏子連による獅子舞はオカメさんの踊りに始まりひょっとこ一が加わり面白可笑しく踊りました。そのうちひょっとこつは去ってオカメだけが縁側に残されます。
    イメージ 5
    此方はヒョットコさんが獅子舞の頭を背負って踊る場面です。
    イメージ 6
    オカメさんは獅子頭を背負って傘をさして暫くヒョットコさんと踊っていましたが・・・。
    イメージ 7
    背中に負ぶっていた獅子頭を縁側に寝かせて暫く面倒を見ています。
    イメージ 8
    獅子頭のマントを繕うオカメさん。どうもオカメさんは金太郎のお母さんで獅子頭が金太郎の様なストーリーのようです。
    イメージ 9
    赤い毛氈の上に獅子頭を置いて添い寝するような仕草をします。
    オカメは縁側で背中に背負っている獅子舞の頭や唐草模様のマントを繕ったり獅子がまるで我が子の様に愛しみます。獅子頭を頭に載せて踊ります。最後は獅子の歯で観客の頭を咬んで終わるのだろう・・・。予測していたのでしたが突然に終わってしまいました。博多時代宮崎の焼酎メーカーが「高千穂の神楽を観に来い」熱心に誘ってくれたので出かけた事がありました。夕方高千穂神社に近い農家の庭先で見物しました。寒くて寒くて閉口した記憶がありましたがオカメヒョットコの道化は高千穂の方がズット面白かったのでした。獅子舞も昨日書いた追羽根と同じくむろ町時代に、伊勢ので疫病除けに獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞ったのが発祥と云われています。その後、17世紀に伊勢より江戸へ上り、悪魔を払い、世を祝う縁起ものとして江戸に定着し、祝い事や祭り事で獅子舞が行われるようになりました。古代に京が都であった時代は京文化が日本中に拡散したように 獅子舞が江戸で広まると日本の各地に急速に広まりました。伊勢大神楽、や熱田神楽獅子舞を舞いながら、全国を業脚し悪魔払いをしたのでした。オカメは阿亀(おかめ)と書き、お多福、阿多 福(おたふく)でもあります。
    イメージ 10
    オカメさんが面倒見した獅子頭は勢い良く踊ります。
    イメージ 11
    縁側から庭に下りて子供達の頭を齧って厄払いするモノと思っていたのですが突然に獅子舞は終えてしまいました。
    歳神様は「綺麗好き」「清潔好き」そして「美食家」であって「お笑い」が大好きと思われました。そんな神様ですから、お正月は「綺麗に正装」して、「おせちの御馳走」を用意し、「お笑いの芸能」を奉納するのでしょう。「オカメ・ヒョットコ」の掛け合いは少しばかりエロが混じっていて「天岩戸の鈿女の巫女」の踊りを髣髴させます。
    縁側の被り付きに陣取っていた子供達は面白く無いと思ったのか席を外してしまいました。伝統の通り演じる事も大事でしょうが、少し東に行けば「藤子不二雄ミュージアム」です。子供達の好きな演出があったらもっと張り合いが出そうな気がしました。
    イメージ 12
    民家園の入り口ロビーの天井にもオカメさんが出迎えてくれました。
    イメージ 13
    オカメのルーツは天岩戸の「鈿女の巫女」で竃の象徴と思います。
    イメージ 14
    一方ヒョットコは竃の前に蹲って吹き竹を使って火を起こそうとしている下男であると思われます。
    写真は明日香村の座神社で2月に催される御田祭りです。オカメとヒョットコさんが神殿で写真の様なエロチックな仕草をして、その後田圃に下りて追いかけっこをします。見物人の女性のお尻を叩いたりします。「良い子を産め」と云った意味でしょう。奈良は御田祭りが多く残されていて西方村の池神社では2月19日に奉納されます。此方は牛と子供が主役です。どれも抱腹絶倒の祭りで、日本の正月は「笑い」が欠かせません。歳神様は「笑い」がお好きなのです。
    一方獅子舞のルーツである中国の獅子舞は春節で主役になりますが。厄除け魔除けが主目的のようです。
    イメージ 15
    此れは横浜中華街の春節に登場する獅子舞です。二人で動作させます。日本に伝播すると随分変化したモノです。以前次にアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893297.html?m=lc&sv=%BD%D5%C0%E1&sk=0


