1月21日麻生副首相は終末期医療に関し「私は遺書を書いている。
”チューブ人間にはさせてくれるな、さっさと死んでゆくから”」発言された。
延命治療を否定する発言ともとりかねられない事から・・・・、マスコミの批判を浴びようとすると、
「適当でもない面もあった」コメントを発表された。
世論は粗忽な発言ながら核心を突いている・・・、総じて同感する様子であります。
立春を過ぎると、お寺さんは釈迦涅槃会に入ります。
時宗本山遊行寺には本堂の天蓋を外して、釈迦涅槃図を掛けられました。(2月末まで)
そう、2月15日は釈迦涅槃会です。
2月ばかりは遊行寺のご本尊は「釈迦涅槃図」なのでしょう。
私はこの見事な涅槃図を何度も何度も眺めて・・・・、良く描かれている・・・・、感服しています。
長い間拝んでいるお年寄りもいます。
車椅子を連ねて拝観に来ている・・・・、高齢者医療やグループホームの方も見受けられます。
私は本堂の前で何度も記念写真のシャッターを押しました。
そして、2月15日がお釈迦様の亡くなった日であること、遊行寺さんの今月の標語が「仏恩報謝」であること・・・、立場をわきまえず説明させていただきました。
遊行寺本堂、手前の人はグループホームのみなさん。筆者が乞われて写真のシャッターを押し、立場を越えて釈迦涅槃図の説明をさせていただきました。
キリスト教は”人間の生き方”を導く宗教のようです。
キリスト様の命日は何時だか・・・・、知らない人が殆どです。
でもお生まれになった12月25日(24日は前夜)は誰でもお祝いしますし、
人間の罪を背負って礫刑になられた日はさておき、、
復活された日は”イースター”として大々的にお祝いします。
総じて西洋社会は太陽暦ですが、イースターだけは立春後の最初の満月の週の日曜日・・・・、
と太陰暦に依っているのは不思議です。
一方、仏教は人間の死に方を教える宗教のようです。
釈迦涅槃図は死に方の理想を示しています。
そして、”お釈迦様と同じように良い死に方をしたい”と願い、拝むのです。
釈迦涅槃図は本堂の長押に架けられ、畳の上まで広がっています。
大判の和紙を横にして5枚繋いでいますから・・・・、縦が5m、横が2メートル、の絵です。
これに表装が加えられますので、縦横が6m、3m程度でしょうか。
表装部分には明治24年に4寺が奉納した・・・・・、経緯が書かれていました。
同年は明治天皇は遊行寺に泊られたので・・・・、時宗全体で盛り上がっていたのでしょう。
(大津事件も勃発します)
2月だけは遊行寺のご本尊は釈迦涅槃図です。
中央にはお釈迦様が横たわっておいでです。
頭を北にされて、右腕を手枕にされていられますから、西を向いておいでです。
満たされて大らかな優しいお顔をされています。
両膝を心持折っておいでです。
屹度、西に沈むお日様を見ておいでなのでしょう。
こんな、自然なお姿は日本の釈迦涅槃図の特長で・・・・、
鎌倉時代阿弥陀信仰が一般化して以降に流行りました。
それ以前は中国やタイに多く見られるように、上方を向かれ、膝も伸びたお姿でした。
釈迦涅槃図とすれば、横向きで拝む人を見る様なお姿の方が心に染込むものがあります。
日本の仏画も仏像も拝む人の眼を見る様なお姿で、
語りかける様なお姿で描かれ(作られ)ている事が特長です。
お弟子をはじめ天地総てが慟哭する中、穏やかな表情で涅槃を迎えられるお釈迦様。
この姿が人間の理想です。
お釈迦様の寝台を菩薩、諸弟子、王侯貴族以下の人物が取り囲んでいます。
筆法はゆったりして・・・・、大和絵の伝統に沿っています。
羅漢の嘆きの様や鬼の泣き叫ぶ姿もリアルです。
前面には多数の動物や邪鬼(?)が悲嘆にくれて号泣するさまを克明に描いています。
8本もの沙羅双樹が描かれています。
左の沙羅双樹は葉も緑で、蜜柑のような実もたわわになっています。
右側の沙羅双樹は葉が黄葉してしまっています。
沙羅双樹も嘆き悲しみ・・・・、白化してしまった・・・、お経の内容を絵で表現しているのでしょう。
天下万有みな慟哭に堪えない・・・・、そんな場面です。
悲しみを全身で表現する羅漢様
慟哭する邪鬼や動物たち
天上からはお釈迦様のお母様摩耶夫人たちがお釈迦様をお迎えしよう・・・・、舞い降りて来ています。
私達は、お釈迦様と同じように満たされた心で死の旅に立ちたい・・・・、誰もが願っています。
