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今、一番大切にしたいことは何ですか? 内には「健康」外には「地球環境」こう答える方は多いと思います。時代はこんなライフスタイルを「LOHAS」と呼んで期待しています。 先日、二人の太めな厚労副大臣が、メタボリック症候群対策を発表していました。「これから半年ウォーキングに励んで、腹回りを6センチ、体重を5キロ減量する」 出来るかな、公約。 自分の足で歩くと、普段気づかなかったものを発見し、感動したりします。グッドアイディアが閃く事もあります。行き交う人に会釈して、人にも地球にも優しく出来ます。私たちは車依存症から脱却すれば、リッチになれます。 ウォーキングは心身の健康に良いことばかりか、感動があります。私自身のささやかな感動を皆様にお伝えし、共感の輪を広げ、「LOHASU」な世界にご一緒したいと考えて、ブログします。 ところで、副大臣様歩数計をお持ちでしたが、それにUSBをつないで自動記録を残したらどおでしょうか?さらに、ウォーキングデータを「仮想旅」マップに表示したら、国会や霞ヶ関への通勤路が憧れの街道歩きに移行できますよ。 6ヶ月で「腹回りを6センチ縮める」のは切実でも、楽しくありません。6ヶ月で「中仙道」を踏破する計画に変じれば、楽しくなるし、データも残せます。グーグルアースの3Dマップに表示するので、画面は斬新ですよ。2008年4月に「健康指導」が義務付けられますが、一番肝心な「運動データ」が出来上がっています。USB歩数計を使えばメタボ対策は容易になります。 私たちは「LOHAS」な人の輪を広げたいと計画しています。
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  • 04/15/18--12:59: 樽見鉄道の知恵桜
  • 根尾谷の薄墨桜を視る最寄駅は樽見鉄道の「樽見駅」です。樽見鉄道の駅は無人駅ばかりのようですが「此処が駅だぞ!」云わんばかりに駅舎には数本の桜が囲んでいます。どの駅もビュー・ポイントのようでカメラマンが桜の中を走る一両の可愛い電車を写していました。国鉄が樽見線の廃業を決めて民営化されたのは1984年でした。それまでは住友セメントの製品を運び出す鉄路でしたが、同社が2004年を以って鉄道輸送を廃止する事を表明し、止む無く民営化されたのでした。
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    樽見鉄道の木知原駅は無人駅でも桜に囲まれていました。ホームのお嬢さんは所謂「鉄女」のようでした。薄墨桜を観たお客さんはこの駅で途中下車して写真を写すようです。
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    木知原駅は長良川を背にしています。途中下車して桜を観て川で遊べば次の列車が直に来るでしょう。
    大垣と樽見を結ぶ鉄道ですから観桜客がターゲットです。慌てて線路脇や無人駅に桜の樹を植えて。薄墨桜を目指すお客さんに車窓風景も楽しんで貰おうと考えたのでしょう。という事は私達の観ている桜は30歳を超えた処です。今が見頃と云う事でしょう。
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    樽見鉄道は「樽見駅」から「谷汲駅」に向かいます。沿線の目玉は「薄墨桜」と西国霊場万願寺の「華厳寺」です。
    私達は谷汲山華厳寺(西国33札所満願の寺)を経て峠を越えて長良川鉄道の沿線を宿をとった郡上八幡に向かいました。途中道路は長良川鉄道に並行して走りました。長良川鉄道は二両編成でした。でも線路脇や駅には桜は余りありませんでした。
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    夕刻に郡上八幡に向かう国道で長良川鉄道に追い抜かれる。お客は略乗っていませんでした。
    長良川鉄道は美濃太田駅(東海道本線)から美濃、郡上八幡を経て北濃を結ぶ鉄道です。樽見鉄道に較べれば沿線人口も多いし、観光地にも恵まれています。その分樽見鉄道のような苦労も少ないのでしょう。私達は温泉大好きばかりです。郡上八幡旧市街に一番近い温泉である「子宝の湯」に入りました「子宝の湯」は長良川鉄道「水の駅373(みなみ/美並)」に接していました。駅前広場は子宝の湯の駐車場で駅舎は矢張り桜に囲まれていました。
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    此れは長良川鉄道の「水の駅373」です。駅の右側に子宝温泉が在ります。私達は夕方に温泉に浸かり翌朝「子安神社/円空」参詣に再訪しました。



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    NHKラジオで「桜前線は北上する」と云いますが岐阜では「幟前線が北上する」と云うのだそうです。春祭りで立てる神社の幟が岐阜の市街地から徐々に富山県境の高地に上るのだそうです。田植えに先立って豊作を祈る祭が次第に北上するというか高地に上って行くのでしょう。岐阜県ならずとも日本列島の「祭幟/まつりのぼり」が桜前線と同じように半月遅れで北上して行くようです。
