「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
トンネルの名は上越線の「清水トンネル」でした。
東海道線を東京から出発するとずっと平地を走ります。
保土ヶ谷駅を通過すると坂道が続きます。
そして武蔵野国と相模国の国境のトンネルを抜けます。
名前は「清水谷戸トンネル」
明治20年に開通した、現役最古の鉄道トンネルです。
道路の方はこの国境に向けて権田坂を登ります。
箱根駅伝2区の名物になっています。
(明治20年開通した現役最古の清水谷戸トンネル/左側。北天院の山を刳り貫いています)
私は川上町の熊野神社から、信濃町の「北天院」に向います。
この古刹は国境の山の上にあります。
山の東を「清水谷戸トンネル」が西を横須賀線の「信濃トンネル」が貫通しています。
左右を線路が通っているわけで・・・・「騒がしくないかな・・・・?」
気がかりです。
建長寺を創建した蘭渓道隆が逝くと、北条時宗は無学祖元を明州から迎えます。
無学祖元は北天院に草鞋を脱いだ、と伝えられます。
諡は仏光国師、円覚寺を創建します。
円覚寺は山門下を横須賀線が通って、白鷺池を分断されてしまいます。
あの世で仏光国師は呟いておいででしょう。
「明治政府鉄道省は私の寺を目の敵にしているようだ・・・」と。
(北天院の長い石段、踊り場が幾つもあって、石仏が迎えてくれます)
北天院の本堂には、真直ぐで長い石段を登らなくてはなりません。
石段は竹林の中です。
石段の中途踊り場が用意されています。
私達は此処で一休み、石段の下を眺め、山門の屋根を見上げます。
竹林の間に山桜の大木が混じっています。
そして、足元を見れば、石仏が佇んでいます。
私の今日の目的はこの中の一体で、「双体の道祖神様」です。
頭を丸めて、僧衣を着た道祖神様で、大切に祀られていました。
(珍しい、馬上の馬頭観音像)
その横の石仏に眼を奪われます。
一体は馬頭観音です。
でも、馬の背に乗っておいでです。
馬上の馬頭観音、滅多に見たことはありません。
そして、もう一体は子安地蔵さんです。
四角い基台の上に乗っておいでです。
(左から馬頭観音、一基おいて庚申塔、双体道祖神、そして今日の話題の子安地蔵尊)
お地蔵さんは男性と思っています。
特段根拠は無いのですが・・・・・、
子安地蔵さんは右手に錫杖を持ち、左手で乳児を抱きかかえておいでの事が多いようです。
端正なお顔で正面を向いておいでです。
拝む人に「私は子供を三途の川で守っていますから安心なさい・・・」そんな姿が一般です。
ところがこのお地蔵さんは抱えた乳児を愛しんで、お顔を左に傾けて乳児を覗き込んでいます。
まるで「母親の表情」です。
お顔を曲げていますので、バランスが崩れてしまいます。
そこで、真直ぐな筈の錫杖の先端も曲げてしまいました。
ああ、このお地蔵さんは母親なのだ・・・・、思います。
(母の面影のお地蔵様。こんなにお顔を傾けているのは珍しい)
私は基台を見てみます。
正面には子安地蔵を奉納する4つの願文が刻まれています。
そして、その側面には願主のお名前等が刻まれていました。
文化2年(1805)2月吉日に明仙禅尼さんが立てられた事が解ります。
乳児が両手で持っているものがあります。
玩具ではありません。
本来お地蔵さんが右手に持っているはずの「如意宝珠」を、乳児が預かっているのです。
如意宝珠は「衆生の願い事を想いのままに実現させてくれる珠」です。
願主はお名前からすると、明るくて仙人のように欲の無い人だったのでしょう。
その人が、大きな子安地蔵さんを作って、北天院に奉納しました。
コツコツ貯めたお金を払って、「母親のようなお地蔵さんが良いの・・・・」
石工に注文したのでしょう。
母親とは自分の事か・・・・?
ならば、右手の乳児は早世した子供という事でしょう。
でも、如意宝珠を奉げた乳児が早死にする筈はありません。
ならば、母親は自分の親、乳児は自分自身という事でしょう。
昔は母親が難産で、出産後の日経てが悪く、亡くなることは度々あったことでした。
「死に別れ・・・」であります。
娘は母親の愛を感謝して育ち、明るい禅尼になられました。
母への報恩の想いがこの子安地蔵を奉納させた・・・考えたいと思います。
あくまで、私の想像ですが・・・。
小法師像
子安地蔵さんで一息ついて、また石段を登ります。
次の踊り場には「小法師像」が二体置かれています。
可愛い、こけしのような童子のお地蔵さんです。
流石に北天院の伽藍は禅堂らしい、凛とした清々しい佇まいです。
本堂の右奥に向います。
丁度トンネルの上になるでしょうか。
無縁の仏様が並んでおいでです。
竹林と椿と山桜の木の下です。
ご住職の作為でしょう・・・・。
童女の墓標塔が並んでいます。
大半がお地蔵様です。
後列にはお母様方が並んでおいでです。
大半が如意輪観音様です。
親爺の墓標は無いのかな・・・・?
私は石仏の光背に刻まれた戒名に目を走らせます。
でも、殆どが子供と女性の墓標のようです。
石仏の右に戒名、左に往年が刻まれています。わざわざ「早世」と刻まれているものもあります。
北天院は尼寺だったのかな?
思ったりします。
今年は桜が遅いようです。
明日は小学校の入学式、
週末が桜の見頃になるでしょう。
この女達の墓地は山桜の木の下・・・・、
薄幸な女達が集まって、お花見に興じる事でしょう。
ワンカップの日本酒を持って入山したら・・・・、
女性には歓迎されても、ご住職に叱られるかもしれません。
山桜の古木の下で無縁の仏達は眠っておいでです
北天院、本堂から山門を見下ろす。堂塔の甍の並びが禅寺らしい佇まいです
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