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今、一番大切にしたいことは何ですか? 内には「健康」外には「地球環境」こう答える方は多いと思います。時代はこんなライフスタイルを「LOHAS」と呼んで期待しています。 先日、二人の太めな厚労副大臣が、メタボリック症候群対策を発表していました。「これから半年ウォーキングに励んで、腹回りを6センチ、体重を5キロ減量する」 出来るかな、公約。 自分の足で歩くと、普段気づかなかったものを発見し、感動したりします。グッドアイディアが閃く事もあります。行き交う人に会釈して、人にも地球にも優しく出来ます。私たちは車依存症から脱却すれば、リッチになれます。 ウォーキングは心身の健康に良いことばかりか、感動があります。私自身のささやかな感動を皆様にお伝えし、共感の輪を広げ、「LOHASU」な世界にご一緒したいと考えて、ブログします。 ところで、副大臣様歩数計をお持ちでしたが、それにUSBをつないで自動記録を残したらどおでしょうか?さらに、ウォーキングデータを「仮想旅」マップに表示したら、国会や霞ヶ関への通勤路が憧れの街道歩きに移行できますよ。 6ヶ月で「腹回りを6センチ縮める」のは切実でも、楽しくありません。6ヶ月で「中仙道」を踏破する計画に変じれば、楽しくなるし、データも残せます。グーグルアースの3Dマップに表示するので、画面は斬新ですよ。2008年4月に「健康指導」が義務付けられますが、一番肝心な「運動データ」が出来上がっています。USB歩数計を使えばメタボ対策は容易になります。 私たちは「LOHAS」な人の輪を広げたいと計画しています。
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  • 11/12/17--11:53: 祟りの横断歩道
  • 夕食をワイフと食べていると県道からッ衝突音が響いて来ました。
    我家の坂道の下県道との三叉路は交通事故の頻発する交差点なのです。
    衝突音を聞いた瞬間悪い予感がしました。
    「救急車が直に来るだろう!」思っていたのでしたがサイレンは聞こえて来ません。
    ワイフが窓から県道を見下ろすと県道にパトカーが駐車して点滅灯が光っています。
    もう3年前ですが。横断歩道を歩いていた人がバイクに撥ねられて街路灯に飛ばされ打ち所が悪かったのでしょう、即死してしまいました。当時町内会長であった私は市役所の地域課と戸塚警察署の交通課に文書を提出しました。
    「盛徳寺下の横断歩道は重大事故が多発している。点滅信号を設置してほしい」
    この要請文に対し戸塚警察の解答は次の様なモノでした。
    「50m先に表の信号があります。真号間の距離は最低でも100m空ける事になっているので点滅と云えども無理です」
    私は改めて次の文書を提出しました。
    「盛徳寺下の横断歩道には路面に予告標識(三角マーク20m手前に付ける事になっている)もないし、事故多発対策の工夫も無い」
    すると直に次の措置が取られました。
    (横断歩道の手前20mからアスファルト路面が赤く塗装され三角マークも書かれました。
    私は振り上げた拳を下したのでした。
    バイクに撥ねられた後には3年程生花供えられていたのでしたが、いつの間にか忘れられてしまったようです。事故の起こった場所は古代の奥州古道と新設された県道(柏尾大船線が作る三角地)で昭和30年代から交通事故が頻発していました。旧道と新道の作る三叉路は死角が出来てしまうのです。小学校の通学路にもなっているし、気になる三叉路なのです。祖母にも
    「あの三角地は地縛霊が居るから気をつけなさい」言われてきたのでした。
    私は夕飯の箸を置いて事故現場に出かけてみました。
    警察官が5人も居て二人は現場検証二人は交通整理一人は東京瓦斯の施設の陰で負傷者の世話を観ていました。
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    此れが再三事故を起こす三叉路です。3年前バイクに撥ねられと歩行者が街路灯に飛ばされて即死したのでしたが、その同じ街路灯に激突した青い車両があって魔の三角地にドライバーが蹲って警察官が世話を焼いています。横断歩道に点滅信号を設置するよう要望書を提出したのでしたでしたが、道路面を赤く塗装し横断歩道の予告マークを書いただけで済ませれていました。
    私は愛用のデジカメのシャッターを切りました。その途端変な音がしてシャッターが閉じた儘作動しなくなってしまいました。家に戻ってワイフに報告すると言われました。
    「野次馬するから祟りにあってデジカメが動かなくなったのよ。落ち着いて食事を終えて下さいな!」
    デジカメは不調になるはワイフには叱られるは」これも祟りのようでした。中々救急車が来ません。自損事故なので、病院に行かないのかな?何が在るか判らないから病院だけは直ぐに行けば良いのに」想うのでした。地方を歩くと良く「堅牢地神」の祠が祀ってありますがそれも似たモノで、再三土砂崩れの被害があるとその地神の祟りだと思い込むモノです。
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    これは戸塚区名瀬の妙法寺バス亭横に祀られている双体道祖神と(中央)と堅牢地神塔)です。傾斜地には必ず堅牢地神が祀られているモノです。戸塚区周辺では上永谷辺りには沢山祀られています。
