百日紅の花が町に目立ってきました。
朱色の花は盆入りに咲き始め暑い最中から彼岸の中日辺りまで、長い間咲き続けます。
百日も赤い花が咲き続けるので、百日紅の漢字を与えたのでしょう。
「日本人は”さるすべり”、”猿滑”」と呼んでいます。
樹皮を見ればツルツルなので猿滑、花を見れば長く咲き続けるので百日紅です。
(今年は百日紅も当たり年、先ずは小町辻の本覚寺さんから。此処が鎌倉の咲き始めになります)
私の生家にも百日紅の古木が咲いていました。
その木の根元に茣蓙を敷いて、近所の子供と「おままごと」をして遊びました。
女の子が用意した小さなお茶碗に百日紅の花を山盛りにします。
「はい、お父さん、今日はお赤飯ですよ・・・・」
「今日は何のお目出度だったか・・・・?」
百日紅の花は落花しても腐る事も無く、赤いままです。
学生時代、古美術の友人と、京都に何度も旅行しました。
地蔵盆の頃でした。
南禅寺から永観堂に、汗を拭き吹き廻りました。
京都の暑さは尋常ではありません。
枯山水の砂の上に、庭の緑苔の上に真っ赤な花が散って、それは綺麗でした。
「何で、京都の百日紅は美しいのだろう?」思ったものでした。
(百日紅の樹下をママチャリで急ぐお母さん)
今年の夏の暑さは異常です。
毎日のように「熱中症で死亡した」報道されています。
それでなくても、老人は夏の暑さ、冬の寒さに耐えられないもの。
夏には忌中が多くなります。
百日紅 町内にまたお葬式. (池田澄子)
百日紅の強い生命力、鮮やかな色彩。
それに比べて、人間の命のはかなさ、黒装束の会葬者、
鮮やかなコントラストです。
(本覚寺山門から本堂を望む。)
私の祖母は感の強い人でした。
暑い盛りに突然私に呟きました。
「ああ、誰かがお寺にご用だよ・・・・」
何があったか訊ねると
「今、風も吹かないのに、百日紅の花が散っただろう。人が通って、本堂に昇ったのだよ。ガラス戸が光っただろう・・・・・。」
暫くすると、連絡が入りました。
「亡くなりました。通夜、本葬のご相談をさせてください」 と。
(庫裏を背景に、鮮烈の生命力を感じさせる百日紅)
京都には一歩譲っても、鎌倉には百日紅の見事なお寺が数多くあります。
先ず、最初に咲くのが鎌倉小町辻に近い「本覚寺」さんです。
このお寺の比企谷から名越方面の人が、鎌倉駅に向う途上にあります。
当り前のように、境内を横切って駅に、街中に向います。
人達は、つい先日までは栴檀の花を見上げ、今は百日紅の花を見上げながら、蝉時雨のなか歩を急ぎます。
今年は、此処十年来で最高の花です。
屹度、暑さが極まっているからでしょう。
南国生まれの百日紅です。
気温が高まれば高まるほど花数が増えて、色味が濃くなる事でしょう。
百日紅 散れば咲き 散れば咲きして 夏すがら (拙作)
(左が夷堂、手前に栴檀の古木もあって、境内を囲っています。この木が蝉時雨に・・・)
「何故、百日紅をお寺に植えるのだろうか?」
不思議に思ったことがあります。
第一には、花が綺麗だから。
お盆、彼岸の間中咲き続けるから・・・。
それ以上に、生命力旺盛な花がお釈迦様の聖木「むゆうじゅ(無憂樹)」を思わすからだと想像します。
無憂樹はお釈迦様生誕のお庭に咲いていた花でした。
仏教は暑いインドで発祥した宗教です。
悟りは「菩提樹」の樹下で、逝去は「沙羅双樹」の樹下で、そして生誕は「無憂樹」の樹下でした。
吉祥事は大樹のピラミッドパワー下で起こりました。
しかし、いずれの樹も日本には育ちませんでした。
そこで、それぞれに「水木」「夏椿」「百日紅」を充てたと想像します。
(山門の仁王像、傷みが激しく光背の雲のデザインも傾いてしまいました)
南禅寺の虎の子渡しのような名庭こそ鎌倉にはありませんが、百日紅の名木は数多くあります。
極楽寺、永福寺、おんめさま、本興寺(今年は本堂工事中)、大長寺、龍口寺、円久寺、海蔵寺、宝戒寺・・・などなど数え切れません。
今年の暑さは蓮の花も見事に咲かせました。
百日紅も同じ南国生まれ・・・・見事に咲いて当然でしょう。
これから秋口まで、百日紅を楽しんで過ごしましょう。
(本覚寺三門前、滑川際の掻き氷屋さん。京都も鎌倉も氷屋さんめぐりが楽しみです)
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