出来れば家族や友人、庭先の動植物にも見送られたい・・・・、誰もの願いです。
その為には・・・・、慣れ親しんだ自宅で死にたい・・・、思います。
死んだ後の名前(戒名)も自分の好きな名が欲しい・・・、思います。
でも、どれ一つとして思うようには行きません。
それは、死に際に問題があるからです。
釈迦涅槃図(高野山金剛峰寺/平安時代/国宝)鎌倉時代以前の釈迦涅槃図はお釈迦様は天上を向かれ、 膝も真っ直ぐでした。鎌倉時代以降西方に浄土がある…、一般に信仰されたので西向き横臥したお姿になり ました。此方の沙羅双樹2本は悲しみのあまり白化しています。
人が癌を患います。
人間の体は・・・・、穏やかな死に向かって準備を始めます。
癌だって・・・・・・大きくなりすぎれば・・・・、人間と一緒に死ななくてはなりません。
身体は癌もろともに命を絶つ・・・・、シナリオに向かって進む筈です。
ところが、終末期医療は癌細胞を叩こうとあらゆる手を打ちます。
身体は癌もろとも死んでゆこう・・・・、シナリオに狂いが生じます。
痩せ細った体に栄養をつけよう・・・・、ブドウ糖を点滴します。
すると、先ず元気な癌細胞がブドウ糖を吸収し活性化します。
でも、少し遅れて体も元気になります。
栄養分を直接胃に送るのが胃漏です。
その為に胃にはパイプを入れます。
排出させるためにそれ用のパイプを入れます。
リンゲルの為に体腔に溜まった水を抜くパイプも付けます。
パイプ人間に化して・・・、存命医療が施されます。
医療のお蔭で、癌細胞も体も元気になります。
両方が活性化すると・・・・、身体全体が痛み軋んでしまいます。
本来ならば体も癌も両方とも同じような店舗で衰弱して・・・・、死を迎える筈でした。
死に向かう中で、心や能は冴えてきて・・・・、自らの人生を振り返ります。
「平凡だけれど良い人生であった・・・・。自分はささやかな存在だったけれど成功した人生だった。
凡庸であったからこそ・・・その中にお釈迦様に似た人生を送る事が出来た。」
そう思い感謝の念で一杯になります。
すると、生き抜いた事に満足した笑みを表して、死んで行くことが出来るのです。
ところが、終末期医療で、体も癌も体中で活性化してしまいますと、体中が自分自身と癌との戦場になってしまいます。大きな苦痛を伴いますから・・・・、到底穏やかな心で死を迎えられる…、そんな心境はなれません。
「苦しい!痛い!」叫びながらバッタリ息絶えてしまいます。
終末期医療を選択して、人間がお釈迦様のように・・・・、自然に痛み苦しまないで死んで行ける・・・、
そんなシナリオを狂わせてしまうする事が間違いなのでしょう。
釈迦涅槃図の向かって左側にはお釈迦様の一生が描かれています。右側は死後の様子が描かれていま す。この一枚の涅槃図が仏教のすべてを絵解きしているのです。
有史以来仏教も神道も自然に任せるのが一番幸福になる・・・、教えて来ながら
この1世紀の間、医療技術の進歩の中で・・・・、人間の死に方を忘れさせてしまいました。
少しでも長く生きたい、少しでも長い間生かせたい…、願うばかりに苦痛を大きくさせ、死ぬ心の準備をさせないでいると思われます。
医療の進歩は医者の役目です。
医者に咎はありません。
「死に方」を教えない宗教に問題があるように思います。
死に方は自分自身で選択すべきです。
西行法師のように、自分の描いた死に方をすべきです。(※1)
麻生副首相の発言は至極ごもっともでありましょう。
何も財政負担を軽くする目的ではなく・・・、人間の死に方を教える発言と思われます。
お寺さんも、お葬式前の「死に方」をもっと教える事が重要ではないでしょうか。
2月15日、私の好きな遊行寺の涅槃会で、どんな説法が聞かれるか今から楽しみです。
私は今日(2月12日)は胃癌の2か月検診です。予約は9時半、その前に腹部エコーがあります。
ブログの校正は帰宅後にする事にして・・・、拙速ですがこのまま立ち上げます。
※1:西行法師は自身の理想とする死に方を次のように歌いました。
「願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃」
「如月の望月」とは釈迦涅槃と一致します。太陰暦の2月の満月は太陽暦の3月20日過ぎですか ら、桜の咲く季節になります。涅槃会の頃、満開の桜の樹下で、満月の頃に死にたいなあ!理想 を述べて、その通りに亡くなりました。日本人に深い感銘を残しています。