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    此れは鎌倉市玉縄の、谷戸根地蔵堂の敷地にある、地神塔です。姿は帝釈天を模した武神ですがお顔は馬頭観音のように3面です。厄病神を追い払うには充分な威厳と強さを併せ持っていそうに見えます。
    その祟りの原因が地縛霊であるのか地神であるのかは災厄の現れ方の違いだけであって、基本的なメンタリティーは変わりは無いように思います。不思議に交通事故が多発する場所にはそれなりに理由があってABC分析を行って対策を講じなくてはならないのでしょうが、「以前不幸に遭遇した霊の祟りだ」と直感するのは、シャーマニズムであって、人間には避けられない感覚なのでしょう。土砂崩れが多発する場所も地質や地下水に原因が潜んでいるのでしょうが、地神が災いしているので、地神を祀れ、中世なら人柱を建てろと言ったのでしょう。
    二日後ジャンパーを着た作業員が凹んだ街路灯を観にやって来ました。
    声を掛けると「戸塚土木/地建の出張所」の指示で傷み具合を確認に来たのだそうだ。
    私は、言いました。
    「この横断歩道は事故が多発していて、3年前には歩行者が跳ね飛ばされてこの街路灯に激突して亡くなられました。除霊でもして、街路灯も付け替えられたら良いのではないですか?」
    作業員は「変な爺さんが住んでいる!」顔に出ていました。
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    再三人や車がぶつかって凹んでしまった街路灯、街路灯さんも厄除け祈願して貰いたいでしょう。



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    11月4日はワイフはお出かけ、私は来年の陰暦カレンダーを作成する事にしました。朝10時過ぎ、印画紙を買いに上大岡の淀橋カメラ迄出かけました。淀橋カメラは京急百貨店の8階9階にあります。ネットで確認すれば京急百貨店は「秋田の美味い物市」を開催しているようです。
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    来年の陰暦カレンダーの製作に入りました。一年間描き続けた絵を使ってカレンダーにします。
    印画紙200枚をリュックに背負い、「さて秋田の美味いモノでも食べるか」思って催事場に行っても地下の食料品街に行っても、期待の商品がありませんでした。上大岡と云えば「佐野金」の餃子と思って時雨れに濡れながら行ってみれば改装工事中でした。”今日はついていないな!”思いながら午後1時帰宅、陰暦カレンダー作りに集中していると、電話が鳴り響きました。
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    回覧板には「振り込め詐欺」を警戒するチラシが差し込まれるは、バスに乗れば社内アナウンスで「電話が鳴ったら振り込め詐欺」を疑えPRしています。世の中味気なくさせています。
    ワイフが留守の日は何故か電話が多いのです。大体電話は「家の修理」か「スマートフォンの売り込み」か「お墓の販売」「保険の勧誘」で、どれもこれも不愉快です。それに最近はパソコンによる自動電話してくるモノが出て来ました。インターネット自動電話ソフトは幾つも販売されています。不愉快電話を増幅させています。
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    携帯電話では迷惑電話対策が充実しているのに家庭の据え置き電話は電話が鳴ったら必ず出なければなりません。迷惑電話をブロックする対策を充実させないと据え置き電話を止める家庭が増えると思います。携帯があれば据え置き電話は二重投資ですから・・・・。
    2015年個人情報保護法が施行された結果町内会名簿も廃止されました。でも。電話セールスは一向に減りません。電話セールスをする会社は個人情報取扱業者の届け出さえすれば、略野放図に迷惑電話をかけられるのです。消費者丁は電話セールスによる売買契約のクーリングオフを指導するだけで迷惑電話そのものを規制していません。
    此れでは据え置き電話は不愉快なだけで。スマートフォンやファックスがあれば据え置き電話は不用であるばかりか、不快の種です。
    カレンダー作りに集中していると電話が鳴りました。
    電話口では聞きなれた友人の声で
    「朝から電話していたのだけれど、何処に行っていたのか?」訊きます。
    「そんなの自分の勝手でしょう、」
    多少腹立たしく思ったのですが、何か緊急の用のようです。」
    友人は警察から警察署の電話を借りて電話しているのだそうです。
    友人の話を要約すると
    「自分は午前中病院に居て鞄を置き引きされた」鞄には携帯電話と書類と財布が入っていた。
    「鞄が出てきたら警察から貴君に電話があるので要件をメモしておいてほしい」
    という事でした。
    30分後案の定電話が架って来ました。電話はJRの遺失物係でした。財布は出てきたので番号を云うので友人に取りに来るよう伝えて欲しい。という事でした。
    私は友人宅に電話しましたが不在でした。直後友人から電話があって遺失物番号の確認をしました。1時間後友人から電話があって、
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    回覧板には「俺俺詐欺」対策が入っています。野放図の電話セールスを許している状況が「俺俺詐欺」を増長させていると思うのです。
    「財布は返ったが他のモノは出ないでいる。実は鞄に書類が入っていたといったが友人との共同で投資した株式の売却代金800万円が入っていた。明日友人に400万円手渡さなくてはならない。少しでも金を貸してくれないか?」涙声で言うのです。
