ネットや新聞を観ていると升添都知事のバッシングは留まるところが無さそうです。都知事自身の苦渋はともかく恩恵に浴したご家族の心労はいかばかりかと思います”慎ましく回転寿司で済ませたモノを日本中からバッシングされたのでは銀座久兵衛にでも連れてって欲しかったわ”思っておいででしょう。それにしても何時の間に政治家は斯様に『せこく』なってしまったのか?愕然とします。こんなせこい人物を首都東京の顔にしていることが恥ずかしく思います。このバッシング何処まで行くのやら?思うと”弁護士の判断を仰ぐ前に自分の判断で引責辞任する事を奨めたいと”思います。その理由は”日本の社会は何時も生贄を求めていて、息苦しい時代には時々生贄を奉げて蘇って来るのです。もう此処まで来たら生贄になるまでは許されないのです。
【長銀の破綻】
長銀が破たんしたのは1977年でした既に「三洋証券」「山一證券」が破綻し「北海道拓殖銀行」も破綻していました。米国のリーマンショックは太平洋を津波が渡る間に強大なうねりになって日本の信用秩序を呑み込もうとしていました。政府大蔵は信用秩序を守る為巨額の資金を銀行等に投入する事を覚悟しました。でも世論が許しません。「公平・公正」であるべきなのを歪めたのは銀行です。銀行に資本充実させて信用秩序は国が守る”姿勢を世界中に示す必要がありました。政府は適当な生贄を探して国民の鬱憤を抜く事を考えたのでした。その白矢の先に在ったのが長銀でした”あのビックバンクが破綻して経営陣が逮捕されたのでは仕方が無い”思ったのでした。。
私はそのプロセスで現職の部長でしたから世論のバッシングの矢面に居ました。銀行員には守秘義務があります。一般には職務上で知った情報は秘密にしておかなければならない、程度の職業上の倫理規定でしたが世論のバッシングに対して『自分達はそんなに罪深いモノでは無い』言いたくても押し黙っていました。その忍耐袋の緒が切れて私は拙著を上梓しました。私の親友は「君は勇気が在るから良いよな」言ってくれましたが間もなく自死してしまいました経営陣の無罪判決が出たのは2009年でした。判決を持って長銀の面々はあの時何が問題であったのか発表されました。私の直接の上司だった鈴木恒夫さんも発表されました。http://toyokeizai.net/articles/-/2885。今思い起こせば私の勇気も判決には良い意味で影響が在ったものと思っています。10年も経ってから発言しても負け者の泣き言にしか聞こえないのですから・・・・・。
1977年大蔵省の”長銀は債務超過である”に伴い粛々と破綻整理と国費の存続銀行への投入が決まりました。私はその時に拙著を上梓しまあした。経営陣の無罪判決まで10年を要しましたが。この本が判決に際して少なからず役だったのではないかと思っています。
【生贄とは】
生贄(いけにえ)とは、神への供え物として生きた動物を供える事です。旧約聖書の「レビ記」に山羊がスケープゴートになって奉げられ段があります。キリスト教以前の放牧民族時代に山羊が神への捧げものになった慣習が在ったのでしょう。狼に襲われると狼は凶暴な本性を露わにして羊を全部殺してしまいます。食べきれないのに羊を全部噛み殺してしまうのです。何処かのテロリストのように弱者を無差別に殺してしまいます。遊牧民はそんな惨状を観るに忍べずに山羊を狼への生贄に用意したのでしょう。1匹の山羊を犠牲にして羊の群れを守るのは人間の知恵だったのでしょう。そんな生贄の習慣は農業国日本では少し変わった形になりました。狼は大自然です。狼の前の人間と同じように大自然の前では人間は弱い存在でした。洪水が起これば田圃は壊滅してしまいます。干ばつが続けば稲は枯れてしまいます。大自然に優しくしてもらう為に人間は生きた人間を生贄にしました。出雲の八岐大蛇.伝説も生贄の娘(櫛名田姫)を救う話ですし、古墳で発掘される埴輪や秦の始皇帝の兵馬俑も元々は生贄の習慣を改めたモノだったことでしょう。
