昨日からワイフは張り切っています。
今日23日はワイフの友人の一人が大臣に就任したので「お祝会」を催すというのに、病院に行って初産を終えた親子を引き取って来るという大仕事が予定されているのです。
我家にとっては長男に二人子供が居ますが、二人とも嫁の実家で新生児期を過しましたがお婆ちゃんにとっては「内孫」と云った感覚は無くて、娘が産んだ子こそ「内孫」のようです。
孫の内・外の区別は新生児期を何処で過したかに依るのかもしれません。
ワイフは3週間は居て欲しいようですが、娘は早くアパートに戻りたいようです。
昨日は雨の中にも拘らず家を掃除して新しいエプロンを買ってきました。新しいエプロンで内孫を抱きたいようです。
もうお婆ちゃんですが可愛いモノです。
ところで、私は毎週金曜日はデーサービスに出かけますのでワイフは一人で産院に迎えに行きます。
雨が降っていますが。左手も良くなってきているので傘をさして行けます。
私の通っているデーサービスは小さな施設で家庭的な雰囲気が良い所です。
施設の名は「南横浜マナーハウス」と云います。
マナーハウスの居心地の良さはワイフが良く承知しています。
これが英国の湖北地方のマナーハウス。騎士の家を民泊の用に活用したもの、人気の理由は英国のおもてなしのマナー(中世の倫理観が生きている)に接する事が理由です。私の通っているデーサービスはケアの精神にマナーを手本にしているのです。
イギリスの湖北地方にある民泊施設をマナーハウスと呼びます。
中世騎士の邸宅を宿泊施設に転用したものですが。手入れの行き届いたイングリッシュガーデン、何百年もの時を経て受け継がれてきたアンティークの空間の中で、優雅な時間が過ごせるようです。
騎士が旅人に寄り添って泊まらせたように施設では利用者に憩いの空間とサービスを提供しています。
スタッフ(介護士とは言いません)。スタッフも利用者同士も家族のような関係にあります。
と云っても利用者の多くは私のように脳梗塞患者です。
脳梗塞患者は「切れやすい」「怒りポイ」等の症状が在ります。
時に利用者が突然怒り出して大声を発し気まずい雰囲気にもなりますし。"i帰りたい帰りたい”と云い出してスタッフを困らせる利用者も居ます。
利用者仲間は顔見知りですから突然に休むと他の利用者が気使いします。
「膝の水を抜くために入院しました来週は来られますよ!」なんて聞いて安堵します。
私が毎月描いている献立ボードの絵も家族的雰囲気の醸成に役立っていると思います。
これがランチの献立ボードですこの絵が筆者の作品で毎月差し替えて居ます。昨年10月から始めて1年になりますこのチャンスを戴いたので私も他の利用者と仲良くなれましたしお絵かきや短歌作りで脳内が活性化されていると思っています。何よりも12枚もの絵が手許に残りました。
利用者にとっては「患者扱いされるのは耐えがたいモノです。一方健常者として扱ってもらうと「その気になって」張り合いが出ます。私も左手が不自由でしたから着替えを手伝って貰っていたのでしたが、何時の間にか自分で着替えが出来る様になれました。
利用者同士が交流する事も楽しみの一つです。
勿論学校と同じように挨拶とバイタルチェックから始まります。利用者相互にバイタルを記憶してしまいます。バイタルのデータが悪ければお互いに気遣います。悪ければお風呂に入れませんせん。
体操をしてもお互いを観察します。お互いの状況が良く解ります。
利用者は他の利用者の存在が励みにもなります。
小学校の教室と似たようなモノです。
そんな中で其処に居るだけで励みになsる超お婆ちゃんが居ます。
半年前までは某大手の施設から移って来られたお婆ちゃんで。満百三歳になられます。
最初の頃はランチになると「お代は払っていない!のに食べて良いの?心配で心配でしょうが無いようでしたが。もうご家族が払われていられる事で納得されたようでその言葉も聞かれなくなりました。
超お婆ちゃんが何時もの席に座っているだけで私には励みになります。後30年も活きられるのだ思うだけで元気になれます。
私は百三歳に倉田百三を想い出します。武者小路実篤と一緒に「美しい村運動」に尽力した人です。美しい村はまるで「マナーハウス」のようなモノです。日本中が高齢化を運命づけられています。今春三春の桜を巡っていた時思いました。大震災は災いでしたがこれをきっかけに忘れていたモノを想い出して日本中が美しい村になるような期待と予感を抱きました。
これは今春廻った三春の初恋桜(田植え桜)です震災後寄り添う姿に「美しき村」を想い出しました。この時のブログはつぎです。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49287185.html
私が親鸞を知ったのは倉田百三の「出家とその弟子」を読んだ時でした。
感動した私は直ぐに「歎異抄」と「愛と認識への出発を読み次には亀井勝一郎を愛読しました。
百三に何か特別の意味があるのか?思いながら二百三高地も調べましたが、倉田百三の名が何故百三と付いたのか未だ解りません今度真宗のお坊さんに訊いてみる事にしましょう。
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