    この時点で私は「新たな詐欺」と直感しました。
    時々ワイフが「俺俺詐欺の電話が在ったわよ!」撃退した経緯を報告するのですが、殆どが息子の名簿を活用したモノでした。私の友人関係(名簿)を使った詐欺電話は初めてでした。
    「俺俺詐欺」撲滅は警察の所管の様に思われていますが、根本にあるのは電話セールスの罰則や規制が無い事だと思います。
    電話セールス自体が禁じられていれば、受話器を取らなくても欠礼にならなくなります。パソコン電話に出なくても良いし、お墓のセールスに付き合わなくても済みます。電話セールスによる売買契約の無効を指導するより、”電話セールス自体を禁止”する方がズット暮らし良くなります。加えて「俺俺詐欺」も撲滅されるでしょう。
    午後6時前ワイフが帰宅しました。ワイフが私の友人の携帯に電話しました。電話口には友人が出て私の健康を気遣ってくれました。「電話も置き引きされた」というのは「電話を変えた」の言い換えだったのでしょう。






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    息子が家にガールフレンドを連れて来るというのでワイフは家の内外の掃除に気合が入って来ました。玄関の絵は長い事「斉藤清」さんの版画を飾っていたのですが、この機会に自作画に差し替える事を思い立ちました。今年、毎月描いてきた「全国の祭」シリーズの絵です。大きさはF3、ですから小中学生が水彩画に良く使うサイズです。
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    此れは戸塚の街で唯一の画材屋さん、ギャラリーも併営しています。階段が急で危険なので行きませんでした。
    戸塚の街の額縁屋に行って相談すると、
    「絵に一番遇った額縁にしたいし、サイズが違うと大変だから絵を持って来て下さい。」言います。其処で額縁屋に出かけると。「額縁+マット」で7000円を推薦されました。マットとは縁の内側に用意される窓枠状の引き立て役です。マット付で私の下手な絵を飾るとなんか気恥ずかしくなってしまいました。そこでマットは無し、縁だけを注文しました、金額は1800円、で大分安くなりました。それでも、一枚ペラペラで壁に画鋲や両面テープで張り付けていた以前の状態に較べれば大分立派に見えます。
    額縁に入れて家に持ち帰ればワイフも喜んでくれました。
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    画材の売場、奥に10畳程の広さの画廊があります。画廊は同時に額縁の展示コーナーみたいなものです。
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    画廊コーナー戸塚にもプロの絵描きが居て絵と額縁をセットで商っています。此処で気に入った額縁があれば、額縁だけ売ってくれるのです。
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    最初に奨められた「額縁+マット」これで78000円ですから、絵は70000円と云う事になるのでしょう。戸塚の名勝「柏尾川堤の桜」です
    「何処に飾りますか?食卓の横の十勝岳の写真は大分汚れて来たし・・・・。」
    色々協議した結果変換の斉藤氏の版画を食卓の横の壁に移し、私の絵を玄関の壁に飾る事になりました。
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    此れは半年の間我家の玄関を飾っていた斉藤清氏の版画「会津の民家」
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    此れはj上記に替えて飾った私の「宇治の中秋祭」の絵、大分拙い絵になってしまいましたが季節感はピッタリになりました。
    「馬子にも衣装」とは
    「馬子」とは、駄馬に荷物や人を乗せて運ぶことを職業とした人で、馬子のような身分の低い人でも羽織袴を着れば、立派に見えることから。「馬子にも衣装」と言い習わされてきました。
    さながら私の場合は「下手な絵にも額縁」と云えましょう。ひとまず満足した額縁選びでした。



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    年賀状も売り出されました。という事は”ソロソロ新年を迎える準備をしなければ”追い遣られる気がします。年賀状を書くのも大仕事ですが、私には来年のカレンダーを製作しなければなりません。此方は年内に届けなければならないので、年賀状よりズット差し迫っています。カレンダーの作成は4年目、陰暦カレンダーにして、3年目です。お世話になった人に配って来ましたので、もう私の気まぐれで止める訳にゆきません。
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    これは2018年版の陰暦カレンダーを作成している現場です。今年描いた絵を写真に写して暦をつけて難しいのは製本です。昨年はキンコーズに発注したのですが、売れる訳ではないので労を厭わず自作せずばなりません。
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    此れは最初に作成したカレンダーです。友人達と旅行した時の写真を使いました。これは秋に飛騨に行った時に通った野麦峠です。
