昨晩は深夜に救急車がサイレンが響いていました。熱帯夜です。「また、誰かが熱中症で運ばれた」他人の心配をするより先ず自己管理です。夜は玄関先に冷えた麦茶を用意してくれていますので。目が醒めればゴクンと飲みに行きます。
深夜ラジオで納豆を探してベトナムの山岳地帯からミャンマーチベットを旅した地理学者の話が流れていました。聞いていると学生時代盛んであった照葉樹林文化圏(上山春俊平)を想いだしました。
1960年代梅棹忠雄や梅原武等と共に新京都学派と呼ばれた文化人類学者達が脚光を浴びました。多くの文化人類学が日本人お皮膚感覚のない世界の僻地の実証的調査に基づいて解析していたのに比べて新京都学派の研究は身近な楠や椎の照葉樹林の観察に始まって。其処に自生している粘菌が味噌や納豆を醸造し、空海や最澄といった密教を育んだ…と説明しました。南方熊楠に社会科学的な手法やマスコミを動員する力もあって新鮮でした。
照葉樹林文化を説くのが1960年代盛んでした。この稲作伝播と同じようにチグリスユーフラテス流域に麦作文化圏が在って比較説明した文化論でした。出典照葉樹林文化とは何か」 稲作と同時に納豆と言えば納得感も増します。ラジオでは納豆菌は稲藁にもあるが。桑やイチジクにもあると説明され、無花果が最高と評されていました。出典:佐々木高明著「照葉j樹林文化とは何か中公新書」
4年前突然に庭の楪(ゆずりは)の木に甲虫が大量に発生して喜んだのでしたが木は枯れてしまい翌年はシメジが生えて今年は納豆菌で真っ白になってしまいました台風で倒れたら危険なので伐採いたしました豊富な納豆菌は生命のサイクルに重要な歯車なので
す。
楪の枯れ木に最初はシメジが生えてきました。最近は白いものが増えて来ましたこれは納豆菌の金糸でもう芯から腐って来たのだと判断して切り倒しました。
。
ベトナム北部中国国境雲南に近い山岳地帯の棚田。照葉樹林の中に棚田が魚鱗状に続いています。棚田の耕作手順や社会組織は日本の農村と酷似しています勿論納豆を食し豆腐も食べています。
ベトナム北部山岳民族の田植え風景は50人もの女性が着飾って田植えをします。その作業は日本の早乙女のそれと同じで。女性の意匠には呪術的な意味もあります。母系社会が今も存続していることが解ります。画面を見ていると意匠の模様はアイヌの模様であるし女性は”もののけ姫”でリーダーは阿弖流為だと思えてきます、ああ此処には縄文文化が息づいている思いました何時か元気になったら行ってみたいと思います。画面はNHK”地球で一番美しい瞬間”を複写。
沢庵も鮒寿司も皆照葉文化を象徴する食材は湿潤な空気の中で生育する枯葉菌を発酵させたものです。序に説明すれば韓国のキムチも同じで発酵させた上に腐敗しない様に芥子を加えて居る事と。冬の寒さが醗酵を停止させて一年中食べられる様に保存させているのです。韓国だけで売れている”キムチ冷蔵庫”は温度管理して醗酵と保存を最適になるよう管理しているものです。キムチが好きな日本人はカレー納豆が好きになること請け合いです。
照葉樹林文化論は日本人の歴史文化感覚と風土食生活を同時に俎板に載せて分析してくれたもので、私達にとっては新鮮なものでした。
当時私と同じように啓発された地理学者が政府の援助を受けて東南アジアからヒマヤラにかけての照葉樹林帯を歩いて豆腐や納豆を探し回っていたのでした。
ベトナムと中国の国境に在る雲南の黒納豆の話を聞いているとそれは「日本の浜納豆」じゃないか思い当たります。
そして世界一美味い納豆はインド北部カレーに納豆を混ぜたものだと聞くと私はワイフに頼んで”カレー納豆”にトライして貰いたくなります。少なくともカレーに干しブドウや甘納豆を入れると行けるのですからカレー納豆は美味しいし夏バテには効果がありそうです。
私達が東北のブナ林で嗅ぐ芳香は枯葉が醗酵する香りで。醤油の蔵や納豆蔵の臭いです。
照葉樹林体の湿潤な空気は納豆菌(所謂枯葉菌)を豊富に含んでいて.枯葉菌が有機物(植物蛋白や澱粉)を酸化分解し.旨味や有益な物質に変わります。
