奈良のスターバックスで気付きました。紙コップについている絵は人魚に違いない、それもグラマーで尾鰭が二つも在る人魚です。
此れがスターバックスの商標の人魚です。
処で高校の数学の授業(ベクトル)で三次元の説明を受けました。
ゼロ次元とは方向の無い世界です。「点」に生きる蟻地獄や油虫はゼロ次元の生物でしょう。
1次元とは空間で線だけの世界です。(上下か左右しかありません屹度「蟻」は1次元世界で生きているのでしょう)
2次元とは面のある世界です (上下と前後だけの世界) ですから、マリオの世界のようなイメージです。蛇も百足も二次元世界で生きています。
3次元とはが立体のある世界です人間や鳥は三次元世界で生きています。
1次元とは空間で線だけの世界です。(上下か左右しかありません屹度「蟻」は1次元世界で生きているのでしょう)
2次元とは面のある世界です (上下と前後だけの世界) ですから、マリオの世界のようなイメージです。蛇も百足も二次元世界で生きています。
3次元とはが立体のある世界です人間や鳥は三次元世界で生きています。
では4次元世界とは何でしょうか?
授業では「4次元とは時間の制限の無い世界」と教わりました。SFの「タイム・マシン」が該当します。
昔の人4次元の世界を妄想したのでしょう。御伽草子の「浦島太郎」や「八百比丘尼/やおびくに」伝説がそれです。
此れは若狭小浜の博物館で展示された八百比丘尼像写真出典毎日新聞https://mainichi.jp/articles/20170503/ddl/k18/040/207000c何故か八百比丘尼伝説は北陸地方に多いのです。何処も洞窟がある事椿の杜が自生していること等共通しています。白山信仰(熊野信仰の兄弟社)の地盤です
此れは箱根の精進池の池畔にある八百比丘尼の墓と言い伝えられている宝篋印塔の基壇です。精進池は魚が棲まない死の池です。そのイメージが八百比丘尼の伝説を生んだのでしょう。
人魚の肉を食べて、永遠に命があって永遠に美しく在ったために苦しんで洞窟に入って自害したのが八百比丘尼の最期です。四苦(生老病死)は人間である事から避けられない苦しみでありますが、八百比丘尼は「死ねない、老いない」事に耐えられずに自害します。そして竜宮城で快楽を貪んだ浦島太郎は乙姫から預かった「玉手箱」を開けた事から封じ込められていた歳月が煙になって時間が早送りされて老死してしまいます。
人魚の肉を食べて、永遠に命があって永遠に美しく在ったために苦しんで洞窟に入って自害したのが八百比丘尼の最期です。四苦(生老病死)は人間である事から避けられない苦しみでありますが、八百比丘尼は「死ねない、老いない」事に耐えられずに自害します。そして竜宮城で快楽を貪んだ浦島太郎は乙姫から預かった「玉手箱」を開けた事から封じ込められていた歳月が煙になって時間が早送りされて老死してしまいます。
此れはボロボドール遺跡の須弥壇の四方に刻まれた四門遊観図の一つ、釈迦(中央右)は王城の西門を出ると死者(左端)を観る。これ以前に北門を出た処で出家修行者を観て、南門を出て病人を観て、東門を出て杖にすがる老人を見ている、この観察を経て出家する事を決意します。四門遊観図は次に詳しいhttp://borobudur.travel.coocan.jp/firstmainwallrelief.html
どちらの話も「欲望の儘に長生きするのは惨く、」「歳月を生きて、時期が来たら満足して死を受け入れるのが幸福である」と教えています。お釈迦様も四苦の認識から王城を出て悟ったものの、永遠の命を受けた訳でも無く弟子や動物に見送られて一般の生命と同じく三次元世界で終焉します。人間の幸福は「欲望の儘に長生きする事では無くて、隣人や生物に見守られて満足して死路に旅立つ事」なのでしょう。
これは法隆寺五重塔の一層北面涅槃像土像 国宝 奈良時代(711年)写真出典法隆寺
スタバが何故人魚を商標にしたのか訳は知りま私の学生時代はアップルもマックも青息吐息の企業でした。ところがIPaDを開発し、IPhоneで市場を開発すると状況は一変し時価総額世界一の企業になりました。林檎を齧るのは神の教えに背くのですが、あえて大衆の欲望を照準に運営する事で成功したのでした。人類は数千年の歴史の中で欲望を抑える事の知恵を学びました。中世が終えてルネッサンスを迎えて人類は羅針盤を開発して大航海時代に入りました。人間の欲望は先ずセックス(種の保存)と長生きです。大航海時代の欲望を象徴したのが美しい人魚でした。だからルネッサンス時代の人魚はどれも官能的です。ローレライだけは中世的で”欲望に身を任せると破滅する”と警句を発しています。
此れは立山の民俗博物館のポスターです。立山は山自体が阿弥陀浄土であると同時に山麓には地獄の景色も併せ持っています。修験者の住居であった芦峅寺(あしくらじ)は修験者の宿坊でもありました。ポスターの上半分は布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)の模様で、閻魔大王の前から芦峅寺まで晒しの布を辿って死から生まれ変わると説いています。
処で9月1日には越中八尾に「風の盆」を仲間24人で観に行く予定です。旅行前に調べていると、立山の阿弥陀信仰は越前白山の観音信仰の影響を色濃く受けています。双方とも熊野修験道の地方発展で。義経は羽黒修験に身を変えて身を隠しました越中八尾を私達は「やお」と呼んでいますが当地の人は「やつお」と呼んでいました。漢字は別にしても口語では「やお」です。八百比丘尼の「やお」です。八百比丘尼伝説の発祥は若狭小浜で伝説の地は越前海岸から越中の海岸に集中しています。椿の自生地が在って海岸洞穴が在ると大概が八百比丘尼の入定地です。近くには勾玉石の産出地「翡翠海岸」もあります。海岸洞穴が入定地なら翡翠海岸は誕生地です。要するに越中八尾は八百比丘尼の「八百」ではないのか思いついたのです。
「八尾」と云えば中小企業が集積する東大阪の八尾を想い出しますが「八百」と書けば全国各地にあります。
八百の地名をスポットして行くとその過半が水銀の産出地なのです。水銀は古墳に遺体を腐食させない無機金属です。立山を水源にする神通川は河口住民に「イタイイタイ病」を発症させました。イタイイタイ病は第二の水俣病でした。地名は言葉の呪性や重みを伝えています。漢字に囚われてしまうと日本人の呪術性を見失ってしまいます。