南方熊楠の遺言は「死んだら故郷の神島に散骨して欲しい」
だったそうです。
そして、死の直前に「紫の花が見える」呟いたそうです。
それは、栴檀の花であろう、一般に言われています。
(江戸小紋のような栴檀の花、今が見頃です)
奈良時代から、熊野地方は「死と再生の聖地」として信仰されていました。
熊野は無数の生物が生育し、死んで、直ぐに蘇生・・・します。
古代人も熊野には生命の神秘を強く感じたのでしょう。
またさまざまな伝説、伝承が息づく地でもありました。
熊楠は誕生の地熊野に愛着と畏敬の念を深くもっていました。
そこで、熊野の伝承を筆録し、自然を観察し続けました。
死に直面しても、心は故郷の野山を逍遙していたのでしょう。
死の床に伏しても瞼には映っていたのでしょう。
雨上がりの空に、栴檀の花が咲いて、無数の揚羽蝶が集まってきています。
薫風が吹いて、木漏れ日が差し込んできます。
自然は熊楠に底無しに優しかったと思われます。
(栴檀の花に遊ぶ青筋揚羽蝶/鎌倉本覚寺にて)
私が栴檀の木に興味を持ったのは、ブログ友達「木漏れ日緑岸さん」の記事に栴檀が載っていたからでした。
記事を読んで、早速雪ノ下の御宅を往訪しました。
お隣の鏑木清方美術館から塀越しに栴檀の巨木を見上げました。
その美しさに魅了されました。
以来この木を探し回り、鎌倉にも横浜にも相当数あることを知りました。
大きなのは金沢文庫称名寺の境内、三渓園の内苑、そして鎌倉大町に本覚寺です。
中でも最も樹形が良いのは本覚寺境内の栴檀です。
(本覚寺 正面恵比須堂前の栴檀の木、左手は人形塚)
平安時代末期、大きな社会変革を迎えます。
貴族が没落し、武士が台頭、うねりは中世に向います。
人々は自分個人を助けてくれる「念持仏」を拝みます。
仏像は白檀の木を刻みます。
芳香が枕元を漂ってくれました。
そして、熊野を詣でてさらに海中に沈んでゆきます。
熊野の海には浄土があると信じていました。(補陀落浄土)
そして、再生する事を確信していたのでした。
「栴檀は双葉より芳し」
と言われます。
「栴檀の木は双葉の時から芳香がする、人も同じで・・・・・・」
そんな意味でしょう。
試しに栴檀の葉を揉んでみました。
芳香は全くありません。青臭さも無く、さわやかなものです。
この慣用句は実は白檀で、栴檀ではないそうです。
花札の「梅に鶯」の鶯は「メジロ」だったようなものでしょう。
メジロは姿は良いが、鳴き声がイマイチ。
一方、鶯は鳴き声は素晴らしいのに、姿がダメ、なのです。
本当は白檀なのに、栴檀と言ったのは栴檀の方が姿が良かったからでしょう。
(本覚寺、栴檀に舞う青筋揚羽蝶)
栴檀の花には沢山の青筋揚羽蝶が舞っていました。
青虫がこの葉っぱを好むからでしょう。
もうじき、蝉時雨が聞かれることでしょう。
栴檀の幹は蝉さんにとっても大好物なのです。
そして、蝋質の実がなって、ムクドリの大群を集めます。
栴檀は無数の動物を引き寄せています。
熊楠はそんな栴檀の木を承知していました。
ですから、幼児の時から死ぬまで、栴檀の木の下で過ごして居たのでしょう。
(本覚寺本堂、手前が栴檀の梢)
(栴檀に似合う青筋揚羽蝶 野草はハルジオン)
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