天晴れ!彫工・後藤利兵衛の匠の心意気・・・・・
長い戦乱の時代が収束し、江戸時代、ようやく平和な時代が到来しました。
日光東照宮が建立され、興廃していた全国の社寺が再建されました。
大工さんが活躍し、左官屋さん、材木商人等も台頭してきました。
その中に「彫り物師」所謂「彫工」も居ました。
(西叶神社拝殿正面の龍、今日の話題は作者の「後藤利兵衛」です)
大規模な社寺建築、それが京都や奈良にあっても発注は江戸幕府が行ったようです。
従って、全国の彫工は江戸に集まりました。
伝説とも言われる「左甚五郎」も飛騨高山から江戸に転居、寛永寺の龍や東照宮の眠り猫を彫ったと思われます。
江戸深川の木場辺りには、全国から腕利きの彫工が集まり、腕を競い合って、沢山の甚五郎が居た事でしょう。
江戸初期は彫工は名前を明かさず「家」とか「棟梁」の名が前面に出ていました。
主なものでも「岸上・和泉家」「嶋村家」「根本家」「高松家」「石川家」「後藤家」などがあります。
(西叶神社、拝殿格天井の28態の龍の図)
江戸時代も中期になると各地方に豪農・豪商が出現、地方での需要も拡大しました。
越後の石川雲蝶、信濃の喜平と八十吉などが登場します。
中でも評価されているのが安房国の彫工でしょう。
波の伊八(武志伊八郎信由)はその代表で、波を彫らせたら第一と評されました。
北斎画の「神奈川沖浪裏富士」は伊八の欄間彫刻に酷似しています。
(上記龍の図アップ)
安房の国にどうして沢山の彫刻師が出現したのか?興味もあります。
先の伊八系の他に「後藤家」「武田石翁」(此方は石工として有名)が出現、「安房の三名工」と評されます。
安房の国の目と鼻の先が「浦賀」です。
浦賀は江戸時代小田原に次ぐ相模の国の大都市、加えて干鰯問屋が栄えました。
従って、安房の彫工の技が数多く残されています。
このブログでも東耀稲荷の格天井はじめ東福寺などを書きました。
(西叶神社の社殿、前面の拝殿は彫刻の塊り)
西叶神社は浦賀の町の中心地でありました。
その北側には浦賀奉行所があり、門前には干鰯倉庫が軒を並べていました。
倉庫の前は浦賀湾、此処から全国に干鰯が出荷された訳でした。
その隣からは咸臨丸が出航し、我国の一時代の舞台でありました。
西叶神社の背後は急峻な崖で、崖の上は三浦台地、今は瀟洒な住宅ですが、少し前までは一面の大根畑でした。
(西叶神社、右側は干鰯の倉庫)
天保八年(1837)2月1日、浦賀の町は大火に見舞われます。
西叶神社も神社が焼失してしまいます。
1842年社殿は浦賀奉行や浦賀問屋衆の協力で再建されます。
建築費は3000両と言われます。(1両7.5万円換算で約2億円)
社殿彫刻を若干28歳の後藤利兵衛義光に依頼します。
利兵衛は、安房の国朝夷郡北朝夷村(今の千倉町)の出身でした。
江戸京橋の彫り物師「後藤三次郎恒俊」のもとで修業中、この大役を仰せつかった訳でした。
ですから、全身全霊を込めて、自らの技量を遺憾なく発揮した訳です。
勿論、江戸時代初めまでは「家」が大事にされましたが、この頃になると「個」が、匠の名が大事にされます。
社殿の隅々まで、後藤利兵衛の彫り物で埋め尽くしました。
明治35年に八十八歳で没した人物ですから、幕末維新を勝海舟などと共に生きた人物でした。
(正面が浦賀湾、向いに東叶神社、海の右側から咸臨丸は出航した)
拝殿は入り母屋造りでありました。
その正面には千鳥破風(はふ)、軒は唐破風の向拝、彫刻には「松と鶴」を刻みます。
向拝の柱木の鼻前と側面には丸獅子を、梁(はり)には「梅に鶯」を浮き彫りしました。
廂には三匹の「子を連ねた竜」を付けました。
側面左右の虹梁には「菊花」の浮き彫りしました。
そして、参拝客が拍手を打って見上げる、その目の先、格天井は圧巻でした。
「二十八態の竜」を刻みました。
古今の彫刻に比し「俺の腕を見ろ!」と言わんばかりの作品です。
28歳の匠には「時代を創るエネルギー」を感じます。
(松に鶴、梅に鶯の彫刻)
私と家内は叶神社の社殿を一周し、その隅々まで彫刻を眺めました。
社殿から一段下に社務所があります。
社務所の玄関の漆喰に目が止まりました。
鏝絵(こてえ)です。
伊豆の長八が開発した、漆喰を使った「レリーフ」です。
左官屋が「彫り物師なんかに負けじ」と玄関に鏝絵を描きました。
私と家内は指を刺しながら、絵解きをします。
中国の寓話が素材のようです。
唐子が三人居ます。
二人は、心配そうに大きな水甕を見詰めています。
利発な唐子が水甕の腹を割ったのでしょう。
水が勢い良く流れ出し、一人の唐子が水の中から救出されました。
この話がどの様な意味を持っているのか、私達は解りません。
しかし、幕末維新、時代を切り開こうとする彫り物師等に感服する事が出来ます。
「浦賀の町」はそれごと「幕末のミュージアム」の感がします。
(社務所玄館の鏝絵、右側が心配そうに水甕を見詰める唐子二人、左が水甕を割って唐子を救出する図。二コマ漫画。意味するとこは良く解りません)