    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックお願いします。



    0 0

    NHKラジオの「子供電話相談室」が夏休みだけでは無くこの冬休みにも実施されました。私は読書しながらパソコンのキーボードを叩きながら聞き耳を立てていました。1月8日で終わってしまいましたが、実に面白かったでした。
    1月8日には6歳の女の子の質問に思わず、キーボードを叩く手を止めて聞き入ってしまいました。質問は「毛虫の毛を刈ったら毛虫は如何なりますか?」という事でした。屹度女の子は毛虫が身体をくねらせて前進する態を観察して思いついたのでしょう。家族に訊いても誰も執り合ってくれないので、電話したのでしょう。先生方の笑い声も響きました。誰も思い付かないことに疑問を持つ事は、新発見への糸口です。
    私は子供の時蚕を飼っていましたし、庭の百日紅の樹に樟蚕(クスサン)の幼虫付いていたので、毛虫の毛の無い幼虫は小さい時から良く見ていました。
    イメージ 1
    これが樟蚕の幼虫です、体長8㎝にもなる巨大な毛虫ですが毒はありません。大食漢ですのでこれが発生すると樹は丸坊主にされてしまいます。
    イメージ 2
    此方は黄揚羽の幼虫です。良く山ウドの葉に付きます。これも7センチほどになりますが、毛は生えません。掌に載せるとゴニョゴニョ動いて冷たいので気持ち良いです。
    イメージ 3
    6歳のシロヒトリ(成中は白い蛾です)「虫好きお嬢さんのしつもんはこんな毛だらけ毛虫の毛を抜いたら如何なるのか疑問になったのでしょう。我が庭にも出没しますが毒はありません。雀が好んで食べています。
    先生の解答は『試した事は無いけど、毛を抜いたら体液「血」が流れ出して死んでしまうだろう』という事でした。若しその回答が真実なら、殺虫剤は無用で毛抜きをすれば良い事になります。
    失笑してしまいそうな興味が新発見のきっかけになるモノです。
    その日のNHK深夜ラジオに北里病院の馬渕教授がゲストで出られていました。
    2年前の「イグ・ノーベル賞」を受賞されたのだそうです。
    同賞の受賞の対象になったのは「バナナの皮は何故滑るのか?」の研究が対象になったそうです。
    大学病院の教授が「何故こんなテーマの研究をされたのか?」気になります。
    教授の専門は「人工関節」で患者など人工関節の説明の際に「力が入ると良く滑るのです。まるでバナナの皮を踏んだように・・・・・。)すると大半の人が納得してくれたのだそうです。でもそこは科学者「何故バナナの皮を踏むと滑るのだろうか?、自明の事のように話してきたけど本当に正しいのだろうか?」思って研究を開始たのだそうです。
    イメージ 4
    此れが人工関節の手術手順の説明図です。出典金沢医大HPhttp://ortho.w3.kanazawa-u.ac.jp/patnt/pages/jint.php左上から始まります。股関節症の患部を削ってお椀を埋め込みます。次いで大腿骨の先端にキャップを取り付けます。素材はセラミックスや金属、そしてポリエチレンだそうです。
    ポリエチレンは有機物で圧迫されるとゲル化して潤滑油の効果を出すのだそうです。
    若しも馬淵教授が最初に「バナナの皮を踏むと何故滑ってしまうの?」疑問に思ってから人工関節の研究に着手されたのならノーベル賞候補だったでしょう。でも事実は自明の事と思っていたことを科学論文にまとめた事からイグ・ノーベル賞になったのでしょう。北里大学は2015年大村 智(おおむら さとし)教授がノーベル賞の栄誉に浴されました。2015年に馬淵教授がイグ・ノーベル賞を受賞された訳で、凄いと思います。試みにイグ・ノーベル賞の授賞者を調べると日本人が圧倒的に多いのです。ウキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
    2017年を確認すると、上村慶応大学教授が受賞されていました。テーマは「と雌で生殖器の形状が逆転している昆虫(トリカヘチャタテの存在を明らかにした」研究に対して表彰されましたこの疑問は今昔物語(取り替えばえ)の歴史を持つ中世以来の興味です。でも生殖器の研究が害虫の駆除に役立つ事も食糧危機対策に役立つ事も考えられます。少なくとも蚕の雌雄決定が可能になれば生産性は倍にアップするでしょう。6歳の「虫愛ずる少女/堤中納言物語/平安時代」の将来が楽しみです。ゴキブリを視ると逃げているお母さん方も「何れゴキブリが食糧危機を回避させてくれるかもしれない、」思えば
    この化石昆虫を見る目も変わって来るでしょう。
    イメージ 5
    昨年観た新海誠監督によるアニメーション映画「君の名は」は現代版の「取り替えばや物語」でした。