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    此れは今年の陰暦カレンダーです。絵は歳時記風に季節感のあるものを自作しました。これは親戚の茂林寺をイメージして作成したモノで、結局木更津の證誠寺になってしまいました。私のデスク前に貼っているので色褪せが目立ってしまいました。
    毎年一年間を振り返って少しづつ使い易い様に工夫してきました。来年のカレンダーは昨年同様、旭川情報さんの陰暦暦を使わせて戴き、その上に私の好きな祭りや)72候を書き込みました。基本的な発想は自分が興味がある事は友人も興味が在る筈だ、そんな勝手な思い込みに依っています。
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    此れが来年度の陰暦カレンダーの10月です。
    送状には「祭り」の意義を書かせて貰いました。即ち祭りは今年の豊穣や息災を神に祈り、来し方の安寧を感謝するもので、縄文の昔から営々と続いてきたものです。その為には古人と同じく陰暦で日々を送るのが最高です。
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    これが陰暦カレンダーの表紙で送状を兼用したモノです。
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    これが2018年版の陰暦カレンダーの試作版です。



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    庭の棗の梢で尉鶲(ジョウビタキ)が賑やかに啼いています。
    「私に、何時までも家に居ないで外に出ておいでよ!」誘っているようです。
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    此れは庭先の梅の枝に止った雌の尉鶲です。

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    これは庭に置いた睡蓮鉢に下りてきた雄の尉鶲です。雌雄とも人懐っこい上に可愛く美しい尉鶲です。鳴き声が火打石を叩く時の様な音に似ているのでこの名があります。私は季節ガラ「火の用心。マッチ一本火事の元」カチカチ(拍子木の音)と聞きます。遥々シベリアから渡って来る事もあって季節感溢れる野鳥です。
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    これは我家のアンテナに止った尾長です。此処に止って辺りを窺がって先ずは我家の棗を食べにやって来ます。最近は棗も残り少なくなったので渋柿を食べに移ります。
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    渋柿も熟したのを知ってか、棗から柿に移りましたが柿には左のムクドリも居るので睨みあいです。
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    つい先日までは棗の梢は「尾長」が陣取っていて、尉鶲は怖くて寄れなかったのでしょう。
    私が庭に出てカメラを向けてもい尉鶲は一向に逃げようとしません。尉鶲は雀の仲間で、冬になるとシベリアから渡って来ます。一方尾長は烏の仲間で群れを為し手生活するた悪食の鳥です。カケスもカラスも雀も人間の近くで生きて来ながら、雀は人に懐っこく、烏は人に懐きません。随分違ってしまったものです。考えてみれば烏は真っ黒でゴミをあさるは権兵衛の撒いた大豆の種を掘り起こすわ、落花生の実を掘って食べるは悪評紛紛です。石原都知事時代には都内に巣食っている烏21000羽を三分の一にの撲滅する作戦が実施されました。ゴミを食い散らかす事と伝染病を撒き散らす事が問題とされていた記憶がありますが先日新宿御苑のインフォメーションセンターに行ったところ、悪役とされてきた烏の生態紹介されていました。烏の数も減って問題にもならなくなったのかもしれません。
    沢山稔った柿の実を全部人間が食べ尽くしてしまうのではなくて、野鳥の為に残してあげる事を「木守柿」と呼んで「冬の季語」です。野鳥に対する優しさと、”来年も稔って下さい”祈りが込められていると聞きます。数年前足助から飯田に抜ける街道を馬頭観音を探して巡りました。立派な馬頭観音が市田柿の上にたわわに実っていました。人が野鳥に残してあげるというよりは、『野鳥が先ず食べてお裾分けを人間が戴くそんな雰囲気でした。
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    此れは足助から「塩の道」を飯田に向かう街道にあった立派な馬頭観音です。向こうの柿は名物の市田柿です。
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    此れは新宿御苑のインフォメーションセンターでの「烏の生態案内」です、烏へのスタンスも随分変わりました。
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    烏は黒い柿は赤い、柿と烏は良い取り合わせです。
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    これは竹内栖鳳の「烏と柿」の絵です。