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    神社の参道に掲げられはためく神社幟、写真は筆者の生活圏にある舞岡神社で筆者は湯花神楽を視て餅拾いに出かけます。以前次にアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/39916064.html
    4月5日郡上八幡の民宿に泊まったのでしたが、私達は温泉に浸かりたくて「美並」の子宝温泉に出かけました。その土地を知るには「地産品」を食べる事「生水を味わう事」そして「地元の人が入る温泉に浸かる事」だと思っています。温泉に浸かって珈琲牛乳を飲んで、地元の人に「雲海に浮かぶ郡上八幡城の撮影アングルを聞いて、郡上八幡の渡し場に近い民宿に向かいました。
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    これは美並町に在る子宝神社の祭幟です。天空の神は風にハタメク幟を目標に地上に降りて来られるのでしょう。
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    美並町の「子宝温泉の入り口にある子宝神社鳥居に次に在るのが「舞殿」でその奥が社殿です。
    車中で「何で美並の温泉が”子宝の湯”なのか?疑問に思いました。車窓に子宝明神の幟が見えました。小さな疑問も解決させないと済まないのが、私の習性です。
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    子宝温泉の玄関に置かれた円空仏。そう、郡上八幡は何処に行っても円空が迎えてくれるのです。
    そこで翌朝4月7日星宮神社に向かう前に子宝温泉と子宝明神を再訪しました。
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    長良川に懸る橋を渡って子宝小飲泉に向う。向こうの杉林の中に在るのが「子宝神社」です。
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    子宝神社の案内板。「此処には赤ちゃんを抱いた観音様がご神体なのか?」思えば社殿の奥に宝物館が在りました。
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    子宝神社のご神体と思われる「慈母観音像」抱かれているベビーは円空自身でしょう。何時か実物を拝んでみたいものです。
    「子宝神社』が在るから子宝温泉なのでしょう。御利益は神社も温泉も「子授かり」と案内されていました。円空には鬼子母神はあっても慈母観音は記憶に在りません。寿一面観音が円空の母の面影と云われているだけです。
    子宝神社の境内にはこの場所が「日本の人口重心の地」と記した碑が建っていました。友人がタブレットで「人口重心」を検索しました。日本人が全員日本列島と云うの名のシーソーに乗ったと想定した場合の重心点が此処子宝神社と云う事だそうです。
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    2010年の国勢調査の結果人口重心を求めると此処美並町の子宝神社になるそうです。
    子宝神社を詣で納得して神社を後にしました。未だ雨は止みません。次の目的地は向かいの山の中に在る星宮神社です。円空の父は星宮神社の禰宜で母は巫女であったとも云われます。また青年円空は星宮神社の神宮寺であった「粥川寺」で青年時代を過ごし、木地士の技を習得しました。木地士の技が無くては独特な円空仏は実現できませんでした。
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    子宝神社の参道から長良川を見返る。
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    子宝温泉から次の目的地星宮神社のある山を臨む。



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    旅行ブログ

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  • 04/17/18--12:30: 子宝温泉の心地良さ
  • 「地域興し」は地域の価値ある資産を見直すことに始まると思います。地域資産として私が一番に魅力に思うモノは「歴史資産」や「民俗資産」です。次いで貴重なのは「自然資産」だと思います。円空仏も石仏も歴史資産であると同時に民俗資産ですし、素材の材木や石に着目すれば自然資産です。歴史・民俗・自然が微妙に絡み合っている資産に一番感銘します。薄墨桜も荘川桜も歴史・民俗・自然が絡み合った資産であると同時に、先人が桜の命を愛しんで、再生に尽くした説話が残されています。