    0 0
  • 01/12/18--11:51: 「振り袖の民俗学」
  • 1月8日は成人式、二つのニュースに関心が深まりました。
    東京の新成人の内に外国人の占める割合が2割、5割にに及ぶ区があったというのです。外国人留学生が多いからでしょう。外国人留学生はその目的(留学」通りであれば良いのですが労働力不足に起因した「技能実習生」だとすれば、問題です。
    もう一つは横浜の振袖レンタル会社が振袖を届けなかった事件でした。どう見ても「詐欺」商法だったようです。新成人には口惜しい成人式になってしまったようです。振袖は「魂振り」が始まりです。古代若い男女が袖を振る仕草は愛情の表現だったのです。額田の大君が大海人皇子(後の天武天皇)に贈った次の歌は万葉集の白眉です。
      あかねさす紫野行き標野しめの)行き 野守は見ずや袖振る
    イメージ 1
    安田 靫彦画伯の額田大君の図。和歌の袖を振って好意を示していたのは「大海人皇子」です。この絵は額田大君の”主人の天智天皇が観ているし困っちゃうわ!」そんな表情かも知れません。壬申の乱の遠因は額田大君を巡る三角関係と云った説もあります。
    イメージ 2
    此れは吉野から出陣する大海人皇子を見送る鸕野讃良(うのさらら・天智の娘・後の持統天皇)写真は吉野宮滝の「吉野歴史博物館の壬申の乱」のジオラマ。
    イメージ 3
    鸕野讃良(うのさらら・天智の娘)に見送られて出陣する大海人皇子。鸕野讃良(うのさらら)は兄の大友皇子を見捨てて夫の大海人皇子を立てたのでした。お人形は武装していますから袖はありません。
    現代語にすれば、額田大君は大海人王子が袖を振っているのを視て咎めたのでしょう。
    ”紫草の生えた野を、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらそんなことをなさって。あなたが私に袖を振るのを野の番人に見られてしまうではないですか、。
     ”その返し歌は
    紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
    現代語にすれば次の通りでしょう。
    紫の匂う様に美しい貴方が若しも憎かったら、人妻(兄/中兄皇子の)なのに恋い慕ったりしませんよ!
    「袖を振る」仕草は、① 別れを惜しんだり、愛情を示したり意味でありました。
    現代用語の「袖にする」とか「袖にされた」と云うのは「愛情を示して袖を振ったモノの、相手にされなかった。断られた」と云った意味でしょう。ですから「袖を振る」と同感覚の仕草です。でも「無い袖は振れない」と云った用語もあります。金の無心を頼まれた時の断り文句に使われて、現代人が着ている様なシャツには袖が無い事から「金が無いので頼まれてもどうしようも無い」と云った説得力のある用語です。
    着物の袖は家屋の縁側の様なモノです。
    イメージ 4

    此れは能舞台の説明図です出典朝日新聞https://kotobank.jp/word/%E8%83%BD%E8%88%9E%E5%8F%B0-112015本舞台の左揚幕までの渡り廊下が袖です。江戸時代には歌舞伎舞台の「花道」に発展します。
    良く似た用語に「舞台の袖」があります。「舞台の両端で幕の外」の事です。観客からは見えません。でも能舞台では「橋懸り」で「揚げ幕」と舞台を繋ぐ部分です、一の松から始まって3本の松が植わっています。能舞台を手本に歌舞伎の舞台も出来ています。袖の部分を能が「橋懸り」と呼ぶのに対して歌舞伎では「花道」と呼びます。勿論観客からは良く見えて。役者と観客とが気持ちを交錯させます。
    袖は「気」を通わせる場所なのです。
    イメージ 5
    これは「はれの日」が中小企業庁から「企業価値が高い」と表彰された式典の記念写真写真の出典「同社のHP」事件直後”横浜にこんな怪しからん会社があるのか!」憤慨して検索したモノ。
    日本人の民族服「着物」が育んだ「気の文化」であります。
    それにしても「ハレの日」の詐欺行為は着物文化を汚す許されざる悪行です。でも若しも「晴れ着」を見直す、機会になれば「瓢箪から駒」になるでしょう。
    少なくとも「袖を振る」とか「袖にする」と云った陰影のある表現(文化)は着物を着て初めて解ります。ジーンズやシャツは便利ですが陰影がありません。今日もワイフは着物に袴で弓を担いで出かけました。今年も正月は着物を着ませんでした。折角母が縫って下さったものですから、そのうち、来年は着る事にしましょう。




    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックお願いします。



    0 0

    1月4日川崎民家園の佐々木家住宅の縁側では午前11時に「獅子舞」が演じられ、午後1時からは「南京玉すだれ」が演じられる案内されていました。私達はその間2時間で昼をとり、正月飾りを見学して回りました。民家は北から奄美大島まで集められています。ですから民家園を一回りすれば全国各地の正月飾りを見学できるのです。
    イメージ 1
    南京玉簾の演じられる会場は佐々木家住宅の縁側でした。此処が民家園の略中央で、佐々木家は(佐久の民家で、向こうの合掌造りの民家は富山県五個荘南砺市の江向家(国の重文」そのひだりが山田家住宅(南砺市桂/県重文です。更にその左には山田家(県重文/岐阜県大野郡白川村長瀬/蕎麦店として活用されている)があります。
    去年の秋には富山県のおはらに「風の盆」を観に出かけました。「おはら」は立山の参詣道にある宿場町で一帯は芸能が盛んでした。この道を東に行けば「五個荘」か!”桜が咲いたころまた来たいものだ”思いました。南京玉すだれは砺波のささら(竹を編んだ楽器)をベースにしているそうです。
    イメージ 2
    これが「ささら」です。写真出典鈴木楽器製作所のHPhttps://www.suzuki-music.co.jp/products/p_000661/5200円です。

