お釈迦様は男女の差別をしませんでした。
でも、中国を経て日本に伝わった仏教は、男女の差別をしていました。
”女性は生来五つもの障害があるので成仏(悟ること)出来ない”と説きます。
ですから、比丘尼の守らなければならない戒律は比丘の戒律よりも数倍厳しいものがありました。
”女性とて成仏出来る・・・”
根拠を法華経に求め、女性は一度男性にチェンジして、成仏する(変性成仏・龍女成仏)と説きました。
鎌倉新仏教の親鸞、道元日蓮等は”女性蔑視”との戦いでもありました。
女性が女性のまま成仏できる・・・・、最初に説いたのは日蓮上人でしょう。
今日の話題は箱根芦之湯「東光庵」の羅漢像。
女性と思われる羅漢が多く、女性蔑視の考えが吹き飛んでいます。
目黒の五百羅漢には赤子を抱いた女性の羅漢像もあります。
ですから・・・、江戸時代には、羅漢には男女の区別がなかった事と想像します。
修行さえ積めば女性も悟ることができて、羅漢になれる、一般的に考えられたのでしょう。
でも、五百羅漢でさえ大半の羅漢像は男性です。
”女性羅漢も居ないだろうか・・・” 探してようやく見つかります。
安藤広重作、箱根芦之湯
明治の芦之湯「紀伊国屋旅館」(紀伊国屋ギャラリー)。右奥が東光庵のある熊野神社
江戸時代箱根は湯治場として人気が盛り上がります。
湯の坂道沿いに「箱根七湯」が連なり、江戸から様々な人が湯治に遣って来ます。
海に近い箱根湯本から、箱根駒ヶ岳の山麓にある芦之湯まで続きました。
最も栄えたのが「芦之湯温泉」で、松坂屋、紀伊国屋二軒の旅館が競って集客しました。
紀伊国屋旅館の門前には「明治天皇・皇后陛下がご静養された」記念碑が立っています。
何でも、芦之湯の湯元の大涌谷は地獄谷とか地獄湯とか呼ばれていたのだそうです。
天皇が使われるお湯が「地獄湯」では問題がある・・・、というので「大涌谷」と改名されました。
紀伊国屋の門前には「箱根八里」の碑が立っています。
滝廉太郎は紀伊国屋で作曲したのだそうです。
また、松坂屋のお庭には「西郷隆盛・木戸孝允密談の碑」もあります。
明治までは最も栄えた温泉だったのでしょう。
今は寂れてしまって・・・、心配です。
正面が駒ヶ岳、池は精進池。池の上段、右上に温泉の出る葦の原があって、
そこを干拓して芦之湯温泉になりました。
松坂屋の裏の高台に熊野神社が祀られています。
松坂万右エ門は湿地で葦の原であった一帯を干拓します。
そして「芦之湯温泉・松坂屋」を開店します。(1622年)
その境内に松坂屋の六代目「萬右衛門賢宣」は「東光庵」という名のサロンを建築します。
大磯の鴫立庵の箱根版のような建物です。(鴫立庵より大きいが)
湯治客とて朝から晩までお風呂に入っているだけではふやけてしまいます。
空いた時間は箱根神社に詣で、地獄石仏群や地獄谷を物見遊山し、
サロン「東光庵」に立ち寄れば、囲碁や将棋そして俳句や連歌を楽しめたのでしょう。
箱根の東光庵。1871(明治4)年に火災を出し、1882(明治15)年に廃庵となりましたが、発掘 調査や文献資料に基づき平成13年(2001)に復元されました。
現庵主は中曽根康弘元首相です。
芦之湯温泉の浮世絵は安藤広重が描いてくれました。
江戸から有名な文人がやって来て(招いて?)・・・、
芦之湯の名を有名にしてくれました。
芭蕉(1644~1694)、賀茂真淵(1697~1769)、本居宣長(1730〜1801)、狂歌師・蜀山人(大田南畝/1749~1823)、国学者・清水浜臣(1776~1824)等が逗留し、作品を東光庵に残しました。
(芭蕉が逗留したかは不確かですが、芭蕉門下の句会は盛んに行われました。大磯鴫立庵と 共存・共栄でした)
逗留と定めて旅の月見かな(祖友)の句碑。右の羅鑑像も比丘尼風です。
しばらくは花の上なる月夜哉 貞亨5年(1688年)芭蕉45歳の句。
文化12年(1815年)、大磯鴫立庵遠藤雉啄建立。
庵主中曽根康弘さんの句碑。 最も優れている・・・、感服します。
東光庵は駒ヶ岳の山麓にあります。
その土手に十六羅漢像が置かれています。
どの像も十六羅漢の一体ですが、表情を見れば文人風で、句作に黙考している風です。
筆を取って、練られた作品を記そうとしている人もいます。
私が関心を持つのは、半分以上が女性であることです。
東光庵や芦之湯温泉に逗留したお客さんの半分は女性だった・・・、推測させてくれます。
十六羅漢像の全容
中国で作られたお経は大半が「偽経」と言われています。
漢代や唐代において盛んにお経が作られました。
中国の常識や社会体制に沿った、男性優位、女性蔑視の視点でつくられたものです。
それが、日本に伝わって・・・、”ありがたい、尊いお経だ”と尊ばれます。
でも、内容は理解しません。
女性蔑視の思想を克服するのでも無く・・・、
江戸時代には男女差別が無意味であることを理解していたのではないでしょうか。
東光庵の十六羅鑑像を見ていると、そう思います。
江戸時代に初頭には女人禁制の霊山や修験の聖地が次々に解放されます。
でも、島原の乱、由井正雪の乱などを経て、急速に閉塞した社会になってしまいます。
あの時に、お相撲の土俵も女性に解放されていれば・・・・、
相撲も、日本の社会も随分変わったものになっていたことでしょう。
音曲を演奏している女性の羅漢像
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