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    子宝温泉の玄関でお客さんを待つ円空仏
    旅行の楽しみには「その地の水を知る」事も在ります。長良川流域では幾度も「水の駅」を観ました。
    『美味しい水が湧いていますから此処で一休みして水を飲んで行きなさい!』
    そんな意図で整備された「水の駅」なのでしょう。
    郡上八幡は長良川の上流に位置し、奥美濃の山々から流れ出た吉田川、小駄良川など三つの川が合流するところにあります。宗祇水始め名水があちこちで湧き出ています。
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    これは郡上八幡旧市街に湧き出す名水名水百選第1号「宗祇水」です。上段は飲料水、中段は野菜の洗い場下段は衣服の洗濯場になっていて旅人も住人も使い分けています。
    美味しい水ですから飲んで良し、浴びて良しでしょう。温泉好きの私達ですから、事前に十分に調査して温泉を選択して出かけます。民宿はコスパが良い事と、色々な民族的な話を聴けることが魅力ですし、予約に際して「食べたい食材」を注文しておくことも出来ます。飯豊の民宿では「熊」を糸魚川の民宿では「茸」を注文しておきました。でも欠点はお風呂が狭い事です。そこで、民宿にチェックインする前に美並町の「子宝温泉」で一風呂浴びて行くことにしました。
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    子宝温泉は長良川鉄道の「美並子宝温泉駅」に繋がっています。
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    美並子宝温泉駅」は桜の木に囲まれていて温泉の駐車場を兼用しています。駅前広場は農産物の直売場でもあって、朝市の場としては「川の駅373と名付けられているようです。
    子宝の湯のウリは、なんといっても全国的にも珍しい「鉄道の駅と併設した」温泉であります。
    温泉の出入り口には信号機がつけられています。信号機が鳴ったら走れば列車に乗れるつくりになっています。露天風呂からは桜に埋もれた駅舎が見渡せますし、駅舎の西は長良川越しに広がる山々を眺めながらの入浴は最高の贅沢でした。
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    「子宝の湯」の湯船、露天風呂もあって、桜に埋もれた駅舎が望めます。
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    露天風呂の先には長良川が流れています。
    温泉の泉質はアルカリ性単純温泉(無色・透明)で、神経痛や関節痛に効果があるそうです。すっかり温まった後で飲む地元産のコーヒー牛乳は体にしみいる美味しさです。食堂で観れば蕎麦もラーメンも総じてワンコインで食べられます。
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    子宝温泉の泉質分析と効能案内。要するに陰イオン質・酸性の無色無臭の泉質で、リウマチや関節痛に効能が高いようです。
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    温泉を出たなら「生水」を飲んで地元産のコーヒー牛乳(110円)を戴きます。食事もビールもワンコインです。



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    薄墨桜を観て、樽見鉄道に沿って走りました。「谷汲駅」の近くを通ります。西国観音霊場の満願の寺が「谷汲山華厳寺」ですから、道路標識にも「華厳寺」の案内が目立ちます。友人と一緒に行ったことのある西国観音霊場を指折り数えました。「イッソ!満願の華厳寺にこの際詣でよう!」丁度灌仏会/4月8日)も直なので良いだろう」という事で、急旅でもないし華厳寺に向かう事にしました。
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    此れは華厳寺の参道です。訊けば4月1日が満開で4月5日にはもう大半が散っていました。
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    此れは参道にあった御茶屋の庭先の桜です。樹下には簀子が置かれ赤い毛氈が敷かれていました。
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    これは華厳寺の山門です。山門が巨大なら、仁王さんも大きく履物の草履も巨大でした。
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    此れは仁王様の草履です。横に吊るされているのはお遍路さんが使い古した草履です。満願の寺ならではの光景です。
