昨夜来の雨が上がろうとしています。
今日(5月12日)は町内旅行で、笠間稲荷に大藤を見に出かけます。
参加者の大半は私が子供の頃からお世話になった、町内の古株。
お爺ちゃん、お婆ちゃんと一緒に、一日楽しんで、無事に帰る事が目標です。
バスは常磐道に入ります。
横浜では青空でしたが、茨城は雨が降っています。
車窓からは、田植えを終えたばかり、一面の田圃が見えます。
農家の屋敷森や樹林の梢の先に藤が咲いています。
この分では笠間の大藤も見頃だろう・・・!
期待が高まります。
(笠間の町屋)
笠間は落ち着いた綺麗な町でした。
江戸時代牧野家の城下町と記憶していましたが、近江八幡のような商人の町、そんな印象です。
街路には古い商家が続いています。
蕎麦屋にお稲荷さん屋さん、そして浅草寺門前の「仲見世」状の土産物店の店先を笠間稲荷の門前に出ます。
(笠間稲荷神社前の仲見世)
楼門を潜ると、甘酸っぱい芳香が迎えてくれます。
足は香の源泉、藤棚に向ってしまいます。
本殿前庭の東側には二つの藤棚が並んでいます。
(大藤)
手前(南)は大藤と説明されています。
花房は1メートルをゆうに越しています。
真っ直ぐに垂れ下がっています。
花房が揺れ始めました。
窓側から、私に向けて揺らぎが近づいてきます。
花房の揺れは絶え間なく続きます。
その度ごとに、房から小花が散って行きます。
地面はもう藤の花で覆い隠されてしまっています。
(幹周り4メートルの藤、地面は落花で覆われていて、神様のお座布団のようです)
ふと思い出しました。
神道の式次第を。
神式の最初が「降神の儀」
天上から神が降り立ってきます。
そして最後が「昇神の儀」
神様が天上に昇られます。
風が吹く度に、神様が行ったり来たり、しているようです。
そして、神様のお座布団が一面に散った藤の花のようです。
(右が大藤、左は八重咲きの藤)
奥(北)には八重の藤棚があります。
此方は巨大な葡萄の房のように見えます。
葡萄でも「巨蜂」でしょう。
巨蜂以上に長い房です。
(藤の下でにっこり記念撮影)
説明では、樹齢400年以上、と書かれています。
笠間稲荷は常陸風土記にも記述されているそうです。
従って7世紀には有名でありました。
1400年に近い歴史があるのでしょう。
でも、関が原の合戦を経て、ようやく平和な時代が巡ってきた、
その頃笠間稲荷は牧野家の支援によって修復されたのでしょう。
本殿が出来ました。(重要文化財)
そして、内陣に二本の藤を植えて、藤棚にしました。
400年前、平和が到来した、その喜びが現代まで大切に伝わってきたのでありましょう。
お稲荷様は現代でこそ「商売の神様」と言われていますが、元々は「田の神様」、稲作の神様です。
下野、常陸、北関東は稲作地帯、その豊作を祈って、あつく信仰されました。
牧野のお殿様は城下を代表して豊作を「笠間稲荷」に祈願した事でしょう。
お爺ちゃん、お婆ちゃんは
「わあ!綺麗」「見事なもんだ」 一斉に発声されます。
藤棚の下に立つと、お顔が際立って・・・美人に見えます。
思わず笑顔が、若返ったのかもしれません。
写真を撮ったり、落花を拾ったり、愉しげです。
思います。
何故、北関東には藤の名所が多いのでしょうか?
お隣の足利、そして少し南の春日部、見事な藤が咲きます。
春日大社の藤も、宇治平等院の藤も、藤自体の見事さでは笠間稲荷に退けをとります。
地質が藤に適していたのでしょうか?
それとも・・・・・
「名物に美味いもの無し」と言います。
でも、正真正銘見事なのは「笠間稲荷の大藤」です。
戦争時下、子供を育てた町内のお爺さんお婆さんも、満足したようです。
旅行から帰って祈念写真を配ると、「笠間稲荷の藤は綺麗だったねえ・・・」
口々に言われます。
「平和を祈る気持」は牧野のお殿様と変らない事でしょう。
(街角の喫茶店で見つけた、大黒さま。笠間は大黒さんが似合う町です)
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