大和朝廷が成立した後も,草深い東國(関東以北)は縄文文化を継承し,納豆が農民により食べられていたのでしょう。そこへ前九年の役を平定する為源義家が蝦夷征伐に向かいます。
阿弖流為やもののけ姫はや必死に戦います。敵は鉄器を持って稲作にも秀でた弥生文化人でした。「八幡太郎義家の軍隊は蝦夷の住民が好んで食していた納豆を初めて知りました。
大豆が体に良い事は前々から知っていたのでしたが、ナ納豆にすればもっと美味しいし、保保存食にもなる驚いたに違いありません。
豆腐は弥生の香りがして納豆は姿形も縄文なのは何かの偶然でしょう。
醪は大豆を発酵させて作ります。そして魚を醗酵させれば魚醤が出来ます。ベトナムのラーメンを食べれば魚醤の虜になってしまう美味さです。それは屹度私達の遺伝子に魚醤の味が刻まれているからでしょう。
細菌のお母さんを見ていると醪の味よりもチーズやヨーグルトの方が好きなようです。
ユーラシア大陸の西では乳酸発酵食品が好まれ大陸の東で大豆の醗酵文化が出来たのも風土の為せる技だったのでしょう。
でも私達は「照葉樹林文化圏」に育ってきたのですから今晩も納豆を食べる事にしましょう。
納豆の薬味には鶉の卵に玉葱の微塵切が適当です。
ワイフが今朝裏庭から茗荷を取って来ました。これは屹度納豆になる事でしょう。
昨日アマゾンで竹の笊が送られて来ました。これからワイフは梅の実の天日干しを始めるつもりのようです。
我家では毎年広島の原爆慰霊日に干し始め長崎のひで干し上がるようです。
その間ワイフは二階のベランダで大汗をかきます。今年の様子は?梅の樽を覘いてみれば白いものが浮いています。
私は白いのは納豆菌と同じで毒も害も無いというのですが、ワイフは子供達も食べるし言って白い菌を嫌がります。黒カビや青カビが出たら拙いのですが。白いのは問題ない証です。
のネパール,シッキム,ブータン,雲南,ミャンマー,タイの山岳地域に足を踏み入れるにつれ,この地域に共通の食文化として,大豆を納豆菌で発酵させる納豆様発酵大豆があることが明らかになった。このことから翻って,我國の基層文化である縄文時代の後期に大豆はすでに大陸から渡来して,納豆として食べられていたことを容易に想像させるものがある。魚醤やなれずしも「照葉樹林文化圏」の共通の食文化であった。東アジアで数千年の昔栽培化された大豆は,東アジアで先ず納豆菌で発酵して食べられていたと考えられる。納豆は,実は人類の最古の発酵食品なのではないかと思います。
中華料理の国の隠し味である「豆豉(トウチ」は豆完熟発酵後,食塩やとうがらしを入れて保存性を高めたもので。長江以北ではより後世になって発展したと思われる日本では浜納豆です。
文人が納豆を食べていた日本列島に,朝鮮半島を経て,麹菌発酵による「醤」を用いる新しい弥生文化が進出し,弥生人が北九州から関西までを制圧した。そして,この地域から縄文人の食文化は失われ,大陸から渡来した食文化が支配した。しかし,同じ九州でも熊襲・隼人の南九州には縄文人が残り,納豆の嗜好が生きつづけた。このような縄文分化と弥生分化の交代並存し,西日本では一般に納豆は食べられない一方九州や関東以北では好んで食べられるといった日本の東西の食文化の明瞭な違いに,その後二千年にわたって影響してきたのでしょう。名古屋人は両方の味を知っていたので八丁味噌や守口漬け等発酵食品を極めたのだと推測します。
納豆は美味しいし。加えて消化が良いし、脳梗塞に有効(血管を強くする)と良い事含めです。今晩は納豆を喰ってぐっすり寝る事にしましょう。
今年も梅干を付けました。ワイフには天日干しの重労働が待ち受けています。今年は笊をネット(アマゾン)で購入したところベトナム製の笊が届きました。価格競争で国産は及ばないのでしょうが。自然保護の観点から国内産を求めないといけないのでしょう。
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