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    此れは山門の天井や梁に貼られた「行者札」です。行者札の多さも満願の寺だからでしょう。
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    此方は山門の阿形の仁王様です。
    桜が早く咲いたという事は躑躅も石楠花も早く咲くという事です。参道を登ってゆくと左手石段の下に石楠花が咲いていました。石楠花の花陰にはお狐様もおられます。見れば豊川稲荷のお狐様です。(経典を咥えている)伏見稲荷ではありません。案内板には『豊川分霊吨枳尼真天』である、記されています。
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    これは豊川分霊吨枳尼真天石段の上に鎮座したお狐様です。
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    此方はお狐様の下に咲く石楠花です。
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    此れは4月8日灌仏会の為に用意された花祭りの飾りです。右の石段は子供が上って甘茶をお掛けする為のモノでしょう。
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    此方は甘露を満たした桶の中に立っていられる誕生仏です。
    私の高血糖の体は甘茶を求めています。甘茶はアルカリ飲料で独特の苦味がアルカリの証です。甘茶を作って飲んで育ったのに肉や炭酸飲料を好んで飲食したので私は高血糖になっていたのです。でも、華厳寺の長い参道を登って流石に疲れて甘いモノが欲しくなっていました。豊川分霊吨枳尼真天の境内には美しい姉妹が庭に簀子を出して甘茶の御接待をしていました。一杯百円の貼り紙は流石にシッカリしています。紙コップ一杯の甘茶が身体に染入りました。
    甘茶で生き返って長い参道を下ってゆきました。
    華厳寺は流石に西国三十三観音霊場巡り満願の寺、土産物屋に混じって遍路グッズの店が多くあります。一番に気付くのが表装の店です。33のお札を集めた記念に軸に表装するサービスを商っています。「幾ら懸るのかな?」思えば材料込みで5千円が標準のようです。
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    華厳寺参道に面した仏具店の「井上」お札を軸に表装するサービスが得意です。
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    朱印帳を渡せばこのような軸に表装してくれます。屹度ネットでも扱ってくれるでしょう。

    私は仏式で結婚しました。結婚指輪に相当するのが数珠でした、お数珠は仲人をして戴いた実相院の佐々木住職が用意してくださいました。私のお数珠は水晶でしたがワイフのお数珠は紫水晶でした。ワイフは大切に使って来ています。私は、頻度も多いこと等も在って、何時しか失くしてしまいました。そんなことも想い出して、華厳寺参道の「井上」というお店で黒檀のお数珠を求めました、千円でした。同じようなお数珠を4月15日建長寺で確認すると5千円でした。建長寺と華厳寺の暖簾の違いにしては格差が在り過ぎです。”良いお数珠が求められた”そう想うだけでも良い旅行でした。
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    これが1千円で求めた黒檀の数珠です。今度は大切にして失くさないようにします。



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    4月5日は盛り沢山で流石に疲れました。宿は郡上八幡の長良川に面した「船渡屋http://gujo.com/yado/funatoya/index.htm」にとりました。主人に訊けば築170年の屋敷で。元は山に在った造り酒屋をこの地に移築したのだそうです。船渡屋の屋号は「長良川の渡し場」であった事に因んだそうです。広い縁側はお客さんが座って渡し船を待っていた為のモノでしょう。渡し場の「舟繋ぎ石」は無いモノの、船着き場は今も残っていましたし、渡し舟では無くて鵜飼舟がそれらしく繋留されていました。

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  • 04/20/18--12:28: 荘川桜の硬い蕾
  • 「根尾谷の薄墨桜」を観て「郡上八幡の墨染桜」も観て、観桜ツアーは順調です。
    総じて4月5日でも遅すぎた感がしました。”高い所なら、間に合ったかも知れない”期待が高まります。荘川桜は屹度『三分咲き』ではないか?話しながら、御母衣湖の畔に着きました。車窓には未だ雪が残っています。
    荘川桜の大木も二本です。根尾谷桜は親子の二本の大木なら、荘川桜の大木は夫婦の桜なのかも知れません。期待の荘川桜でしたが、未だ堅い蕾でした。
    冷たい雨が蕾の先に滴になって光っています。「楽しみにして来たのに早過ぎたね!」呟けば「又次に機会を作って来なさいな!」答えてくれたような気がします。