    芸人が威勢良い掛け声「さて、さて、さてさてさてさて、さては南京玉すだれ」と共に
    玉すだれをおもむろに取り出し、「ちょいとひねれば、ちょいと、ひねれば、日米国旗に早変わり。日米国旗をちょいと伸ばせば、…」といった風に、簾の形状を次々と変えて見せる。芸能です。玉簾とは何のことは無い海苔巻を巻く時に使う簾です。糸で結んだ籤(ひご」を外せば簾は様々に形を変えます。形を変えて「旗」やら「橋」やら「柳の枝」やら「塔」に変えてみせます。
    イメージ 4
    右が佐久の佐々木家住宅で奥が五個荘の江向家住宅です。どの民家も国の重文です。でもこうして活用する事で、活かされます。
    イメージ 5
    銀座の柳が出来ました。
    イメージ 6
    阿弥陀様の光背が出来ました。この光背を二人で重ねればハートになりました。
    年末の深夜ラジオに大江戸玉簾の佃川燕也氏(社団法人大江戸玉簾理事長)が出ていました。話の要点は南京と云っているものの中国の南京では無くて純粋に江戸の町民が考え出した芸能で『江戸カッポレ』と共に御目出度い席で被露した芸能である事。最近は再び人気が出てきて各地の高齢者施設にお呼ばれして演じているし。愛好会も増えているそうです。川崎民家園で実演された方々も、小田急線の町田に住んで居られる方々(町田楽笑会https://ameblo.jp/205921/entry-12056834679.html)でした。笑う事も手足を動かす事も、健康には良い事と聞きます。三河万歳の頭巾がお似合いでした。屹度楽笑会の面々は健康長寿になる事でしょう。「福の神」を招く「南京玉すだれ」でした。
    イメージ 3
    高砂人形の様なお二人で見事なハートが出来ました。



    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックお願いします。

    0 0

    良く「ペットは飼い主に似る」と云われます。私のペット犬は初代がホワイトテリアで下が癇癪持ちで閉口しました。それに暑さに極端に弱いのでした。そこで二代目はビークルにしました。手間いらずで、利口な犬でした。三代目は現在の柴犬とビークルのミックス犬にしました。日本の風土にも適応して、利口なペットです。
    何度も選んでチョイスしたので、「自分に合った犬を選んだのですから、最初から私に似ていたのかもしれません。でも、昨今の行動を視ていると、客観的に犬が私に似て来た様に思えます。私が二度も大手術をした「癌」にペットも罹病した疑いが生じた時も「何も病気まで似なくても良いのに!」思ったのでした。
    陽向に毛布を持ち出して居眠りしている横顔を視ていると
    ”お前も歳を重ねたなあ!”しみじみ思います。
    倅がお八に芋を買って来ました。ビークルだからビーフジャーキーの方が趣向に合っているように思うのですが、乳癌の疑惑と年齢から芋の方が良いと思ったようです。
    処で芋は私の好物でもあります。ペット用の大学妹をくすねてみると中々いけました。大学妹と茨城名物ふかし芋の中間の印象です。
    私はお三時に焼き芋を食べます。「鳴門金時」とか「五郎島金時」など金時系のお芋は少し甘くてホックホックで美味しいのです。安納芋や「紫芋」は金時系よりも甘いのですが水っぽくてホクホク感が劣るのです。私達夫婦が焼き芋で珈琲ブレークに入るとペット犬はテラスに出てきて、焼き芋のお裾分けを待っています。お裾分けと云っても焼き芋の皮です。犬にも金時芋の美味しさは解るようで、焼き芋の皮を咥えて犬小屋に戻ってユックり焼き芋の皮を賞味します。
    朝晩二度の食事も私の食べ残しをドッグフードにオンして食べています。結果的に食生活も好みも主人の私に似てしまうのでしょう。
    イメージ 1
    此れは青森の三内丸山古墳の展示室のディスプレイです。柴犬風の中型犬が飼われていたようです。
    日本昔話にも「犬」は再三登場します。縄文時代の遺跡からはイヌの骨が出土するので人間と犬との関係は縄文時代から連綿と続いているのでしょう。
    昔話の犬と云えば「桃太郎」の犬は鬼が島まで出かけて主人と運命を共にしました 。イメージ 2
    花咲か爺さんは正直者でそのペット犬は儒教の徳目「忠恕」そのものでした。忠恕とは自分の良心に忠実であることと、他人 に対する思いやりが深いことです。
    花咲き爺さんの犬は「此処掘れワンワン!」と福運を導きました。八犬伝の犬は子沢山である事と忠実である事の証でしょう。