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    13日から津軽に旅をします。昔から「おしら様」と呼ばれる独特な民族信仰に興味があった事に加えて、津軽がルーツの友人から今夏絵葉書を頂戴したのでした。絵葉書は千畳敷と云う名の海岸浸食の磯に夥しい墓標石仏が並んで彫られていました。佐渡の外海府海岸の地獄洞窟に勝る寂寥感が漂っていました。そんな絵葉書を送られるともう家に留まっていられません。
    津軽の秋は10月中旬が旅日和なのでしょうが、日本一の大銀杏の黄葉は11月中旬なのだそうです。で、初雪を待って旅に出る事になってしまいました。
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    この北金ヶ沢の大銀杏観たさに旅立ちが初雪を待つ事になってしまいました写真出典奥津軽の旅案内http://www.okutsugaru.com/shichoubetu/fukaura/ooichou.html
    何時もの友人にお願いして津軽から白神山地の西山麓を廻って貰う事にしました。旅支度もあって、上大岡に出かけました。戸塚に較べれば上大岡は商業集積が大きく都会です。何をランチにするか楽しみです。旅立ちの直前ですから消化に良い美味しいモノを食べなくてはなりません。私はかねて狙っていた「無印良品」のレストランに行く事にしました。京急百貨店のオープンは10時ですが無印良品のレストランの開店は11時です。
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    此れが無印良品のレストラン「МUJI」開店は売場より1時間遅い11時です。
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    МUJIの開店までの間京急の開発で移転させられた庚申塔と地蔵尊を詣でました。何時も綺麗に掃除され供花されていて気持ちいいです。京急社員の心がけでしょう。
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    庚申塔の青面金剛の前を託児所の子供達が通って行きました。私は地蔵尊の雛段で日向ぼっこをして開店を待ちました。
    11時まで時間を潰しに京急の開発で移った庚申塔を参詣しました。庚申塔の横に腰掛けて小春日和の陽を浴びます。横浜が好天である事は津軽は初雪と報道されています。庚申塔とお地蔵様に旅の無事をお祈りしました。無印良品は京急百貨店の5階で子供用品売り場が並んでいます。昨今は「安かろう!悪かろう!」と云った粗悪品が並んでいます。”悪貨は良貨を駆逐する”は経済の困った常識。でも子供売場は「高くても良いモノを」揃えています。私も孫の顔が脳裏に浮かびます。お買い物を終えた若いお母様やお婆ちゃんが買い物を終えてレストイランで休憩したり食事をしています。
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    ベトナムフォーを食べに来たのですがボルシチにパンも気になります。
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    店内の照明も設えも華美でなく落ち着いています。
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    此れが意図した通りのベトナムフォーです。さながら「サラダラーメン」です。杏仁豆腐が付いて780円です。左の黄色いのは辛い魚醤(醤油)です。
    買い物も終えたしフォーも美味しかったし、お地蔵様も詣でたし、良い旅になりそうです。



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  • 11/18/17--11:54: 片品村のお林檎
  • 11月11日は地域の小学校のお祭りでした。私が町内会長時代に創立60周年を迎えた事もあって、お祭りの始まりに関係もしました。招待状に揺さぶられてワイフと出かけました。生徒数千人を超えるマンモス学校では町内会自治会やМGОが模擬店や展示をして生徒達を喜ばせています。隣近所の模擬店や展示は競争ですから、気合も入ります。始まって二年目に私の町内では「焼き芋店」と「海老釣り」を実施しました。今想い起すと「海老釣り」以上に生徒の笑顔を呼んだ企画は無かった確信しています。
    海老とは「アメリカザリガニ」です。私が子供の頃は「真っ赤チン」と呼んでいました。マッカーサーと海老の色を指摘した呼び名でした。
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    一棟と2棟との間の中庭が祭りのメイン会場です。
    先ず柏尾川に金網(餌が入っている)を沈めて置きます。金網を時々引き上げて真っ赤チンを貯めておきます。その真っ赤チンを園芸用のPボックスに入れておいて自由に海老釣りをさせてあげるのです。勿論コストはゼロですから、欲しい子には真っ赤チンをあげます。生徒がビニールに入った真っ赤チンを持ち歩くものですから、評判になって黒山の人だかりになりました。
    町内会も会長が変われば新機軸をしたいモノ昨年はトウモロコシを焼いて、今年は焼き鳥を販売していました。私は既に引退していますから出かける義理は無いのですが評議員である事と前任校長先生が遥々故郷の片品村(尾瀬の入口にある美しい村)から名産の林檎を運んで来られるので、出かけない訳には行かないのです。隣の町内会は毎年「餅つき」をしますので、お餅を食べてランチにする予定です。
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    祭りに餅つきはつきものです。お餅を戴くのが私の楽しみです。