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    此れが御母衣湖畔の荘川桜です、写真出典岐阜県観光サイトhttps://sp.jorudan.co.jp/hanami/spot_223.html
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    御母衣ダムの堰堤下には「御母衣ダム記念館」が在りますが。展示の過半は荘川桜の移植事業です。こんな姿勢が続いていたならば、原発事故も起こらなかったでしょうに・・・。写真出典岐阜県観光サイトhttp://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=1095

    麓は桜は散ってしまったのに、荘川桜は未だ一輪も咲いていません。高度に依って大違いです。
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    郡上八幡から荘川桜を観に行くには高速道路で荘川IC迄走ればICを出て10分で着きます。郡上八幡は満開でしたので、荘川桜への期待も膨らみました。
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    荘川桜は未だ蕾でした。幹から出た徒長枝の先に蕾が膨らんでました。
    御母衣ダムの下流に御母衣ダム記念館が建っています。内容は日本で初めてのロック式ダム開発の記念館と思えば、電源開発が湖底に沈んだ御母衣村への鎮魂のモニュメントのようです。「此処には過って2千人もの人が幸せな日々を過ごしていた。彼等は浄土真宗の篤い信者で、真宗の教えを広めたのは、親鸞の高弟の「嘉念坊善俊/後鳥羽上皇の息子」であった事等を展示しています。荘川桜は「嘉念坊善俊」が村に開い照蓮寺と光輪寺に在った樹齢400年の江戸彼岸桜でした。
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    此れが御母衣湖の湖畔に移植された荘川桜、手前が光輪寺に咲いていた桜で。向こうが照蓮寺に咲いていた樹齢400年の江戸彼岸桜です。
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    光輪寺にあった江戸彼岸桜
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    此方は少し下の段に移植された照蓮寺にあった江戸彼岸桜。荘川桜と云えばこのツインの桜を指します。
    電源開発は江戸彼岸桜を移植して、嘉念坊善俊の像を建立したのでした。
    野昭和35年、電源開発株式会社による「御母衣(みぼろ)ダム」建設により、荘川村(現荘川町)中野地区が水没することに伴い、同地区光輪寺と照蓮寺の境内にあった老桜も同じ運命になる筈でした。しかし、電源開発(株)初代総裁高碕達之助氏は、この桜を水没から何とか救いたいと考えました。移植など不可能だという声の中、高碕氏の想いを受け止めた多くの専門家や職人たちの力で世紀の 移植事業を成功させ、桜の木を視る位置に嘉念坊善俊の銅像が建てたのでした。
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    れは荘川桜を愛で、命を繋いだの歌碑電源開発総裁高碕達之助氏の歌碑
    ふるさとは 水底となり 移し来し この老い桜 咲けとこしえに”  
    歌碑の脇には進歩の名のもとに、電源開発総裁高碕達之助氏の言葉が刻まれていました。
      『古き姿は次第に失われてゆく。だが、人の力で救えるものは、なんとかして残してゆきたい。古きものは  古きがゆえに尊いのである』
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    此れは見御母衣湖を背に荘川桜に向かって手を合わせる嘉念坊善俊の立像です。
    良い話はそれで終わりません。荘川桜を観て感動した国鉄バスの車掌さんが荘川桜の実生の苗を栽培して、荘川街道に植えたのでした。荘川桜の子孫が富山に通じる街道を飾っているのです。 この話は昔NHKが特番で放映していました。私は無名のバスの運転手や、先人の篤志のお蔭で文化的な日々を送って人生をエンジョイ出来ているのです。昔は経済界のリーダーは電力会社の指導者でした。松永 安左エ門(茶人としても有名雅号は耳翁)にしても、高碕達之助にしても、志が高く、文化人でした。嘘つき東電社長清水氏も同じ慶応義塾卒業生であった事は悲しい事実です。
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    荘川の中流域に在る水記念公園に咲く桜。荘川街道は桜の街道でした。