    0 0

    1月4日向ヶ丘遊園の民家園から狛江の泉龍寺http://www.senryuji.or.jp/に向かいました。泉龍寺は私の母が産まれた寺で、現在私の従兄弟の菅原師が住職を務めています。昨年の父母や祖母の年忌法要も菅原師が導師を務めて下さいました。その御礼もあれば母方のお墓参りもしたいと思ったのです。狛江の駅も小田急線の高架工事の結果見違えるようになりました。泉龍寺も随分変わりました。境内地の東側は市役所に変りました。江戸名所の池は市が整備して史蹟公園になりました。
    イメージ 1
    江戸名所図会の泉龍寺です。手前が多摩川で境内の弁天池は振り袖火事でも枯れなかった事で貴重な泉だったそうです。でも、昭和17年以来湧水は止ってしまいました。図の出典は泉龍寺HPhttp://www.senryuji.or.jp/original4.html向こうの霞の丘が成城になります。
    イメージ 5
    狛江駅の北側の竹林の奥が弁天池で多摩川の伏流水による涸れない泉があります。右に歩けば突き当りが泉龍寺です。
    イメージ 2
    これは泉龍寺境内にある弁天池の説明板です。東大寺を創建した良弁僧正が開いた泉である事、如何なる旱魃でも水量豊かに水が湧いたこと「和泉」の地名の根拠である事弁財天は元禄時代の祠である事。近隣開発で昭和47年以来枯れてしまった事等記されていました。
    イメージ 3
    池の中島に祠があって、弁財天が祀られています。
    イメージ 4
    弁財天前から泉龍寺境内を望む。右の観音様の彼方の建物が泉龍寺の庫裏です。
    1月4日午後2時泉龍寺の庫裏で従兄弟の菅原師に会いたかったのでしたが、年始回りにお出かけと云う事でお嫁さんに挨拶しました。母方の祖母は母以上に腰が曲がったお婆様でした。庫裏の暗闇から出て来られると子ども心に怖いモノでした。
    でも、お百姓は得意だったようで、鳥小屋に行って卵をとって来て、境内の畑で栽培した野菜を料理して生意気な外孫に食べさせてくれました。私は母の生前に再三母を車で送って来ました。母の兄は先の大戦でフィリッピンに出征し、帰国出来なかったのでした。従兄弟が住職になるまで、寺族こそ居たが、兼任住職に頼っていたのでした。従兄弟は無事に東大を卒業し、母は甥が立職して泉龍寺の住職になった時の悦びは大きなモノがありました。そしてフィリッピンに出かけて川原の小石を拾って帰り、ました。(小石を遺骨として祀ったのでした)
    イメージ 8
    泉龍寺の楼門横の六地蔵尊
    イメージ 9
    泉龍寺と稲荷池の間の道路から境内を視る。
    昨年の法要の後の精進落しの席でも菅原師とは親しく懐かしく話をしたのでしたが、泉龍寺の居間でユックリ話たかったのでしたが・・・・。
    私の記憶していた境内畑は墓地に変り、その端は市役所の施設になったようです。従兄弟のは息子を副住職にし、副住職のお嫁さんにお会いできました。お嫁さんは帰り際に私に「お年賀」を下さいました。屹度菅原師が使っている年賀の品でしょう。お寺のお年賀と云えば、タオルか手拭かお線香が普通です。
    家に帰ると食卓でワイフが嬉しそうな声を発しました。戴いたお年賀の封筒を開けたのでした。犬のチョコレートに絵馬の様なプリントがされた「貼りカイロ」に「金箔入り梅こぶ茶」が入っていました。どれも遊び心に富んだ入れ物に入っています。
    屹度企画会社が製作してお寺に売り込んだモノでしょう。でも昔話をしたいと思って訪れた私の気持ちを見透かしたようなお年賀品でした。
    イメージ 6
    泉龍寺のお年賀品。右下がカイロその上がチョコレートと梅昆布茶です。ポチ袋に達磨がご愛嬌です。
    昨今は、都会でもお寺さんは問題を抱えているようです。第一は無縁墓が増えて、経営的に不安定である事、お墓は法律的に墓地自体の所有権は寺(法人)にあって、墓として使用貸借であると割り切って、裁判所に届け出て使用貸借の打ち切りを宣言すれば、一定期間を経て、墓地の区画整理に入れます。でも、世間の眼は冷たいし、「あの世の事も金次第」と悪口を叩かれます。今後核家族化、老人単身世帯が増える一方でしょうから、無縁墓地は増えるは引き取り手の無い「お骨」が増える事でしょう。。そんな経営的逆境にあって、我が従兄弟は知恵を振り絞って旧知のお檀家を大事にしているようです。先年も「泉龍寺のきのこ」を上梓され、私にも寄贈して下さいました。屹度お檀家にも配布したのでしょう。境内地は鬱蒼とした武蔵野林です。茸が生育するには格好の環境です。墓地にヒョッコリ茸が顔を出すのを視るのも墓参りの楽しみでしょう。
    イメージ 7