今年の春に埼玉県幸手の権現堤の桜を観に行きました。
これは埼玉県(栃木県との境)幸手にある権現堤です。桜堤防の中の水門を見下ろす位置に巡礼親子の塚が祀られています。次に書きましたhttp://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49242783.html
美しい千本桜の堤に人身御供の塚が祀られていました。
江戸時代初期に江戸の町を水害から守るために荒川の付け替えを行い権現堤を築造したのでした。荒川と渡良瀬川が接近する一帯に巨大な堤を作って灌漑池にしたのです。灌漑池は洪水対策の調整池にもなります。堤の南の農民は自分の生活を守ってくれる堤でしたから張り切って築堤工事をしたことでしょう。でも堤の北の農民は田畑が水底に沈んでしまう事になります。不条理な工事をする気になりません。工事が計画通りに進捗しない理由を神意と判断します。そして神に人身御供を出すことに決めます。人身御供を出すことで村の結束が強くなり安定するからです。
此処までは各地である話です。問題は誰を人身御供にするかと云う事です。此処は日光街道も近いし秩父霊場の通り道でもあります。偶々母娘の巡礼が通り過ぎようとしていました。農民はあの親子を人柱に立てようと決めます。親子の命は堤の水門に消えてしまいました。築堤工事は無事に竣工します。しかし、農民は自分達の行為の罪深さに懺悔します。そこで桜に埋もれるような位置に塚を作って慰霊したのでした。
週刊文春の舛添要一都知事告発第二弾5月8日号)一度火がついてしまうと世論は燃え尽きるまでヒートアップしてしまいます。余りのセコいところが庶民感覚である事が悲しい事実です。
【現代の大神/神は世論です】
新約聖書の時代生贄は狼に奉げられました。近世は大自然に人身御供は奉げられました。何れも牧畜共同体や村落共同体の括りを強くする行為でした。人身御供を出すことで共同体の結束はより固くなり困難を克服できたのでした。では現代は狼や大自然の位置にあるモノは世論です。現代人は世論の前では風に舞う木の葉の様な存在です。抵抗しても無益です吹く風に身を任せるより仕方ありません。
人間は制御不能なモノには素直に従います。かの白河天皇もサイコロの目は制御不能なので従いました。序に云えば比叡山延暦寺の神輿も制御不能だと思いました。何しろ神輿は日吉の神の乗り物でしたから。サッカーでコイントスをして始まるのもコインの裏表が制御不能だから従うのです。
舛添要一さんもみっともない言い訳は止めて世論に従って真実を吐露して辞職をするべきでしょう。
日本の社会が安定して行くためには時々生贄を出して庶民(現代なら下層国民)の鬱憤をガス抜きしてゆく必要があるのです。先日託児所で断られたお母さんが「日本潰れろ」呟いてツイッタ―で炎上しました。
図書館では貧乏対策コーナーが特集されています。
図書館の「貧困対策コーナー」。日本社会が危機的状況にあることを如実に示しています。これから日本社会は大金持ちと貧困の二層を抱えて如何漂流してゆくのでしょうか?心配です。
日本社会はかってないほど不満が鬱積していて病的というか不安定なのです。フランスやベルギーのようにテロリストを排出する素地は充分です。ソロソロ生贄を必要にしているようです。権現堤のように生贄を出さないと1億総中流総活躍社会は実現できそうにありません。
世論を味方にすればトランプ氏のように勝組になれます。世論に逆らえば負け組です。
今は風上にいるのか風下に居るのか自分の立ち位置を客観視すればどうすべきか明らかです。世論は都知事の交代させ信頼できる人物にオリンピックの表舞台に立って欲しいと期待しています。
国立競技場のデザインやシンボルマークをチェンジしたのも世論でした。国民は信なき都知事を押し立ててオリンピックをしたいとは思っていません。
ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
応援クリックお願いします。
↓