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    昨日は荘川桜は未だ蕾であった事を書きました。でも国鉄バスの車掌の尽力で荘川桜はアッチコッチで観る事が出来ました。その桜のハイライトが荘川が砺波平野に流れ出す注ぎ口にある「水記念公園」の桜でした。五個山辺りでは深い谷間の底を流れていた荘川も砺波平野が近づくと穏やかな「瀞状態」になります。その岸辺を砺波市が整備したモノです。庄川の観光の拠点となる施設で、豊かな水とみどりの景観を生かした遊歩道、水資料館(アクアなないろ館)、ウッドプラザや美術館など、地域の特色を生かした施設が整備され、ゆったりとした空間の中でたっぷりと楽しむことができます。 庄川美術館. 水資料館. 鯉恋の宮、足湯等が整備されていました。
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    これが庄川水記念公園の岸辺の桜並木です。向かいの山間にも桜(江戸彼岸桜)が点々と咲いています。並木の染井吉野は樹齢50歳程度、今が女盛りの桜花です。
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    桜並木の右貯水池にはブイが浮いていました。このブイの上に乗って左右からロープを引っ張って丸太乗り競技をするのだそうです。材木の村ではの競技です。
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    庄川の水辺ですから水芭蕉も咲いていました。
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    私達が訪れたのは金曜日でしたが、雨が降り続いて行楽客は出ていませんでした。足湯を無料で使えるレストランも手持無沙汰のようです。
    レストランも仕事にならなければ、水車の横に坐っている河童も所在無げな様子です。
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    名物の水車の傍らで桜を見詰めていた河童君。
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    無料の足湯サービスのあるレストランの庭先、看板には足拭きタオルが100円でした。
    観れば寒そうに足湯に浸かったいた親子がレストランに入って行きました。熱いラーメンでも食べるのでしょうか?
    私達は庄川沿いを暫く歩きました。道端に「鯉の碑が建っています。鯉を放流する地点だそうです。
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    此れが厄払い鯉の放流場です。案内板によると、江戸時代後期の1816年(文化13年)に行われた金屋神明宮の遷宮祭に遡ります。その遷宮祭で供えられていた「神の化身、庄川の主」とされていた鯉が、長時間の神事が終了してもまだ生きていたことから、鯉の生命力にあやかり、鯉に御神酒を飲ませて災厄を託し、庄川に放流したのが起源とされています。以来毎年1月7日に神事が行われるようになって厄年の男女(男性は、数え年25、42歳、女性は、数え年33歳)が「開運」「長寿」などを願い、御神酒を与えられた鯉に一人ひとりが手を触れ、庄川へ放流するそうです。鯉が人形のようにして厄払いしてくれるのです。
    「厄払い鯉」に「なるほど」感心して歩いて行くと派手な朱塗りの社があって、「鯉の宮」と案内されています。此方の鯉は単純で自分の「恋」が成就する「恋」と「鯉」の語呂合わせの現代的な商魂の為す社でした。沢山の絵馬が奉納されていました。
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    此れが庄川水記念公園にある「鯉恋の宮」です。案内板には玉砂利がセラミックであると案内されていました。写真を撮ってみると向かいの断崖に洞窟があって、注連縄が張られているので、祠が祀られているのでしょう。
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    「鯉恋の宮」の社内に結ばれた御神籤とハートの絵馬」



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    合掌村と云えば誰しもが「岐阜県白川村」の合掌村を思い浮べます。私の住む横浜三溪園の合掌民家は白川村の御母衣ダムの湖の底に沈む運命に在った「矢箆原(やのはら)」家の民家を1960年に移築したものです。
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    これは三溪園にある合掌造りの矢箆原家住宅(重文)です。御母衣ダムの水底に沈む運命だったものを荘川桜同様に救出して三溪園に移築したものです。左の坂を下ると荘川桜が咲きます。今年はもう散ってしまったでしょう。
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    此れは川崎の生田に在る日本民家園の合掌造り民家の山田家住宅(重文)です。三溪園の合掌造りより一回り小さいのですが美しさは抜群です。