    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックお願いします。





    0 0
  • 01/16/18--11:52: 達磨さんの民俗学
  • 1月14日(日)は全国各地で「ドン焼き」が盛大に挙行されました。NHK総合テレビでは多摩川川原の「どんど焼き」が映っていました。私は注連縄や松飾を庭で焼きました。横浜市の条例では焚火は禁じられていますから。ワイフは気が咎めている風でした。条例と宗教慣習とどちらが優先するのか?法学部卒のワイフに確認するまでもありません。焚火が条例違反で問題にされれば、我が町の鎮守の佐渡長も問題ですし、消防隊員(公務員)が出動していることも問題です。
    イメージ 1
    NHKの夕方のニュースに報じられた多摩川の「ドンドど焼き」写真で視るとゴミの様なモノが目立ちます。相模湾では「平塚八幡宮」や「大磯左義長」が有名ですが、どちらも達磨や注連縄や松飾ばかりです。
    イメージ 2
    此れは「平塚八幡宮の左義長」です。七夕で有名な平塚八幡宮ですが、良い街です。
    注連縄を始め呪術祭具は藁を使います。藁は良く燃えます。
    若草山の山焼きは毎年1月の最後の土曜日ですから今年は1月28日(土)になります。現代は観光第一で、根拠を鶯塚古墳の霊の弔い、とか害虫駆除等云われていますが、古代の焼畑農業の伝統だろう、想像しています。ススキの原を焼く事によって、土は蘇ります。蕨が生えて名物の「蕨餅」の原料が収穫出来ます。ススキは稲と同じ米科の単子葉植物です。私達日本の文化は稲を米から藁までフルに活用しながら続いて来ました。注連縄は災厄をもたらす、厄神を入れない防塞呪術の祭具です。昨年一年間厄神の進入を防いでくれました。ですから注連縄には厄神が媚びり付いています。そんな厄神で穢れた藁を火で焼いてしまうのが「ドンド」の火祭りです。藁は燃え尽きると灰になります。灰は翌年の豊作を招いてくれます。
    ドンド焼きの浄火で焼いたお餅を食べれば、新しい命が体内に入りますので今年も健康に過ごすことが出来るのです。

    イメージ 3
    今月末の1/28日は若草山の山焼きです。稲と同じ仲間のススキを山焼きする事は焼畑農業からの伝統です、ススキを山焼きすることで、命の再生を促します。
    陰陽五行説では(赤)は木火土金水の2番目です。1番目が木(緑)です。木は水で育ちますから木は水と「相生」です。しかし火で燃えてしまうので「相克」です、火は水で消火されるので「水」とは「相克」です。火は「土」を肥やすので「土」とは「相生」です。山焼きは火を使って土を肥やして稲を再生させる神事と云う事になります。
    イメージ 4
    これは陰陽五行説の「相生」「相克」も模式図です。図の木の所を稲(米」に変えれば若草山の山焼きやドンドの火祭りの意味が解ります。
    ところで、今日の話題は達磨さんです。達磨大師は中国人でインド人ではありません。日本に招来されたのは中世初頭の栄西や道元が宋に渡って禅を学んだのですが、禅の創始者が達磨大師でした。寝ても覚めても座禅をしていたその結果手足も腐ってしまった。だから手足も無く。真理を見詰めようと大きな眼が特徴です。赤い色は穢れを焼き尽くす色、誰からも愛される丸い身体、火の色が達磨さんです。禅の祖師の達磨大師が民俗信仰になると陰陽五行の赤い色で前身を染めた呪術のカラーで親しまれているのです。
    イメージ 5
    民家園の神棚に並んだ達磨さん
    イメージ 6
    寒川神社の達磨の売場赤い達磨は厄除け、金色の達磨は金運アップ、ピンクの達磨は恋愛運アップの「おまじない」でしょう。



    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックお願いします。




    0 0
  • 01/17/18--11:58: 千住宿の遊女の墓
  • 1月16日(火)に芸大美術館に出かけました。目的は「宮廻 正明」副学長の退任記念展覧会です。昨年は宮廻副学長のお仕事を何度も見学しました。8月にはブリューゲルの「バベルの塔」 の展示を見学しました。11月には「クローン美術」と銘打った「法隆寺釈迦三尊像や敦煌の「莫高窟」の再現展示を見学しまあした。芸大から「不忍通り」に出れば千代田線の千駄木駅です。同駅から3つ目が北千住です。
    江戸日本橋からは5街道が出ていました。東海道は「品川宿」、甲州街道は「内藤新宿」、中山道は「板橋宿」日光街道は「千住宿」が第1宿でした。千住宿は日光街道の宿であると同時に奥州街道が宇都宮からで日光街道と併用されていたので、その重要性は特に高いがありました。千住が荒川の港である事から宿場町であると同時に商業の街として繁栄したのでした。かねてから千住の街を観たいと思っていたので、上野から千駄木に出て北千住に出ました。
    イメージ 1
    此れは北千住駅西口のぺデストリアンデッキです。地下鉄千代田線の他JR常磐線の駅になっています。便利な街ですし、賑わっています。
    千住と云えば「奥の細道」です。芭蕉 は 元禄2年(1689)3月27日( 新5月16日)に、門人曾良を伴い江戸深川から船に乗り日光道中初宿千住 から奥州へ「奥の細道」に旅立ちます。江戸時代は後半になるに従って貨幣経済が浸透します。加えて奥州は再三飢饉に襲われます。農家の娘は借金の質に取られ苦界に身を沈めます。奥州の出発点であった千住の街には自ずと『三悪』が揃ったのでしょう。『三悪』とは「博打」と「芝居」と「遊女」です。『三悪』の街には必ず「閻魔様」が祀られ「遊女の墓」があるモノです。新宿の街にも「大宗寺」があって、巨大な閻魔様が祀られています。「成覚寺」は1860年に建てられた「子供合埋碑」が建っています。遊女は亡くなると成人の戒名は与えられず、子供として葬られたのでした。
    板橋宿にも遊女の墓がありますし藤沢にも有名な「永勝寺」には飯盛り女の墓が並んでいます。千住宿の陽のあたる文化財は「芭蕉」遺跡であり長八の鏝絵でしょう。遊女の墓や閻魔様は日陰の文化財です。近年私はどちらかと云えば日陰を好んでいますので「千住宿の遊女の墓を参りに「金蔵寺」に向かいました。
    先ず「宿場通り」を歩いて街の全体像を把握して案内所で地図を始め資料をゲットしました。すると偶然に「今日は赤門專勝寺の縁日ですよ」聞きこみました。初めて来た先住が閻魔様の縁日と云う事は閻魔様に余程縁があるようです。
    イメージ 3
    露地の突き当りが赤門で閻魔様の專勝寺です。今日は一年に二度の縁日です。

