慶応大学日本文化研究会のセミナー会場で、挨拶しました。
”私は今日、午前中は横浜の赤レンガ倉庫で行われている「オクトーバー・フェスト」を見てきました。
5月なのにオクトーバー・フェストと言うのは、ビール祭りで盛り上げたい・・・、本音でしょう。
横浜は日本で最初にビールが醸造され、ビアーホールも最初に出来ました・・・・”
挨拶したところ、札幌ビールの社外役員をされているT氏から、異論が挟まれました。
”日本で最初にビールを醸造したのには・・・、諸説あるようですよ!”
2棟の赤レンガ倉庫の周囲はビアホール(ガーデン)になって、午前中から大盛況です。
横浜市民は「横浜こそビール発祥の地」だから・・・、
GWにはビール祭りで、仲間とワイワイ・ガヤガヤ盛り上げたいもんだ・・・・、
そんな、「町おこし」の企画なのでしょう。
今年は赤レンガ倉庫が商業施設として再開発・オープンして10年目になります。
横浜市が編纂した「横浜市史稿」によると、横浜がビール工場発祥の地になっています。
元町公園の正面横の細道を下って行くと「キリン公園」に出ます。
此処にローゼンフェルトが「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」を1869年(明治2年)に開設したそうです。
外国人居留地に近かったこと、湧水があったこと・・・、等が工場建設の理由だったのでした。
同社がジャパン・ブルワリーに継承され(1885年・明治18年)、岩崎弥之助の出資を得て、
キリンビールになりました。
横浜元町・山手46番にあったキリンビール。(横浜史稿)
現在はその一部がキリン公園となり、碑文が立っています。
【主たるビール発祥の地】
長崎説
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1812年(文化9)長崎出島でオランダ商館長ヘンデリック・ドゥーフが醸造した。
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横浜説
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1869年(明治2)横浜山手の外国人居留地(山手46番)で「ジャパン・ブルーワリー」が創設された。(キリンビールの前身)
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品川説
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1869年(明治2)品川にあった土佐藩藩邸(品川区大井3丁目)で古賀一平が醸造した。
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大阪説
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1872年(明治5年)大阪で渋谷庄三郎が「渋谷ビール」を販売した。(アサヒビールの前身)
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札幌説
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1876年(明治9年)中川清兵衛を中心に、北海道開拓使札幌麦酒醸造所が設立された。同社が大倉組に払い下げられ、1888年「札幌麦酒会社」が設立された。
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ビールもドブロクも原材料が違うだけ(?)
どちらも家庭でも出来たでしょうから・・・・、
「ビール発祥の地」論争は、工場や生産規模、一般販売の概念次第では様々な意見があって然るべきでしょう。
特に初夏が近づいた5月に冷たいビールを飲むのは最高です。
赤レンガ倉庫のビアホールは午前中から満席の盛況です。
フランクフルトからやって来たという男たちが「アイン、プロジット」を歌います。
「さぁ・乾杯だ」、ビアホールは一層盛り上がって、ジョッキーを飲み干すピッチが上がります。
私は、今日は一人ですし、先日の喀血で酒は禁止されていますので・・・、横目で眺めるだけです。
盛り上がるビアホール(ガーデン)会場。本場ミュンヘンの銘柄と、ドイツ料理、ドイツの歌が流れます。
何処か「芋煮会」のような、誰でも仲良くなれる雰囲気があります。正面のタワーは旧税関ビルで、現在 は税関業務の案内や歴史資料を展示しています。横浜市民は親しみを込めてクィーンと呼びます。
みなとみらいホールで音楽会が夜7時からありました。
私は久々の音楽会の興奮もあって、赤レンガ倉庫に向かいました。
夜9時、一日中賑わったビアホールも閉店の時間です。
蛍の光が流れて、係員が閉店を告げても、お客さんは帰ろうとしません。
若い人にとっては未だ9時は宵の口なのでしょう。
「これから、渋谷に出ようよ!」
「中華街の方が良いよ!」
意見が纏まらないようです。
合意しているのは、”もっともっと、遊びたい・・・”
そんな気持ちのようです。
夜のみなとみらい、左が「みなとみらいホール」、右がパシフィコ横浜(展示場)
赤レンガの脇からみなとみらいの中心街区、ランドマーク等を見る。
赤レンガ倉庫は元々は税関の保税倉庫・・・、
誰の目にも止まらなかったものが、今では横浜最高の人気スポットです。
税関ビルだった「横浜クィーン」の塔屋の遥か上に月が登っています。
お月様も「朧月夜」ならず、ほろ酔い加減のようです。
うつつに、赤レンガ倉庫の賑わいを眺めているようでした。
ビアホール閉店後帰路につく人もいますが、大半は余韻を楽しんでいるようで、会場を出ようとしません。
(通路左の人波がビアホールです)月が朧でした。
美しい煉瓦積み、窓の上部がアーチ状になっています。妻木頼黄(第二世代建築家,大蔵省を核に官庁建 築を多く残した)はパリ万博を見て帰ります。
そして概して無機質な近代建築が増える中で、新しい建築デザインを評価します。
アールヌーボーとかアールデコのデザイン主張がそれでした。
アールヌーボーとかアールデコのデザイン主張がそれでした。
赤レンガ倉庫が単なる保税倉庫で無く、20世紀の先駆けになるデザインになったのでした。
赤レンガ倉庫は明治44年竣工、今年で101歳ですが、レンガ積みの歪みは全く無く、素晴らしい状態です。
首都高速は未だ50年、痛みが激しく再建築が問題になっているのに・・・・、
明治の職人の自慢話が聞こえてくるようです。
職人達はビアホールを見て言う事でしょう。
”ワッチが作った倉庫に、こうして人が集まってビール祭りで盛り上がって・・・、嬉しいじゃないですか。
ついでに、一杯ワッチにおごって呉れないかな・・・・!”
ビアホールはGWのあいだでお終いでしょう。
是非、お出かけください。