    一方川崎民家園の合掌造りは五箇山の山田家を1967年に移築したものです。山田家住宅は18世紀の建物で蓮如上人が宿泊されたという伝説も残っています。総じて云えば、白川村の合掌造りは大きくて壮大です。一方五箇山の合掌造りはこじんまりしていて白川村のそれに較べれば二回りも小さいのです。その分小家族の温もりを感じます。昨秋八尾で「風の盆」をエンジョイしたのでしたが、立山の向こう(南)は五箇山だと思いながら見渡しました。「何時かまた来たい」思ったのでしたが意外に早く来られました。私達は五箇山で一泊し。最後の目的地は「高岡」にしました。五箇山の名の由来は5つの山が在って、その谷間に5つの村が在る事に由来するそうです。どの谷も深いので村民は肩を寄せ合って共同生活を強いられます。その結果美しいモノノ白川村よりも小さい合掌民家が建てられたのでしょう。私達は先ず村上家住宅(重文)と岩瀬家住宅(重文)のある菅沼地区を視て廻りました。
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    此れは菅沼の合掌集落です。菅沼は相の倉よりも100m程低い位置に在ります。
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    此れは菅沼合掌集落に在る岩瀬家住宅「国の重文」
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    これは菅沼にある村上家住宅「国重文」
    友人は満足せず、合掌民家が家並を形成している「相倉/あいのくら」地区に行きたいと言うので、峠を登りました。峠を越えると突然に大きな駐車場があって、「駐車料金は500円、此処からは徒歩で村内を散策してください』指示されました。白川村は観光客で混雑して「竹下通り」を歩いている様な気になってしまうのですが。相倉は合掌民家のテーマパークを歩いている感がしてきます。外国人が多いのに驚きでした。
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    これが五箇山の相の荘合掌村の入り口です。此処の集落には徒歩でしか入れません。
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    未だ雪が斑に残っていました。雪が溶ければ田起しをするのでしょう。
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    民家の三分の一は民宿や紙漉きなど観光業で生計を保っていました。
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    辛夷が咲いて田起しを促しているようでした。
    白川村の雑踏に閉口した人には閑静な五箇山の相ノ荘合掌村は好印象でしょう。外国人ツーリストもネットで調べたのでしょう。民宿に泊まって日本の山村ライフを満喫しているようです。


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    砺波の水記念公園から更に山を下って五箇山の登り口の位置に蓮如上人の古刹「瑞泉寺」が在ります。瑞泉寺は蓮如上人開基の名刹ですが、それ以上に欄間等の彫刻の技で有名です。浄土真宗の篤信の信者が此処砺波に住んでいた事が日本一彫刻の匠の町を作ったのでしょう。勿論庄川の上流には、飛騨の匠が居て、左甚五郎を排出した歴史も影響したのでしょう。
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    此れは瑞泉寺本堂です、雪囲いを外したばかりでした。右端の銅像は蓮如上人かと思えば親鸞聖人でした。
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    未だ境内には雪が残っていましたが、紅枝垂れ桜が満開でした。銅像は親鸞聖人です。
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    椿が散って、染井吉野も散って、瑞泉寺は雨でこそ在っても春爛漫でした
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    宝物館から境内を見渡す。黄色い花は「連翹」で「一気に春が来た」感じでした。
    砺波の瑞泉寺は1390年本願寺第5代綽如(しゃくにょ)上人が開基で、ご小松天皇の勅願所で夏には聖徳太子の絵解き説法で有名だそうです。宝物殿にはその絵解きの掛け軸や聖徳太子像が展示されていました。三度も焼失したのだそうですが、その度毎に浄土真宗の教団組織を活かして再建したのだそうです。火事は砺波の民衆にとって災難だったでしょうが、伝統の匠の技の継承の意味では幸いだったのかもしれません。私が裸足で廊下を歩いていると係員が追いかけてきて「スリッパを履け」と口煩く言ってきました。私は「転ぶと危険なので裸足の方が安全だ!」断ると。「本堂」「太子堂」「宝物館」と歩いて巡る時渡り廊下が濡れていたので。「濡れないように」心遣いであったようです。「他人の好意は先ず受け止める事が大事だ」と気付きました。