    專勝寺は路地の奥にありました。元々狭い路地の両脇に露店が並んでいました。露店を視て歩きます。熨斗烏賊屋が出ていました。鋳物のローラーで焼き烏賊を見る見る薄く延して行きます。屹度八戸の猟師から仕入れているのだろう思えば本堂前の一番良い場所にケバブ(トルコの焼き肉)が出店していました。「トルコ人は裏社会にも通じて来たのかな?」思ったりしました。トルコ料理に韓国料理、屋台は国際化が進んでいます。
    イメージ 2
    此れは本堂前の一等地に屋台を出していた「ケバブ」です
    イメージ 4
    これは陸奥名物の延し烏賊です。

    赤門の脇に閻魔堂がたっていました。『何れお世話になります、でも今暫く娑婆を夫婦で楽しみたいので、決してお呼びにならないで下さい!」手を合わせてお線香を奉げました。
    イメージ 5
    閻魔様のお詣りを終えて閻魔堂の脇を見上げると「絵馬堂」でみた雪洞が飾られていました。
    イメージ 6
    よ皮よ

    0 0

    1月10日頃、新聞に「宮廻 正明展」の記事が載っていました。新聞には興味ある記事が載っていました。師の「平山郁夫」画伯から云われたそうです。
    ”私の歩いた跡には草は何も生えていないよ!”
    蕨や茸を採りに草原や山に入っても上手な人の後に従っていては何も採れません。
    如何に自分を慕っていても私の歩いた道を進んでいては大成しないよ!」
    獅子が子を谷底に蹴落とすような心境で叱咤したのでしょう。
    新聞記事では、宮廻 正明氏は平山画伯が素材にしない砂漠を疾走するジープを描いたのだそうです。
    イメージ 1
    宮廻 正明氏が師「平山郁夫」画伯の道を意識して外れて描いたと思われる砂漠の轍の絵が吊るされた展示会場で。
    イメージ 8
    宮廻氏が意識して師の平山画伯の画業を離れた絵とはこの絵でしょう。
    イメージ 9
    展覧会は「行間のよみ」と題されていました。絵を観ると「法隆寺の連子窓」のように水に映る影が揺らいでいました。宮廻氏のお弟子が「千住明」氏ですから、千住氏は宮廻師の水の連作の影響を受けたのかもしれません。
    私は宮廻 正明氏とは余程縁があるのでしょう。前回クローン美術展の時には学生を連れて宮廻 氏は法隆寺釈迦如来のクローン像の前で解説しておいででした。学生たちはカメラで写していました。そしてこの日は展示会の最終日で、宮廻氏は沢山の人(スポンサーや画廊の経営者?を連れて説明をされていました。
    偶然に遭遇出来たので、 宮廻氏の解説を拝聴し、咎められずに写真を写すことが出来ました。
    イメージ 2
    展覧会入口に貼られた宮廻 正明画伯の挨拶要旨は30年間務めた芸大を引退する事、そして「行間のよみ」と題した画業を振り返った感慨を記しておいででした。山頂を極める事は尊いモノの、山頂から下って再度山頂を目指して登ることはモット尊いし気力が必要だ、と指摘しておいででした。再び頂を目指すことで新しい発見をし視界も開けるという事でしょう。
    イメージ 3
     赤い山はシルクロードの火炎山でしょう、師の平山郁夫画伯の絵を観るようでもあります。
    芸大美術館は一番西奥の部屋が主たる展示場です。一昨年観た「琵琶湖の観音像」の時も奥の展示室に最も観せたい仏像を展示してありました。
    宮廻 正明氏はこの部屋で止って殆ど動かれませんでした。
    イメージ 4
    奥の部屋が屹度宮廻 正明画伯の現時点集大成なのでしょう。中央が投網左右が西大寺の修正会のクライマックス裸の若者が宝木取りを競う場面です。
    奥の部屋の真ん中は投網を打つ漁師で網が広がった瞬間を望遠レンズで写したような絵でした。その左右は岡山西大寺の「お札とり」の絵です。右の絵の表題は「螺」とされていました。「螺」は螺旋や螺髪の形です。貝の栄螺(さざえ」も捻子の形です。御香が焚かれていました。「太陽」という名の「香」だそうです。そしてお経が響いていました。クローン展の時も法隆寺の「香」と「お経」が焚かれ響いていました。
    イメージ 5
    四層の屏風に描かれた投網の図。
    宮廻 正明氏は投網の図の前で主張されました。”東洋人は「水」と「時空」と「螺」を描かせたたら世界に通用する”仰られておいででした。「螺」は意外ですがバベルの塔も螺旋階段でした。西大寺の修正会の絵が「時空」と「螺」をテーマにされたのでしょう。
    イメージ 6
    西大寺の修正会で宝木を求め虚空に伸びる手。真っ暗な本堂の天井に宝木は隠されているのですが、人々は木の香りを求めて天井に登って宝木(お札)を奪い合うのだそうです。千年以上続いた行事です。正に「時空」を越えた行事です。
    イメージ 7
    手前が「螺」の屏風絵その隣が「投網」の四層の屏風絵宮廻氏が沢山の人を連れて西大寺裸祭りの絵を説明しておいでです。
    「下司の勘繰り」というのでしょう。玄関にはお祝いの花が所狭しと飾られていました。「足立美術館」に「山種美術館」そして「西武そごう」関係者、皆宮廻画伯の作品をコレクションしているのでしょう。野田聖子氏に二階幹事長のお花も真ん中に据えられていました。
    院展の正統を継いでいる事は間違いない事でしょう。
    イメージ 10
    上の段には有名画廊や美術館の祝花が下の段には政治家等の祝が並んでいました。
    私の生きた時代には平山郁夫画伯にそのお弟子の宮廻画伯、そしてそのお弟子の「千住画伯」素晴らしい画業を観られました。平山画伯の前には前田青邨がおられます。この間絵の精神は脈々と伝承してきている事は間違いありません。
    でも前田青邨師は法隆寺壁画の再生に腐心されました。国宝の壁絵をお手本に描いている間に法隆寺金堂は焼失してしまいました。お手本は無残にも黒炭に変じてしまいました。でも宮廻画伯の時代には三D画像処理の技術が進歩しました。昔の作品は教材として見詰める事にして、クローン美術を再生する事が可能になりました。でも、再生技術が開発された事実は古代の絵師や仏師の技術を習得しないで済むようになりました。習得を怠ればその精神を学ぶ機会も逸する事に成るでしょう。クローン技術が人類の進歩に繋がるか、退歩を促すかは微妙な問題です。