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    給食の仕入れをしている大木農園さんは野菜を直売しています。
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    お友達と一緒の綿飴を食べて子供達の笑顔が爆発します。この笑顔見たさにPTA地域が力を合わせて祭りを盛り立てるのです。
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    私のランチはお餅とベトナムラーメンのフォーで済ませました。
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    これが片品村の林檎売場です。世界一と(1個200円)冨士4個で丁度千円になります。前校長がワゴン車に林檎を満載して会場に掛け込まれるのです。
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    林檎を居間に置いておくだけで芳香が漂い、満たされた気持ちになれます。美味しいりんごなのになぜ旧約聖書では禁断の木の実なのか理解に難しいのです。




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  • 11/19/17--11:19: 捨てられない百円傘
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    津軽平野の天気、向こうの雲のかかった山脈は久渡寺山右端は13湖を経て竜飛岬になる。西からシベリア高気圧が平野に来て雪を降らすモノ青空が覘いているのは太平洋側は晴れていたから。岩木山を周回して白神山地で泊まって来たので百円のビニール傘にはお世話になったのでした。
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    これは「おしら様」の総本山津軽の久渡寺の300段の石段です。何処かに車で登れる道が在る筈だ探したのでしたが地図を見ても、友人のタブレットで確認しても自動車道はありませんでした。「おしらさま」が”足が付いているのだから気張って歩いて来い”叱咤していると思って覚悟を決めて石段を歩いて登りました。3年前国東の熊野磨崖仏を詣でた時以上の危険を感じました。
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    これは津軽地方で熱く信仰されている「岩谷観音」を拝観した時の参道です。此処まで下りる処で梯子段を降りたのでしたが其処が一番危険足を滑らせれば岩木川の源流に落下してしまう怖さでした。
    11月13日(月)私は友人二人を誘って白神山地の旅に出て16日帰宅しました。恐山や象潟や八甲田や十和田には何度も行ったのでしたが何故か白神山地は穴が空いたように抜けていたのです。でも昨今民俗学の読書をする度に白神や津軽がテーマになっていることが多く、是非行きたいと思っていたのでした。そこで友人を誘ったのでした。友人が面倒見が良いのでワイフも安心して、快く出してくれるのです。最初は10月中旬の予定をしていたのでしたが、日本一の大銀杏(天然記念物)が白神山地が日本海に没する、北金ヶ崎(鰺ヶ沢の南)にあることを知り、調べると黄葉は11月中旬と云う事でした。そこで、当初予定を一か月遅らせて出かけたのでした。テレビの天気予報では青森も津軽も降雪の予報が出ていました。ワイフは私が雪道で滑ってしまわないかと心配しています。で、最近は杖も突かないで歩いているのでしたが、どうしても杖は持って行く様に命じます。出掛けに雨が降っていましたので、旅先で捨てても良い様に百円のビニール傘をさして出発しました。右手に杖、左手に傘をさすのは初めてです。でもどうにかこうにか無事に旅を楽しみ民俗学の興味も回答を得て帰って来れました。
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    此れが久渡寺の長い石段です。急な事と苔や落ち葉で滑り易い事、更に足を置く位置を慎重にしないと石が崩れる危険がありました。杖だけが頼りでした。
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    此れは岩谷観音の祠です。扉の中を観ると前立の聖観音が置かれその奥にご本尊の観音様が祀られていると確信しました
    「おしらさま」の総本山久渡寺では300段も在る苔むした石段を登って憧れの「おしら様」をお拝んで来ました。岩木山の麓で広く信仰されている「岩谷観音」にも拝んで来れました。岩谷観音の参道はこれも堅い岩石と所々、階段と云うより「梯子段」でしたが、友人にお入りを押して貰い手で引き揚げて貰いどうにか、宮本常一氏が熱く語られる岩谷観音を拝せました。これも百円ビニール傘と信濃堂製の杖のお蔭です。帰宅のバスに乗って暫し考えました。「もう傘も役目は終えたので捨てて帰ろうか?」でも百円ビニール傘に愛着が湧いて捨てられません。そこで、持ち帰る事にしました。
    昔テレビで放映していました。今では一般的で使い捨て傘の様に雨がふると駅前のコンビニや、キオスクに並んでいる傘ですが、昭和天皇の大葬の儀に間に合えば一気に普及したのでしょうが。某議員の選挙事務所から老舗笠問屋に問い合わせが在った事からビニール傘の開発に着手したそうです。(ホワイトローズ(株)http://whiterose.jp/history.html)今では日本人の発明として世界中で評価されています。同社の長谷川社長が「特許権」は困難でも、せめて「意匠権」を登録していれば良かったのに、思うものです。割り箸にしても使い捨てライターにしても同様に大衆を喜ばせている日本人の発明は数多くあるようです。でも件の議員さんは雨の日でも顔を覚えて貰えて当選した暁には「ビニール傘」を床の間に飾った事でしょう。