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    本堂正面向拝を飾る装飾彫刻本堂と向拝の間に在るのは海老虹梁で重垂木の下に在るのが
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    要所要所には解説が付いています。でも係員の説明したのは匠の名前のようでした。
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    本堂の装飾彫刻のうち下の段が間斗束上に在るのが蟇股彫刻で写真は獅子です。
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    これは本堂の主屋と向拝を繋ぐ海老虹梁です。虹梁の先端を飾る出鼻も凝っています。
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    何といっても装飾彫刻のハイライトは欄間彫刻です。内陣と大広間の境の柱には観音開きの障子戸があってその上部には金色の天女が欄間彫刻されていました。
    スリッパ以上に係員が熱心だったのは「欄間」や「向背」や「蛙股」や「間斗束彫刻でした。彫刻の下には解説が貼ってあったのですが。それでは事足りず「何代目名人の何某が彫ったと説明してくれました。私が余り関心が無いので残念そうでした。郷土の誇りの名人だったのでしょう。
    天井や欄間ばかりを見上げていると流石に首が凝って来ました。その中に敷居に躓きそうです。



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    瑞泉寺で彫刻を満喫して顎が疲れました。私達は門前町を暫く散策する事にしました。在る饅頭屋さんの店先で立ち止まると「仕掛け」装置が動いて「お茶をどうぞ!」呼びかけてくれました。饅頭屋の店内を覘くと女将さんが微笑んでいます。店内には簀子が在って、「腰かけて御饅頭を食べて下さい。」渋茶をサービスします、そんな仕組みのようです。女将さんは私の娘と同じ年頃、お話も上手です。
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    瑞泉寺門前の八軒通りに面した「田舎饅頭」の店先、店内で女将が操作すると「お茶をどうぞ!」と云ったからくりが作動します。からくりにマンマと嵌ってお店に入りました。
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    これも田舎饅頭の店内にあった「からくり」です。ペダルを踏むとからくり人形が鑿を振います。
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    ほうじ茶はサービスです。田舎饅頭(100円)は甘さ控えめ拝観で疲れた人には最高の一服です。
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    「からくりで」で遊んで作品を視て田舎饅頭で一服して。話し上手な女将さんと会話を楽しんで楽しいお店でした。
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    富山の女性は必ずしも美人とは云えなくても話し上手で気立てが良い人が多いようです。
    店先に引き攣れて向かいの屋根を指さします。屋根の上に猫が昼寝しています。待てよ先刻から雨が降り止まない、猫が昼寝している筈が無い、思えば屋根の猫も砺波の匠の技だそうです。
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    田舎饅頭「よしむら」の店頭https://tabelog.com/toyama/A1605/A160502/16005542/
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    田舎饅頭「よしむら」の向いのお店の屋根の「昼寝猫」
    そういわれると瑞泉寺境内で左甚五郎の彫刻も観ました。「眠り猫」ならぬ「昼寝猫」です。
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    砺波美術館の玄関脇に設えられた電話ボックスも良い味出していました。
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    通りの電信柱にも雲中供養仏が飾られていました。瑞泉寺の門前は街中美術館の様です。これは飽きません。
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    店に入ればドアの取っ手が「猫ちゃん」でした。思わず手を引っ込めて手が汚れて居ない事を確かめてしまいます。


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