    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックお願いします。




    0 0

    子供の頃「七草」を一生懸命に覚えてお婆ちゃんと畑の畔で若菜取りしました。『セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ』子供心にもリズムが在って覚え易いと思いました。「春の雑草の命を体内に取り込む」食習慣は、呪術と云ってしまえば実も蓋も無いのですが、雑草の逞しさや栄養素を想えば科学的な根拠もありそうです。1月7日は七草粥、我が家も蕪の青菜やら色々取り揃えました。
    イメージ 1
    1月7日の朝食はおせちの残り物に七草粥で大人しく戴きました。
    イメージ 2
    でも翌日1月8日にはレトルトの参鶏湯スープをベースにして「参鶏湯七草粥」にして戴きました。
    イメージ 3
    参鶏湯スープにはお餅を入れました。此れがいけるのです。
    私は1月8にも七草粥を食べたい注文しました。今回は「参鶏湯スープを使って欲しい」注文しました。1月7日は伝統的な日本の七草粥で、1月8日は「国風七草粥」で、どちらも美味しく戴きました。
    「参鶏湯」は鶏の腹に玄米と「高麗人参」や「鹿茸」、「ファンギ」、「くるみ」、「松の実」、「ニンニク」、「棗」等の漢方の素材を入れてジックリ煮込んだ 薬膳スープ料理です。参鶏湯スープに春の七草それにお餅を入れれば和漢ならぬ「和韓」折衷の料理です。私らしい食道楽で隣国との日韓折衷料理です。
    イメージ 4
    お餅も食べ尽くしてしまった1月11日には鏡開きをして鏡餅を戴きます。
    「鏡開き」は1月11日です。玄関に鎮座していた鏡餅ですが、年神様が依っていられる筈です。これを割って戴くのが「鏡開き」です。鏡開きではお粥でなく小豆を煮て善哉にしていただきます。何故善哉にするか?小豆の色が重要です。小豆は厄病神が嫌う炎の赤色です。小豆は色も目出度いし、如何にも健康を呼んで、災厄をガードしそうな色をしています。鏡開きでは小豆で魔除けをして更に鏡餅で神様を体に取り込む年中行事なのです。「善哉」とは「神在」の意味だそうです。7、8日に七草粥を戴いて11日には善哉を戴いて、これで平成最後の今年(30年)は無病息災で過ごせそうです。
    それにしても大相撲初場所は休場力士が多い事で、「無病息災」ならぬ 「一病罹災」です。一病とは手足の病気です。私は左手足の麻痺も抜けて来て漸く「手足息災」なのですが・・・・。「稀勢の里」も「宇良」もシッカリ休んでリハビリして足腰を鍛え直して土俵を盛り立てて欲しいモノです。


    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックお願いします。