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    出掛けには使い捨ての積りで携行したビニール傘でしたが捨てられずに持ち帰りました。長野の杖と共に今回のツアーではお世話になった道具です。
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    横浜駅の線路に捨てられたビニール傘、勿体ないというより可哀想です。
    横浜駅で電車待ちしていたら向かいの線路に何本もビニール傘が捨てられていました道具にも神が宿る(九十九神)を信じていた日本人です。使い捨ては神に唾する悪行です。百円傘にも助けられました。
    使い捨てと思って持っていったビニール傘ですがまた我が家に戻りました
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    我家の玄関の所定の位置に戻ったビニール傘と「信濃木」と名付けられた杖です。次のお出かけまで休んでいてください。



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    「おしら様」が世間で知られる事になったのは宮崎駿監督による「千と千尋の神隠し」で大根の赤い浴衣を着た不可思議な大根人形が登場して「おしら様」と云って崇められていたのでした。イメージ 1
    「千と千尋の神隠しに登場したおしら様は歓喜天のような大根で豊穣神を思わせました。写真出典ジブリの図鑑https://matome.naver.jp/odai/2142112394840075901/2145213842474748603
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    「千と千尋の神隠し」に登場した「顔無し」は欲望の強い亡者現代人の象徴で、先祖の亡者を思わせました。

    私が讀んだ宮本常一氏(現代最人気の民俗学者)の解説依ると、「おしら様」は桑の木の枝を切り取って先端を顔にして幹を体にしたゴルフのドライバー状の杖に着物を着せたモノだそうです。着物は毎年着せ替えした、古い着物の上に重ね着いるので百枚を越す厚着のおしらさまも在るそうです。
    驚異するのは着物が京友禅や加賀友禅の様な高級絹織物である事そして首に巻かれた飾りが子安貝である事だそうです。子安貝は琉球で採れたもので、北前船で津軽に運ばれたモノでしょう。百枚も重ね着した絹織物を調べると民族の信仰の厚さに驚くと共に、尊く思われると結んでおられました。
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    こちらがおしらさま信仰の中核にある「久渡寺」に祀られている「おしらさま」二体並んでいても夫婦ではありません、一般家庭のそれは「左が馬の顔」で右が「織姫の顔」です。
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    これも久渡寺のおしらさまです。江戸時代から熱い信仰を集めていたおしらさまに囲まれると背筋が寒くなります。

    今回の私の興味は「おしら様」と白神山地との関係でしたから、私は「白神西目屋村にある「ビジターセンターの職員に質問してみました。結果職員の指摘は次の様なモノでした。
    1「おしら様」と「白神山地」とは無関係です。千と千尋の神隠しでおしら様を登場させてくれたのは地
      元としては嬉しいのですが、宮崎監督は「豊穣神」として扱っていいて津軽では「祖霊」「先祖神」と
      信じているし、エロぽい大根姿は面白くない」。
    職員の説明を補強すると次の通りでしょう。
    宝暦3年(1753年)に作成された『津軽領内山沢図』(1739年~1745年の調査成果)に「白神嵩」「白神沢」と記載されていることから、この山岳を「白神岳」と呼んでいたのは18世紀には一般化していたのでしょう。
    一方『加賀の「白山』の信仰が各地に伝播します。白山を津軽に見立てて津軽の白山、「白神」に発展していったのではないかという思うのが自然です。従って白神山も白山と同じく『五穀豊穣』を祈願、する山岳信仰の中核になったのでしょう。岩木山『山岳信仰)の信仰が谷向かいの白神山に広がり津軽のオシラサマ信仰が、「オシラサマ」の響きが何となく「白神」に通ずるということで、両者は山岳信仰で共通する語源であると思われます。少なくとも津軽の人達は「オシラサマ」と「白神山地」は共通する語源なのでしょう。
    宮本常一氏は民俗学者の情熱を「おしらさま」に注がれます。
    毎年高級な絹織物を着せ替えるのは大変な負担ですし、貴重な子安貝で数珠を作るのも大変です。それは信念も霊験があるように」祈願したのでしょう。、安曇野の道祖神を1月15日に毎年が塗り替えられるのと同じです。
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    此方は白神西目屋村の岩谷観音です。関東のお稲荷様の狐の位置に「馬」が祀られています。津軽の林檎畑の中にいくつも観ました。岩谷観音はこの参道を梯子段を伝って50mも下った岩木川の谷川の際の洞窟に祀られています。
    そして「おしら様」の芯棒に桑の木が用いられるのは岩谷観音を拝観して理解できました。
    岩木山は津軽の豊穣の神様であり山岳信仰です。岩谷観音の前には必ず鳥居の横に馬が置かれています。林檎畑の横にお稲荷様かと思う鳥居があって鳥居の根元に馬の像がオシラサマ信仰は、馬とお姫様の悲恋の物語であり、その忘れ形見が蚕(かいこ・飼う蚕)とされ養蚕すなわち生糸・絹糸の豊産にささげた祈りとされています。
    岩谷観音の馬の横には次の様な案内が出ていました。
    藩政時代に、河辺村の唐牛三左衛門が南部で木戸の上に座し2本の角がある神馬を買い求めました。ある日、三左衛門はめまいを起こし落馬し、気がつくと鞍はお倉と呼ばれる岩壁に、馬は川沿いの洞窟に倒れていました。三左衛門はいたく悲しみ、早速岩谷内にお堂を建てて馬の霊を弔ったのが由来として伝えられています
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    此れは岩谷観音の参道入口に在った岩谷観音と馬に係る由緒です。




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  • 11/20/17--11:36: 鶴の舞橋の意匠
  • 私が長銀から建設省の傘下の公団に出向していた時の事でした。私は元来設計やデザインに興味があったモノですから。隣の「設計部」の設計士の作業場に良く出入りしていました。私の職掌は監理課の課長補佐でしたから、設計部では歓迎されていました。何故なら予算の承認には先ず私の合意が必要でしたから、良く説明してくれました。
    「街路樹に何を植えるか?」「橋のデザインはどちらが良いか?」、「塗装は何色が良いか」素人代表として私の意見を尊重してくれました。当時はコンクリートの打ち放しや「木材の素肌を活かすのが流行りでした。そんな時に本四架橋の吊り橋と翡翠色の塗装が発表されました。本四公団の仕事でしたが設計部では賛否両論で湧いていました。
    処で青森駅に降り立ち初老3人組は先ず行き先を「鶴の舞橋」にしました。数年前JR東日本の広告で吉永小百合さんが「青森にいらっしゃい!」誘っていた橋です。
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    此れがJR東日本の「大人の休日クラブ」で紹介された鶴の舞橋のポスター
    青森から五所川原に向うには峠を越えます。峠の先には岩木川が流れています。津軽平野の溜池として万地治3年(1660)に巨大溜池(650ha)を造成しました。ところが平成になって五所川原の経済が低迷します。 地域の活性化に資することなどを目的に, 豊かな生態系や美しい景観に恵まれた県内最大の廻堰大溜池 (愛称「津軽富士見湖」) 周辺の水辺空間を活用して開発プランを作成します。事業は 農林水産省所管の農業水利施設高度利用事業 (後に水環境整備事業へ移行) により計画され、その目玉として県産ヒバ材による木橋「鶴の舞橋」を建設したのでした。詳細は農業土木(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsidre1965/70/3/70_3_237/_pdf)に詳しい。, 景観(津軽富士を湖面に映す景色)や生態系に配慮しながら, 農業用溜池を多面的に利用するために建設された総延長300mの木橋「鶴の舞橋」を施工した。総延長300mの橋で百メートル間隔で休憩と舞台ともなるスペースを用意し、塗装は蛍の色を採用しました。勿論鶴が舞っている優雅な姿を意匠したのでした。
    江戸時代は農業用灌漑用水として現代は多目的灌漑用水として併せて観光資源として活用しようと計画したのでした。
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    これが鶴の舞橋です。灌漑池は廻堰大溜池(まわりぜきおおためいけ)から「冨士見湖と改名されました。
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    鶴の舞橋の現地説明、所管は農林省になっています。
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    素材のヒバの木が植えられていました。
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    鶴の舞橋の西側渡り口湖面には鴨の群れが大騒ぎしていました。
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    現地のポスターを複写してトリミングしました冬の朝でしょう
    私達が湖に着くと湖岸には白鷺と青鷺が葦の岸辺に遊んでいました。この町は北津軽郡鶴田町です。屹度江戸時代はこの巨大な溜池に鶴が飛来していたのでしょう。ところが佐渡の朱鷺と同じように農薬によって餌になる泥鰌や小魚が全滅してしまったので、鶴は姿を見せなくなったのでしょう。
    職員に訊けば昔は丹頂鶴が群れていたそうです。今は湖の東の岸辺で4つがい10羽の丹頂鶴を飼育しているそうで、何時の日か根室の鶴居村を越えるような「鶴の居る村」にしたいのだそうです。今は「鶴待ち橋」と云った処のようです。丹頂鶴の飼育に成功し、朱鷺の野性化プロジェクトも順調に進んでいるようです。津軽の名峰岩木山の麓に美しい木造三連橋があって、丹頂鶴も舞っていれば、街の活性化も進む事でしょう。



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